57・ラナの意外な一面
「いらっしゃいませ、フィンドレイ様。こちらの席へどうぞ、今、お茶を用意致します」
エヴァンは食堂のランチタイムが終わった頃、従者も連れず、たった一人で宿に現れた。この時間ならまだギリギリ授業中だろうに、彼は学校を早退し、私の都合に合わせて直接ここへ来てくれたようだ。
私は一番奥のテーブル席に彼を案内して、お茶の用意をする為に一度厨房に戻った。
「ああ、気を遣わなくていい。こちらが話を聞きたくて時間を取らせてしまうのだから、君達の仕事に影響が出ないように、早めに済ませてしまおうと思う」
エヴァンはそう言って奥のテーブル席に着くと、持って来た荷物を隣の席に置き、厨房でお茶を淹れる私の方へ視線を向けた。
その視線の先には、まるで護衛騎士のようにカウンターの前に立つシンとタキが睨みをきかせていて、エヴァンはそんな二人に、軽く頷く程度の挨拶をした。
私はエヴァンを警戒する二人がどんな反応をするのかが気になってしまい、お茶を淹れながら、ハラハラしては何度も彼らの居る方を確認していた。
ところがシンとタキは、彼の会釈を無視するのかと思えば、うちの執事と変わらないほど礼儀正しく、きっちりと三十度腰を曲げ、挨拶を返していた。
前回向こうが非礼な行動をとったからこそ、こちらは礼儀正しく。という事なのだろう。
まあ、目つきは悪いのだけれど。
「どうぞ、和の国のお茶です。それでフィンドレイ様、昨日の事で、私に何を聞きたいのですか?」
「ああ、早速だが、昨日捕まえた男達の一人が、おかしな事を言っていたのを覚えているか?」
おかしな事? 何か言っていたかしら?
私はシンの方を見たけれど、シンも何の事を言っているのかさっぱりわからない、と私を見て首をかしげた。
「さあ……? それが何か、私に関係でも?」
「あなたはあの時、最初に目を覚ました男に命乞いをされていたが、我々はただ、あの男が何か夢でも見ていて、寝ぼけていたのだろうと気にも留めていなかった。だがあとで目を覚ました他の四人も同じく、あなたを恐れていた事が判明したのだ。一つ確認したい。答えにくい質問かもしれないが、あなたは、魔法を使えるのか?」
いきなり何を聞くのかと思えば、あの男達に言われた言葉を真に受けて、私が一人で男性五人をやっつけたと言いたいわけ? あの状況を見たでしょう? ボコボコに殴られて伸されていたのよ。魔法での攻撃なら、あんな怪我ではないと思うわ。
火傷だったり、凍傷だったり、使える魔法によって違うけれど、あれは明らかに殴ったり蹴ったりした痕よ。
「はあ……そんな事でしたか。私に魔力はありません。どうぞ、お調べになりたいなら、調べてくださって構いません。今のお話から察するに、その荷物の中には、魔力量と属性を調べる道具が入っているのですね?」
エヴァンの持ってきたものは、勿論、学校で使った勉強道具などではない。そんな物は従者と一緒に馬車に置いてきているに決まっている。ならば、わざわざこの場に持ち込む物など一つしか無いだろう。
「すまないが、あの男達の話を聞いたのが私だけなら何とか誤魔化せたかもしれないが、やつらが騒ぎ出したのが運悪く……というか、あの場に居た私の手の者達の他に、王子や、その側近も同席する場であったのだ。そのせいで、あなたに魔力があるのか、はっきり確認しなくてはならない事態になってしまった。あなたは今回の事件の被害者だというのに、大変心苦しいのだが……」
これを聞き、シンとタキは不安そうに私を見ていた。
彼らは私に不思議な力がある事を知っている。
そしてその力が、最近更に増してきている事も。
タキはそれを、何も知らず女神の力と呼んでいるけれど、その力の源が何なのか、私は妖精レヴィエントから聞いたあの話を、まだ誰にも教えてはいなかった。
本音を言えば、情報を共有して皆にこれまで通り助けてほしいと思っているけれど、その事実を知ることで、この先何が起こるかもわからない私の運命に、大好きな皆を、否応なしに巻き込んでしまう事の方が怖かった。
何せ、私は女神ライナテミスの一部を魂としてこの世に生を受けた人の末裔であり、その魂までも受け継いだ異世界からの転生者。
知った事実を何でも教えてしまって本当に良いものなのか、どこまでなら知られても大丈夫なのか、正直考えあぐねている。
もしも、これで魔力を持っているとなれば、私は正体を明らかにして、王宮魔道師の末席にでも仲間入りする事になってしまうだろう。でも魔力が無い事は、既に子供の頃に証明されている。だからその点では何の心配も無いのだ。
私は二人に大丈夫よと微笑んでみせ、エヴァンが鞄から取り出した魔力を吸い出す魔道具の上に、何の躊躇いも無く手を置いた。
その魔道具は水晶玉のような見た目で、魔力を持っていれば輝き、その色で属性までわかる仕組みになっている。
私が子供の頃にこれを触った時は、何の変化も現れなかった。だから勿論、今回も。
「……反応無しか。良かった、やはりやつらの作り話であったようだ。疑うような真似をして、悪かった。だがもう一つだけ、検証したい事がある」
「何でしょう?」
エヴァンは席を立ち、テーブルを回り込んで私の方へ近付いてきた。
シンとタキはピリピリとした空気を纏い始め、またあの時のように一触即発のムードになりかける。
「シン、タキ、大丈夫だから、冷静になってちょうだい。フィンドレイ様、何を検証したいのですか?」
「私のこの手を、全力で殴ってみてほしい。魔力は無くとも、実は相当な体術の使い手という事もある」
体術って……この私が、拳法や柔術に秀でているように見えるというのかしら。あの男達の怪我の様子からして、確かにそっちの方が現実的かもしれないけれど。
仕方がないわね、あの場に残って居たのは、私だけなのだから。要はあなたを納得させればいいのでしょ。
エヴァンが手の平を突き出しているその前に立ち、私は前世で格闘ゲームの女性キャラのコスプレをした時に覚えた、ボクシングの構えをしてみせた。
そう、ポーズだけは一人前。
シンとタキは私の意外な一面を見て、感心した様子で「おお……」と声を漏らした。
皆の期待が高まる中、私はその構えから、ぐっと腰を捻って腕を引き、気合を入れて思いっきりパンチを繰り出す。
「えいっ」
ぺちん
「はあっ」
ぺちんっ
一瞬の沈黙の後、エヴァンは気まずそうに目線を下ろして笑いをこらえ、シンとタキはお構い無しで大笑いした。
「……もう、いいですか? ええどうぞ、笑いたければ笑えばいいんです。こうなる事は、わかってたんですから」
「すまない……ぶふっ……いや、あまりに完璧な構えと気迫だったから、本気で凄いパンチが来ると思って身構えてしまった自分がおかしく……くっ」
エヴァンは後ろを向いて肩を揺らし、手で口を押さえて必死に笑いをこらえていた。
シンはここ最近で一番楽しそうに笑い、お腹を抱えて涙まで流している。
「クククク……ヤバイ、ツボに入った。オーナー、笑いのセンスあるな。今の、間が最高だった」
「ラナさん、最高! もう一回見たい。あの完璧な構えからの猫パンチ。フハッ、思い出しただけで……」
タキも楽しそう。
二人からはさっきまでの緊迫した空気が嘘のように消え去り、あの怒りの感情はどこへ行ったのか、笑い転げている。
「これで分かったでしょ? 私には魔力も無ければ格闘センスも無いの。あの時は誰かが助けてくれて、私が目を覚ます前に姿を隠したのだと思うわ」
エヴァンは何とか平常心を取り戻し、振り返ってもう一つ私に質問した。
「思い出した、もう一つ、聞きたい事がある。ラナさんは、精霊や聖獣の召喚をした事はあるか?」
「え……?」