59・フレドリックへの報告
「エヴァン、今日の午後、やつらの被害に遭った例の女性に会いに行ったのだろう? 何故私を連れて行かなかった」
ラナさんの宿を出てから一度屋敷に戻り、着替えて急ぎ王宮へ向かった俺は、すぐに殿下の私室に呼ばれ、予想通りの言葉をいただいた。
彼女の所にこの方を連れて行けるわけが無い。殿下は聖女のパレードの時にたくさんの民に顔を知られてしまったのに、変装などという気の利いた事をしてくれるとも思えない。何より、これ以上ラナさんに興味を持ってほしくない。
「殿下、あそこにあなたをお連れする事はできませんと、昨日伝えていたはずですが。ご自分が思う以上に、市井には殿下のお顔を知る者が多くいます。警護の問題もありますし、騒ぎにでもなれば、彼女に迷惑を掛けてしまうでしょう。彼女はあくまで被害者なのです。保護すべき対象であることをお忘れなく」
俺の返事に殿下は納得が行かないようだが、引き下がってもらわなくては困る。
「むう……馬車を横付けして顔を隠して行けば問題無かったであろう。私がこれほどまでに興味を引いた女性は、あの女以来だったのだぞ。アーロンは、その女性がどこの誰なのか知っているのか?」
とうとうサンドラをあの女呼ばわりするようになったか。
殿下はサンドラに振られた後、俺達から彼女の裏の顔を知らされて、ショックで何日も食事が喉を通らず、日に日に衰弱していったが、あの時、あなたの命を救ってくれた美味しいおにぎりを作ってくれた方こそが、今回の被害女性だと知れば、何か勘違いをしそうで怖い。
自分に都合よく、彼女を運命の相手だと言い出されては相手が不幸になるだけだ。どうやら、殿下は平民女性に弱いらしい。ラナさんのような美しい平民ならば、まずその見た目だけで心が惹かれ、そして実際に話をしてみれば、中身までも素晴らしい女性だと知る事になる。
彼女は上っ面だけ取り繕ったサンドラとは訳が違う。
彼女は本物だ。
あれだけ無礼な事をして怒らせてしまったにも関わらず、広い心で俺の愚行を大目に見てくれた。そう、大目に見てくれただけだ。多分許してくれたわけではないだろう。
「さあ、その女性については私も知りません。彼に聞いても教えてくれませんでしたので。まあ、良いではありませんか、まずは彼から報告を聞きましょう」
アーロンは食えない男だ。
ラナさんの事はおにぎりを殿下に差し入れた時に、お前を納得させるためにどこの誰であるのか、そしてどんな人物か、容姿に関する事以外はちゃんと教えてある。
だから被害に遭った女性がその時の宿の女将である事を伝えた時には、本当に驚いていた。
にも拘らず、そうやって平気な顔をして主に隠し事が出来るお前を、殿下は一番に信用しているというのだから、この先大丈夫なのかと心配になる。
サンドラの本性を暴き始めたタイミングで、俺も正式にフレドリック殿下の側近に決まり、今は二人で殿下を支えているのだが、アーロンはいつも思ったままに言葉を口にしているようでいて、実際の所、何を考えているのか、未だにこの男の本音が見えない。
「何だ、お前にも教えないのか。ああ、では報告を聞こう。で、どうであった? 魔力を持っていたのか?」
「彼女には、まったく何の力もありませんでした。どこか腑に落ちないかもしれませんが、あの男達の証言は、嘘のようです。魔道具は魔力に反応しませんでしたし、当然の事ながら、あのか弱い女性に格闘センスは皆無でした……フッ」
不味い。彼女から繰り出された何の威力も無い、あの可愛らしいパンチを思い出してしまった。
「何だ? 何か面白いことでもあったのか? 思い出し笑いをするなど、お前にしては珍しい事もあったものだ。いつもの仏頂面がほころんでいるではないか。その顔からして、お前はその女性を気に入っているようだな。お前の他に、誰に聞けばその女性に会える? アーロン、調べてここへ連れてこい」
「お待ちください。なにもそこまで興味を引く相手ではないと思いますが。サンドラを失った穴を埋めるために、同じ平民女性を囲うおつもりなら、それはどうかお止め下さい。殿下の気まぐれに振り回されて、その女性が不幸になる未来しか見えません」
アーロンはラナさんの事を見に行った事があるのか? いや、見に行ったなら、エレインに似た彼女を見て俺に何も言ってこないわけが無い。
俺の意を汲んでくれているのか? それとも殿下を救った彼女の功績を認めてくれているのだろうか。
「また説教か……」
「殿下には、しっかりした貴族女性が相応しいと思いますよ。サンドラのように、世の中の事を何も知らず、ただ殿下に頼りきって甘えてくれる女性は、まるで甘い砂糖菓子のように可愛く感じたかもしれませんが、相手は与えられる事を期待するばかりで、実は殿下の事をこれっぽっちも考えてなどいません」
アーロンの言う事はもっともだが、なかなか手厳しいな。殿下も同じ事を何度も聞かされて、もううんざりしているではないか。
「ああ、分かってる。エレインが最高の相手だったと言いたいのであろう。叔父上もまったく同じ事を言っていた。だが、向こうは私の事など好きではなかったのだぞ。ただ隣に寄り添うだけの大人しい女など、つまらないではないか」
エレインの良さを知ろうともしなかったくせに、よくそんな事が言えたものだ。
俺はこの時初めて気付いてしまった。アーロンはエレインを悪く言われると、途端に目つきが鋭くなった。もしかして、今まで気にしていなかったが、殿下や他の者達が彼女を悪く言う度に、隠れてこんな反応をしていたのか? 誰にも気付かれず、密かに彼女を想い続けているというのか。
「殿下は、エレイン様を見つけ出して、あの日の事を謝罪したいのではなかったのですか? 未だにそのような心無い事を口にするとは……。殿下も好きになる努力をしなかったのですから、お互い様ではありませんか。エレイン様はそれでも、殿下の失敗を何度も尻拭いしてくれていたというのに。あの方は何も言わず、陰で殿下を支えてくれていましたが、あなたはそれに気付こうともせず、その間、サンドラと戯れていただけでした。それと、今更ではありますが、サンドラが二度目の襲撃を受けた後、殿下はエレイン様に仕返しとばかりに暴漢を差し向けましたね」
「何!? それは本当か、アーロン」
俺はそんな話、聞いていないぞ。殿下は俺達に内緒で、陰でそんな事までしていたのか? それでは相手を責める資格など無いではないか。もしもその襲撃が成功していたら……考えただけで怒りがこみ上げる。俺は命令されるがままにサンドラの護衛などしている場合ではなかった。
「良く調べたな。それは本当にただ脅し程度の事をするだけで、本人に危害を加える気は無かった。しかし向こうは周囲の警護が完璧でな。簡単に返り討ちに遭って戻って来た。彼女はそんな事があったなど知りもしないが、謝罪する時は、それも合わせて謝るつもりだ。私は自分の行いが恥ずかしい。このような男に、次期国王など務まるわけがないのだ。兄上の方こそ王太子に相応しい」
殿下が自分の行動を省みる事ができるまでに成長してくれて、本当に良かった。あのままサンドラとの付き合いを続けていれば、ただの愚か者でしかなかっただろう。
サンドラか……神殿に建てられた住居をまだ見た事はないが、アーロンの話では、かなり豪華なものらしいな。あの最初の奇跡を起こして以来、彼女がした事といえば、巫女を呪って病気にした事くらいだと聞く。その巫女に触れてしまった事が原因で、力が出なくなったとか言っているらしいが、本当なのか?
次にアーロンが面会に行くとき、俺もついて行ってみるか。