45・密室で二人きりは落ち着きません。
リアム様の部屋に呼ばれ、私は今、客室に備え付けの小さなテーブルセットの椅子に座らされている。誰が来るかも分からない食堂では、誓約書にサインなんてできないから仕方がないのだけど、男性と二人きりで、カーテンもドアも閉め切った個室に入るのは、やっぱり抵抗があるわけで。
「その警戒を解いてくれないか。あなたに無体を強いるつもりは無い」
「ええ、勿論分かってます。書類を下さい。すぐにサインしますから」
二人きりという事もあって、リアム様はフードを取ってしまっていて、髪の色も違うし、ウィルフレッド殿下ではない事は分かっているのに、殿下に見えて仕方が無い。
駄目だわ、なんだか落ち着かない。せめて、変装用に眼鏡でもかけてくれないかしら。
「あの……今回の様な事を避けるためにも、眼鏡をかけてはどうですか?」
「眼鏡? 私は視力は良い方だから、眼鏡は必要無いのだが」
ああ、そうか。気軽にファッションアイテムとして眼鏡をかける事は、前世の世界では当たり前になっていたけれど、ここでは高価な眼鏡をそんな風に使おうなんて、誰も考えないわ。
この世界の眼鏡は前世の物とそれほど変わらないクオリティーで、レンズは薄く、黄色や薄いブルーなどの色付きの物もあり、形は様々。樹脂素材の物は無いけれど、べっこう眼鏡や、銀縁の丸眼鏡、インテリ風の金属フレームの眼鏡まで存在する。
特に高価なのは魔道具であるレンズの方なので、私は気に入ったフレームにガラスをはめ込んだだけの伊達眼鏡をいくつか持っている。お店の人には少し変に思われてしまったけど、いつか何かに使えそうだと思い、つい買ってしまったのだ。
殿下のお顔には眼鏡が良く似合いそう。あ、誰も考えないからこそ変装にはピッタリだわ。
「眼鏡をかけると印象が変わりますし、その目の色も、色ガラスを使えば多少は誤魔化せるのではないかと思います。リアム様のように、目が悪くない人は眼鏡をかけない、という先入観を逆手にとれば、良い目くらましになると思いませんか? 魔道具のレンズはただのガラスに取り替えてしまえば良いのです。フレッド様と一緒に検討してみては如何ですか?」
リアム様は私の提案に驚いて、荷物から取り出した誓約書の紙を持ったままフリーズしてしまった。
「それは、考えもしなかった。確かに、検討の余地はありそうだ。ありがとう、フードで覆い隠して怪しまれるより、変装したほうが悪目立ちしないとは思っていたのだが、この目の色だけはどうにもならなくてな」
「横から見れば見えてしまいますけど、その撫で付けた髪を下ろしてしまえば、隠せると思います」
リアム様の髪はちょっと長めで、多分前髪を下ろせば目が隠れるくらいの長さがある。ウィルフレッド殿下の今の髪型を知らないので何とも言えないけれど、切ったりしてはいけないのなら、後ろに撫で付けるのを止めるだけで若々しさが出て、少しラフにセットすれば、このちょっと堅苦しい雰囲気からも脱出できると思う。
「是非私にプロデュースさせて下さい。あなたを必ずイメージチェンジさせてみせますっ」
変身後の彼の姿を想像してワクワクした私は、思わずおかしな事を口走っていた。
リアム様は目を瞬いて、ポカンとしている。
「フハッ……失礼。ちょっと前まで男と二人きりな事に警戒して、ビクビクしていたのに……あなたという人は……」
リアム様に笑われてしまいました。彼にコスプ……じゃなくて、彼を別人の様に変身させてみたいという欲求に勝てなかったわ。素材は良いのに、それを隠そう隠そうとしていて、本当に勿体無い。
何となく、自由になる前の自分を見ているような気がした。彼は王子の影として、目立たない様に生きなくてはならないのよね。任務中と普段とのギャップがあるほど、影武者であると気付かれにくいのではないかしら。
でも、まずはその前に、誓約書を書いてしまわなくては。
「……それ、書いてしまいますから、ペンとナイフを貸して下さい」
「あ、ああ。ここに名前を書いて、文字に重ねて血判を押してくれ。あなたに協力をお願いするのは、引き続き私達にこの部屋を提供してもらう事。今はそれだけで十分助かる」
「わかりました」
私はリアム様からペンと小さな刃物を渡され、誓約書にラナと記入した。フルネームで書くべきか迷ったけれど、重要なのは血を渡す行為なので、偽名では無いことだし、これで良しとした。
次に指を刃先で傷つけ、ほんの少し血を出して、文字の上にその血を押し付けた。
「よし、もう指を離しても大丈夫だ」
誓約書は私の血を吸い取り、魔法を発動して眩しい光を放つと、その姿をシンプルなシルバーのイヤーカフに変えた。それをリアム様は手に取り、私の左耳の上の部分に装着した。
「あなたは……装飾品を一切身に付けないのだな。主義に反する事をさせてしまったようで、申し訳ない」
「いいえ、気にしないで下さい。これなら邪魔にもなりませんから。では、私はもう行きますね。リアム様を変身させる件、決まりましたら、いつでも声をかけて下さい」
「ああ、分かった。検討させてもらう」
リアム様の部屋を出て食堂に戻ると、シンとタキが出勤してきたところだった。朝のあいさつを済ませ、アレがタキにも見えるか聞きたかったのに、あの光る何かはどこに消えたのか、食堂内を見てもどこにも居なかった。
「変ね、どこに行ったのかしら?」
「ラナさん。何か探しているの?」
「ええ、あのね、淡く光る何かが店内を飛んでいたの。チヨの目の前を通っても見えないと言うし、タキなら見えるかと思って、あなたが来るのを待っていたのだけど、居なくなってしまったみたい」
「ふーん、光る何か……」
タキはそう呟きながら、食堂のテーブルの下や厨房の棚の隙間など、隠れられそうな場所を見て回った。
「居ないね。次に見えたら僕に教えてくれる? 悪いものだったら退治するから」
タキのその言葉に反応するように、あの光る何かはフロントの方から凄い勢いでこちらに飛んできた。
「あ! 居たわ! タキ、それ! それよ!」
「見えた。これだね?」
タキはその光る何かを、素早く手の平で挟み込む様にしてあっさり捕まえてしまった。
「え? 捕まえたの?」
「うん、今、手の中で暴れてる。っていうか、何か、膨れてきたかも? これ、もしかしたら捕まえちゃ駄目なやつだったかも……」
タキは手の中の何かの抵抗に耐え切れず、パッと手を開いた。