38・チヨ、お説教される。
「私、朝の営業を止めようと思うの」
私とタキが部屋に戻り、ほんの少し皆で雑談をした後、私は今朝チヨに話した事を、シンとタキにも相談する事にした。宿屋はただでさえ24時間営業のようなもので、夜中であろうとも宿泊のお客様の対応をしなくてはならない時もある。
夜間の対応を請け負ってくれたチヨにかかる負担は、相当なものだろう。
私がここに越してきてから、自分達の朝ごはんを作るついでに、宿泊客におにぎりとお味噌汁だけの簡単な朝食を提供するという、他の宿には無いサービスを始めたのだけど、それがとても好評で、出発前に昼食用におにぎりを売って欲しいという要望が出た事がきっかけで今の状態になってしまったのだ。
なんと言っても、お金を手っ取り早く稼ぎたいなら、おにぎりを売るのが一番効率が良い。チヨは自分も手伝うからと言って、自らこの仕事を増やしてしまった。
私がここに来る前と後とでは、売り上げも格段に増えたけれど、チヨの仕事もその分増えてしまったのだ。
本人がそれで納得し、結果に満足しているから文句も出ないが、他の従業員に同じ事をさせれば、間違いなく不満が出るだろう。
「ラナさん! 朝のおにぎりの利益はかなり大きいと教えたじゃないですか。私なら平気です。今朝ちょっと眠いって言ったのが悪かったんですよね? もうそんな事言いませんから、お昼にも屋台を出して売る方向で考えましょうよ」
「だからそうじゃなくて、私とチヨは仕事量が多すぎるから、減らした方が良いって言ってるの。私がここに住む様になってから、チヨの仕事は減るどころか、逆に増えてしまったわよね? まだ始めて二ヶ月しか経っていないから、体に不調は出ていないかもしれないけれど、ずっとこれが続くのは、さすがにあなたの負担が大き過ぎるわ」
私とチヨが言い争うのを聞いて、シンはワザと大げさに溜息を吐いて、頭をガシガシと掻き、呆れた様に言葉を挟んだ。
「チヨ、オーナーはお前の体を心配してくれてるのに、お前はオーナーの体は心配じゃないのか? お前は大丈夫でも、オーナーは辛いかもしれないとは考えられないのかよ。いつまでも子供じゃないんだ、少しは相手を思い遣る事も覚えた方が良いんじゃないか?」
シンの言葉に、チヨは唇を噛んで出しかけた言葉を飲み込んだ。
タキもこの件に言いたい事があるようで、挙手をして軽く咳払いすると、彼も意見を言い始めた。
「僕からも、言わせてくれる? 僕はラナさんの意見に賛成だよ。あのね、二人の負担が大きいっていうのも勿論なんだけど、今日みたいな事がまた起きないとも限らない訳だし、僕らが居ない時間帯の営業は、もう止めて欲しいな。今日は何と無く嫌な予感がして、いつもより大分早く出て来たから間に合ったけど、いつも通りに出勤していたら、ラナさんは何をされたか分からないんだよ?」
タキの意見に続けるように、シンもチヨに対して思っていた事を、これを機に言って聞かせた。
「まったくその通りだ。この宿はただでさえ俺達が居ない間は若い女二人で切り盛りしてるんだ、おかしな事を考える男はこの先も出てくるかもしれない。チヨ、お前はオーナーが商売を始めた当初から一緒にやって来た同士かもしれないが、自分が雇われ者だって事を忘れるなよ。改善するための意見を言うのは構わないが、それを無理に押し通そうとするな」
シンとタキに責められて、チヨは口を尖らせてすねてしまった。頭ごなしに言われては、分かっていても素直に聞き入れられない、といった感じだ。
「シン、もう少し優しく……」
「お前がそうやって甘やかすから、こいつは図に乗るんだ」
シンはチヨを窘めているかと思えば、今度は私に向っておかしな事を言い出した。
チヨを甘やかした覚えなんかない。むしろ私がチヨに甘えているという自覚はあるけれど。
「なんですって? いつ私がチヨを甘やかしたの?」
「あの男が最初にここへ来た時だって、一番忙しい時間なのに手の平を火傷しながらチヨの為におにぎり作ってやっただろ。あんなの時間外だって断ればよかったんだ」
「無茶言わないで。貴族相手に一度引き受けた注文を断れる訳ないでしょ!」
「今朝だって、あの男の為に取り置きなんか許して、チヨが一人の客を贔屓するのを黙認したんだろ?」
「してないわよ! その事も今注意しようと思ってたわ。他のお客様に見られていたら、うちの評価は下がってしまうもの」
私とシンが言い争いを始めた事で、チヨはオロオロし始め、何かを決意した顔になると、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、上を向いて突然大きな声を上げた。
「ごめんなさいっ! ラナさんは何も悪くありません。悪いのは私です! 私情を挟んで、客商売なのにやってはいけない事をしました! あんな事もうしませんから、ラナさんを責めないで下さい!」
言い終わると、チヨは半べそをかいて、私とシンの顔を見た。そのあまりに情け無い表情を見て、シンは我慢できずに噴出してしまった。
「ブハッ、スッゲー顔……クックックック……」
「シン、女の子の顔を見て笑うなんて失礼よ。チヨもわかったでしょ? あの方の気を引きたくてやった事でしょうけど、特別扱いを誰もが快く思う訳では無いし、そんな事をこの宿がしていると他のお客様が知れば、良い気持ちはしないのよ。タキの言う通り、朝だからって油断はできないと分かった事だし、朝の営業は今週いっぱいで止めるわよ」
「はい……すみませんでした」
チヨは納得した様子で私に返事をして、ストンと椅子に座った。
「シン、私、チヨを甘やかしてなんかいないけれど、むしろ私がチヨに甘えていると思うわ」
「もういいよ、チヨに分からせる事はできたんだから。逆にお前はもっと俺達に甘えろよ」
私は十分皆に甘えていると思うけど。ただ、それが当たり前だと思わない様に気をつけているだけ。頼り切った頃に急に冷たくされるのは、本当に辛すぎるもの。もうあんな思いはしたくない。
皆の事が大好きな分、もしも同じ事が起きてしまったら、今度は耐えられる自信が無いわ。
「じゃあ明日から僕達も、朝の開店に間に合う様に来るからね」
「お前達だけで店を開けるなよ?」
「ええ、わかったわ。ありがとう、シン、タキ」
残りの数日間で、朝のおにぎり販売は中止するとお客様たちに告知して、皆から惜しまれつつも、私達は早朝の仕事から解放された。
お昼に販売するおにぎりは、ご飯と中身は私が用意して、チヨの監督の下、従業員の女の子達で作って販売してもらう事になった。
人手が増えた分、販売数も伸び、毎朝来ていたお客様と、お昼に食堂に入りきれず、今まで諦めて帰っていたお客様とが買ってくれる様になり、結局このやり方の方が儲かるという事で、チヨの笑いは止まらなかった。