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オウマ  作者: 夏目義弘
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第四話

 ドッ、ゴーン。ドンガラガッシャーン、シャーン、ドッボーン、トン。

 衝撃を和らげるため、パンパーが凹み、ボンネットが、ひん曲がる。と同時、正門がきしむ。鋼鉄製の車両骨格フレームは、木製になど押し負けない。観音開きの門扉が、両脇に弾け飛ぶ。

 車両が門を器物破損し、屋敷内へと不法侵入する。急制動ブレーキをかけたとは言え、時速二百キロメートルを超えた三トンの物体は、急停止は不可能だ。

 運動エネルギー=質量*加速度の二乗が、庭園を滑り、脇に立っていた灯籠を、なぎ倒す。それでも勢いは止まらず、庭園の中央にあった池へと回転スピンしながら滑っていく。置かれた石に跳ね上がり、車が宙に浮かぶ。天地左右を逆さまに回転する。車体は運良く一回転するが、落ちた先は池だった。

 盛大な水しぶきが上がり、滝のような雨を降らす。車は、浮島代わりの一際大きな灯籠に突っ込んだ形で、停止した。


 車は急に止まれない。時速二百キロメートルを超えた速度なら、尚更だ。秒速五十六メートル、法定高速速度の二・五倍を想定した機能など、備えてはいない。

 シートベルトが慣性を殺し切れない。オウマの身体が前のめりに流れる。両腕のバツ時ガードがハンドルに衝突。衝撃力が装置内の気体ガスを圧縮、により衝撃緩和装置エアバックが作動する。衝撃に、盗難防止装置が壊れたか、けたたましい電子音が鳴り響く。

 オウマは、ハンドルから飛び出た空気袋で、顔面をしたたかかに打ち付ける。鼻の奥が、ぬるっとする、が、それよりも袋の熱さが気になった。おかげで、飛びそうな意識も戻ってきた。耳障りな電子音も有り難い。鼻血には構わず、急いで腰のシートベルトを外す。ノブに指をかけ、ドアを開ける。かない。勢い良く肘で押したと言うのに、運転席のドアはひらかない。衝突の衝撃にドア枠がひん曲がったか、少し動いただけだ。見るとドア自体が、べこっと全体に歪んでいる。開きそうにはなかった。

 オウマは猫のように身体を丸める。狭い車内で器用に、ちょこっと飛んだ。足を折り畳み、シートに足裏を乗せる。小さく丸まった姿勢を取った。

 座席を蹴って、そのまま前に飛び込む。ひびの入っていたフロントガラスを突き破り、車外に飛び出す。飛び込み前方回転。ひん曲がったボンネットの上を、縦に一回転しながら転がる。

 先の池に落ちる。背中からバッシャーンと落ちる。跳ねた水が鼻から気管に入り込む。る。むせる。がすぐに立ち上がる。幸い池は浅かった。溺れるほどでもないが、背中は少し底で打った。息が詰まったが、気にしている時間はない。屋敷内の護衛に取り囲まれたら、万事休すだ。孤軍の機動停止は即、死を意味する。

「ユウヤ、どこだー!!」

 水を跳ね上げながら、オウマは叫んだ。腹の底からの大声が、けたたましい電子音を一瞬かき消した。怒号するなり、駆け出す。目についた明かりを目指す。

 底冷えする雪の日だ。池の水は零度に近かった。動きが鈍らないよう慌てて、上半身の衣服を脱ぎ捨てる。

「ユウヤ、どこだー!!」

 身体が、歯が、震えるのを絶叫で抑える。寒がっている暇など無いのだ。

 その精神に肉体が応えたか、オウマの上体から湯気が立ち上る。オウマの肉体は、寒さなど物ともしなかった。

 庭園は、野球で言えば外野ぐらいの広さだった。池を中心に庭が有り、それを遠巻きに囲むように四方に塀が有った。母屋はどこだ? 意外に建物の数は少なく、正門から見て左手に大きな平屋と、それに続いた、二周りは小さな長屋があるだけだった。

 母屋と長屋には縁側が有り、両方とも中庭へとつながっている。大きな方に明かりが点いていた。小さな方は暗く静まり返っている。オウマの長屋への視線に合わせたように、けたたましい電子音が不意に鳴り止む。不吉な空気を、オウマは、また叫んで吹き飛ばす。

「ユウヤ、そこかー!!」

 車に有った運転用靴ドライビング・シューズの、つっかけを脱ぎ捨てる。裸足で雪が残る石の上を走る。足の五指で地面を掴むも、それでも滑り、転倒する。だが、勢いは殺さない。そのまま体を丸め肩から背中へと転がって回る。前周り受け身で立ち上がり、また走り出す。

 三、四回転がって、ようやく縁側の板間へ辿り着く。隣接した部屋の障子からは、明かりが漏れている。中に人の気配を感じる。

 オウマは、ちょっと目が回っている。これ以上の回転は行動に支障をきたす。息を吐きながら、板間へと上がる。回復も兼ねて転がらず、障子へと走った。掴むのも、もどかしく障子枠を掴む。指が障子紙を突き破って、枠を捕える。

 両手で左右に押し開く。その馬力パワーに障子は鴨居・敷居レールから外れ、左右へと転がっていった。

「ユウヤ、ここかー!!」

 そう叫んで、ずぶ濡れと裸足で、他人の家に踏み込んだ。

 そこでオウマは、信じられない、ものを見た。


 大広間が、オウマの目の前に広がった。びっしり畳が敷き詰められた、大宴会場の中央に四つの人影が見える。

 二つずつの二組が向かい合い、片方は伏して、片方は立っていた。一組は床にひざまずいて、畳に額を擦り付けている。もう一組は土下座したそれを、冷ややかに見下ろしていた。


 見下ろす一人が、乱入の騒々しさに顔を向ける。オウマと目が合う、や否や、顔を歪める。頬をヒク付かせ、口角を吊り上げ、歯を剥き出す。目は親のかたきでも見たかのように、底知れない怒りをはらんだ光を放ち出す。

 うわっ、本当マジかよ!?

 見知った顔にオウマの勢いが止まる。

 塗れた髪の先から水滴がポタポタ畳に落ちる。三姉妹スリー・シスターズの一人だ。太陽のオダ・ユウヤを愛でる会、通称、太陽のサン・ギルドの三幹部の一人だった。それも一人じゃない。もう一人も、そうだった。

 怒り剥き出しの幹部の横に立っていた、もう一人もオウマに気付いた。こちらは、にこやかな笑みを見せる。

「あらあら、おやおや。オウマお兄様じゃないですか。今日は、どうして、こちらへ?」

 口調と口元こそ友好的であるが、その目は笑ってはいない。硝子玉のような空洞な、色を失ったような輝きで、オウマを捉えている。

 一人はオウマを消し去りたく、一人はオウマを無かった事にした。お姉様に不純物は要らない。その気持ちが、りと伺える。

 オウマは、この二人が余り得意ではない、むしろ苦手だった。自分はユウヤの兄と言うだけで、ひどく嫌われているからだ。自分を嫌悪する者が二人もいる。居心地の悪い空間に、怒りが冷める。場と噛み合わない気持ち悪さに、思わず答えてしまう。言葉を発する事で、具合の悪さを振り払おうとしてしまった。

「ユウヤが、ここに拉致されたと聞いて」

 オウマの言葉に、伏していた一人が口を挟んだ。

「拉致だなんて違うんです。ボクはそんなつもりじゃなかったんです。ただユウヤさんが」

「ユウヤさん?」

 怒り幹部が凄む。猛禽類のような目で、土下座のままの人影を睨む。人影は、どうやら吉田春吉のようだ。

「いえ、姫様がボクに話しかけて来られて」

 額を畳にり付けたまま、春吉の弁明が始まった。


 事件の顛末は、こうだ。

 部活帰りに、たまたま春吉とユウヤが遭遇。下校時、皆々が集団で固まって帰る中、そこに迷い込んだように春吉が一人だけで帰っていた。その背中が、神の気紛きまぐれか、ユウヤの目に入った。

 その視線を追った本日の取り巻きが、口調は綺麗に、内容はドス黒く、春吉をののしった。

「吉田君の、ご実家は、やくざ屋さんなんですよ。なんでも、広域暴力団に指定されているとか。お姉様とは住む世界が違います。そんなに見ては、目が汚れるのでダメですよ」

 本日の取り巻きは二人だ。一人が、そう言うや、もう一人も息を合わせたかのように、直ぐに同調する。

「そうですよ、お姉様。お口直しに、こちらを見てください。私達を、その太陽の瞳に映してください」

 ユウヤは目ぇ突いたろか? と思ったが、やんぴ。要望通り、目で取り巻き二人を見た。宝石のような輝きの瞳、に映った自分達の姿に、取り巻きは崩れ落ちる。太陽の光に、まともに立っていられない。

「ああ、お姉様。なんて、お美しい」

「その美しさは罪過ぎですの。私、どうにか、なってしまいそう。私、溶けちゃいますう」

 取り巻きが悶えてる隙に、ユウヤは春吉に接近した。背中から声をかける。

「吉田春吉くん」

 美声に、とぼとぼ歩いていた春吉の背中が、しゃきんと伸びる。話した事は一度も無いが、何度も遠くから聞いた声。他の音はき消えて、自分の耳は、その音だけを捉えてしまう。この声は間違いない。姫様だ。

 あまりの幸運に確かめるのが怖くなったか、春吉は、ゆっくりと振り返る。

 途端、息を飲む。予想通りだが、信じられない。そこには天使が舞い降りていた。ニコっと笑った女神が、間近に光臨していた。

 ユウヤは同性には、お姉様、異性には、姫様と呼ばれている。御姫様の振る舞いに相応しく、我が侭に、いきなり用件を切り出す。

「春吉くん、やくざ屋さんなんでしょ? 暴力組織の生活様式って、一度見てみたいのよねえ。お伺いして良いかしら?」

 春吉くん、春吉くん、春吉くん。

 美しい声が、脳内で繰り返し再生される。自分の名前など生まれてから何度も何度も、数える必要も無いほど、呼ばれて来ている。

 それなのに、女神の喉から発せられたと言うだけで、春吉は生まれて初めて名前を呼ばれたような、感動さえ覚えていた。

 あの姫様が、ボクの名前を呼んでくれた。それだけで春吉から何かが漏れた。ゴールデン・レトリーバーならば、嬉ションしているレベルだった。

 ユウヤが春吉の顔を下から覗き込むように、首を傾げる。

「ダメかな?」

 無造作に、人差し指を顎に当てる。

「と、と、と、と、とんでもない」

 春吉は慌てて手を振り、首を振った。姫様の無邪気な、おねだりの可愛さに、身震いする。声も手も、振っているのか震えてるのか、自分でも、春吉には分からなかった。

 ユウヤは次の言葉を待つように、無言でマジマジと春吉を見つめている。その目は知的好奇心にキラキラと輝やいている。

 春吉は、その眩しさを直視できないながらも、

 姫様がボクの家に?

 との千載一遇のチャンスを逃さないため、何とか答える。足の震えが止まらない。

「いえ、あの、その、了解です」 

 恥ずかしさに顔を伏せた春吉に、ユウヤは陽気に食い付いた。無造作に春吉に近付く。 

「うわあ、ありがとう、春吉くん。今から訪問しても良い?」

 綺麗な黒髪から漂うヘア・エッセンスの香りに、春吉の体の芯が熱くなる。鼻息が少し増す。荒くなった息が恥ずかしい。思わず顔をらしてしまう。

 春吉は拳を握り、何とか言葉を絞り出した。足は震えたままだ。

「えっ、その。はい。どうぞ」

 ユウヤが手を合わせ、少し跳ねる。白い歯を見せ、喜び笑う。

「やったー。では行きましょう」

 自分が作った女神の笑顔に、春吉は卒倒しそうになった。夢でも良いから、一生覚めないでくれ。

 心の叫びに応えるように、春吉の身体が勝手に動く。足の震えが不意に止まった。

「あの、その、はい。では車呼びますね」

 春吉は携帯電話を取り出し、車を呼び寄せる。お迎えの車は悪目立ちしてしまう。そのため、正門から離れた場所で送迎してもらっている。ひっそり目立たないよう、徒歩十分はかかる距離だ。舞い上がってしまったのか、姫様を歩かせたくなかったのか、少しで早く、その要望に応えたかったのか、春吉は、とにかく車を呼び寄せた。

 ほどなくして、二人のいる正門前に、大きな四角い白い車両が現れる。見るなり、ユウヤは手を合わせ喜んだ。

「やーん。白塗りのベンツ。これでこそ、やくざ屋さん。春吉君に声をかけて良かった」

 正門前に横付けされた、いかつい車をユウヤは嬉しそうに眺めている。

「ボクの名前知ってるんですか?」

 今更ながら、春吉が疑問を口にする。今まで話した事など一度も無かったからだ。

 ユウヤは瞳を左斜め上にあげた後、答える。

「吉田春吉くん。書道部所属の一年生だね。恋文ラブレターいつも呼んでるよ。達筆だね」

 それだけで、春吉はメロメロになった。

 そうなのだ。この学校に入学して姫様を見かけて以来、毎週毎週欠かさず春吉は、ユウヤにラブレターを書いていた。

「ごめんね。返事を書けなくて。一人にすると、みんなにしないと不公平になっちゃうから。本当にごめんなさい」

 ユウヤの言葉は、春吉には聞こえていなかった。心は上の空だ。感激に天高く吹っ飛んでいた。

 読まれていただけで、幸せだった。下駄箱に投函する時、いつも思った。これだけの数だ。読まれていない可能性も高い。自分など認識されていないと。それでも書き続けた。意地ではなく、純粋な想いだった。

 返事は無いが、出すことで姫様とつながっている気がした。それだけで、書く度に、出す度に、胸の奥に、じんわりと温かいものが広がった。

 達筆だね、達筆だね、達筆だね。

 胸の中に、姫様の言葉が木霊する。

 昔から字を書くのが好きだった。だから書道部に入った。書の間は、煩わしいものが全て忘れられた。自分の字も好きだった。姫様に、もっとよく見せたい一心で、ラブレターは毎度三回は書き直している。

 それが褒められた。字を愛する者として至福だった。

 神様、ありがとうございます。生まれて来て、最高に幸せです。

 家柄に悩んでいたのが、嘘のように吹き飛んだ。思わず、涙が滲んだ。せっかくの姫様のが器量が、ぼやける。学生服の袖で、そっと目を拭い、晴吉は精一杯笑顔を見せた。

「さっ、どうぞ。ご案内します」


 そんな流れで、ユウヤは春吉に連れ去られた? 取り巻き二人が心酔から目覚めた頃には、その目の前でユウヤが春吉の車にさらわれていた。追いかけるも、車内から、さようならと手を振り、お姉様が視界から消えていった。

 取り残された取り巻きの一人が、狼狽うろたえる。口の端から泡を飛ばす。

「あわわわわわわ、お姉様が白馬の王子様に連れ去られちゃった」

 男の車に乗った、お姉様。その姿に目を回しそうだった。今にも倒れそうな相方を、相棒は両肩を掴んで揺さぶる。強く声を出す。 

「しっかりして、錯乱しないで。白馬じゃなくて、ただの白いAMGよ」

 長い付き合いの友達の言葉に、狼狽が立ち直る。ただ、男性の車に乗った事実は認めたくないのか、無意識に別の視点に話をり替えてしまう。

「それにしても、バイバイって手を振る、お姉様も素敵。ワタシ、両手で、めいっぱい振り返しちゃった」

 取り巻き二人は、お姉様の話題となれば直ぐに御機嫌テンションMAXだ。気を取り直し、会話を弾ませる。だからこその、太陽の会の上位構成員メンバーなのだ。

「あー、分かる。いつもの、さようならの挨拶は、首を傾けた、ごきげんよう、だもんね。今日のアレは稀少レアだわ。初めて見た。生きてて良かった」

「そうそう。って違ーう。そんなことより、どうするの? お姉様がヤクザに拉致されちゃったんだよ。想像したくないけど、絶対にヒドいことされるよ。あんなことや、こんなことや、あんなこと。うえーん」

「大丈夫よ。まだ間に合うはず。三姉妹に連絡しましょ。何かあったら、三姉妹に緊急連絡が、太陽の会の鉄則よ」

 泣き出す相方を背景に、もう一人は鞄から携帯電話を取り出した。ゼロ+通話ボタンの二押し(プッシュ)の短縮登録電話番号ダイヤル。三呼び出しコールも待たず、それは三女につながった。

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