英雄のセカンドライフ
「おじいさん、コーヒーで良かったですか?」
書斎の入り口、空けて置いたドアから年老いた女性がお盆を手に入ってくる。
時間とすれば四〇年、寄り添ってくれた妻だ。
「ん? あぁ、済まない」
「なにか、書き物ですか? また政府から?」
「いいや、趣味の範疇さ。ばあさんは心配しないでも大丈夫だよ」
「辞めたのはもう一〇年も前なのに」
「これは違うよ。――頼んでくるものを無碍には出来んさ。一応、報酬ももらうのだしな」
「おじいさんは私でなくて、仕事と結婚すれば良かったんですよ。……ふふふ」
「そう言うなよ、ばあさんには感謝してる。……そう言えば花梨のオーディションはいつだったかな」
スケジュールを書いた手帳は、今。リビングにある。
現役を退いて以来、手帳を見ないとどうにも細かい日付までは覚えきれない。
「来週の土曜日、ですよ」
「土曜日、か」
「なにか用事があっても断って下さいね?」
「……なにも用事なんか入れないよ。当たり前だろう」
そう、土曜日には何も無い。
「目に入れても痛くない孫娘、ですものね」
「最近は目に入れるとゴロゴロするよ。思春期だな、アイツも」
「うふふふ……、そんなこと、言ってるうちが花ですよ」
「あぁ……、違いない」
いずれにしろ。
まずは普段通りに生活するほかの選択肢などないが。
「コーヒーを飲んだら買い物に行こうか。……今日は病院は?」
「先週、薬はもらってきましたから病院は大丈夫です。では、用意しておきますね」
「あぁ、すぐに済むよ」
私には秘密がある。
人に話せばアタマのおかしいヤツ、として後ろ指を刺されることは確実。
人には話せない。
読んでいたノートをもう一度開く。
二人分の筆跡で交互に書かれた交換日記のようなノート。
【○月○○日に魔王第三軍団は撃破した】
→次は南の第四を墜とす方向で段取りをしてあるが、状況によっては東の砦に目標を切り替えた方が良い
【□月□□日に敵前線基地指令部を爆撃予定、滑走路を間違い無く潰せ】
→VTOLメインの部隊を編成するよう指示しておいた。但し作戦予定は政府の横やりによって延期している。
【○月○○日より魔族の懐柔を開始。最低でもサキュパスとハーピーは引き入れておきたい、交渉材料はどうする?】
→ハーピーは単純に生息地の確保だけで言い。サキュパスについては種族を詳しく知らないが、バカでも無いようだから一旦、時間を稼ぐ方が良い。
【□月□□日に敵の侵攻作戦が有る予定。湾岸部の南は捨てて構わない、但し川より東から工場地帯は全戦力を投入してでも死守すること】
→南湾岸までの防衛成功。これにより士気と物量、両面で優位に立った。
【○月○○日 エルフの族長との同盟を結ぶ。これで貴族と悪魔以外の魔族の東部の有力種族は半分以上こちら側に付いたことになる】
→気を抜くな、まだ東部最大勢力のオークが残っている、ヤツらは見た目と違って交渉が出来る連中だ。話し合いの俎上に引っ張り出すことができれば手は有る。
世界統合軍の総司令である私と、異世界で魔王討伐に奔走する勇者。
なんの拍子であるのか、その彼と私は。あろうことか精神が入れ替わる。
と言う現象を起こした。
ハイスクールの生徒であるならお話にもなるだろうが、始めて現象を起こしたのは勇者が二〇後半、私に至っては四〇半ばである。
お互いが入れ替わっている時間は最低では三〇分、最大で一年。
勇者の世界では時間の進みが遅いようだった。
ノートでコミュニケーションを取れるようになるまで、こちらの時間で約半年の時間を要したが、これで漸くお互いが何者であるか知れた。
彼がこちらに来ている間は、身体こそ私であるが自身の特殊能力。これは一緒に飛んで来ていた。
出来る限り人前で特殊能力を控えるように頼んでは居たが、私の名は最前線に立つ史上最強の司令官として士気を上げた。
一方の私は、戦術など何も無いファンタジーの世界で人間の世界をまとめ上げ、交渉によって魔族の戦力を切り崩す、知略に長けた勇者。として世界の一割にまで後退していた人類領域を四割強まで回復した。
“交換日記”の最後のページ。
【□月□□日の協定の場で大々的に魔法を使え。但し相手の陣営は下っ端官吏であろうと一人たりとも殺すな。これで最終兵器を温存したまま対局は決する】
→□月□□日に終戦協定締結予定。さすがだな、これでついに戦争が終わる。
【○月○○日 魔王城を攻略するよう各方面から圧力がかかっている。これは絶対に阻止しろ。ここが正念場だ。人間も魔族も、これ以上の被害は誰も望まない】
日付は一〇年前。
その日以来、入れ替わりは起こっていない。
私は、ファンタジー世界の主戦派を押さえ込むことに尽力し、戻った後は終戦の立役者として持ち上げられた……。
「一応書いただけ。確かに入れ替わりはもう起こらないとは思ったさ。……さて、アイツは“予想通り”に上手くやっているだろうか……?」
「おじいさん? もうよろしいですか?」
「あぁ、良いよ。今行く」
「残念だったな、花梨」
「おじいちゃんが応援してくれる限り、次がある!」
「私の名を出せば良いものを」
完全に私との関係は秘匿してオーディションを受ける。
実力で認められたいのだ! と、彼女は目を輝かせて何時もそう言う。
「この子は自分の力でないといけないんですよ。おじいさんの孫ですもの」
「さすがわかってるね、おばあちゃん! ――ママ! 残念会は中華ね!」
「人の財布だと思って、本当に、うふ、ははは……」
「あっはっはっは……」
……実力と共に時の運までも味方につけなければ、事をなすのは難しい。
今回は、我が孫に時の運は味方をしなかったが。
私はどうだろうか。
ゴルフの練習場に行く。と言って家を早朝に出た。
日曜の朝というなら、人も車も少なく、私の車は人の居ない街を抜け、人の住んでいない山の裾野へと向かった。
腕時計を見る。
――あと、一分か。
戦術的に戦後に必要になる。として強引に伐採伐根し整地した丸い空き地。
私はそこに立っていた。
「計算ならばこのあたりで良いはず。超次元転移。術式が生きて居れば、だが」
突如、目の前の空間が揺らぎ、西洋甲冑のようなものに身を固めた男性が現れる。
「初めまして、だな。勇者殿」
「鏡で見てたときよりだいぶ老けたな、おっさん」
そう、彼が今日ここに来るように。
メモを残し、仕掛けをしておいたのだ。
勇者に会う。それがどうしても必要だったから。
「おかげさまで戦争は終わって、あとは余生を細々と暮らすだけさ。――そちらは」
勇者のトレードマークだった白銀の鎧は、黒い甲冑と真っ赤なマントに替わり、細身でまばゆい輝きを放っていたはずの剣は、漆黒の長い剣と変わっていた。
魔王に取って代わったか。……やはりな。
今は口に出さない方が良いだろう。
「だからこそ、この世界へと呼んだのだろう? この世界をこの俺に完全掌握させて、二つの世界を両方、あんたのものにするために」
勇者はそう言って、――にっと笑う。
――そして老い先短いあんたの次は俺が取って代わってやる。その目はそう言っている。
なんと単純なヤツだろうか。
「そんなメモを書いた覚えはないが、まぁ君の好きにすれば良い」
「あんたと一緒ならなんでも出来るさ! まさか、自分で魔法使えねぇのに、超次元跳躍ゲートの術式を構築するなんてさ」
「魔力の充填に一〇年かかる上、閉じてしまえば二度と同じ世界に飛べない欠陥魔法だがな。――いずれ挨拶は必要だろう?」
そう言って右手を伸ばす。
「あぁ、なにしろ直接会うのは初めてだ」
そう。彼と握手をする必要が、――あった。
「な、なんだこれ!」
「上手く行ったな。――さすがは魔王、体中に魔力がみなぎっているのがわかる。何をしたらこうなる?」
「なんで入れ替わった!」
私の前には、初老の男性が立っている。
「君がやったのと同じだ。自分でどうにもならない局面でだけ私と入れ替わり、母なる大地を掌握するために使ったあのペンダント、それと同じだよ」
「あんた、気が付いて……」
「あぁ、始めこそ頭に来たがね」
そう、入れ替わりは偶然では無く。勇者が考えるのを放棄したときにだけ起こっていた、いや。起こしていたのだ。
「だから向こうの世界で空いた時間で狂ったように賢者やエルフ、文献に当たり。……見つけたのだ。各世界に一つ、同じものがある。という事実を、ね」
その事実を知ったときは、心が躍ったものだ。
「そして向こうの世界の君のペンダント。これは君が使うと壊れるように細工をしておいた」
「……あの時、壊れたのは」
「だからこちらの世界で全力を上げて探したのだ。……手に入れるには苦労したよ」
戦争の最後、彼との最後に入れ替わった後の終戦までの一年。
ペンダントを手に入れるために、実に十五万人が犠牲になった。
「手に入れた、だと? ……あんたまさか!」
「ほう、もう少し鈍いかとも思ったが意外と聡いな。ペンダントはこの世界にわずかに残る、かつての魔術を駆使して我が身に取り込み、発動の仕方を少し変えた。これが正しい発動のカタチだ。チカラはなにも使えまい。当たり前だが私は魔法など、使えないのだからな!」
たった三年。それだけの時間で伝説のペンダントを手に入れ、本物の魔術士と出会い、さらには一〇年もの時をかけて、魔王と化した勇者を召喚することに成功した。
――時の運は、私に味方した。孫にまで運が回る道理は無い。
「あ、あんたは!」
「上手く私を利用したつもりだったろうが、そうはいかない。お前が魔王に取って代わり大地をチカラで支配するところまで、全ては織り込み済み。全て私がもらい受ける!」
老人の姿に背を向け、ゲートへと歩を進める。
遙か向こうには見慣れた、地球ではない“母なる大地”が見える
「時の運は私に味方した! せいぜい、のんびりと余生を過ごせ! はは、はっはっはっ……!」
私はゲートに踏み込むと足元の魔方陣へと剣を突き刺し、術式を崩壊させゲートを閉じた。
魔王としてのセカンドライフを始めるために。