95・懲りない男
「殿下、約束が違います。我々はダリア様に謝罪をしに参ったのです。ダリア様、少々お時間をくださいませんか。さあ、殿下」
この時アーロンに向けて少しムッとした表情を見せたフレドリック殿下ではあったけれど、きちんと謝罪する意思はあったようで、殿下は意外なほど真剣な表情で私に向かって謝罪の言葉を述べた。
「……ダリア嬢、あなたを侮辱する言葉を使ってしまい、本当に申し訳なかった。反省している。どうか私を許してほしい」
アーロンがフレドリック殿下に睨みを利かせて、先ほど失敗した謝罪をやり直させてしまった。何だか私の知らないうちに、ここの主従関係は変わったらしい。正式に側近になったことで発言力を持ち、アーロンは本気で殿下の再教育を始めたようだ。
こう言っては何だけれど、フレドリック殿下には、これくらい強くものを言える方が側に居なくては、ダメ王子からの脱却は難しいだろう。一般の宿にお忍びで現れているくらいだし、まだまだこれからといった状況なのでしょうけど。
そしてその間、エヴァンは私に不躾な視線を向けていた。おじい様の言う通り、恐らく彼は私が宿屋のラナであるかを疑っているのだろう。
今この場で問い詰める気は無さそうだけれど、明日辺り、宿に確認しに来るかもしれない。
私が黙っていると、殿下がとても不安げな顔をし始めたので、このあたりで許してあげることにした。
これは私への謝罪ではなく、ダリアに向けたものなのだから、彼女が後日煩わされるような事が無いように処理しておかなくてはならない。
「はい……殿下、謝罪はお受けします」
「おお、では……!」
私からの許しを得て、殿下がまたダンスを申し込むか、庭の案内を申し出るかしようとした時、アーロンは厳しい表情で大げさな咳払いをし、それを阻止した。
「ゴホン、では、これにて失礼致します。ダリア様、殿下をお許しいただき、ありがとうございました。参りましょう、殿下」
「待て! 彼女に許しはもらった。兄上はパートナーを一人にして、他の令嬢と楽しんでいるのだ。その間、弟である私が彼女をもてなすべきであろう? かわいそうに、知人の居ない彼女は黙って壁の花になっていたのだぞ」
フレドリック殿下は「かわいそうな女性」でスイッチが入るのだろうか。正しくは「かわいそうな自分好みの美女」かもしれないけれど。
「お気遣い感謝いたします。しかし、私は一人ではありませんわ。ヒューバート様がいらっしゃいます。夜風に当たりながらウィルフレッド殿下がお戻りになるのを待つつもりですので、どうぞ殿下は会場に戻り、ダンスの申し込みをされるのを期待しているご令嬢方のお相手をなさいませ」
私は貴族のお辞儀をしてこの場を去ろうとしたけれど、テラスの階段を下りて真っ直ぐ噴水に向けて歩き出したところで、追ってきたフレドリック殿下に手を掴まれてしまった。
上手く逃げられたと思ったのに、意外としつこい方なのだと、初めて知った。エレインとして側に居た頃は、まったく執着されなかったせいか、この方は淡白な性格なのだと誤解していた。
「その手をお放しください、殿下」
「放さぬ。兄上が来るまでで良い、庭を散策しよう」
「私は殿下に恥を掻かせないように、殿下からのお誘いをやんわりお断りしたのですよ」
「なっ……」
フレドリック殿下は怒りに顔を歪め、掴んだ手に力を込めて私を引き寄せた。追って来たアーロン達からは「殿下!」という制止の声が上がったけれど、殿下の顔が私に近付く。
「気の強い女は嫌いではない。私を挑発するつもりか? ダリア嬢」
殿下は私の腰を抱き、耳元で低く囁いた。
すると殿下の生温かい息がむき出しの肩にかかり、私の肌は粟立った。
間近で私の顔を覗き込むフレドリック殿下の美しい顔には、嗜虐的な笑みが浮かんでいた。殿下にこんな一面がある事を知らなかった私は戦慄し、この方を甘く見すぎていたと後悔した。
手に入りにくいものほど欲しくなる。例えば聖女。そして今度は、兄の連れてきた女性である私。
これを見ていたアーロンは顔色を変え、周囲を見回した。
エヴァンは瞬時に判断し、会場内からこの様子が見えないよう盾になった。おそらくダリアに第二王子まで誘惑したなどという噂が立たないよう配慮したのだろう。
そしてヒューバートは仮にも王子が相手では手を出せず、アーロンとエヴァンを睨みつけていた。
「殿下! ダリア様をお放しください。この方はウィルフレッド殿下の為にアルフォードからお越しになり、この夜会に参加されているのです。決して花婿探しをしにいらしたのではありません。そのような扱いをなさってはなりません」
ヒューバートはその場に跪き、必死に説得を始めた。ウィルフレッド殿下から頼まれた令嬢が、もう一人の王子に絡まれてしまったのだから、それはもう必死だった。
会場の方から「キャー」という何人もの女性の声が聞こえた。それは恐怖の悲鳴ではなく、アイドルを間近に見た時のような歓喜の声だった。
そしてテラスを早足で歩く靴音を響かせて、凄い速さで誰かがこちらに近付いているのがわかった。
会場から漏れる明かりで照らされていた私達には影がかかり、気付けば私はフレドリック殿下から引き離され、別の誰かの腕の中にいた。