71・目のやり場に困ります。
フレッド様と共に裏口から宿に戻り、私がドアを開けると、目の前に驚いた顔をしたタキが立っていた。どうやら向こう側からもドアを開けようとしていたらしく、ドアノブを掴もうとしていた手が、まるで握手でも求めるかのように差し出されていた。
「ビックリした……。兄さーん、ラナさんが帰ってきたよ! おかえり、ラナさん」
二人共片付けが終わった後、今日はすぐに帰ったはずなのに、どういう訳か宿に戻ってきていたらしい。私の後ろにいるフレッド様の存在に気付かずに、タキはドアを完全に開いて私を中に入れようとした。
そこで初めて後ろに立っていたフレッド様に気付くと、私に向けていた笑顔が消え、一瞬だけ警戒したような表情を見せた。
「あ、そうか、一緒に出かけたってチヨちゃんが言っていたっけ。おかえりなさいませ、フレッド様」
「あ、ああ。よく分かったな」
タキは、リアム様とフレッド様がフードを被っていようが変装していようが、普段からオーラを見て判別しているために、何の違和感も感じず彼がフレッド様である事をあっさり見抜いてしまった。
「ただいま、タキ。私に何か用事でもあった?」
「あー、うん、ちょっとね。向こうで待ってるから、用事が済んだら来てくれる?」
「ええ、分かったわ」
タキはフレッド様にペコリと頭を下げ、食堂の方へ行ってしまった。
「あ、すみません、外に立たせたままで。今、お茶をお出ししますから、私の部屋へどうぞ」
「いや、この荷物を置いたら、また戻らなければならないのだ」
そうか、フレッド様はリアム様に代わっていただいてここに来たのだもの。できるだけ早く戻らなくてはいけないのね。
私はフレッド様を中に通し、食堂に繋がるドアを開けて、カウンター席でシンとタキと談笑していたチヨに、鍵を出すよう頼んだ。そしてフレッド様が鍵を受け取って階段を上がる姿を見ながら、自分の部屋に彼の忘れ物がある事を思い出した。
あ! マント! 私の部屋の椅子にかけたままだったわ。いくら変装しても、アレはアレで必要なアイテムよね。
私は急いで部屋に戻ると、椅子にかけられたままになっていたマントを手に、彼の部屋に向かおうとした。すると出かける時には気がつかなかった小さな箱がテーブルの上に置いてあったので、それも一緒に持って二階の彼の部屋に届けに向かった。
「ラナさん、そんなに慌てて、どうしたんです?」
「部屋に忘れ物があったの。だから届けてくるわ。すぐ戻るから、私の分のお茶を入れておいてくれる?」
「はーい」
シンとタキが何か言いたそうだったけれど、私は二人に笑いかけて、急いで階段を駆け上った。
そして彼の部屋のドアをノックして声をかけると、暫くしてカチャッと鍵の音がして、二十センチほどドアは開かれた。
「あの、私の部屋にこれをお忘れでした」
マントと小さな箱をドアの隙間から差し入れると、フレッド様は何を思ったのか、マントを持った私の腕をぐいと引っ張り、そのまま部屋の中に引き入れて、バタンとドアを閉めた。
「すまん、買い物に出かける前にそれの説明をするのを忘れていた」
フレッド様は、どうやら着替えの最中だったらしい。
ベッドの上には、おそらくウィルフレッド殿下の普段着と思われる服が一式広げられていて、彼はシャツの裾をズボンから引き出し、ボタンを全て外した脱ぎかけの状態だった。その見た目からは予想もしないほど鍛えあげられた彼の腹筋が視界に飛び込み、目のやり場に困った私は、思わず彼に背を向けた。
「やっ……ごめんなさい。これを届けにきただけですので、すぐ出ていきます」
「いや、待て。その箱は女将に渡すつもりで用意したものだ。その説明をさせてほしい。人に聞かれては厄介だから、中に入ってもらったが、タイミングが悪かったな。急ぐから着替えを続けさせてもらうが、そのままで聞いてくれ」
フレッド様はそう言って、本当に急いで着替えを始めた。布が擦れる音が何だか生々しくて、更にこの狭い空間に男性と二人きりであることが私を必要以上に緊張させた。
旅館業を営む者として、本当ならこの程度の事で動揺すべきではないと分かっているけれど、なんといっても私には、男性に関しては全てにおいて経験値が足りなさ過ぎる。
「その箱に入っているのは、守り石だ」
「え、守り石って……」
それって、王族が持ち歩く物じゃないですか。
別名、身代わり石。自身に降りかかる災いをその石が一度だけ引き受けてくれるとか何とか……。本当かどうか知らないけれど、そんな物があるという噂は聞いた事があるわ。
それを、どうして私に?
「守り袋にでも入れて肌身離さず持っていれば、もしも命に関わる危険な状況に陥ったときには、その石が身代わりになって助けてくれる……はずだ。俺は試した事が無いから、確実とは言えないが、過去にそれで命拾いした者が何人もいるという話だ。俺達に関わらせてしまうのだから、何かできないかと考えて、今日はこれを持って来た。遠慮せず受け取ってくれ」
嬉しいけれど、そんな貴重な物、私なんかに良いのかしら? たとえ影武者であろうとも、あなたが持ち歩いた方が絶対に役立つと思うのだけど。でも、私を思ってくれての事だから、突っ撥ねる事もできないわ。
「俺が燃やしてしまったイヤーカフだが、あれにも加護のまじないが施されていたらしい。外して燃やしたと話したら、リアムに怒られた。あれより強力に守ってくれるはずだから、持っていてほしい」
「そうですか……分かりました。そこまで気に掛けてくださるなんて、なんだか逆に申し訳ない気持ちですが、ありがたく受け取らせていただきます」
せっかくリアム様が上げてくれた守備力を、あなたが知らずに下げてしまったから、それより強力なアイテムで守備力を強化させたいという事ですね。
あっという間に着替えを済ませたフレッド様は、私の手からマントを取り、バッとそれを羽織ると、変装済みなのでフードは被らず、着ているものだけを隠して私の前に立った。
「クックック、早く部屋から出してやらないと、お前のナイト達がドアを壊しかねない。話はそれだけだ、今日はありがとう、ではまた週末に」
フレッド様がドアを開け、私は背中を押されて廊下に出たけれど、そこにドアを壊すような誰かがいるのかと思えば、誰もいなかった。
私が不思議そうな顔をしてフレッド様を見ると、鍵を掛け終えたフレッド様は階下を指差し、フッと笑った。
「彼らの気がこの部屋まで伝わってきた。あの料理長はかなり腕が立ちそうだな。料理人兼、用心棒なのか?」
「いえ、シンは……普通に料理人としてうちで働いてもらっています」
「なるほど、普通に、か……」
フレッド様は早足で階段を下り、カウンター席に座るシン達に軽く会釈して鍵をフロントに置くと、颯爽と宿を出ていった。
「ラナさん、今、フレッド様の部屋に入っていたんですか? 忘れ物を届けただけにしては時間が掛かっていたので、私達心配で……」
チヨは、フレッド様に遅れて階段を下り始めた私の前に駆けつけて、心配そうに顔を覗きこんできた。そんなに時間は経っていないと思うけど、話し声が聞こえなければ、部屋に入っていたのはバレバレよね。
「こんな数分で、何があるっていうの? ちょっと他の人に聞かれてはマズイ話を伺っていたのよ。心配いらないわ。さて、シンとタキは、私に何か用があって来たのでしょ? どうしたの?」
次回「病の巫女、イリナとの対面」