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90・リアムの無茶な依頼

 連日に及ぶシンへのマナーレッスンは順調に進み、元々ご両親がしっかり躾をしていたという事もあり、もう後は仕上げのみとなった週末。私はリアム様から、思わぬ依頼を持ちかけられた。


「あの……そんな大それた事、本気でなさるおつもりですか?」


 珍しく、正午を過ぎた頃宿に戻ってきたリアム様に、真剣な表情で女将に相談したい事があると言われ、丁度交替で休憩に入るところだった私は、自分の部屋に彼を案内した。

 すると部屋に入ってすぐに、とても疲れ切ったご様子でリアム様は私に頭を下げてきた。その様子から、かなり切羽詰っている事が伝わってきた。


「ああ、頼めるのは女将だけだ。殿下のご友人の代わりに、殿下のパートナーとして明日の夜会に出席してほしい。その方は……その……何というか、ちょっと変わった女性で……子供の頃以来、人前にはほとんど姿を見せていないのだ。パーティーなども数えるほどしか出席しておらず、それすらも他人とは交流せずに帰ってしまう。だから顔はほぼ知られていない。女将は髪の色が同じだし、身長は少し足りないかもしれないが、それは靴で何とでもなる。大丈夫、変わった方だという事は有名だから、ダンスが出来なかったり、多少礼儀作法がなっていなくても、誰も気に留めたりしないだろう」


 私は、いくら変装する事に慣れているとは言っても、実在する人物に成りすました経験はこれまでに一度も無い。

 そもそも、リアム様は私が普段から素性を隠す為に、変装紛いの事をしていると知らないはずなのに、なぜこのような依頼を持ってきたのだろうか。

 市井の協力者として、宿を利用させるだけで良かったのではないの? これも協力の範囲内だというなら、先に言っておいてほしかったわ……。

 こうなる事も見越して、逃げ道を塞ぐ為に私にあっさり素性を明かしたというならば、リアム様はかなりの切れ者だわ。

 しかも聞けば、そのウィルフレッド殿下のご友人というのは、アルフォードのおじい様の兄妹の孫。隣国アルフォードに住む、私の又従姉妹の事だった。

 彼女は変人として名高いダリア・アンバー・ケンジット侯爵令嬢。年は二十歳。美人だけれど、子供の頃から毒草や毒薬にしか興味が無く、学校は飛び級していきなり高等科の授業を受け始め、本来初等科、中等科を経て、卒業までに八年かかるところを、僅か三年で卒業という異例の経歴を持つ。

 卒業後は屋敷の敷地内に自分専用の研究所を設け、以来そこからほとんど外に出る事無く、毒の研究に明け暮れているそうだ。

 

「殿下には、今はまだ決まった相手がいらっしゃらない。だから今回は、結婚相手を探す為の夜会なのだが、あいにく、殿下にその気が無くてな。その場限りで下手に誰かをパートナーとしてエスコートすれば、相手に変な期待をさせてしまうだろうし……」

「それで、ご友人の中で誰とも結婚する意志の無い女性に、虫除け代わりのパートナーをお願いしたのですね」

「その通りだ」

 

 それはわかるけれど、ウィルフレッド殿下はどのようにして隣国の、しかも年上である彼女と友人になれたのかしら? この国に留学していたにしても、飛び級してさっさと卒業してしまった彼女と面識を持つことは無かったでしょうし、今はアルフォードで暮らす彼女との接点が見付からないわ。

 あ……もしかして毒? 殿下は影武者を二人も用意しなければならないほど危険な立場にあるのだとしたら、ダリアの研究している解毒薬が必要になった時もあるかもしれない。

 でも、これは聞いてはいけない事よね。

 今までに暗殺未遂があったのかを質問するのと同じ事だもの。


「私が代理を引き受けたとして、当のダリア様ご本人は、どこにいらっしゃるのかわかっているのですか? 私が殿下の隣に立っている間に、会場に顔を出されては混乱してしまいます」

「ああ、あの方は……我々が止めるのも無視して毒草を探しに森へ行き、この国でしか採取できないものを大量に取って、肌をかぶれさせて帰ってきたのだ」

「ええ? それは大丈夫なのですか?」

「心配ない。ご自分で薬を作ると仰っていた。ハア……しかし今朝になっても薬は完成しておらず……」

 いくら天才のダリアでも、流石に一晩では無理でしょうね。

「このままではドレスを着るのは無理だから、自分の代わりに誰か似た娘を連れていけと……。元々無理を言って来ていただいたから、名前を貸してくれるだけでもありがたい事ではあるのだが、この国でそのプラチナブロンドを持つ娘を探すのは大変なのだ。下手な貴族令嬢になど頼めぬし、市井で我々の協力者といえば、女将しかいない」


 ああ……ダリアはきっと、最初からそれが目的だったのね。

 この国でしか採取できない毒草が欲しくて、研究室を出てきたのではないだろうか。きっと大量に発見してテンションが上がり、毒草が肌に触れている事に気づかなかったに違いない。

 彼女の最近の研究は、毒から薬を作り出すというもの。解毒剤だけではなく、治癒魔法ではどうにもできない病気の治療に役立つ薬を、すでにいくつか開発している。

 彼女の研究は素晴らしい。

 私の又従姉妹の尻拭いだと思うと、断る事も出来ないわ。

 正直なところ、会いたくない人達が集まる場になんて、顔を出したくないのだけれど、その理由を説明したくても出来ないというのが厄介ね。


「……承知しました。そのお話、お受けします」

「そうか! では明日、何時にここを出られる? 仕事の邪魔をしたくはないが、出来るだけ夜会の知識やマナーなどを教えておきたいのだ」


 リアム様の表情はパァッと晴れやかになり、心底ホッとした顔をした。

 はっきりとは言われなかったが、これは殿下からの命令だと受け取っていいだろう。まるで頼み事のようにやんわり話してくれたけど、私に断るという選択肢は初めから無いのだ。


「明日は午後から休みです」

「ああ、そうだったな。では、終わる頃に迎えにくる。身に着けるものはダリア様が持ってきた物を貸してくださるから、何も心配しなくていい。仕事が終わったら、一緒にダリア様のもとへ行き、着替えを済ませて、短い時間で夜会のマナーを覚えてもらう。では、俺はもう行く。今日はもう戻らないし、フレッドも来ないとチヨに伝えておいてくれ」


 ダリアに会うのは初めてだわ。賢い彼女は、私を見てピンと来るかもしれないわね。


「わかりました。では、明日」


 私は、報告のために急いで殿下の元に戻るというリアム様を裏口から送り出し、自分もすぐに仕事に戻った。

 厨房に戻ると、シンとタキが心配そうに私を見るので、大丈夫よとニッコリ笑ってみせて、ひとまず二人を安心させた。

 チヨからは、また趣味と実益を兼ねた人助けですか? と聞かれたので、皆を心配させない為にも、そういう事にしておいた。

 シンには全てを話したといっても、殿下に関わる事だけは言うわけにはいかないのだ。秘密を持つことに後ろめたさを感じるけれど、こればかりはどうにもならない。


 翌日、ランチタイムが終わった頃にリアム様が迎えに来た。

 大通りに停められた馬車に乗り、王宮付近にある大きなホテルに到着すると、馬車はそのまま厩舎のある裏へ回り、私達はそこで降りて、裏口から中に入った。

 リアム様の後に続き、このホテルの特別室に泊まるダリアの部屋に入ると、私と同じ髪の色の、大人っぽい女性がそこに居た。

 かわいそうに、見えている手や頬のあたりがかぶれて赤くなっている。


「……あら、本当に私とよく似た髪の色ね。私はダリアよ。早速着替えを済ませましょう。さ、こちらへ」


 部屋の中は微かに薬草の匂いがしていて、部屋の一つが調合スペースになっていた。採取してきたのだろう何かの草が、麻袋に入れられた状態で並べられていた。


「気になる? あれは全部毒草なのよ。私は毒草から薬を作り出す仕事をしているの。貴女は宿を経営しているんですってね」

「はい、本日はダリア様の代理を務めさせていただきます、ラナと申します」


 ダリアはジッと私を見て一瞬表情を変えたけれど、余計な話はせずに、今日着る衣装の置かれた部屋に通された。用意されていたのは、もちろんアルフォードのドレスだった。

 私はそれを身に着けて、髪をメイドにセットしてもらうと、メイク道具を借りて自分で化粧直しをした。

 今のままでは甘すぎてダリアとは印象が違いすぎるし、借りたドレスには合わないと思ったのだ。

 本人のイメージに合わせて、以前のようなちょっと濃い目の大人っぽい化粧を施し、戦闘準備は万全となった。


「リアム様、お待たせ致しました。これでいかがでしょうか?」


 豪華なドレスを身に纏い、それに合わせて化粧を変えた私の姿を見たリアムは、ハッとして目を瞬き、呆然として私を見つめ続けた。良く見ると、頬がうっすら紅く染まっている。

 私の変身は上手くいったという事なのかしら。


「っ……では、ダリア様、迎えが来るまでしばらくこの部屋をお借りします。彼女に夜会のマナー等を教えなくてはなりませんので」

「どうぞ、私はまた部屋に篭らせてもらうわ。ラナ、嫌な思いをするかもしれないけれど、私の身代わりをお願いね。そのドレスや装飾品は、お礼の品として差し上げるわ。だから夜会の後はここに戻らなくてけっこうよ。着てきたものは袋に入れてあるから、忘れずに持って出てね」


 私は社交の場でのマナーなどをリアム様から説明され、ちょっとシンの気持ちが理解出来た。既に知っていることを丁寧に聞かされるのは、なかなかに苦痛だった。


「ああ、忘れるところだった。今日の夜会には、フレッドが参加する。だが、殿下として接するように気をつけてくれ」

「……え? 大事な夜会なのに、殿下ご本人は参加されないのですか?」

「あー、まあ……そういう時もある」

「わかりました。殿下ご本人が相手ではないと思うと、少し気持ちが楽になりました。しっかり務めてまいります」


 その少し後、フレッド様が私を……いえ、ダリアを迎えにきた。

 彼はあのパーティーの日に私が殿下から借りた上着を纏い、ミルクティー色の髪をきちんとセットして、王子の風格たっぷりで現れた。彼もまた、リアム様と同様に私を見て絶句し、フッと満足気に笑った。


「女将、化けたな。フフ、見違えたぞ。今日は突然だったのに無理を聞いてくれて助かった。感謝する。では、行こうか」


 私はフレッド様が差し出した腕にそっとつかまり、スマートにエスコートされてホテルを出た。

 そしてあのパーティーの日に乗った事のある王家の馬車に乗り、今夜夜会が開かれる王宮へと向かった。

 大勢の貴族が集まる場に行くのは久しぶりで、あの日の事を思い出してしまいそうで怖かったけれど、今の私はエレインではなく、ダリアなのだと、自分に何度も言い聞かせた。


書籍版ではこの部分を大幅に書き換えています。


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