69・覗くつもりは無かったのに
フレッド様と目が合ってしまった。
そちらも驚いているけれど、こちらはもっと驚いています。
私はパッと下を向き、慌てて目をそらした。
「すみません……! フードの中を覗くつもりはありませんでした。でも、私は既に知っています。リアム様とフレッド様、お二人が何者なのか。誓って、それを口外する事はありませんので、ご安心ください」
「……なるほど、やはりこのイヤーカフは、それか。あいつ、女将の口封じだけして、俺に報告しない気だったのか? 大丈夫、女将の事は信頼している。でなければ、これほど長期で部屋を借りたりしない。こちらこそ、申し訳なかった。協力してもらうなら、こちらの事情を十分説明しておくのが筋というものだ」
フレッド様はそう言うと、フードを持ち上げて私にはっきりと顔を見せた。
髪の色こそ違うけれど、本当にウィルフレッド殿下にそっくり。何も知らなければ、間違いなく本人だと思ってしまうわ。
私が殿下と言葉を交わしたのは、後にも先にもあのパーティーの時だけだったけれど、こうして意識して聞くと、お声もよく似ていると思う。
リアム様も、普段よりもう少し高い声で喋れば、きっとこの声になるのでしょうね。
それにしても、影武者のレベルが高過ぎるでしょ。よくこんなにそっくりな人達を集められたわね。
王太子妃となる予定だった私にも、一応影武者を用意されてはいたけれど、背格好と髪の色が似ているって程度で、顔は似ても似つかないものだった。あれは、遠目に見てそれっぽければ良い、という感じだったわね。
やはり、殿下はずっと王位継承権を争っておられるから、命を狙われてしまう事もあるのでしょうね。
「事情はリアム様からお聞きしています。理解した上で、協力するとお返事しました。しかしこの宿の中で、知っているのは私だけです。ご不便がありましたら、どうぞ私の方へ」
フレッド様はとても驚いた様子で、口をポカンと開けて私の言葉を聞いていた。
「知っていたのか? 知っていて、それほど冷静な態度で接する事が出来るとはな……。その若さで、どれだけの経験を積めばそこまで腹が据わるんだ……? いや、失礼」
「いいえ、そんなに冷静に見えますか? 心の中は案外そうではありませんけど。ふふっ」
「フッ、そうか、客商売をしているのだ、そうでなくては女将など務まらないのだな。リアムは本当に良い宿を見つけてくれた。では、これからもよろしく頼む」
「はい、承知しました。では、改めてそれを私に」
フレッド様は私から外したイヤーカフを指先でつまんでジッと見たかと思うと、それをポッと魔法で燃やしてしまった。立ち登った煙には古代文字の呪文が浮かび上がり、空気に溶け込むようにスーっと消えていった。
「あ! 誓約書が……」
私が驚いて声をあげると、フレッド様は優しく笑って、何事も無かったように箸を持って再び朝ごはんを食べ始めた。
「うん、美味い。これが毎日食べられるリアムが羨ましい。女将、味噌汁をおかわりしても?」
「え、あ、はい。きっともう冷めてしまいましたよね、温め直します」
空のお椀を受け取って、チラッとフレッド様を見ると、なんだか清清しい表情で、顔にかからない程度にフードを被り、おにぎりを美味しそうに頬張っていた。
私は少し温め直したお味噌汁をお椀によそい、それをフレッド様に渡した。
「良かったのですか?」
「何がだ?」
「誓約書……燃やしてしまって」
「女将を信頼している、と言っただろう。あんなもので縛りたくない。リアムは慎重だからアレを使ったのだろうが、お前には必要性を感じない」
フレッド様はどうしてそこまで私を信用してくれるのかしら? 私がうっかりポロッと言ってしまったらどうするつもり? 確かにそんな事を話す相手はいないけれど。
「あの……何故そこまで……」
「おはようございます、ラナさん! わー、ごめんなさい、ちょっと寝坊しちゃいました」
チヨの部屋からバタバタと慌しい物音がし始めたかと思えば、慌てて着替えだけ済ませたチヨが、転げるようにカウンターの方から飛び出して来た。
フレッド様は物音が聞こえた段階でスッとフードを下ろし、既に顔を隠していた。
「チヨ、そんなに慌てなくていいから、きちんと身だしなみを整えてから出ていらっしゃい。お客様の前で、みっともないわよ? その髪、寝癖だらけじゃないの」
私の指摘を聞いて、チヨは慌てて自分の髪に手をやり、モサッと膨らんだ髪に手ぐしを通した。
「あ、おはようございます。リアム様……は昨夜お出かけになったから、フレッド様ですね。すいません、朝からうるさくて」
「フフッ、あの娘が居ると、それだけで明るくなるな」
「……騒がしくてすみません。チヨ、ここは良いから、顔を洗ってらっしゃい」
「はい。フレッド様、ごゆっくりどうぞ」
チヨはペコペコ頭を下げながら、バスルームのある私の部屋の方へ向った。
チヨの部屋には洗面台も無く、お風呂や洗面などはいつも私の部屋で済ませているのだ。だから朝はお客様が起きる前に身支度を済ませてしまわなくては、こうして見られたくない姿を見られてしまう。
「はぁ……あの子の部屋にも、洗面台くらい無いと不便ね」
「女将はあの娘の姉か母親のようだな」
「は、母親って、私そんな年齢じゃありませんよ? 姉ならわかりますけど、それは聞き捨てなりません」
「フハッ、クク……」
フレッド様はおかしそうに笑いながら、朝食を食べ終えた。
「ハァ、美味かった。そういえば、さっき何か言いかけていなかったか?」
「いえ、何でもありません。あ、そうだわ。リアム様には言ったのですけど、フレッド様も、イメージチェンジする事を考えてみてはいかがですか?」
「イメージチェンジ?」
フレッド様はフードを持ち上げ、キョトンとして私の顔を見た。私はニッコリ笑って、リアム様に提案したのと同じ提案をフレッド様にもしてみた。
「なるほどな。良い考えだ。女将の手腕で、別人の様にしてくれるというのだな?」
「はい、そのフード姿よりも、目立たないと思いますよ」
「それは、いつ頼める?」
フレッド様は決断の早いお方なのね。でも、今日話して今日のうちに行動する事は無理よね。せっかく今日は半日休みなのだけど。
「今日なら午後からお休みなのですけど、そちらの都合もあるでしょうし、私の方で、使えそうな物を先にいくつか用意しておきますから、お時間のあるときに……」
「いや、善は急げと言うだろう。今日の午後だな? 分かった、ならば俺はそれまでにここに戻ってくるから、一緒に必要な物を買いに行くぞ」
「大丈夫ですか? そんな急に、そちら側の都合などは……?」
フレッド様が普段どんな任務に当たっているのか知らないけれど、お泊りのときは大抵朝早く出て行ってしまうから、忙しいのだと思っていたわ。実はそうでもないのかしら?
「大丈夫だ、リアムに引き続き頑張ってもらえば済む」
フレッド様は、悪巧みでもしそうな笑顔でそう言った。
ああ、リアム様ごめんなさい。あなたのお仕事を増やしてしまったようです。明日の朝食には、甘い玉子焼きをたくさん用意しておきます。あなたの変装道具一式も用意しますから、どうか許してくださいね。
「どうした?」
「いえ、では、ランチタイムが終わる頃に来てください」
GOサインが出たら私の方で必要な物は準備するつもりでいたのに、思いがけず一緒に買い物に出る事になってしまったわ。
え……まさか買い物の時もこのフード姿?