625 救急救命
六百二十五
フォーセシアを封印していたはずのそこには、代わりに致命傷を負った天魔族がいた。
その惨状に衝撃を受けるも、ミラは直ぐに《生体感知》で気づく。
いつからこんな状態だったのかは不明だが、それでも彼女にはまだ僅かに息があった。きっと封印が、あらゆる活動を停止させていたのだろう。それが生命維持の役に立ったわけだ。
しかし封印が解かれた今、その命のカウントダウンもまた再開された。徐々に生体反応が弱まっていくのがわかる。
「早く召喚──は、駄目か。じゃあ、薬!?」
知ってか知らずか叫んだカグラは、直ぐにアイテムボックスを漁り始める。
とはいえ致命的な傷を回復出来るような薬となると、そう簡単に用意出来るものではない。
「封印が、解けた……? そうか、来て……くれたんですね」
ミラ達がその惨状を前に、どうすればと騒いでいたところだった。最後の力を振り絞っているのだろう、ゆっくりと目を開いた天魔族の女性が語り掛けてきた。
「きっと君、は、三神とも繋がりが……あり、ますよね。なら、伝えて……欲しい、事が──」
どうやら彼女は、己の死を悟り、覚悟も決めているようだ。その上で、大切な何かを伝えようと声にしていく。
「うむ、わかった──」
痛みに耐える悲痛な顔のまま、それでも秘めた使命のためにと口を開く天魔族の女性。ミラはその覚悟を受け止めて、ゆっくりと頷き答える。
「──ただし同時進行でもよいな!?」
と、答えるや否やミラの目にもまた決意が宿った。言葉は聞くが、だからといってこのまま死なせるつもりなど毛頭ない。そう宣言したミラは、「何と言うか聞いておいてくれ!」とカグラに頼むと同時にアイテムボックスを開いた。
「あ、あれ? ……あの、えっと……──」
続くミラの反応が予想外だったようだ。天魔族の女性の顔には戸惑いが浮かんだ。
「私が聞くんで、気にせず話してください」
そんな彼女の戸惑いも無理はないと苦笑しつつ、その傍に寄り添うカグラ。こうなったミラは意地でも諦めない。それを知るからこそ治療を託し、聞く準備は出来ているので大丈夫だとその目で語った。
「では……ですね──」
天魔族の女性は、まず先に情報を伝える事を優先したようだ。困惑しつつも、伝えなければいけないそれを口にしていく。
「よし、これじゃ!」
いや、口にしようとした直後、天啓でも得たのかというくらいに張り切るミラの声が響いた。
しかもそれだけに止まらず、アイテムボックスから取り出したビンの蓋を開けると、そのまま天魔族の女性に──正確にはその傷ついた腹部めがけて、中身をゆっくりと垂らしていった。
「あっ、あ、ぐぅっ……!」
目に見えて致命的とわかるほどの傷だ。多少の刺激でも強烈に響く。戸惑いから一転、天魔族の女性の顔に苦悶が浮かぶ。
「ちょっと、もっと優しく!」
「わかっておる! これでも目一杯優しく急いでおる!」
痛がっているでしょうがとカグラが注意すれば、ミラもまた今出来る最大限に神経を使っていると返す。ただ痛がらないように出来る保証もないからか、ぷるぷる震える手でビンを傾けていく。
その様子を確認したカグラは、その場で天魔族の女性に向けて自白の術を発動した。
「魔力の差で通る事はないけど、一時的になら多少の鎮静と鎮痛効果が出るから。完全にレジストされる前に終わらせて!」
相手を深い催眠状態に落として自白を導く特別な術。それには催眠の妨げにならぬよう、様々な感覚を鈍化させる作用も含まれていた。そして今回は、緊急的にその部分を応用したわけだ。
とはいえ相手は天魔族。カグラよりも魔力が強いため術は通り切らず、その効果も僅かの間に弾かれてしまうだろう。
「よし、そういう事なら!」
もって数秒。だからこそミラは、鎮痛効果があるうちにとビンを一気にひっくり返した。
ビンから盛大に流れ落ちるそれは、ミラが秘蔵していた秘薬であった。しかも瀕死の状態からでも復活出来てしまうという、とびっきりの隠し玉だ。ゲーム当時でも極めて希少な一本であり、今ではもはや入手する事も不可能であろうほどの代物だった。
だが彼女の命を繋ぎ留めるには、きっとこれしかない。そう覚悟を決めたミラは、カグラがレジストギリギリで堪えているこの瞬間に、ビンの中身を全てを傷口にぶっかけた。
ただ効果も強力なら、回復に伴う刺激もかなりのものとなる。
「ん、んっ……!」
瞬間、天魔族の女性のくぐもった声が響く。鎮痛が効いているとはいえ、これだけの傷を強引に治癒しようというのだ。幾らかの刺激がカグラの術を貫通していった。
とはいえ、大半を抑える事には成功したようだ。目の前で起きる劇的な作用に比べれば、反応は控えめと言っても申し分ないものだった。
「うわぁ、すっごい!」
「これは、奇跡的」
現状を前に手を出せる事はないと、一歩引いて見ていたサソリとヘビ。そんな二人は今、ミラの秘薬でどれほどの効果がもたらされたのかを目の当たりにしていた。
秘薬の効果は、まさに劇的だった。手の施しようもない傷口だったはずが、目に見えて塞がっていくのだ。その再生力といったら、最上級の聖術すらも凌駕するほどである。
「そんなの、まだ持っていたんだ」
「これまで使いどころがなかったからのぅ」
その秘薬は、以前に九賢者の皆で冒険していた時に入手した秘宝の一つだ。劇的な効果を持つ便利な秘薬だが同時に思い出深くもあったため、これまで使えなかったもの。
だが、いざという時に渋るミラではない。そしてその決断による効果は、目に見えて明らかであった。内臓まで露出するほどに深い傷であったが、今はもう傷跡すら残っていないときたものだ。あれやこれらがするりするりと元に収まっていく様といったら、言葉にしようもない現象であった。
「これでもう大丈夫……よね?」
天魔族の女性の様子をじっくり窺うカグラは、傷はもう治ったからと声を掛ける。
だが、先ほどまで苦悶の表情を浮かべていた彼女に反応はなかった。いや、反応はあったが、気付けるかどうかというくらいに僅かなものとなっていた。
むしろ傷による痛みによって無理矢理に覚醒させられていた状態だったのかもしれない。だが傷が塞がり、その痛みが治まった事で今度は急激に意識が薄れ始めてしまったようだ。
しかも問題は、それだけに止まらない。
「なんじゃ……反応が弱まっておる! 傷は治ったはずじゃが、どういう事じゃ!?」
天魔族の女性の無事を確かめようと生体感知で探ったところだ。どういうわけか彼女の生命が今もまだ少しずつ弱まっているのがわかった。
そう、急場を凌げただけで根本的な治癒には至っていなかったのだ。
「見た感じだと今のすっごい薬って、傷の治療だけだよね? だから多分だけど、血を流し過ぎているのが原因じゃないかな」
慌てるミラとは対照的に落ち着いたまま容態を確認したサソリは、可能性としてその一点を挙げた。
改めてみれば、天魔族の女性が横たわる棺は夥しい量の血が溜まっている。あれだけの傷だ。当然、出血量も相当である。
「そうじゃな、きっとそれじゃ!」
現状をみれば、確かにその通りだ。サソリの指摘によって冷静さを取り戻したミラは、ならば失われた血を戻さなければと考える。
「こういう時って、輸血とかよね。でも、出来るの?」
大量出血に対する治療と考えれば、一番に思い浮かぶのは、やはり輸血だ。けれどカグラの心配する通り、それをしようにも道具がない上に種族の違いや血液型という問題もあった。
「うーむ、こんな時こそ召喚が使えればのぅ……」
アスクレピオスさえいてくれたなら、傷の治療のみならず、あらゆる医療行為が可能となる。ここにいる四人から幾らかの血を抜き取ってもらい、それを天魔族に適した型に変換して輸血するなんて事すら出来てしまうのだ。
しかし三神の力で閉鎖された空間では、アスクレピオスを召喚出来ない。
何か現状を打開する方法はないだろうか。時間はかかってしまうが、急いで外に出て召喚してからそのまま連れてくるのが早いのか。
と、どうしたものかと考え込んだところ──。
『状況が状況だ。彼女を救える可能性があるのなら私も協力しよう』
ふとミラの脳裏に、リーズレインの声が響いた。
『召喚が出来ないのなら、私がその者を連れて行こう。それで、誰を連れて行けばいい?』
精霊王達側からしてみても、天魔族の女性を救う方法があるのなら幾らでも助力するとの事だ。ゆえに今回は外部から誰かを連れ込む事について、特別に三神から許可はとったという。リーズレインが干渉出来るように、空間を調整してくれたそうだ。
『なんと助かる! ならばアース大陸の中央より少し南側の森に行ってもらえるじゃろうか。そこの中央付近に天女白湖という聖域があり、わしが契約しているアスクレピオスという白蛇がおるはずじゃ!』
『よし、わかった』
ミラが詳細を伝えるとリーズレインは短く答え、直ぐに動き出してくれた。きっと彼ならば、最速でここにアスクレピオスを連れてきてくれるだろう。
とはいえ今はまだ、一刻を争う状態が続いている。天魔族の女性は衰弱したまま、死へと近づいている状況だ。間に合わないという事も十分に有り得た。
「少しすればアスクレピオスが来る。そこでまずは、これじゃ。多少は延命出来るかもしれん!」
じっと待ってなどいられない。簡単に説明した後、ミラは一時的な処置として使えるかもしれないと、マーテル特製のブーストフルーツを取り出した。
身体能力の向上のみならず、生命力も強化出来る優れものだ。
「さぁ、ほれ。食べられるじゃろうか」
これを食べてくれさえすれば、時間が稼げるはずだ。そう思ったミラであったが、天魔族の女性は思った以上に衰弱しきっていた。加えて意識も朦朧としているのか、ミラが差し出したブーストフルーツを口にするほどの力すら残ってはいなかったのだ。
「ちょっと貸して!」
ただミラのやり方は、かなり大雑把なものでもあった。カグラも以前にそれを食べた事があり、その身で効果を実感したからこそ可能性も感じたようだ。
そんな言葉と共にミラからブーストフルーツを取り上げると、取り出したナイフで小さく切り分けた。そして欠片を天魔族の女性の唇にそっと触れさせる。
少しでも食べてくれれば、それだけでも効果はある。だが僅かに口を開くだけで、もはや咀嚼する力すらも残っていないようだった。
アスクレピオスが到着するよりも先に、彼女が力尽きてしまいそうなほどに危機的な容態だ。
「身体を起こして」
このままじっと待ってなどいられなかったのはカグラも同様だったのだろう。短く簡潔に指示を出すと、直後にブーストフルーツの欠片を自分の口に入れて咀嚼した。
指示を受けて直ぐに動いたサソリとヘビが天魔族の女性の身体を起こすと、カグラはそのまま咀嚼したブーストフルーツを口移しで与えた。
その見事な連携を見るに、カグラ達も相当な場面を潜り抜けてきたとわかる。頭を支えたまま少しずつ飲み込むように促す様子は、かなり手慣れたものだ。
また救おうという懸命さが、その想いが届いたのか、天魔族の女性の目に僅かな光が戻る。そして最後の力を振り絞るようにして、こくりとそれを飲み込んだ。
「おお、よいぞよいぞ!」
するとどうだ。流石はマーテル特製のブーストフルーツである。早速効果が表れ始めていた。閉じていた目が少し開き、消えかけていた呼吸音が息を吹き返したかのように小さく響き始めた。
好い兆候だ。これなら十分次に繋げられるはずだと確信したミラ達は、更に二口三口とブーストフルーツを与えていく。
「これ……凄い、ね」
半分ほど食べさせたところで、遂には再び声を出せるほどにまで容態が改善されていた。
これに喜んだミラ達であるが、今はまだブースト効果によって無理矢理に延命しているだけに過ぎない。根本的な治療を施さなければ、彼女の生命は死の縁に立ったままだ。
ただ、こうして時間を稼げた事にこそ何よりも意味があった。
「すまない、待たせた。この者で間違いないか?」
遂にリーズレインが到着したのだ。そしてその両手に掴まれ運ばれてきたのは聖なる白蛇アスクレピオスだ。
「うむ、間違いなくこ奴じゃ!」
突如その場に降り立ったリーズレインに驚くサソリ達をよそに、ミラは、そのままアスクレピオスを受け取る。そして「すまんが緊急事態じゃ。手を貸してくれるか」と即座に頼んだ。
急を要する事だと悟ったのだろう。素早く周囲を見回したアスクレピオスは、直ぐ天魔族の女性に目を留めた。
一瞬で彼女が患者だとわかったようだ。ミラの手からそちらへと移り、その身体を這うようにしながら診察を始めた。
「……なんか相変わらずな感じね」
「まあ……なんじゃ、ほれ。そこはあれじゃ、仕方がないじゃろう」
女性の身体に巻き付き這い回る白蛇の姿は、どことなく艶めかしく見えてしまうものだ。だがこんな危機的状況で、そんな事を考えるなど不謹慎ですらある。と思うところだが、アスクレピオスに至っていえば、あながち間違いとも言い切れないのがミラにとって辛いところだった。
医療における造詣が深く、また極めて高度な医療の技術と能力を持つアスクレピオスは、まさに医神と言っても過言ではない存在だ。
ただ、そんな彼には一つ大きな問題があった。それは、中身があまりにもスケベオヤジ過ぎるという点だ。
かの白蛇は、診察しながらセクハラするのだ。触診など、もはややりたい放題である。むしろセクハラと診察が同義にすらなっている節まであるのだから大変だ。
ただそれゆえに患者が女性の場合、極めて高い能力を発揮するのだが、それは彼がそれだけハッスルしているからに他ならない。
「血が足りないのではと思うたのじゃが、診立てはどうじゃろうか」
とはいえ天魔族の彼女を救う方法において、アスクレピオスが現時点で最適なのは揺るぎなかった。
ミラが声を掛けると、診察を終えたアスクレピオスは頷き応える。天魔族の女性が著しく衰弱していくのは、大量出血が原因で間違いないようだ。
「では、直ぐに輸血を頼めるじゃろうか。ここにいる四人分で足りるとよいのじゃが」
ミラは、そう要請しながら自分とカグラ達を指し示していく。今この場で四人から血を集めたら、それで助けられるかどうかと。
アスクレピオスは、その言葉に反応してミラが指し示す顔ぶれを一望した。
ミラから始まり、カグラ、サソリ、そしてヘビ。ヘビ。ヘビ。
と、確認し終えたアスクレピオスは直後、鎌首をもたげて左右に激しく揺れ出した。
「ど、どうしたの? 無理そうな感じ!?」
その不可解な動きに、もしや助けられそうにないのかと戸惑うサソリ。
だが真実はもっと、どうしようもないものだった。
「いや、これはあれじゃ……大興奮しておるだけじゃな……」
スケベオヤジなアスクレピオス。その前に並ぶのは大好きな女性ばかり。しかもアスクレピオスが特に注目したヘビといったらもう、トップクラスにナイスなボディの持ち主だ。
だからこそ、感情のハッスルレベルが限界突破したわけである。
そして興奮マックスなアスクレピオスは、合図もなしに仕事を開始する。
「ん、むぅ……」
まず初めにミラの服に潜り込むと、いただきますといった勢いでその乳房に咬みついた。そして不必要な舌遣いを伴いつつ、必要な分を採血していった。
ミラの服の中からするりと這い出たアスクレピオスは、続きカグラににじり寄っていく。
「いい、こっち。こっちにしなさいよね」
採血以外に何をされるのか。ミラの反応から何となく察したカグラは、同じようにされて堪るものかと袖を捲り右腕を差し出す。
しかし、スケベ心をオーバーリミットさせながらも人命救助という大義名分を得ている今のアスクレピオスを止める術はない。
「んっ……ぁ!」
カグラの右腕にするりと巻き付いたアスクレピオスは、そのまま容赦なく袖口より侵入。そしてミラの時と同じ方法で、思いのまま思う存分に採血を完了させた。
アスクレピオスが裾から出ていくと、カグラは憤怒に満ちた目でミラを睨みつける。
「待て待て。わしのせいではないじゃろう!?」
召喚契約者ではあるが管理責任者というわけではなく、彼の行動は彼自身に責任があるはずだと主張するミラ。だがそれでも許されないのか、はたまた他に理由でもあるのか。カグラの目は鋭くミラに突き刺さり続けた。
「なんというか、優しくお願いします……」
ミラとカグラの有様を前に状況を把握しつつも抵抗は無意味と悟ったようだ。サソリは観念したように裾を広げる。
「あ、こういう感じ……かぁ」
喜び勇んで進入していったアスクレピオスは、無抵抗を良い事に更に存分にハッスルしながら採血を済ませた。
そうしてサソリの襟元からひょっこり顔を覗かせたアスクレピオスは、最後となったヘビに熱い視線を向ける。
するとどうだ。
「早くおいで」
サソリの前にまで歩み寄ったヘビは、そう迎え入れるかのように襟元を広げてみせた。
(わしも、あの位置から拝んでみたいものじゃな!)
ミラが心で叫ぶ中、アスクレピオスは踊るようにそこへと飛び込んでいった。
「ん……」
そしてここにいる誰よりも大きなそれに咬みつき堪能しつつも、しっかりと採血して己の役目も忘れずに全うする。
変態エロオヤジなアスクレピオスではあるが、それでも頼りにされるのは、その仕事が確かである事に他ならない。
四人分の血を集め終えたら即座に天魔族の女性の許にまで這い寄って、迅速に輸血を開始した。
ミラ達の血は、アスクレピオスの体内で天魔族の女性に合わせた型に変換され送り込まれていく。まさに神業だ。
しかも彼女の身体を巡るのは精製された血液だけではない。アスクレピオスが独自に調整した薬剤も一緒だ。衰弱しきった身体を癒し、じっくりと細胞単位で修復していくのである。
即効性はないものの、確実に健康体へと快復させる。それこそが誰もが認めるアスクレピオスの偉大な力なのだ。
先日、とてもびっくりすることがありました!
なんという偶然か、かつての同級生と出会ったのです!
小学生時代の呼ばれ方をして驚きましたね。
とはいえもはや数十年前の事。見た目だけで判断するのは、やはり難しい。
と、彼の名前を見たら特徴的な苗字なので直ぐにわかりましたね!
そして同級生の彼は薬剤師になっていました! 凄い!!!
こんな事あるものなのですねぇ。当時の友人達は今、どこで何をしているのかなんて気になったりした出来事でした。