47:ミュアの覚醒
「お、おいヒイロ……?」
「…………はぁ、まったく、出口にはボスキャラか……ゲームか何かかここは?」
RPGならばこういうダンジョンの出口にはボスキャラがいるのは必然。
しかし現実にもそんなことが起こらなくてもいいのにと愚痴が零れてしまう。
「シャァァァァァァァッ!」
まるで出口を塞ぐようにして天井から日色たちを見下ろしているモンスター。
映画で見たような巨大アナコンダがそこにいた。天井から突き出ている岩に上手いこと張り付き、その長い体躯をニョロニョロと動かしている。
「確かあれは……クレイバイパーだな」
日色は図鑑で見たことがあった。Aランクのモンスター。全長三十メートルにもなるその大木のように太い身体は、岩のごとくゴツゴツしていて黒光りしている。
さらに凶悪な顔。人間を丸呑みできるほどの大きな口からは、二又に別れた長く赤黒い舌をチョロチョロと出す。見るものを縛り付けるような赤い瞳が不気味に発光している。
「やれやれ。とにかくチビはハネッコと一緒に離れてろ」
「あ、は、はい……」
ミュアは日色の言う通りにするしかなかった。とてもではないが、彼女が役に立てる相手ではない。
しかし離れる時、彼女の顔は悔しそうだった。自分には何もできないということが彼女の重荷になっているのだろう。
「オッサン、アンテナ女、遠距離攻撃はできるか?」
「まあ、ある程度ならな」
「ん……できる」
「ならそれで奴の気を引け。アンテナ女は倒せるなら倒してしまってもいいが、あまり暴れるなよ。ここが崩れたら大変だしな」
「ん……了解したよ」
「ん? ヒイロはどうすんだ?」
「オレは隙を見て奴を眠らせる」
だがそのためには時間が必要だった。
他の文字と違って、『眠』の文字効果が強過ぎるせいか、集中して書くのに時間を有する。
また文字を書いているところを狙われたら堪らないので、二人には時間稼ぎをしてもらいたい。
もちろんウィンカァがそのまま仕留められるならそれが一番良い。
「へいへい、けどなるべく早くしてくれよ。レベルは上がってるし、ウイがいるっつっても結構しんどそうな相手だしよ」
本来なら逃げを選択するアノールドだが、先のユニークモンスターとの戦いで勝利を収めているので、今回も日色が何とかしてくれるだろうと考えているのかもしれない。
それに相手は確かに一人では辛い相手だが、日色やウィンカァがいることで強気なのだろう。
「来るぞ」
そうこうしている間にクレイバイパーが大口を開けて突っ込んでくる。
三人はそこから散開してそれぞれに回避する――が、そこを尻尾で薙ぎ倒される日色とアノールド。
「ぐぅっ!?」
しっかりとガードはしたが二人は同時に地面に転がる。アノールドは「やっぱ強え!?」と言いながら地面を転がっている。かなり痛みに歪んだ顔だ。
(くそ……器用な尻尾め)
日色は思った以上に素早い相手の動きに愚痴を零しながらも、距離を取りつつ文字を書き始める。アノールドも立ち上がりクレイバイパーからの次なる攻撃に備えていた。
突然クレイバイパーが目一杯大口を開けたかと思ったらそこから毒々しい緑色をした液体を吐く。
ターゲットは――ウィンカァ。
一瞬ギョッとなる彼女だが、大きく背後に跳び避けることに成功する。
だが液体が撒かれた地面はシュゥゥゥゥという音とともに溶けていく。
「おいおい、溶解液まで吐くのかよ……」
シャレになんねえなとアノールドは口にしながらも、大剣の柄を握る手に力を込める。日色に言われた通りに遠距離攻撃を選択。
「くらいやがれっ! ――《風の牙》!」
その場で剣を振ると、魔法で言うところのウインドカッターのような風の刃が放たれていく。
見事相手の身体に当たり、クレイバイパーの皮膚を斬り裂き血潮が飛ぶ。
アノールドの力でもダメージを与えられると思ったが、その傷がみるみる内に治っていく。どうやら生半可な攻撃では、相手の治癒力が上回りダメージを与えられないようだ。
さすがはAランクのモンスターだけはある。そう簡単には喜ばせてくれない。クレイバイパーの意識が、アノールドから日色へと向かい、再び溶解液を飛ばしてきた。
「ちっ!」
日色はその場から逃げながら鈍い動きしかしない指を必死に動かしていく。
だが逃げた先には、驚くことにクレイバイパーとは身体の大きさは比べて極端に小さいが、数匹のクレイバイパーらしきモンスターが待ち構えていた。
「くっ! アイツ一匹だけじゃなかったってわけか!?」
恐らくは子供。日色は咄嗟に右足に力を込めてブレーキをかける。
そんな日色に向かって飛びかかってくる小さいクレイバイパー。このままでは噛まれるといったところに、日色の前に立ち小さいクレイバイパーを一閃する存在がいた。
「ヒイロは、ウイが守る」
「アンテナ女! よくやった! そいつらは任せるぞ!」
「ん……任せて!」
日色は意識を天井で動き回っているクレイバイパーに向けて動きを読む努力をする。
しかしながらその動きは目まぐるしく、ようやく『眠』の文字が書き終えたのに照準が合わせられない。
野生の勘なのか、日色の指先を警戒している感じで、ずっと日色を見続けながらアノールドを攻撃しているクレイバイパー。
アノールドは何とか突進攻撃を避け、次の攻撃に備えている。だがそこでクレイバイパーが突然地面の中へと潜り込んでいく。
「なっ! そんなこともできるのかよ!」
叫ぶアノールド同様、それを見ていた日色も舌打ちを一つ。これでは文字を当てることが困難になる。
あのスピードに加えて地面への侵入と、当てにくいことこの上ない。せっかく文字を書き終えたというのにどこから敵が攻撃してくるか分からないのだ。
「クソ! どこ行った! 出て来いヘビ野郎!」
いつ攻撃してくるか分からず恐怖を感じているアノールドはキョロキョロと地面を観察するが、一向に出てくる気配がない。
そこで小さいクレイバイパーを全て倒したウィンカァも即座に合流。とりあえず背中合わせになり三人は警戒態勢を整える。
突如として大地が大きく揺れ始めた。
その揺れに膝をついてしまう日色とアノールド。
「アオアオアオォォッ!」
ハネマルがミュアの腕から跳び下り、スカートの端を噛んで、岩陰に隠れていた彼女を、そこから引っ張り出そうとしている。その行動の理由に一早く気づいたのはウィンカァだ。
「ミュア! そこからどく!」
しかし遅かった。ミュアの足元の地面に亀裂が走ったかと思うと
「きゃあぁぁぁぁっ!?」
地面の中からクレイバイパーが現れて、長いその身体でミュアに巻き付き、締め上げながら天井へと向かう。
ハネマルは噛んでいたスカートを放してしまい地面へと落下し、それをウィンカァが素早くキャッチする。
「ミュアァァァァァッ!」
アノールドは目を最大限に見開き愕然とした表情を浮かべる。
日色もまさか自分たちではなく非戦闘員であるミュアを狙うとは思わなかった。距離もある程度離れていたことで、安心してしまっていたことを後悔する。
日色は咄嗟に指先を突きつけ狙いを定めるが、日色が何かをしようと感づいたのか、睨みつけていつでも動けるように警戒している。
このままでは避けられてしまう可能性が高い。だがせっかく時間を掛けて書いた文字を消すわけにもいかない。
だが下手に動けばこのままミュアを絞め殺すぞというような意志を感じさせてくる。
「オッサン、奴の動きを少しでもいい、止められるか!」
「あるにはあるが、ミュアを巻き込んじまう!」
「アンテナ女はどうだ!」
「動きを止める? ん……ない」
彼らは基本的に攻撃主体の技を持つ。もしここで相手の動きを止めたりすることができる魔法使いがいるなら助かるのだが、無いものねだりをいくらしても仕方がない。
※
ミュアは自分が情けなくて仕方がなかった。
戦いに参加できなくて役に立てないのに、今はこうして囚われ、日色たちが手を出せずにいる。
(何で……わたしは守ってもらってばっかりなの……? もうあんなの嫌なのに……)
脳裏には過去の出来事が次々と浮かんでくる。自分が何もできず消えていく命。大きな背中に守られて、それで安心している自分。そのために傷つく大切な人たち。
(そんなの……ダメなのに……おじさんと強くなるって約束したのに……)
クレイバイパーの身体に締めつけられて、苦しみながらも微かに目を開ける。
そこにアノールドの悲痛な顔が目に飛び込んでくる。
(おじさん……っ!?)
自分のせいで悲しい顔をさせている。もしかしたら自分のせいで、これから日色やアノールドたちが傷ついていくかもしれない。アノールドに言われたことが、走馬灯のように思い出される。
『アイツに託された子だ。お前は俺が死んでも守ってやる』
『……ううん、わたしだって強くなる。だって、強くなりたいもん!』
あの時から誓った。強くなると。だけど自分のことを信じることができなかった。何にもできなかったあの時の自分から、少しでも成長できているのだろうかと疑問に思う日々。
戦いが始まるとやはり怖いし、守られているとホッとしてしまう。だがそんな自分をいつも信じてくれる人がいた。
『お前だって獣人で、潜在能力に関しちゃそこらの獣人には負けねえと思うぜ? 何てったってあの一族の血を引いてんだからよ。それにアイツの娘でもあるしな』
アノールドの言葉を思い出し、ミュアはもう一度目を開けてアノールドを見つめる。彼の顔は変わっていない。そんな顔をさせているのは自分。ならどうすればいいか。
答えは――――一つだった。
ここで何もできなければ多分後悔どころではない。
ここが自分の殻を破る場所なのだとミュアは強く念じる。
(わたしが……何とかすればいいんだっ!)
するとミュアの胸の奥から温かい魔力が滲み出てきて、それがミュアが右腕に嵌めている腕輪に流れていき淡い光を放ち始める。
この魔力はあの時――妖精女王であるニンニアッホにもらったものだということはすぐに理解できた。
※
日色は現況を分析し、今のままではいずれミュアも絞め殺され、また自由に動き回られると判断した。
(仕方ない。ここは『眠』の文字を一旦諦めて、まずは奴の動きを先に……ん?)
クレイバイパーの身体が光っている。いや、正確に言えば、ミュアを巻き込んでいる部分だけが異常に光り輝いている。
(何だ……?)
そう思った直後――――――――バチバチバチバチバチバチバチバチバチィィィィィィィッッッ!
凄まじく激しい放電現象が起きた。
いや、放電なんて生温いものではない。
まるで雷に打たれたように、先程光っていた部分から力の奔流が迸っている。
天井から伸びる尖った岩を幾つも破壊して岩の雨を降らしてくる。下敷きにならないように日色たちは回避を優先させた。
「シャァァァァァァッ!?」
クレイバイパーも、突然自分の身体に流れてくるとてつもない電流に身体を痺れさせながら、苦悶の表情を浮かべて悲鳴を上げていた。
日色たちも、一体何が起こっているのか把握できずにいる。しかしこれは明らかにクレイバイパーの予想外のはず。
「今だっ!」
日色は今が好機と判断し、『眠』の文字を放つ。痺れて身動きが取れないクレイバイパーには恐ろしく簡単に命中する。
「よし! オッサン! 全力で首を叩き斬れぇっ!」
日色の言葉にハッとなり、アノールドは力を大剣に集中させる。
「分かってらぁぁぁっ! ――《風の牙》ぁぁぁっ!」
時間を掛けて風の力を剣に纏っていく。徐々に大きくなっていく大剣。緑色に光るその牙は、それこそ大人三人分くらいの大きさになる。
巨大な牙を抱えて跳び上がり、クレイバイパーの首に狙いを定めて全力で振り下ろす。
「ミュアを返せぇぇぇぇぇぇぇっ!」
ものの見事に寸断。頭だけが地面に向けて落下してくる。これでクレイバイパーの命は絶たれた。だがまだ終わってはいない。
先程の雷もそうだが、ミュアの安否が認められていないのだ。
いまだにクレイバイパーの身体はミュアの身体を締め上げているのか、天井で貼りついたように動かずにいる。
それでもようやく天井から、身体がズズズと力を失ったかのようにゆっくりと落ちてきた。
身体の隙間――その中から、ミュアの姿を発見する。
ミュアは意識を失っているようだが、身体から先程の光を微かに放っていた。クレイバイパーの身体から離れて落ちてくる彼女をそっとアノールドが受け止める。
「ぐがががががががががががぁっ!?」
突然ミュアの全身から発生した電流によってアノールドは感電してしまう。
「オッサンッ!?」
「アノールドッ!?」
日色とウィンカァが叫ぶが、それでも彼は必死な形相をしてミュアを抱きしめたまま離さない。彼が本当にミュアのことを大事に想っていることが痛いほど伝わってくる。
「ぐが……よ……よがっだァ……みゅば……」
涙を流しながらミュアの身体を、その大きな身体で包み込むアノールド。日色たちもホッと息をつき戦闘状態を解除した。
アノールドの腕の中で、徐々にミュアの身体から光が収束していく。それと同時に、アノールドを襲っていた電流もなくなった。
「一体何だったんだ?」
日色は眉をひそめながらミュアを見つめる。その呟きに答えてくれたのはアノールドだ。
「…………この娘の力だ」
「クレイバイパーの動きを止めたのもか?」
「ああ、ようやく目覚めたみてえだな――《化装術》が」
「そういや詳しく知らなかったな。一体何なんだそれは?」
彼らの《ステータス》を見てその存在を知ってはいた。だが全容は知らなかった。
アノールドは膝にミュアの頭を乗せて優しげに髪を梳きながら語る。
「……獣人が魔法を使えねえのは知ってるな?」
「ああ」
「それを補うためにある研究者がすげえもんを作った」
「……何だ?」
「コレだよ」
そう言って、自分の右腕に嵌められてある銀細工の腕輪を見せるアノールド。
「それは?」
「コレは《名も無き腕輪》って言って、獣人が真に力を求めた時に潜在能力を解放してくれるもんだ」
「そんな便利なものがあるのか」
それなら欲しいと思ったが、獣人がということは人間である自分は使えないのだろう。
「コレは精霊と心を通わせる腕輪だ。もし内なる《精霊魂》が目覚めた時、それは名を変え、新たな腕輪となって術者に力を与えてくれる。ちなみに俺のは《風の腕輪》だ」
「なるほどな。それが『獣人族』が魔法の代わりに得た力ってことか」
「ああ、目覚めるってことは、精霊と契約するっていうことだ。俺は風の精霊と契約を結んだ。そしてこの娘は……」
「雷の精霊……ってことか」
アノールドは頷き肯定を表す。
「だが驚いたな。チビがあれほどの雷を生み出すとはな」
まさしく空から降る雷のような轟雷だった。
クレイバイパーは、恐らくあの一撃で絶命していたのかもしれない。それほど凄まじい力だった。
アノールドが受けた感電は、そのあとの余波のようなもの。もし全力で受けていたら今頃クレイバイパーの二の舞だったろう。
「生み出すっていうよりは、雷そのものになるんだけどな」
「? どういうことだ?」
「ま、詳しいことは【パシオン】に着いてから話そうぜ。ミュアを休ませてやりてえしよ」
確かにアノールドの言うことも尤もだ。
ずっといれば、またモンスターが出現する可能性だってある。
「分かった。なら先に外に行け」
「は?」
「そいつの討伐部位を取ってから行く」
金には困っていないが、取れるものなら取っておいた方が良い。
アノールドは「分かった」と言って、ミュアを背負いながらウィンカァたちと一緒に外へと向かった。
日色は死骸になったクレイバイパーにゆっくりと近づく。死んでいると思うが、一応警戒しながら距離を詰める。
(確かここだったな……)
確認したのは、ミュアが巻き付かれていた場所だった。そこは痛々しく焼け爛れていて、見るからに黒々として細胞が死滅していそうな外見だ。
「とんでもない威力だな。だがなるほどな、これなら魔法に十分対抗できる。オッサンが《風の牙》を使う時も魔力をほとんど感じなかったのは、魔法じゃないからだな。まあその分体力を消耗するみたいだが」
そうやって分析していると、ゾクッと背後に寒気を感じた。
またモンスターかと思い素早く刀に手をかける。
サッと振り向いて刀を抜く。
しかしそこにはモンスターはいなかった。
代わりにいたのは――――。
「――――誰だお前?」
見たところ獣人のようだった。
全身が真っ黒な毛並みで覆われていて、獰猛な紅き瞳は、明らかに好意的ではない印象だ。両腕には銀の手甲、上半身に同じく銀のプレートアーマーだが軽鎧を装備している。
明らかにモンスターではない。
(獣人……黒豹……か?)
まるで黒豹を人化させたかのような存在。こういう存在を見ると、日本ではコスプレかとも思うかもしれないが、間違いなくファンタジーな生き物なのだ。
佇まいや雰囲気から、只者ではないと推察できる。下手をしなくても、クレイバイパーよりも厄介そうに感じる。日色の頬にツーッと汗が流れる。
アノールドたちはすでにこの場にはいない。何とかここから逃げた方が良いかもしれないと考え始める。
そんな中、獣人がゆっくりと口を開く。
「コイツを殺したのはお前かニャ?」
ガクッとこけそうになった。
姿形と雰囲気は、野生爆発で危険な存在だと感じたのに、声が子供のように甲高く――何よりも語尾。
そんな表情で「ニャ」とかつけられても全然可愛くもなんともない。むしろ不気味。
「もう一度聞くニャ。コイツを殺したのはお前かニャ?」
「答える義務があるのか?」
すると相手は顎に手をやりしばらく考えた後、次にポンと手を叩く。
「おお~確かに義務はニャいニャ」
調子が狂う相手だなと思うが、それでも警戒を緩めるわけにはいかない。
何といっても本能が油断するなと告げているのだ。背後に向けた手では、すでに《文字魔法》の準備は整っている。
「まあ、誰が殺しても良いニャ。連れて行くだけだしニャ」
「ん? ちょっと待て、連れて行く? コイツをか?」
「そうニャ。それが任務ニャ」
(任務? このデカいのを連れて行くことが? しかも死体だぞ?)
様々な疑問が浮かんでくるが、何故かこれ以上関わりにならない方が良いような気がしてきた。得体の知らない奴とは関わるべきではない。
「まあ、好きにすればいい。その前に討伐部位だけはもらうぞ」
「ん~……それくらいニャらいいニャ。けど早くしてニャ」
問答無用で断られることを想定していたが、少し拍子抜けだった。
(ん? 案外素直だな。討伐を横取りしにきたわけじゃないのか……?)
動かない相手を見て、日色もしばらくは動かず様子を見ていたが、このままだと埒があかないので、仕方なくクレイバイパーに近づく。
(さっさと回収してここを離れた方が良さそうだな)
日色はそのまま討伐部位である《クレイバイパーの牙》を手に入れようと、切断された頭に顔を覗こうとすると――――殺気が全身を震わせた。
瞬間的に刀を抜いて構えると、その刀を素手で掴む獣人がいたのである。
「な、何しやがるっ!?」
すると相手はニヤ~ッと楽しそうに笑って日色を蹴り飛ばす。
「ぐぅっ!」
そのまま吹き飛ぶが、何とか踏ん張って転倒は防いだ。だが、かなりの衝撃に顔を歪める。たった一撃に信じられないくらいの重さを備えていた。
「お、お前……っ!」
「やっぱお前強いニャ。コイツ殺しただけはあるニャ」
嬉しそうにニヤニヤしている顔がムカつく。
「ケンカ売ってるのか、ニャンコ野郎!」
そう言って刀を構えるが、相手は瞬時に間を詰めてくる。
(オレより速いっ!?)
咄嗟に相手の拳に対して刀でガードするが、そのまま吹き飛ばされる。今度は地面に転がってしまったが、すぐさま起き上がり態勢を立て直す。
(くそ……何でアイツは素手なのに刀と対抗できるんだ?)
普通なら刀を握ったり、殴ったりなどできない。それが刃のついている部分なら尚更だ。逆に手がズタズタになるはずだ。それなのに相手は全くの無傷である。
「ニャハハ~! やるニャ強いニャ! お前ニャら、ちょ~っと頑張れば僕の子分にしてやるニャ」
子分という言葉にピキッと青筋を立てる。
「ふざけるなよニャンコ野郎……。目に物を見せてやる」
睨みつけながら指先に魔力を集中させる。先程のミュアをイメージしていく。
「痺れろっ! 《文字魔法》っ!」
『雷』の文字を書いて、相手の足元に向ける。
ミュアには及ばないが、それでも苛烈な放電が発生し、地面を伝って相手に伸びていく。
「ニャ!?」
相手はハッと目を見開き一瞬驚きを現すが、またもニヤッと笑いながら両手を前に突き出す。
すると雷は、その両手に吸い込まれるかのようにジュゥゥゥッと消えていく。
「なっ!?」
「ニャハハ! 雷使いだったのニャ? ニャかニャかの威力だけど、それくらいじゃまだまだニャ~」
相手が何をしたのか全く分からなかった。
(奴の両手に雷が吸い込まれていったのは分かったが……何をしたんだ?)
こうなったら『覗』を使って調べ尽くしてやりたいと思うが、使っていると時間が掛かる。その間にあのスピードで攻めてこられれば対処が遅れてしまう。
(なら……)
左腕に文字を書き――発動。
瞬時に相手の懐へと飛び込む。
「ニャ!?」
今度は先程よりも驚いたようだ。それほどのスピードだったのだろう。
(『速』の文字を使った速度アップだ! そのまま貫かれろ!)
刀をそのままの勢いで突きつける。しかしまたも相手は身を翻して、日色の攻撃は空を切った。
その軽やかさは、野生の獣そのもののようにしなやかである。
(ちっ! 避けられたか。奴もまだ本気じゃなかったってことだな)
攻撃、速さ、雰囲気、その他もろもろから推測して、恐らく相手は獣人の中でも桁が二つ三つ違う存在のようだと判断した。
Aランクのモンスターが可愛く見えるほどの相手だった。底が全く見えてこない。もし本気で殺しにきたらと思うとゾッとする。
(こりゃ一瞬も気を緩められんな)
下手をすれば死んでしまうかもしれない状況で、日色が思っていたのは、どうやってこの人物を攻略しようかだった。
逃げようと思えば逃げられるが、何だか馬鹿にされたままのようで釈然としない。
(オレもまだガキだな……けど、ここは目を背けたらいけない気がする。というよりも何だかアイツ…………ムカつく)
ギロリと睨みつける。再び『速』の文字を書く。身体がフワッと軽くなる感覚を覚える。
(驚かせてやる!)
疾風の如き動きで間を詰める。先程の速さとは格段に違うことで、相手もギョッとなる。
瞬間的に相手の目が鋭くなり、足回りの筋肉が異常に膨らむ。バキッと地面を踏み抜き、突っ込んでいった日色の攻撃をヒュルリとかわした。
(なっ!? このスピードでもしっかり対応しやがるのか!)
『速』の文字を多重書きして相乗効果を生んだ結果、かなりのスピードを得たはずなのだが、それでも相手に届かない。
そこから何度も間を詰めて刀を突き刺すが、やはり的を射られず空振りする。
(こうなったらもう一回上乗せして……)
更に加速して、防御ができないようにしてやろうと思った時、笑い声が聞こえてくる。
「ニャハハハハ~! うんうん、お前合格ニャ!」
「……は?」
突然わけの分からないことを言い出した。
「お前ニャら、僕の後釜でも不足はニャいかもニャ」
「さっきから何言って――」
「お前レベルは?」
「は? 38で……あ」
つい勢いで話してしまった。物凄く後悔した。
「38!? それでそんニャに強いのニャ! う~ん、増々気に入ったのニャ!」
オレの馬鹿野郎と内心で反省する。相手に情報を与えてしまうとは気を緩み過ぎだ。
どうにも相手の飄々さにつられてしまう。
「僕はクロウチって言うニャ。お前は?」
「……知らん」
「記憶喪失ニャのかニャ!?」
ガビーンとショックを受けた感じで口を開ける。
「大変ニャ大変ニャ! あ、博士に見てもらうニャ! 博士ニャらきっとお前を助けてくれるのニャ! すぐに行くのニャ!」
凄い勢いで詰め寄ってくるので、思わず後ずさる日色。
「い、いや、大丈夫だ! 冗談だ冗談!」
「そ、そうニャのかニャ。ふぅ~それは良かったニャ~」
額の汗を拭くように腕でゴシゴシしている。何やら本気で心配されていたようだ。
(何だコイツ? 調子狂うな……オッサン以上の暑苦しさかもしれん)
敵? のはずなのにいきなり勧誘して、いきなり心配するので困惑してしまう。
「ニャら、名前を教えてくれニャ」
「…………タロウ・タナカ」
「おお~、それが名前ニャんだニャ! ではタロウ、一緒についてくるニャ!」
「はあ?」
「もうすぐ戦争が始まるニャ。お前は僕の腹心として仕えるニャ!」
これは非常にマズイ。思わず頭が真っ白になった。まさか戦争に誘われるとは思ってもみなかった。
(しかも腹心というくらいだから、それなりの地位にいる奴なんだろうな。強さ的にもそれなら納得だ。しかしこれはマズイな……マジで)
クロウチは完全に乗り気だ。このまま無理やりにでも攫っていくような雰囲気を醸し出している。
(仕方ない。こんなスポ根的な状況は嫌なんだが)
日色は刀を突きつける。
「オレは自分より弱い奴の下にはつかない。オレが欲しいなら――オレを倒してみろ」
日色の言葉に目をパチクリして唖然としていたクロウチだが、突然その頬が緩み口元も三日月形に歪み、瞳が更なる獰猛さを光らせる。
「面白いニャ……」
互いの間に視線の火花が散り、チリチリとした空気の中、今すぐにでも衝突するかと思われたその時――不意にクロウチが顔をしかめた。
懐から緑色の石を取り出してジッと見つめた後、大きく溜め息を吐く。
「う~…………仕方ニャいニャ……」
何だか気落ちしたように沈んでいる。
「タロウ、勝負はお預けニャ」
意気消沈したままクロウチはクレイバイパーの身体と切断された頭に手で触れる。
すると次の瞬間、クロウチの手に吸い込まれるようにクレイバイパーが消えていく。
(な、何だこの魔法? いや、獣人だからこれも《化装術》か?)
ものの数秒でクレイバイパーの巨体が消え去った。クロウチは日色に視線を流す。
「これから急ぎの仕事ニャ。できればお前を連れて行きたかったけど仕方ニャいニャ。それはまたの機会にするニャ。どうせ【パシオン】に行くニャ?」
「……さあな」
「ニャハハ~! そのふてぶてしさも気に入るとこニャ。じゃあタロウ、またいつか会うニャ!」
クロウチの足元からズズズズズと黒い影が広がり、その影に吸い込まれるようにして消えていった。日色は警戒しながら、彼が消えた場所へと行くが、何も発見できなかった。
まるで台風のような奴だった。終わったと思った瞬間にドッと疲れが押し寄せてくる。
だが一つ言えるのは、とんでもない人物に気に入られたことは確かだということ。
(これは早めに【パシオン】を出る必要があるかもな)
あんな気味の悪いニャンコ野郎にもう会いたくないと肩を竦める。そこで思いついたようにハッとなる。
「…………討伐部位……」
回収は不可能。ただただ日色の呟きが洞窟内に寂しく響き渡った。