44・妖精?の悪戯
私の目の前を飛び回っていた謎の光は、何かを知らせようとするように、今度は私の頭の周りをクルクルと回り出した。それを目で追うと、二階からリアム様が降りてきた。
「おはようございます、リアム様。朝食を召し上がりますか?」
「おはよう、ああ、頼む」
「ではお好きな席に座ってお待ちください」
リアム様はいつもの定位置である、カウンターの奥の席に座った。と同時に、チヨの部屋のドアが開く音がした。
「ラナさん! 今日は晴れていて気持ちが良いので、今のうちにお洗濯してきます。ラナさんの部屋にある分も一緒に済ませちゃいます……ね……。お、おはようございます、リアム様。朝から騒がしくてすみません、ごゆっくりどうぞ」
山盛りの洗濯物を乗せたカゴを抱えて、チヨが元気に部屋から出てきたかと思えば、先ほどまで居なかったはずのリアム様の存在に気付き、慌てて洗濯物を隠すようにカゴを抱え直した。
チヨはちょっと恥ずかしそうにリアム様の背後を通り、そそくさと店の奥に行ってしまった。
「え、あ、ありがとう、チヨ!」
チヨの背中にお礼を言って、リアム様の朝食を準備する。チヨの部屋はフロントカウンターの中に出入り口があるから、こんな時は不便だ。
リアム様がフレッド様を連れてびしょ濡れで宿に戻って来たあの日以来、彼とは言葉を交わす事が多くなった。相変わらずフードを目深に被って顔を見せてはくれないし、素性は良く分からない人だけれど、悪い人ではないと思う。
「どうぞ。今日はおにぎりは止めにしました。ご飯とお味噌汁はおかわりできますから、遠慮なく言って下さいね」
「ありがとう。ああ、玉子焼きか」
ふふ、本当に玉子焼きが好きなのね。
今更だけど、毎日おにぎりではリアム様も飽きてしまっただろうと思い、今日は私とチヨの朝食と同じものを用意した。それに、今朝はリアム様の好物の玉子焼きを作ったから、なおのことそうしてあげようと思ったのだ。
思った通り、声の調子で喜んでくれた事が伝わってきた。以前チヨに特別扱いは駄目だと注意しておいて、こういう事はどうかとも思ったけれど、半年以上の間この宿を利用して下さっている方なのだから、たまには良いわよね。
「うん、女将の作る玉子焼きは実に美味い。ところで、この海苔はどうやって食べれば良いんだ?」
今朝のメニューは白いご飯、わかめと玉葱の味噌汁、甘い玉子焼き、焼鮭、お新香、自作の味付け海苔。
どうしても朝ごはんに味付け海苔を食べたくて、醤油とみりんを混ぜた物を塗って乾かして作ってみたのだ。記憶にある、あのピシッとした感じには出来なかったけど、概ね満足……かな?
「あ、それはそのまま食べても良いですし、少しお醤油を付けて、ご飯を包んで食べると美味しいですよ」
「これで、ご飯を包む?」
「貸して下さい。私が一度やって見せますから」
カウンター越しにリアム様からお茶碗とお箸を渡してもらい、海苔を一枚とって、お箸を使って器用にご飯を包んで見せた。リアム様はその様子を見るために、ほんの少しフードを持ち上げて私の手元を見ていた。その時チラッと鼻から下までを見てしまったけど、どうやらとても整ったお顔立ちみたい。
「なるほど。ちょっと私には難しいな……」
「和の国の食べ方ですけど、口中調味っていう食べ方もありますよ。ご飯を先に口に入れて、次におかずも一緒に口に入れて咀嚼するんです。順番は逆でも構いません。慣れるまで難しいかもしれませんけど、そうすると白いご飯がもっと美味しくなりますよ」
私がお茶碗とお箸を返すと、彼は手本として巻いて見せたものをパクリと食べた。どうやらそれが気に入ったらしく、ご飯を先に口に入れて、海苔に醤油を付けてそれも口に入れた。モグモグと咀嚼しながら、味に納得したのか、うんうんと頷きながら食べている。
リアム様って、とても素直な性格なのね。すぐに言った通りに試してくれるから、ちょっと可愛いかも、なんて思ってしまうわ。大人の男性に対して、こんな事を考えるのは失礼かしら。
リアム様は見事に口中調味を実践し、美味しくご飯を食べ終わると、食後のお茶まで堪能し、今朝は時間に余裕があるのか、珍しく私に話しかけてきた。
「ところで、女将はどこで料理の勉強をしたんだ? やはり、和の国に留学したのだろうか」
「ふふっ、以前フレッド様にも同じ事を言われました。いいえ、留学はしていません。すべて独学ですけど、基本は料理人だった父から学びました」
「えっ? 一体いつ彼とそんな会話を……?」
「もう大分前の話です。私が出かけようとしているところに鉢合わせて、フレッド様が市場まで送って下さった事があるんです。その時ちょっとだけお話ししました。あの頃はお二人ともお忍びだと思っていたので、話しかけるのは最小限にしていましたが、それ以来普通にお話ししていますよ」
私の言葉にリアム様は黙ってしまった。やっぱりお二人とはあまり関わってはいけなかったのかしら。あれ以来気さくに話しかけてくる事もあるし、問題無いのかと思ったのだけど。
「そんな事があったのか。いや、知らなかったので、少々驚いた」
「この間もお菓子を差し入れて下さったり、一緒にお茶を楽しんだりしたのですけど、もしもあまり望ましい事では無いのでしたら、こちらからお誘いするのは今後控えた方が良いですか?」
「いや、それは別に……」
リアム様が質問に答えようとしたところで、私の周りを飛んでいた光る何かは、彼のフードの中にヒュッと飛び込み、それを後ろにずらしてしまった。
「あっ……」
「うわ、なんだ?」
リアム様の抵抗も空しく、フードは脱げて顔が露になった。彼は慌ててフードを被り直したけれど、真正面に立っていた私は、彼の顔をしっかりと見てしまった。
これはちょっと、まずい展開?
彼の顔はウィルフレッド殿下に良く似ていて、髪がブロンドで、目は青紫色だった。髪色が違うから印象は違うけれど、もしかして、殿下の影武者?
なんて、それは少し考えが短絡的過ぎるかしら? でもこれだけ似ていれば、髪を黒く染めれば出来そうな気もするわ。だから顔を晒す事が出来ないとも考えられるし。じゃあ、フレッド様も、もしかしたらそうなのかもしれない。
気にはなるけど、これは流石に聞くわけにはいかないわね。
「すみません、今朝から何かが店内を飛び回っていて。大丈夫でしたか?」
「いや、フードが脱げただけだ。ハァ、この宿は気に入っていたのだが、どこか別の宿を探さねばならないかな……」
「あの、私、誰にも言いません。ですから、ここを気に入って下さっているなら、宿を移る必要などありませんわ。私を信用できません……か?」
リアム様はフードを持ち上げ、ジッと私の目を見つめた。私が信頼するに足る人物かどうか、見極めようとしている。
勿論こんな面倒事には関わらない方が良いに決まっているけれど、下手に顔を見てしまった今は、口封じされる事も考えられる。それが私だけじゃなく、二人の存在を知っているチヨ達にまで及んでは困るのだ。
「私達が何者であるか、気付いているのか?」
「……お二人は、この国の高貴なお方の影武者……ですか?」
私の答えを聞き、リアム様は暫く黙って、何かを考えていた。そして深く溜息を吐くと、困ったような顔をして話し始めた。
「なるほど。殿下のお姿を見た事があったのか。では、誤魔化しようが無いな。その通り、我々は殿下の影武者だ。この事を知ったからには、是非とも協力してほしい。あなたの事は信頼できる。我々としては、市井に協力者が欲しいと思っていたから、これは良い機会だ」
「協力と言われても、私には宿にお泊めする事しか出来ません。そんなに簡単に素性を明かしても良いのですか?」
まさかそんなにあっさり自分は影武者だと明かすなんて思いもしなかった。協力しろと言われても、何も無い私には、これまで通りの事しかできないけれど。
「ここほどの安全な潜伏場所は、他に無くてな。後で、誓約書にサインと血判を頼む。それによって魔法が発動し、我々の秘密を外部に漏らせないようになる。その魔法は体に害も無いから、その辺の心配は無用だ。嫌だと言われても、あなたの安全の為にサインはしてもらわなければならないのだ。迷惑を掛けてしまうが、よろしく頼む」
ああ、血の誓約書ね。魔法で口封じするのは当然だし、私もそうしてくれる方が、うっかりポロッと口走る心配が無くて安心出来るわ。
「宿のお客様の情報を外部に漏らさないというのは、当然の義務です。お気になさらず」
思いがけず、ウィルフレッド殿下と間接的に関わる事になってしまったわ。あの光る虫のようなもの、あれのせいよ。まったくもう、イタズラッ子ね。本当にこれは何なのかしら? タキが出勤してきたら、彼にも見えるか聞いてみなくちゃ。