94・令嬢達の醜い噂話
大勢が注目する中、会場の中央あたりでフレッド様は誰かとダンスを踊っていた。
周囲で踊っていたカップル達は場所を譲り、広く空いたその場所で、まるでそこが二人だけのステージの様に、優雅で楽しげな様子を皆に見せつけていたのだった。
私の居る位置からでは、人と人との隙間から、踊りながら横切る二人の様子がチラチラと見えるだけ。もっと前に行って見る事も出来るけれど、なぜだかそれはしたくはなかった。
「ダリア様、あちらに椅子が用意してありますが」
「いいえ、ここで……終わるのを待っています。私の事は、どうぞお気になさらず」
会場に入ってすぐに私が立ち止まり、ダンスを踊る二人に釘付けになっていると、ヒューバート様は私を気遣い、王族の為に用意された席へと案内しようとした。
けれど、私は目の前の光景から目が離せなかった。前列で見物していた数名がそこを離れたことで、障害物は無くなり、二人の姿がハッキリ見えるようになっていた。
なぜだか分からないけれど、それを見た私は胸が苦しくなり、今すぐにあの二人の間に割って入りたい衝動に駆られた。
「殿下は一曲踊ればお戻りになります。ここは人の出入りがありますから、少し移動しましょう」
「そうですわね。ではそちらへ」
エスコートしてくれていたヒューバート様からスッと手を離し、邪魔にならないよう今入ってきた場所から少し移動して、扉のすぐ横の壁際に立つと、ヒューバート様は何も言わず、私に付き合って隣に並んでくれた。
フレッド様が誰と踊ろうと、私がとやかく言う問題ではないというのに、あの光景を見ただけで、どうしてこんなに悲しい気持ちになるの? あの方はウィルフレッド殿下の影武者として務めを果たしているだけなのに。
これではまるで、ヤキモチを焼いているみたいじゃない。彼に対して特別な感情があるわけでも無いというのに、私、変だわ。どうしてしまったのかしら?
フレッド様が相手をしているのは、私の友人である、マリア・カルヴァーニ伯爵令嬢。
フレッド様は優しくマリアに笑いかけ、マリアも幸せそうに笑顔を向けていた。マリアはダンスが得意だったはずだけれど、今日の彼女はどこかぎこちなく見える。
こんな風に彼女が一斉に注目を浴びる事は無かったのだから、それも仕方の無い事かもしれない。
私達がこの場所に来る前から、すぐそこで数名の令嬢達が集まって、ひっきりなしに誰かの噂話をしている。それはあまり聞いていて楽しいものでは無く、耳を塞ぎたい気持ちにさせられた。
この場を離れようかと思ったその時、友人の名前が出てきて、私はそのまま彼女達の話を聞かせてもらうことにした。
「あ、そうそう、ご存知? 今夜の殿下のパートナーには、当然自分が選ばれると思って、マリア様ったら、ドレスを新調したらしいわ。名門校からわざわざウィルフレッド殿下と同じ学校へ転校してきて、殿下のお役に立ちたいなんて言って、みっともなく擦り寄ったりして……今は仲良くなったつもりで殿下のグループに紛れ込んでいるの。図々しいったらないわ」
「まあ! 大人しそうなのに、見かけによらないわね」
「ふふふ、なのに、殿下からは選ばれなかったというわけ? ふぅーん、それで、お二人が一緒に居る所を邪魔するために、ダンスがしたいと父親に泣きついたのね。今夜殿下のお連れになった方を見ていないのかしら? 勝てる要素が無いじゃないの」
私の前にいる令嬢達のグループが、マリアの話をし始めた。
マリアが転校したなんて話は、私は知らなかった。あれから彼女が宿を訪ねて来るのを心待ちにしているけれど、まだ一度も来てくれていないのだ。
なので彼女とはたくさん話したい事があるのに、まだ何も話せていないというのが現状だ。
あの学園を卒業する事は、貴族のステイタスになる。それを捨ててまで転校するだけのメリットがマリアにはあったという事でしょうけれど、私が学園を去った後、何かあったのかもしれないし、彼女に限って、ウィルフレッド殿下を追ってそちらに移ったとは安易に考えたくないわ。
令嬢達のグループは、マリアの話で盛り上がり始めた。
私の居る位置からは横顔しか見えないけれど、皆、自分がどんなに醜い表情でその言葉を発しているのか気付いていないのだろうか。徐々に彼女達からは黒いモヤモヤとした霧が出始めていた。
近くに居た男性のグループは、始めは面白がって側で聞いていたけれど、女性の醜い裏の顔を知り、顔をしかめて離れていった。
「彼女何か勘違いしているのではない? 学校では甲斐甲斐しく殿下の世話をして、どうしても女性同伴でなければいけない場面で彼女が重宝されるから、最近ではすっかり婚約者気取りだもの。殿下があの美しい女性を連れていらっしゃったのを見た時は、胸がスッとしたわ。きっと、彼女に分からせたかったのよ。お前は俺の好みじゃないってね」
彼女のこの発言に、周囲の令嬢達はクスクスと感じ悪く笑った。
ホールの中央付近でうっとりとパートナーを見つめるマリアは、自分がこのような事を言われているとも知らず、まだフレッド様と踊っている。
そして今流れている曲は、もうすぐ終わろうとしていた。
「ふふ、あなたも言うわね。でも、学校内の令嬢達は、皆そう思っているわ。彼女が元居た学園から連れて来た方たちも含めてね。最近調子に乗りすぎているって注意したらしいけど、彼女、友人のアドバイスを聞かなかったそうなの。殿下は特別な女性を持たない方なのに、しつこくしたから嫌われたのよ」
「ねえ、殿下のお世話といえば、その役目は隻眼の魔道師、ヒューバート様のものでしょう? マリアが身の程もわきまえず纏わり付くものだから、たまに嫌な顔をされているわよね。彼女、鈍感ではないと思うのだけど、気付いていないのかしら?」
私は思わずヒューバート様を見てしまった。まさか、この話題の中に自分の名前が出てくるとは思わなかったのでしょう。彼は心底嫌な顔をしていた。
今は隻眼の魔道師なんて呼ばれているのですね。まだ学生のうちから、その様な立派な二つ名を付けられてしまっては、きっと学校でもやりにくいでしょうね。
「あ、今あの子、もう一曲おねだりしたわ」
「ええー? 聞こえもしないのに、どうしてわかるの?」
「ふふん、読唇術よ。こういう場では、離れていてもどんな会話をしているのか知る事ができて便利なの。ここだけの話、先ほどの殿下とダリア様のダンス中も、お二人は仲睦まじい会話をなさっておられたわ。殿下ったら、お前とは相性が良いから楽しいと仰って、ダリア様がそろそろダンスのパートナーを換えてはどうかと提案されたのに、まだこのまま踊りたいと甘えていらしたわ」
「キャーッ、ではもう、本命確実じゃないこと? ダリア様は年上ではあるけれど、落ち着いた殿下とは並んでいても違和感を感じないもの」
「あれだけの容姿に知性まで備わっているというのだから、誰も太刀打ちできませんわね。私、初めてあの方を拝見したけれど、変人なんて、もう誰も言わなくなると思いますわ。身の程知らずのマリアは、これでも殿下に言い寄るつもりかしらね」
その、話題の人物がすぐうしろで聞いているとも知らず、令嬢達は勝手に盛り上がり、さらにマリアへの悪口にも花を咲かせていた。
貴族令嬢達の会話などこんなものだと理解しているけれど、今の私がエレイン・ノリス公爵令嬢の立場でここにいれば、間違いなく彼女達を注意している。王子がどんな会話をしていたか、そんな事は気軽に吹聴するべきではないのだから。
でも今は、ダリアとしてここに居るのだし、彼女は誰の事も構わないでと言っていたのだから、余計な事をしてはいけない。
すると読唇術を自慢していた令嬢が、私達からの視線でも感じ取ったのか、気の抜けた顔で何気なく振り返った。そして私とバッチリ目が合い、驚いた彼女は、狼狽して目玉が落ちそうなほど目を見開き、唇を震わせ始めた。
「あ! ダリア様! す、すみませんっ」
「え……? ダリア様?」
一人が声をあげた事で、そこに居た令嬢達は一斉にこちらへ振り返り、青ざめながら慌てて貴族のお辞儀をして、そそくさとその場を立ち去った。
彼女達が居なくなった事で視界を遮るものが何も無くなり、私の目には、マリアと二曲目のダンスを踊り始めたフレッド様の姿が映っていた。
「殿下はどうなさったのだ、二曲も踊るなんて。今日はパートナーを待たせているというのに……」
「そのような事、仰ってはいけませんわ。私は構いません」
前方では、二人のダンスを見物しながら、優雅に流れる音楽に身をゆだね、踊りたそうに自然と体を揺らしていた人達が、今度は見物人で居る事を止め、自分達も再び踊り始めた。
先ほどまで二人だけのステージのようだった場所は、踊りたくてウズウズしていた若者達であっという間にいっぱいになり、フレッド様とマリアの姿は見えなくなってしまった。
「あの……ヒューバート様。ここは空気が悪いので、外に出ます。少し庭を歩きたいのですが……」
私はこの会場の空気の悪さに耐え切れず、浄化をして、気晴らしにこの場から離れる事にした。先ほどの令嬢達だけでもかなりの量の黒い霧が吐き出されていたのに、会場全体を見渡せば、黒くうごめく何かの生物のようにあちらこちらに霧の塊が見えていた。
たとえ今、これを全て浄化したとしても、またすぐに元に戻るかもしれない。
それでも私は、この会場内全ての空気を一掃すべく、霧を祓う事を意識して気を放った。
するとほんの一瞬、キンという金属音が聞こえそうなほど空気がピンと張り詰め、場内に漂っていた黒い霧は一気に浄化された。
会場内に居たほとんどの人は何も感じなかったようだけど、ヒューバート様を含めた数名が、今の現象に即反応し、発生源を探してキョロキョロと辺りを窺っている。
私は何食わぬ顔でテラスへ出て、外の空気を吸い込んだ。
「ダリア嬢、庭へ出られるのでしたら、私が案内しましょう」
いつの間にテラスに出ていたのか、フレドリック殿下がそこに居た。勿論、エヴァンとアーロン様を従えて。