13:アンテナ女との邂逅
突然湯に落ちてきた子供を見て、三人は一体何事だという表情を向けていた。
特にミュアは誰よりもビックリして飛びのくほどだ。
(え、えと……誰なんだろ? 女の子……かな?)
ミュアは恐る恐る、ピクリとも動かない子供を見る。
「お、おい、このまま放置してていいのか?」
そこへアノールドが、顔が湯に浸かっているのにいまだ動かない子供に対し、このままでは窒息するのではと思ったのか心配気に声を漏らしている。
日色の意見を窺うように顔を向けるが、「ふぅ~」と、何も無かったように気持ち良さそうに湯に浸かっている日色がそこにいた。
「うぉいっ! 何で普通なのっ!」
当然の叫びだったのかもしれない。こんな状況なのに、何事も無くスルーする日色のマイペースぶりに辟易する思いに違いない。
「おいヒイロ!」
「うるさい。どうするかオッサンが決めればいいだろ? オレは温泉を堪能していたい」
「こ、このガキャ……ホントまったくよぉ……」
アノールドは頬を引き攣らせながら、相変わらずな日色の態度に対し肩を落としている。そしてそのままゆっくりと視線を少女へと戻す。
「仕方ねえな。このままってわけにもいかねえし、ミュア、ちょいと手貸してくれ」
「あ、うん!」
「とりあえず槍が邪魔だな。よっ、おお、なかなか重いな。ミュア、ちょっと持っててくれ」
そう言って子供から槍を取り、ミュアに手渡す。
「重いから気ぃつけろ」
「うん!」
小さくても獣人なのでミュアは力がなかなかに強い。大きな槍だが持つだけなら何てことはない。だがそれでもずっしりと重い槍を手に取り思う。
小さな身体でよくこんな重い槍を扱えるものだと、ミュアは驚きながら槍を落とさないようにしっかり持っていた。
まだ顔を見ていないが、長い髪の毛と服装、そして自分とそう変わらない身長を見て、女の子ではないかとミュアは推測する。
アノールドがその子供の両脇を抱えて湯の中から出し、俯せの状態から仰向けにしてくれたお蔭で、ようやくその人物の顔を見ることができた。
「あ、やっぱり女の子だったんだ」
見た目はミュアとそう変わらない年頃であり、黄色の髪を腰まで伸ばし、それを三つ編みで後ろに束ねている可愛らしい少女だった。
アンテナのようにピンとした髪束が頭上でユラユラと揺れていて可愛い。
そしてミュアは、その少女の全身を見て思わずゴクリと息を飲み、羨ましげに彼女の体をジッと凝視してしまった。
大きな胸、細い手足と腰、白くてきめ細やかな肌。美少女と呼ぶべき整った顔。そのどれもがミュアが手に入れたいと思っているものだったからだ。
自分とは明らかに違うそのスタイルを見て、何だか悲しくなる。同じ年頃のように見えるのに…………特にこの胸は反則ではと思ってしまった。
「ふぅん、女だったんだな」
突然声が聞こえてミュアは振り向く。そこには日色がいたのだが、
「き、きゃっ!」
タオル一枚を腰に巻いた状態だったので、上半身裸の日色にミュアは自分の顔が真っ赤になるのを感じて勢いよく背中を向ける。
(ち、近いよぉ~!)
そんなミュアの気恥ずかしさを知りもせず、日色は寝ている少女を一瞥すると、自分の服がある岩場へと歩いて行く。どうやらもう十分に温泉は堪能したようだ。
ミュアの恥ずかしさを察したのか、アノールドは慰めるように言葉をかけてくる。
「と、とりあえず俺らも着替えるか」
「う……うん」
一応少女が生きているかどうか確かめてから、ちゃんと息をしているようだったので、その場に寝かせて着替えに行った。
着替えた三人が戻って来ても、まだ少女は寝ていた。サッパリした顔で日色が少女を見下ろしながら尋ねてくる。
「どうするつもりだ?」
「う~ん、このまま放っておくのもなぁ~。モンスターだって来るかもしんねえし……」
「そ、そうだよね。何とか起こしてあげないと」
ミュアは改めて少女を観察する。着ている物はというと、ヘソ出しファッションというか、胸当てに短パンというあっさりとした軽装だ。
首には黒いチョーカーを巻いていて、腰にはその短パンを覆うようにヒラヒラした布が巻かれている。
最も目を引くのは槍だが、これほど大きな槍を持っているのだとしたら冒険者の可能性が高い。
それなりに実力があるのかもしれないが、このまま起こさずに去って、もし彼女に何かあったら寝覚めが悪いと思ったのか、アノールドはペチペチと彼女の頬を叩いている。
ミュアは隣にいる日色に視線を向けた。
「だ、大丈夫でしょうか彼女は?」
「さあな、外傷も無いし、死んでるわけじゃないんだろうが……」
「でもこんな大きな槍を持ってるなんて冒険者か何かで……ん?」
視線を少女に戻したミュアは、彼女を起こそうとしていたアノールドの行動に違和感を覚えてしまう。
先程は手の平で少女の頬をペチペチと叩いていたが、今は何故か指先でツンツンと、まるで感触を楽しむかのように突いていたのである。
そして極めつけは、アノールドの頬が楽しそうに緩んでいることだ。その様子は、とても他人の、しかも女の子に対して見せていいものではなかった。
「お、おじさん……?」
「えっ! あ、い、いや何でもねえよ! 決して柔らけえからその弾力を楽しんでたわけじゃなくて……あ」
「おじさん……」
アノールドのわざとらしい態度を見て何だか悲しくなった。
そして日色はというと、
「何だ? これは犯罪の現場か?」
「違えよ! こ、これは思わずっていうか……ああもう! ミュア! 信じてくれるよな!」
「う、うん……し、信じるよわたしは……うん、信じるから……ね?」
「ど、ど、どちくしょぉぉぉぉぉっ!」
ミュアが必死に空気を読んでいる姿を見て自分が情けなくなったのか、アノールドはどこかへ走り去ってしまった。
「お、おじさん!?」
「放っておけ。そのうち戻って来るだろ。それよりもコイツだ。オレは別に放置しても構わんが」
「そ、そんなのダメですぅ!」
「…………はぁ、ならさっさと起こせ」
「え……でもどうやって起こしたら……」
困惑していると、日色が溜め息を漏らした音が聞こえた。
一刻も早く極上の食材とやらを見つけに行きたそうな日色だが、自分たちが動かないのでは意味が無いので困っているようだ。
食材のことを知っているのはアノールドだけである。そのアノールドは彼女を放置することを選ばないだろう。つまり必然的に日色も彼女が目を覚ますまで待つことになる。
「……仕方無いな」
日色は寝ている少女に近づき、指先を彼女の顔に近づけようとする。
「ヒ、ヒイロさん?」
日色が何をしようとしているのか分からず尋ねる。
「いいから黙って見てろ。コイツを起こす」
※
《文字魔法》……それが日色の稀有な魔法の名前だ。
指先に魔力を宿し、文字を書き、その文字の効果を現象として引き起こす。それが日色の魔法だった。
例として『炎』と書けば、何も無い所から炎を生み出し、『浮』という文字ならそのまま宙に浮かぶことができ、『爆』と書けば凄まじい爆発を起こすことができる。
まさに万能チートな能力だった。無論漢字でなくともいいのだが、漢字の方が意味をハッキリと理解し、効果を発揮し易いので使用しているのだ。
そして今、寝ている少女に対して『起』という文字を書こうと思い指先を向けているのだが――――次の瞬間、思わぬことが起きた。
――ガブッ!
「……は?」
あまりの出来事に目を白黒させてしまった。それはミュアも同じだったようでポカンと口を開けたまま硬直している。
何故二人がそんな状況に陥っているかと言うと、寝ていたはずの少女が日色の指、いや、手を丸ごと大きな口を開けて咥えてしまったからだ。
モグモグモグモグ。
さらに驚くことに、少女はまだ意識を失ったまま口だけを動かしている。
「い、痛い痛い!? 離せこのアンテナ女!」
どうやら日色の中でその少女の呼び名はアンテナ女に決定したようだ。明らかに髪型から付けたというのが丸分かりだった。
ガリガリと自分の拳が嫌な音を立てるのを聞いて、痛みに耐えながら必死に彼女の口から抜こうとするが、そのまま彼女の顔まで一緒についてくる。
「この……意地でも離さないつもりか! おい離せ! というか起きろバカ!」
すると声に反応するようにピクッと眉を動かしたかと思うと、おもむろに瞼を上げていく少女。それを見て、ようやく起きてくれたと思いホッとした。
「……おはほう……」
「……誰がそのまま挨拶しろと言った」
日色は頬をピクピクと引き攣らせながら言う。
「とりあえず離せ」
「……?」
少女がコクンとそのままの格好で首を傾ける。
「いいから口を開けろ!」
「……? ア~ン」
無表情を装いながらも口を開けてくれたので、その隙を見て手を抜く。見事に手の甲には歯形がクッキリと残っている。
「あ、あのヒイロさん? 大丈夫ですか?」
ミュアがようやく口を開いた。
だが日色はそれには答えずに手を擦っている。
「……ヒイロ? …………誰?」
「お前こそ何だ。人の手を食おうとしやがって」
不機嫌オーラ全開で睨むが、少女は悪びれる様子もなく、無機質な表情で目だけをパチパチと上下させている。
「……良いニオイだった……から?」
「何故聞く。それにオレの手は食い物じゃない」
「ごめん……ヒイロ?」
「人の名を気安く呼ぶなアンテナ女」
「…………違う」
「は?」
「ウイはウイって言う」
「……は?」
思わずまたも聞き返してしまった。何を言っているのかサッパリだった。
「あ、あの、もしかしてウイさんってお名前なんじゃ……」
ミュアが間に入って来るが、少女はまたも首を横に振る。
「ん……ウイはウイ。だけどそれだけじゃない……よ?」
「……何言ってるんだコイツは?」
「さ、さあ……」
何とも不思議な雰囲気を醸し出す少女だった。マイペースというか天然というか、掴みどころのない人物である。
「ウイさんはウイさんじゃないってことですか?」
「ウイはウイだよ? でもウィンカァともいう」
「……あ、ウィンカァというのがお名前なんですね! ウイというのは縮めて呼んでるってことでしょうか?」
「ん……正解。だからウイって呼んでくれていい。…………誰?」
ウィンカァはミュアの存在に初めて気づいたのか、彼女を見て首を傾ける。
「あ、ごめんなさい! わ、わたしはミュアって言います! ミュア・カストレイアです!」
「ミュア……ヒイロ」
「だから気安く呼ぶなアンテナ女」
まだ手を齧られたことを根に持っているらしい。相当痛かったようだ。
「ごめん……手噛んだ」
「噛んだんじゃない。食おうとしたんだろ」
するとシュンとなって顔を伏せる。
「あ、あのヒイロさん? ウイさんも反省しているようですし……」
ミュアが困ったように日色を見上げてくる。
「……はぁ、ところでオッサンはどこまで行ったんだ?」
こういう訳の分からない人物はアノールドに任せようと日色は思っているのだ。
その時、タイミングを見計らったように、ダダダダダダダダと激しく大地を叩く足音がこちらに向かって来ていた。
息を激しく乱しながら戻って来たアノールドが日色たちを見て、そこに先程助けた少女が起きているのを確認してから笑みを浮かべ発言する。
「はあはあはあはあ……お! 起きたのか嬢ちゃん!」
「あ、おじさん! そうだよ、ウイさんって言うんだって。あ、でもほんとはウィンカァさんっていうお名前らしいんだけどね!」
「……ウイでいい」
「へぇ~ウイか。よろしくなウイ! 俺はアノールド・オーシャンだ!」
「ん……よろしく」
「しかしお前さん、何で落ちてきたんだ?」
「落ちて……なに?」
どうやらウィンカァは自分が湯に落ちてきたことを覚えていないらしい。
ぐるきゅるるるるるるるぅ……。
何やら小さな獣が切なく鳴き声を上げたような声が皆の耳に届く。
するとパタンとウィンカァが地面に仰向けに倒れる。
「お、おいどうした!? ウイ?」
アノールドが叫ぶが、ウィンカァはお腹を押さえながら口を動かす。
「お腹……減った」
ガクッと肩を落とす日色たちであった。