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8・宿屋の女将

「いらっしゃいませ! 妖精の宿木亭へようこそ。あいにく本日は満室ですが、お食事だけでもどうぞ。女将の作る料理はとっても美味しいんですよ!」


 ここは都の片隅にある、築150年というどこにでも在りそうな古びた三階建ての宿屋。

 しかしそのボロい外観とは異なり、一階の食堂は綺麗に修繕されており、見た事も聞いた事も無い珍しい料理が食べられる宿として人気を博していた。この宿の名物は元気の出るおにぎり。食べると体力が回復すると、もっぱらの評判だ。

 半年前までは老夫婦が細々と営んでいたが客はほとんど入らず、オーナーが変わってからというもの、宿は昔の活気を取り戻していた。

 

 家を出てから一ヶ月が経過した。

 私は今、とても充実した毎日を送っている。サンドラが現れてからの一年は、学園ではあまり良い思いはしなかったけれど、週末だけは別だった。


 実は私は、公爵令嬢という重圧や、王太子の婚約者という立場から解放されたくて、一年前から週末のたびにお忍びでこの宿に来て、町に馴染む服に着替えて化粧を施し、家族にも内緒である事をしていた。


 始まりはただの好奇心だった。

 前世の高校時代に培った詐欺メイクとまで言われた自分のメイク術で、どれだけ別人に成りすます事が出来るのか試してみたくて、おばあ様に貰ったメイク道具をフル活用して印象をガラリと変えてみたのだ。

 特にアイメイクには力を入れ、アイラインをつり気味に引いて瞳の美しさを強調し、ダークブラウンのマスカラで目元に存在感を与えた。さらに眉を整え色をのせることで、ちょっと気の強そうな美女へと変身し、ドキドキしながら町に出てみた。

 するとすれ違う人の反応は予想以上で、幽霊や亡霊なんてあだ名が付いている私なのに、男性達は振り返り、私に声を掛けてきたのだ。勿論化粧をした目的はモテたいからでは無い。だからナンパ男は全員ピシャリと跳ね除けてやった。

 そして町を散策する中で、一人の日本人風の少女に出会い、縁あって彼女と一緒に商売を始める事にしたのだ。

 彼女との出会いは衝撃的だった。

 古いヨーロッパの町並みを思わせるこの町の佇まいにそぐわない、どう見ても日本人にしか見えない着物を着た少女が、浅い木箱に紐を付けた駅弁売りスタイルで、竹皮に包んだ白いおにぎりを路上販売していたのだから。

 まさかこの世界でお米を食べられる日が来ると思わなかった私は感動し、買ったその場で泣きながらおにぎりを頬張った。

 それは何の変哲も無いただの白むすびだったけれど、日本に居た頃を思い出し、どこか現実と切り離して考えていた前世の記憶が、頭の中の霧が晴れるように突如鮮明に蘇り今の私と混ざり合った。

 それからの私は、考え方や物の見方が貴族令嬢よりも日本人寄りに傾いてしまったように思う。


 この国ではお米は輸入品だというのに、殆ど原価に近い値段で売られている。

 それほど遠くない和の国という海の向こうの島国からは、陶器や織物などを輸入しており、そのおまけで船に積まれていた日持ちする食材やお米なども買い取っている。

 けれどパン食が主流のこの国では、いまいち人気が出ずに倉庫に溜まって行くばかり。

 だから安値で貧しい者達に売られているのだ。

 私はそこに目を付けて商売を始める事にしたのだが、必要な設備を持たない私達は一年前から宿屋の厨房を借り、そこでご飯を炊いておにぎりを作り、宿屋の前の路上で小さな屋台を出させてもらっていた。

 すると、うちのおにぎりを食べると不思議と力が湧くと誰かが言い出し、評判が評判を呼び、その売り上げたるや、なかなかの物。

 週末限定とはいえ、元手がタダに近いお陰で半年でかなりの金額が貯まっていた。

 おにぎりが順調に売れているその流れで、日本食をメインとした食堂を始めたいと考えていた丁度その頃。

 タイミング良く、老夫婦は娘に一緒に暮らそうと言われ、この宿を閉めてそちらに行くというので、厨房を借りていた縁で私が半年前に買い取ったのだ。

 もうボロボロで大幅な修繕が必要な建物だったけれど、老夫婦が生活に困らないように相場より高めのお金を渡し、気持ちよく二人を送り出した。

 それからふた月以上かけてコツコツ修繕し、日本の家庭料理を思い出しながら、和の国の創作料理を出す店として、宿屋の一階にある食堂をまず先に週末限定でオープンしていた。

 評判は上々で、旅人の口コミで客は集まり、その後再開した宿の方も常に満室という人気ぶりだ。それなのに、老夫婦が営んでいた頃からの客が継続して一部屋を占拠し続けていた。


「ラナさん、201のお客様が、やっぱり今日もお弁当を作ってほしいって言ってます。おひつのご飯がもう残り少ないですけど、どうしましょう」

「んー、何とかおにぎり二個くらい作れない? 今炊いている分が出来るまで待てないようなら、申し訳ないけどお断りしてちょうだい」

「わかりました、聞いてきます!」


 この少女はチヨと言って、和の国から商品と一緒に船に乗って来た商人の娘で、年は私の3つ下で今年13歳になる。

 実家の主力商品である醤油や味噌などを大陸に広めたくて来たのだが、私と出会った頃は米すらも受け入れられていないという現実に打ちのめされていた。

 この国に着いて、初日に自信満々で売り出した味噌を塗ったおにぎりはまったくと言っていいほど売れず、味噌の匂いがダメなのかと、結局は白むすびにしたようだが、それも反応はいまいちで。

 そんな中、その白むすびを泣きながら食べる私に出会い、意気投合したのだ。

 私と出会う前の彼女は、港に停泊中の船で焚いたご飯を売り歩いていたようだが、私と手を組んだ事でその船を降り、本格的にこの地での商売に乗り出した。彼女はとても気さくな性格だけれど、実は結構な大店の娘だ。そしてかなり商魂逞しい。

 おにぎりの中に何かを入れるという発想が無かったようで、私が安価なマグロの切り身を煮てほぐした物に、お手製マヨネーズを和えた物を入れて食べさせると、それを物凄く気に入り、母国の商人達に試食させ、かなりな高額でマヨネーズのレシピとツナマヨのレシピを売りつけていた。

 そして、私が海苔や鰹節が欲しいと言えば実家から取り寄せて、気付けば道具も何もかも揃い、今では普通に日本食を食べられる環境が整ってしまっている。

 この出会いは、お互いに幸運だったと思う。

 商人の娘として仕入れや接客、経理などに明るいチヨと、この国の公爵令嬢である私。

 家を出される前までは役所や商業ギルドなどに顔が利き、宿の開業手続きなどは拍子抜けするほど簡単だった。

 エレイン・ノリスの名で手続きをしたが、公爵令嬢が商売をするなんて有り得ない事なので、オーナーはラナで登録してある。これなら偽名ではないので法的にも問題は無いし、ミドルネームを知らない人なら別人だと思うだろう。

 実はチヨと出会った時に適当な名前が思いつかず、思わずラナと名乗ってしまった為、もう偽名を使う事も出来なくなってしまったのだ。

 

 私の相棒であるチヨはとても優秀で、私が平日、エレイン・ノリス公爵令嬢としての普通の生活に戻っている間に、宿では様々な変化が起きていた。

 このままでは人手が足りないからと、元気で明るいと評判の少女達をスカウトして下働きやホールスタッフとして雇い入れて教育し、他の食堂で働いていた腕利きの料理人を引っ張って来て、あっという間に商売を軌道に乗せてしまったのだ。

 最近では旅人だけではなく、近隣の住民にもお得意様が増え、私は令嬢だった頃よりも遥かに充実した生活を送らせてもらっている。


「ラナさん、急ぐからある分で作ってほしいそうです。その代わり、甘い卵焼きをリクエストされました。あの人、男性なのに意外と甘党ですよね。ふふっ」

「わかったわ。多めに作ってランチで出しましょう。おかずはお昼に向けて何品かすでに出来ているから、それを多めに詰めてあげれば足りるわよね」


 連泊中の彼は謎が多く無口で、半年以上前からのお得意様なのにその姿をハッキリ見た事はまだ一度も無い。

 いつも出入りする時はフードを目深に被り、足早に出て行ってしまうからだ。

 食事をする時もフードを被ったままで、カウンター席の一番奥が彼の指定席になっている。ちょっと怪しい雰囲気だけど、店で喧嘩が起きようものなら真っ先に間に入り、そいつらを外につまみ出してくれたりと、いつのまにか用心棒的な存在になっていた。

 今日も彼は私に姿を見せない。

 用があればカウンター内に居るチヨに声をかけ、お弁当は外に出る時にカウンター越しにサッと受け取って行ってしまう。


「あのお客様、どんなお顔かチヨは見たことがあるの?」

「いいえ、一度見せてくださいと頼みましたけど、その後暫くは口を利いてくれませんでした。そう言えばラナさんとは口も利きませんよね。美人過ぎて緊張しちゃうのかな? ふふ、私の事はきっと小さな子どもだと思っているんでしょうね。この前、どこかで貰ったとか言う珍しいお菓子をくれましたから」

「ふーん、そう……私にはくれないのに、チヨは一人で良い思いをしてたのね」

「あっ……まだ残ってますっ。休憩の時一緒に食べましょう。すごく珍しいお菓子だったけど独り占めしようなんて思ってませんよっ。そうだ、今日はラナさんがお弁当を渡したらどうですか? いつもはこの時間ずっと厨房に居るけれど、今は余裕もあることだし」


 二人で謎の男性の話をしながら、彼専用に用意してある漆塗りのお弁当箱に小さな俵型のおにぎり2つと、甘く味付けした卵焼き、きんぴらごぼう、今日のメインである一口サイズのとんかつとポテトサラダ、他にも何品かを綺麗に詰め込んで、フォークと一緒に布で包んで専用の手提げ袋に入れた。

 するとタイミングを計ったように彼は階段を下りて来た。


「リアム様、お弁当ご用意出来ました」


 いつもならチヨが対応するのに、オーナー自らカウンターに立っていた事に驚いたのか、彼は一瞬躊躇して立ち止まり、動揺を見せつつもカウンターの前まで近付いて来た。


「……急に無理を言ってすまない。今日は部屋の掃除を頼んでいいか」

「はい、承知致しました。お気を付けていってらっしゃいませ」


 私がお弁当を直接手渡すと、彼はカウンターに部屋の鍵を置いて、戸惑いがちに弁当を受け取った。そして照れたように小声で返事をしてくれた。


「ああ、では、行ってくる……」


 私が家を出て、ここに住むようになって初めて気が付いたのだが、あの格好であの部屋を使う人はもう一人居る。

 今出て行った彼は平日に泊る人で、宿帳に記入したのは恐らく彼の方。名前は偽名かもしれないが、リアムと記入されていた。

 そして週末になると同じ格好をした別の男性が、最低でも二度は泊りに来ている。背格好が似ているのでチヨは気が付いていないようだが、いつからか二人の男性が入れ替わって一つの部屋を使っているようなのだ。

 週末に来る方の人は、間違いなく身分の高いお方だと思う。同じフードを被っているのに、纏う空気が全然違うのだ。

 何にせよ、宿泊代金は経営者が私に変わる前に半年分を前金で払って頂いているので、詮索せずに自由にさせている。

 前オーナーの時からのお得意様で、宿を引き継いだ時に彼の事は頼まれてしまっているし、半年もの間、特に問題も起こしていないのだから。

 

 




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