魔族の王の思うこと
我々魔族が何をしたのか。神の怒りを買ったと言うのか。だが、今生きている俺たちが何をした。
狂化した父に食い散らかされた母と、母を食らって理性を取り戻し自死した父の亡骸を前に茫然と佇む。俺に抱きついて泣く末の弟のクリムトと、父に食い殺されそうになっていた所を母に庇われたすぐ下の妹のミザリーの嗚咽が耳に響く。
他の弟妹もすぐ集まってくるだろう。はやく……はやく父さんと母さんの死体を綺麗にしてあげないと。それに父さんの……魔族の王の部下達に連絡をしなければ……
「いや……魔族の王は、もう俺になってしまったのか」
もう、父も母もいない。俺達を庇護してくれる親である存在も、魔族を統べる魔王フェリクスもいない。俺が……こいつらを守らないと。まだ魔族としては若輩もいいところの俺だって、親を突然こんな形で失った悲しみと不安に押し潰されそうだったけど。俺がそんな顔をこいつらに見せるわけにはいかない。
天眼を持つ者の責務として、俺は経験も知識もほぼ無いまま魔王として君臨する事となった。
王とは言えど、外の世界から伝え聞くような政治や派閥のいざこざは魔界には殆ど無い。そんな事をしている余裕が無いというのが正しいか。「狂化」という脅威に立ち向かうためには内部で争っている暇など無かった。
また、魔王には代々「天眼」……嘘を見抜く目を持つというのも大きいか。天眼を持って産まれてきた子が次の魔王になるのが決定されているとも言う。
魔王、そして魔族の永遠の課題は「いかに狂化を防ぐか」この一言に尽きる。国や種族の発展はこの問題を解決しないとどうにもならない。
治すだけなら簡単だ。……誰かを食わせればいい。父さんはそうだった。狂化した同族は殺してやるのが常だが、魔王として他の魔族とは隔絶した力を持っていた父は狂化でさらにその力が膨れ上がり誰にも止められなかった。次期魔王の俺にすら。
前衛にいた俺が逆に殺されかけ、魔術師として共に父を殺すために戦っていたミザリーが理性を失った父に体の肉をかじり取られそうになった……その時に母がその身を呈して俺達を救ったのだ。
父に体を食われながら、瀕死の俺に最後の力を振り絞って治癒魔法をかけて。
母は腕利きの治癒師で、父さんが狂化したこの時も戦闘に参加していた。母さんだって殺してやりたかっただろう。理性を失っている間に自分の手で家族を殺してしまった父が死を選ぶほどに後悔するのは分かっていたから。
父の部下だった魔族達は俺や弟妹を気遣ってくれたが、魔王を継ぐことになってしまった俺は悲しみに暮れる暇も無い。父さんがやっていた事を教えられながら、彼らの補佐を受けてなんとか最低限の業務をこなすにとどまってしまう。魔族の数は少ないが、この大陸まるまるひとつと治めなければならない領地は広い。湧き出る瘴気が溜まれば強い魔物やダンジョンを生み出し、民の命を奪う。国内の最強戦力の1人として、瘴気が濃くなる前にその地の魔物を屠り散らさなければならない。
父の死により魔族の命運を分ける、と言われていた研究は暗礁に乗り上げてしまった。俺達魔族が狂化するタイミングは今まで経験則でしか測れなかった。翼と角があって魔力がこれくらいなら200年は狂化しないだろう、程度のものだったが。父はそれを魔力の揺らぎなどを観測し、より正確に求めることが出来ないかと研究していた。長年生きた魔族は「狂化して家族や友人の命を奪う前に」と思いつめていつの日か自死を選ぶ者も多い。
魔族の死とは狂化して家族や友人に殺されるか、家族や友人を食らった後で理性を取り戻して自死するか、狂化する前に命を断つか。いずれにしろ安らかな死は訪れない。狂化するその時が寿命のようなもの。
父はそれを、少しでも改善できないかと思っていたのだ。
研究には魔術師として優秀なミザリーも携わっていたが、肝心の魔力の揺らぎなどを測定するために使われていた魔術が父しか使えないもので、何とかそれを汎用化出来ないかと魔法陣などに落とし込んでいる最中だったらしい。
父自身もまだあと狂化までは10年は猶予があるのではと予測していた矢先の事。まだ誤差も大きく実用化には程遠かったが、それでも今までの傾向から立てた予想よりかは正確だった。このまま研究が実を結べば、自分の寿命とも言えるタイムリミットが分かってしまうものの「明日狂化するかわからない」と毎日怯えながら生きていかなくて済むようになると思っていたのに。
なんとか研究は続けるとミザリーや他の魔族も言っていたが、この頃やっと魔王としての職務に少しは慣れてきた俺は同時に他の解決法も探った。狂化の条件が分かれば防げるのではと思っての事だ。しかしこれはすぐに行き詰まる。原因は分かった……瘴気だ。瘴気が体に溜まる事で、その各人の許容量を超えると狂化が発症する。これは、同程度の魔力を持つ者同士で比較した時、瘴気の濃い地に暮らす者の方が早く発症する事を俺の体感で聞いたクリムトが統計をとって結論を出した。
だが……これを、どう防ぐ?
瘴気はこの地に湧き出ているものだ。魔界には瘴気に侵されていない場所はない。
だが、せめてもと狂化しやすく生まれた魔力の弱い魔族は人の住まう……瘴気の無い他の大陸に逃した。幸い俺に次ぐ魔力を持つミザリーに転移魔法の才能が発現し、そのため本来なら数十年のうちに狂化していたような魔力の弱い者達ならほとんどが別の大陸に連れて行けるようになっていたから。
だが、それが何になる? ただのその場しのぎだ。依然、俺を含めた強い魔族は人に混じって暮らすことなんて出来ず、第一本人が転移を使えなければ論じるだけ無駄だ。自分よりはるかに強い魔力の者にしか連れて行ってもらうことも叶わないのだから。
……俺は父が狂化した歳をタイムリミットにして生きていくことにした。成長した俺は父の魔力を遥かに上回っているためもう少し猶予はあるだろうが、長めに見積もって後悔するような事はしたくなかった。
弟妹の中で魔力の少なかった3人は人の住まう地に送った。
3番目の妹アーリャは別の大陸に行ってから狂化をしないまま80年生きて死んだ。狂化をしないと寿命で死ねるらしく、ただその寿命は魔力に依存する。人にしては長く生きたと思われる程度。魔族であると知られるわけにはいかなかったため、と呪い師のような事をして魔女と呼ばれながら魔界に食糧を送るために生きて、町外れの森の中の小屋でひっそりと1人で死んでいった。
4番目の弟のアルベリックは、魔界に送る物資を稼ぐために冒険者になって無理をしていたところダンジョンの中で命を落としたそうだ。魔族が人の世で内密に開業している店からアルベリックの遺品だけが送られてきた。
5番目の妹のセシリアは、弟妹の中では一番魔力は弱く魔法すらも魔族にしてはかなり不得手だった。美形の多い魔族の特徴だけは色濃く受け継いでおり、俺は聞かされていなかったが金を稼ぐために自ら人間の娼館に身売りしていた。病気に侵されて亡くなったのとその経緯を、俺はミザリーに聞かされて初めて知った。
末の弟のクリムトは、「兄さんは魔族に必要な人だから」と俺の安全装置として生きる道を選ばせてしまった。まだ幼い頃に父も母も亡くして、でもわがままひとつ言わなかった優しくて我慢強い自慢の弟。
もし自分の子供が自分よりも先に狂化を迎えてしまったら、と怖くて伴侶も持てない俺を責める事なくミザリーと共に支えてくれている。
天眼を持つ次期魔王がまだいないのを皆不安に思っているようだが、俺の苦悩を思ってか誰も何も言わない。それが申し訳なかった。
ただ、王とその後継者しか知らぬ事だが、天眼は受け継がせることができる。俺のように天から授かる方が異例なのだ。だから安心して欲しい、俺が狂化の前に命を断つ、その時に遺言と共に自分の目を抉り出しておくから。
自分で決めた自分の寿命まであと2年ほど、となった時にその革命の日は訪れた。人間の国で店を営ませていた男から、俺に謁見を希望する人間の娘がいると連絡を受けたのだ。村を作るから住民にならないかと誘われて、その者の為人を確認した上で様子を見ながら移住を行っていると報告を受けていた村の領主だと言う。村があればもう少し規模の大きな取引ができるか、飢える民が減るなと成功を祈った事を覚えている。
その女は高名な魔術師でもあると言うことだ。魔族だと見抜かれたのはそこまで注目していなかった、騒ぎ立てたりする訳でもなかったしな。ただ、「狂化を解決する術がある」と言われたら、言葉すら人間は知らないはずなのに「何故それを」と警戒するしか無い。
最初俺は、殺すつもりだった。人の世界に住む魔族は少ないが、魔族と悪魔は長年の状況証拠から同一視されかけている地域もある。だが、狂化という言葉も、魔族と悪魔の関係も何故この人間が知っているのか。もちろん人の世界で暮らす魔族から漏れることはあっただろう。しかしそれを「解決できる」などと嘯いて俺に……いや魔界の魔王に謁見しようとした者などいなかった。
何が目的だ。俺は実際に顔を合わせて見極める必要があると考えた。直接会って天眼を使いながら問いただせば腹の中は分かるだろう。幸いな事にその女自身が転移を使えるそうで、物資のやり取りのために使われていた転移魔法陣の座標を解析してこちらに飛べると言う。
人間が知っているはずのない事を知られている恐ろしさに俺はより警戒を強める。狂化により魔族が悪魔と呼ばれる状態に転じると、人の世で広く知られてしまったら今ひっそりと暮らす魔族達に支障が出てしまう。だから殺すつもりだった。その前に口を封じなければ、と。
しかし、彼女と実際に会って言葉を交わした事で俺は予定を変えた。レミリアは……本気で、ただ「魔族を狂化から救いたい」と思っていたし、その言葉に嘘は無かった。神から与えられた啓示により救う方法を知りそれを実行している事も、それによって必ず魔族は救われると確信している事も。彼女に何もメリットは無いと言うのに、「それが自分のやるべき事だから」と、後悔ひとつ混じらない美しい青い瞳が俺を射抜いた時も、その言葉を心から……一切嘘偽りなくそう口にしていた。
勘違いする者もいるが俺の天眼は真実を見抜くのではなく、当人がついた嘘の自覚を見る、ただそれだけだ。彼女が……自分の見た空想を真実だと心から信じ込んでいるのか、あるいは本当に神から知識を与えられてこの世を救わんと使命を負わされたのか。
今は堕ちかけている……魔族が信仰を捧げる創世神から瘴気が発生しているという話が本当であるならとてもショックだ。しかし話の筋は通っている、実際神殿のある地を中心として瘴気が分布しているからだ。俺は希望にすがってしまった。狂化を抑える術がある、それをこの救いの乙女が教えてくれるために遣わされた。そう信じたかったのだ。
俺は彼女と共に、創世神が堕ちかけているという神殿の奥に向かうこととなった。鍵は確かに国宝だが、6代前の魔王が厳しく「神殿の奥には足を踏み入れるべからず」と言い残し強固な封印も施している。当時の魔王らは永らく降臨されなくなった創世神を案じてこの奥に進んだそうだが、「神に近づかんとしたら天罰が落ち悲劇が起きた」とだけ記録して、それ以外にろくな説明もなくこの扉は封じられていた。
神殿の奥に伴われなかった周りの魔族の記録によると、創世神のもとに向かったものは当時の魔王以外誰も帰って来なかった。その中には魔王の妻と子も2人いたそうだ。
俺はレミリア嬢を横目で窺う。自分のことは多く語らなかったが、本来はこんな擦り傷を作ったり、兵士のようななりをして魔物と命のやり取りをする生活だなんて無縁だっただろうに。指先も荒れ、爪も欠けている。俺の瞳と同じ濃い金色の髪は無造作に束ねられ、化粧っ気も一切ない。ただ、……使命に燃えて前を向く彼女はひたすらに美しかった。何故自分が、と神を呪っても良かっただろう。聞く限り、彼女が神から啓示を与えられた……それをよく思わない悪しき存在が居て邪魔をされたようであるのに、それを悲しく思っている様子だったが怒りは一切感じられない。どうしたらそんな善き人として生きていられるのかと、俺は彼女に興味を持った。
彼女にこんな定めを課した神も酷なことをする。ただ、神もこのひとだからこそ運命を委ねたのではないか。泣き言ひとつ言わず、俺にすごまれても一切引かず、ただ「なすべき事を」と信念のままに行動する彼女はとても眩しい。
神殿の奥に入る際、準備はいいかと問われた言葉に何故か「名を呼べ」と返していた。
一瞬自分でも、唐突過ぎて何を言ったのか分からなかった。しかし我にかえって考えてみると、これから咄嗟の判断が必要になる可能性があるのだから「魔王陛下」のままでは勝手が悪い。実際瘴気溜まりを潰して回る際も皆俺のことを「陛下」か気心が知れた仲なら「アンヘル」と呼ぶ。……戦場に出る前に必要なことだから口をついて出たのだろう、俺はそう結論づけた。
神殿の奥、拍子抜けする程何も出てこない暗闇の中で彼女は魔族の王の俺も知らなかったような話を次々教えてくれる。これも神から授かった、この世を救うための知識なのだと言う。
……今まで魔族は狂化に怯えて手探りで生きてきた魔族の歴史を「できる事は全部やってきた」と直接では無いが言葉を尽くして肯定されて胸が詰まる思いだった。失った家族や友の事を思い出しながら、「皆の尽力があったからこそ魔族全体が延命できて、今日この日を迎えられたのだろう」と感傷の思いが湧いてきたのもあるが。
その中には謁見の間で俺との交渉に使えば有利に話が進んだのではと思うような情報もあった。そうでなくとも見返りもなしに神から授かった啓示を全て教えるなんて。そもそも、人の国にいる時にその知識を使えば、悪魔と同一視されている魔族を滅ぼし原因を断つ事だってできたはず。
何故そこまで親身になれるのかと問えば不思議そうに「だって、その方が魔族も人も幸せになれるわ」と……まるで、「そうするのが当然だから」と言うように。他には思いつきもしなかったと言う様子で、俺は警戒していたことに対して罪悪感すら覚える。
もう、彼女のことは疑っていなかった。言葉に嘘が無いからではなく、彼女の「魔族を救いたい」という願いが本物だったから。今願うのは、彼女に知識を与えた者が本物の神や超常の存在である事。もし言い伝えに残る邪神が居たとして、レミリアを利用して魔族にとどめを刺そうとしているのではありませんように、と祈る思いだった。
もしそうなってしまったら、彼女は償うためにその命すら投げ出してしまうだろうから。ここまで人のために力を尽くしてきたレミリアに、そんな結末は酷だ。
幸いにも、レミリアに与えられたお告げは真実であったらしくてホッとした。彼女に教えられるがままに、浄化のために一度堕ちかけた創世神を徹底的に削る必要があると言われ、力を合わせる事となる。
レミリアは魔王の俺ですら見当も付かない様々な攻撃を、その度に展開する魔障壁の属性を変えて見事に対応している。初見の術に対してはこのような真似は無理だ……これも全て神の導きがあった故に知っていたのだろう。俺が前に出ているとは言え、当たり前のように俺の方に手厚く障壁を作り出したり、俺の身が危うくなる場面では自分を囮にしてまで窮地を救ってくれた。それを全て当然、と言った顔でやるのだからたまらない。
その後も自分の怪我は後回しにしてまで、俺への強化魔法と回復を優先してくれたレミリアのおかげで何とか創世神を鎮めることが出来た。俺自身……今までで一番過酷な戦闘だと感じて疲労困憊であったが、もう自分の傷を治す余裕すらなさそうなレミリアの方がつらそうだ。白い肌からはさらに血の気が失せて青白くなっている。持ち込んだ魔力ポーションは使い切ってしまったのか、回復手段をとる様子は無い。立っているのもやっとに見える。
傷だらけ、装備もボロボロになったその姿は「抱きしめたい」と思うほどに美しかった。
もう動く気配のない創世神は、溜まった淀みを全て吐き出したのかその姿を包んでいた黒い靄が晴れて1匹の白い龍の姿となっている。そこに近付いたレミリアは胸元から取り出した小瓶の中から植物の種のようなものを手の平に出した。彼女の祈りに似た魔力を注がれるとその種は途端に芽吹き、大きな葉が茂り蕾が出来ると大輪の真白の蓮の花を咲かせた。その中央にいる白銀に輝く乙女が浄化の女神である創世神の末娘なのだと言う。
女神は父の事をたいそう心配しながらも、俺達が創世神を浄化するための場を整えた事をとても感謝してくれた。
浄化の女神は力を貸した俺に、お礼として「魔族の体から瘴気を消し去る術」を授けてくれた。適性がないと使えないらしく、俺には無かったためレミリアに、だが。狂化を発症していなければ、その寸前であってもかけるだけで助けられるそうだ。
瘴気の発生がなくなったおかげで新たな狂化は起こらないだろうが、体調に支障が出ている者もいる。もっと使い手が必要なら、適性がある者を探して広めてくれるとレミリアは言う。
浄化の女神を封じていた天界の主……こいつこそが邪神ではないかと思う所業のせいで、この御技が魔族に与えられなかったのかと思うと悔しく思うが……逆に、もう出来ることは全てやっていたのだと確信できてやっと諦めがついた。
そしてこの救世の中心となったレミリアは、女神に「浄化の乙女」の称号と加護を授かっていた。
「そんな、このような称号、わたくしに相応しいとは到底思えません……!」
そう語る彼女の言葉に嘘は一切なく……どこまでも健気で謙虚なその振る舞いは「素晴らしい」を通り過ぎて「悪意に害されないように守らなければ」と心配するほど。
この時は……これが魔族の救世主になった彼女に対する感謝の念なのだと思っていた。
創世神の元を訪れて以降、1日時間が経過するごとに「もう全て解決したんだ」と実感するに至り魔族全体に喜びが満ちていく。
今までは瘴気溜まりを潰して回ってやっと平衡状態を保っていたのに、何もしなくても瘴気が薄れていく。狂化発症者も当然いない。
明日発症するかもしれないと怯えながら伏せっていた者はすぐさまレミリアが体内から瘴気を消し去り今では皆回復している……彼らやその家族は皆レミリアの事を聖女だ女神だと称えて、俺はそれに内心深く頷いた。
瘴気が発生しなくなった事で脅威度の高い魔物もこれからかなり生まれにくくなる。魔族は初めて、「生き延びるために生きる」のではなく「幸せになるために生きる」ことが出来るのだとこれからの未来を考えて歓喜に湧いていった。
そうして魔族を救ってくれたと言うのに、レミリアは更に国中の土地を回って瘴気が濃い地域から、魔族の体にやったように瘴気を消し去ってくれると言う。そこまで甘えるわけにいかないと辞退しかけたのだが、彼女は……せっかく幸せになろうと国中が上向いているのだから強力な魔物に脅かされる可能性は少しでも低い方がいい、と譲らなかった。
ならば、と出された交換条件を聞いて俺の心が締め付けられたような思いがした。聞けばレミリアはかつての婚約者や家族から罪人扱いされて居場所を追われたのだが……その際に、それを画策した者に「恋の秘薬」を使われて、周囲の者に偽りの好意を植え付けられた上で虚偽を振り撒かれたのだと言う。レミリアはそんな裏切り者達を呪縛とも言える想いから救ってやりたいのだと言う。
まだそいつを想っているのか、と聞いて返ってきた答えに俺は明らかに安堵していた。……レミリアは気付いていないようだが、俺は自分の感情の正体を察してしまった。俺は……彼女に惹かれている。
自分の想いに名前を付けてしまった俺は途端にレミリアの事をさらに意識し始めていたが、彼女は未だ苦しい生活を送る魔族の事で胸の内はいっぱいのようで、俺の視線には気付かない。ただ、今はその方がありがたい。まだ会って日もそんなに経っていないし、何よりレミリアがかつての婚約者達から裏切られた傷が癒えるのも待ちたかったから。
少しずつ魔族の生活が上向く中、レミリアは自分のために使うべき時間をほとんど魔術の研鑽に費やしていた。事件の裏を解き明かすためと習得した「過去の水鏡の術」も映像の画質や音声にいたるまで高い水準に達し、今や魔族でもこの術に関しては彼女に並び立つものは数人しかいないだろう。
映像を記録する手伝いを口実に、レミリアがかつて貶められたという事件についてその全容を知っていく。それにしてもこの星の乙女と呼ばれていたピナという女は余程悪事を働くのが得意らしかった。これでは人の好いレミリアは裏工作にろくに抵抗出来ていなかっただろう。犯罪の捏造が手馴れすぎている……加担した者達は偽証の確信を持って問い詰めないと暴くのは難しかった、か。しかし暴く方法はあったし、信頼があればそもそも疑ったりはしなかった。それ故彼らに弁解の余地はない。
過去の映像を見る限り、恋の秘薬もここまで効果が強かったか、魔族にはもちろん効かないが人であっても気休め程度のはずだが……と首を捻りかけて思い出した。レミリアが……このピナという女の持っていた力について話していたのを。仲間を強化したり、農地の実りを増やしたり、枯れかけた水源を復活させたり……ポーションの回復する力を高めたりできる「星の祈り」と呼ばれる能力を持っていたと。それが関係していたのでは……と推測した。今ではもう……遅い話だが。
それにしてもこの采配を行ったのは本物の悪魔だろうか、ここまで醜悪な行いを……嬉々として行う者にこのような力を与えるなんて。こんなに強い力なら正しく使える者を見定めてから授けるべきだ。レミリアみたいな人物にな。
星の祈りにより恋の秘薬の力が強められていたのがもし事実だったとして……レミリアが言っていたように、あれは洗脳したり理性を奪ったりすることはない。ならばそいつらの自業自得が大部分だろうと考えた俺は思いついた仮説を黙っていた。レミリアがそいつらを許す……その可能性は少しでも奪いたい。
あんなやつらを解放するために頑張るんじゃなくて……はやく、はやく自分の幸せのために生きて欲しい。
人間の国との国交樹立も叶い、魔族の生活にも少しずつだが娯楽などの潤いが交ざるようになった頃。レミリアの右腕のような存在であるスフィア嬢が深刻そうな様子で面会を希望してきた。忙しいところ申し訳ありませんと頭を下げる彼女を制して話を続ける。一体どうしたのかと思えばこれをみてくれ、と過去の水鏡の術で呼び出した映像が再生された。
「なぁ、今回も俺役に立っただろう? だからさ……」
「もう、ロマノさんのエッチ〜」
「ピナだって好きなくせに、ほんと悪い女だよ」
「ひど〜い、そんな」
ロマノと呼ばれていた男が、レミリアを貶めた女を抱き寄せてその胸に服の上から手を這わせる……そこでブツリ、と映像は切れていた。
レミリアの手伝いで記録の整理を行なっていたスフィアは、これを含めていくつか不自然な箇所で切れている映像を見つけたそうだ。この続きは確認できないかと頼まれて、魔晶石の中の映像の時空間座標を確認してつなげる。……レミリアのものより多少色鮮やかさは落ちるが……事象の確認には十分だな。
そこから先に映っていたのは口にする事すらおぞましい、売女と犯罪者の交尾の様子だった。会話の内容からするとこの男は護衛らしい……雇われておいて、主人を金と女の体で裏切るような真似をよくも……
ロマノという男は、「レミリア様に言い寄られて、断ると家族の事を持ち出されて……好きでもないお方に泣く泣く俺は奉仕をする羽目になった」なんて話もピナという女に頼まれて嬉々として平民に広めていた。今目の前にいたのなら俺が殺してやるところだ。それはスフィアも似たような気持ちらしい。
そしてなんとひどいことに、星の乙女との姦淫によってレミリアを裏切った男は他にもこの……映像が途中で途切れた魔晶石の数だけいるようだった。
「スフィア……一計を案じた。レミリアに内密で協力して欲しいのだが」
「はい、レミリア様のためになる事でしたらなんでも!!」
俺の計画を聞いたスフィアは喜んで、と協力を願い出てくれた。これを実行に移す日だが……都合の良いことに、当初の予定よりも需要が高い魔界産の商品に向こうの貴族がとてもよく食い付いてくれた。数年は様子見をするはずだった交易は開始から1年経過した事を祝って大々的に親睦を深める場を設け、それを機に規模を広げたいと向こうから申し出があったのだ。そこを……真実を明らかにする場所としよう。
「任せてください魔王陛下。心優しいレミリア様は事を荒立てないように親睦会の後に内密に面会を申し込みその場で……と仰っていましたが、なんとしてでも夜会の最中に衆人環視の中……あの女の化けの皮を剥がして謝罪させてやります」
「ああ、そうだな。レミリア1人だと絆されてなんだかんだ許してしまいそうだから頼むぞ」
「レミリア様が許しても私が許しませんよ……! レミリア様が受けた以上の報復はしないと気が済みませんっ」
レミリアに関してはスフィアはとても頼もしく感じる。映像を編集し終わったスフィアは、「このような破廉恥なものが、清らかなレミリア様の目に入っては大変ですから」と厳重に封をした後当然のように俺に預けていった。
俺だってこんなもの持っていたくないのだが……まぁレミリアの近くに置いておくよりはいいのか……?
後編はまた明日!
あと明日は後書きでお知らせがあります