65.1・おかしな夢
シンが見ていた夢の話です。
タキとラナを部屋から追い出した俺は、ひとまず気持ちを落ち着かせる為に椅子に座った。
自分の心臓の音が耳に届く。あり得ない状況を目の当たりにして、逆に今が夢の中なのではと疑ってしまうほど酷く動揺している。
「マジびっくりした……」
ラナが俺の部屋に居るのもあり得ない事だが、今着ていた服、夢に出てきたのと同じだったよな?
あの服が俺の夢に出て来た理由は、あいつの部屋にあったのを無意識に記憶していたからなのかもしれないが、このタイミングでそれを着てくるなんてどんな偶然だよ。
仕事や環境が変わったせいなのか、このところおかしな世界の夢を見るようになった。
俺のどこからそんな発想が出るのかわからないが、見た事も聞いた事も無い物があふれる不思議な世界で、別人として生きている夢だ。
俺はその世界で「ジンさん」と呼ばれている。
今朝見た夢がそれだった。
―――「おはよう、仁さん。起きて?」
「あ……?」
「手伝うって言っておきながら結局寝ちゃうんだから。コーヒー飲む?」
「あ……ああ、俺何してたっけ?」
「グルーガンでパーツを貼り付けてる途中で寝落ち」
「ごめん。あんまり役に立たなかったな」
「ふふ……大丈夫、ちゃんと完成したから。はいコーヒー。ブラックでいいよね?」
受け取ったマグカップには真っ黒な液体。俺はそれが「コーヒー」という飲み物だと理解している。この夢の中の俺が好んで飲む飲み物だ。
狭い室内にはよくわからない衣装がズラリと並び、テーブルの上に昨夜使ったミシンやグルーガンなどの道具が置かれている。
ここは彼女の実家の私室だ。
完成したばかりだという俺の衣装を試着させられた後、自分の分は明日のイベントに間に合わないかもと言われて手伝う事にしたんだった。
そして目の前に居るのは波野葉名。会社の後輩だ。
彼女が入社してきてすぐの頃、オタク趣味を隠している彼女の素の姿を偶然見てしまったのをきっかけにグッと距離が縮まった。会社帰りに居酒屋へ寄ったり、互いの趣味を共有して休日を楽しんだりしている。
しかし俺達はまだ恋人ではない。微妙な関係だ。
俺は一目で運命の相手だと感じたが、彼女の方は恋愛より趣味が大事で、残念ながら俺の事は気の合う仲間程度にしか思ってない。
その証拠に、一晩一緒に過ごしても色っぽい事が起きた事が無い。
「あ……! 今何時だ?」
「朝の五時。徹夜になっちゃったけど、何とか今日のイベントに間に合って良かったね。私も二時間くらい寝れるかな」
「ああ、少しでも寝た方が良い。じゃあ俺帰るわ」
「うん、また後で。今日は目一杯楽しもうね!」
部屋を出ると、彼女の父親があくびをしながらトイレから出てきた。
「おはようございます。すみません、こんな時間まで……」
「おはよう成神君、こちらこそ申し訳ない。うちの娘の趣味に付き合わされて大変だろう」
「いや、俺も楽しんでますよ」
「帰る前に朝食を食べて行きなさい。私が腕を振るうよ」
「ありがとうございます。でも、ゆっくりもしていられなくて。今度お店の方に行かせてもらいますね」
「そうかい? はあ……君みたいな人が娘の彼氏だったらどんなにいいか……」
「もう! やめてよお父さん、仁さんを困らせないで!」
「お前の趣味に付き合ってくれる人なんてそうそう見つからないぞ」
もういいから早く帰ってと彼女が身振りで俺に伝えてくる。俺は笑いながら彼女の家を出て自宅に帰った。
夢はここで途切れ、ラナの声で目が覚めた。
不思議な事に、その世界の料理はラナが作るものとそっくりである。
いや、不思議でもないか、食堂で食べた事があるから夢に出てきてるんだし。
「あれ? 俺何で夢の中の女をラナだと思ったんだ? 全然見た目が違うのに……」
まあいいか、夢なんてそんなもんだし、気にするだけ無駄だな。
朝早くに一人で来たくらいだ。あいつはきっと、他の人間に聞かれちゃ困る話でもしに来たんだろう。待たせちゃ悪い。
俺は急いで着替えを済ませ、顔を洗って居間に向かった。