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67・巫女、イリナ

 神殿の敷地内にある聖女の住居には、初めの頃より数は激減したものの、相変わらず貴族達が身勝手な望みを聖女に叶えさせようと、サンドラの元へ様々な貢物を持って来ていた。

 しかしサンドラはもう、貴族達の鳴らす鐘の音に反応しなくなっていた。

 しかも拝殿に置かれた聖女の椅子の前には、外からサンドラの姿が直接ハッキリと見る事が出来ないように、透ける薄布を幾重にも重ねたカーテンがかけられていた。

 それはサンドラの希望で、世話係の少年達が苦心して取り付けたもの。

 隠れ場所を持たないはずのサンドラの住居の中には、所々こんな場所が出来ていた。

 プライバシーも何もあったものでは無かったバスルームにも、ガラスの仕切りの前にレースのカーテンがかけられ、トイレは相変わらず個室ではないものの、最低限下半身が見えない様に、少年達が手作りした背の低い衝立まで設置されていた。

 カーテンは透けるほど薄い布なので中はそれなりに見えているが、それでも何も無かった時よりはマシと言えるだろう。カーテンの類が透ける布しか使えないのは、神殿側の管理の問題で、サンドラが完全に姿を隠せる場所を作れないようにしつつ、彼女の要望に応えた結果だった。


「聖女様、アーロン様がいらっしゃいました。本日はエヴァン様もご一緒です。こちらにお通しして宜しいでしょうか? それとも、拝殿の方へ回って頂きますか?」

「エヴァンですって? 私をここに連れてきてから、一度も顔を見せなかったくせに、今頃どうしたっていうの? まあ良いわ。彼は目の保養になるもの。部屋に入れて良いわよ。着替えるから、手伝ってイーヴォ」


 サンドラは一時期、自身の美貌の衰えを気にして、外部の人間とは誰とも顔を合わさない時期があった。しかし最近はまたその美貌が元に戻り、自信を持って人前に姿を見せるようになっていた。

 目隠しとなる薄布のカーテンなどはその頃の名残である。

 そして彼女が着るものは全て、彼女をいやらしい目で見る貴族男性からの贈り物。

 わざわざ外国から取り寄せられたそれらは、サンドラのスタイルの良さを最大限に活かすデザインではあっても、神殿に住む聖女とは思えないほどきわどいドレスばかりだった。

 分かりやすく言えば、現代の女優がレッドカーペットを歩く時に着ているようなものに近いかもしれない。しかしこの国の常識で考えると、それは露出が多すぎて、下品と言われても仕方が無い。

 それでも火事で全てを失ったサンドラには、嬉しい贈り物であった。

 とりあえず着せられていた巫女の服は、シンプルなデザインとは言え平民だった頃のドレスより、かなり上等な物だというのに、フレドリックに与えられた煌びやかなドレスの肌触りを覚えてしまった今は、そんな物では満足できなくなっていた。

 とは言え、与えられたドレスには清純さの欠片も無く、体のラインにピッタリと張り付くようなそれを着て、スカート部分に深く入ったスリットから大胆に覗く美しい足と、妖艶に腰をくねらせながら歩く姿はすでに聖女と呼べるものではなかった。

 この建物の中では彼女は絶対的存在である。

 身の回りの世話をする少年達では彼女の生活態度を改めさせる事は困難だった。彼らの小言など右から左に通り抜けるだけ。

 彼らを統括する立場にある神官は、そのことに頭を悩ませていた。

 世話をするのが男性であることで甘えが出るのだろう、サンドラは増長して、我がまま放題に振舞っていた。

 今は病の床に伏す、巫女のイリナこそがその役に適任であったのだが。

 その彼女は今、回復の兆しも無くベッドに横たわったまま、最期の時を待つばかりとなっている。

 このまま彼女が復帰する事はもう無いだろう、と誰もがそう思っていた。


「エヴァン、久しぶりね」


 サンドラはいつものように、一人掛けのソファに腰かけて、足を組んでゆったりと構え、二人を部屋に招き入れた。

 スリットの入ったドレスは彼女の足を腿の付け根まで露にしたが、そんな事は気にも留めず、むしろ見なさいと言わんばかりに堂々と二人に微笑みかけた。

 しかし二人は何の興味も無いサンドラの足になど目も向けず、ソファに腰かけると淡々と話しかけた。

 

「サンドラ、しばらく見ない間に、顔つきが変わったか? 以前より随分キツイ印象だな」

「嫌ね、こういう時は大人っぽくなったと言ってほしいわ。エヴァンは何だか、前より凛々しくなったわね。私はもう、フレドリックとは別れたのだし、次はあなたと付き合ってあげてもいいわよ。うふ」


 エヴァンはサンドラの言葉を聞き流し、この異常な空間を見渡していた。王族の私室については、フレドリックの部屋を見ればどの程度の豪華さであるか分かったつもりではいたが、この部屋は王子の私室よりも豪華で、嫌味なほど華美な装飾が施されていた。

 一際目を引いたのは、やはりガラス張りのバスルームだった。

 こうして客人が室内に入れる状態だというのに、中が透けて見えているのだ。


「アーロン、あのバスルームは何だ? この部屋のどこにも身を隠せる場所が無いようだが」


 エヴァンは小声でアーロンに訊ねた。


「あれは聖女が隠れて男と交わらないように監視するためだ。彼女には、王宮ではこれが普通だと説明されているから、本人はそれほど気にしてない。むしろ王族と同じ扱いを受けていると喜んでいるくらいだろう」

「しかし、見たところ世話をしているのは男だけではないか」

「ああ、彼らは大丈夫。神殿に入る時に男としての機能を魔法で封じられているから」 


 エヴァンがアーロンとコソコソ話をしていると、サンドラはカツンカツンとヒールの音を響かせて、彼らの前まで歩み出てきた。


「何? 二人共、私と話をしに来たんじゃなかったの?」


 腰に手を当て、頬を膨らませて不機嫌さを可愛くアピールしているつもりだろうが、そんなもの、フレドリックや取り巻き達じゃあるまいし、彼女の本質を見抜いたこの二人には通用する訳がない。

 エヴァンはしらけた目でサンドラを見上げ、とりあえず言いたかった事を口にした。


「ああ、話があって来た。お前が学園のパーティーの前に仕掛けた自作自演の襲撃騒ぎだが、あの時お前が逃がした犯人を先日捕まえたぞ。犯人たちは、報酬を全額払えと怒っているが、お前は残りの報酬を払ってやる気はあるのか? 依頼主はお前だと、ハッキリ供述している。その他にも、お前がエレインの使っていたインクの偽物を買った店も突き止めた。エレインからの虐めは、初めから全てお前の作り話だったんだな」


 サンドラは一瞬真顔になって、エヴァンを見下すような視線を向け、フン、と鼻で笑った。


「フン……今更、そんな事を言ってもどうにもならないわよ? だから何? 私に謝らせたいわけ? ふふふ、あのお嬢様は家を追い出されて、修道院に向う途中で、馬車ごと谷から転落して死んだんでしょ? もう謝る相手も居ないのに、そこまで調べて、ご苦労様でした。あなた達がどんなに調べても、そんな怪しげな連中の証言なんて、意味ないと思うけど? だって、私には身に覚えが無いんだもの。久しぶりに会いに来たと思えば、そんなつまらない話をしに来たの? なら、もう帰ってくれる?」


 サンドラは勝ち誇ってエレインは死んだと言っているが、そんな事実はどこにも無い。どこから仕入れた情報なのかと訝しんでいると、拝殿の方から三回連続して鐘の音が聞こえた。 


「あーもう、また来た。ほら、私も忙しいから早く帰って。楽しく話をしようと思ったのに、あなた達にはガッカリだわ。エヴァンはもう来なくていいわよ。私の事が好きだったのに、あの頃どんなに尽くしても自分になびかなかった私を憎んでるんでしょ? アーロン、あなたには定期的に私の様子を見に来る役目があるんでしょうけど、もうこの人を連れてこないで。そうね、次に来る時は、第一王子様を連れてきてよ」


 馬鹿馬鹿しくて反論する気も起きないエヴァンは、退室の礼もせず部屋を出て行った。 

 サンドラはそう言った後、ブツブツと文句を言いつつも、拝殿の方に顔を出しに行ってしまった。


「これが聖女だって? どこがだ。陛下は、今年もまたどこかの地域で必要になる雨乞いの儀式のために、聖女の力を温存させておくと仰っていたが、兵士の目を治すのが精一杯だったこの女に、そんな力が備わっているとは到底思えない。それになんだ? 今のサンドラは殿下と付き合っていた頃とは別人じゃないか。だがこれこそが素のサンドラなのだろうな。一年以上もの間、随分可愛らしく猫をかぶっていたものだ」

 

 アーロンは一体誰が来たのかと拝殿の方をチラッと覗きに行くと、そこに居たのは、サンドラに傾倒していたパウリー子爵の息子だった。フレドリックの怒りに触れ、学園を退学処分にされたあと、何をしているのかと思えば、ここに通ってサンドラにせっせと貢いでいたらしい。


「ねえ、そう言えばまだあの人の死体は見付からないの?」

「もう何ヶ月も経ってしまったが、まだ見付からない。多分そのまま海まで流されたんだろう。また君を煩わせる者が現れたら、僕が何とかするよ」

「だったら、エヴァンが捕まえたっていう人達を消してくれない? 私が襲撃するよう頼んだって言っちゃったみたいなの」

「エヴァンか……それは難しいな」


 アーロンはこの話を聞き、急いでフレドリックの元へ向った。

 

「それとね、ここに居るイリナって巫女なんだけど、神殿から追い出してほしいの。あの女に触れたせいで変な物が見えるようになったわ。最近私の周りに黒い霧が纏わりついて見えるの。あなたにも胸の辺りにあるわね。何なのこれ? きっとあの女の仕業だわ」

「霧? 僕には何も見えないが……? 巫女を追い出す権限は僕の家に無いから、それは無理だ。君から訴えれば良いんじゃないのか? その女が近くに居るせいで、体調が悪くなってしまうとでも言えば、追い出してくれるだろう」


 それから数日後、他の巫女達に心配されつつも、神官一人に付添われ、イリナはフラフラと覚束ない足取りで神殿から出されてしまった。

 彼女の次の赴任先は、同じ王都内でも神殿から一番離れた場所にある、町の小さな教会で、妖精の宿木亭からは、目と鼻の先だった。

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