魔物討伐部隊員ジスモンドと卵料理(中)
グラートの護衛任務は、どうにもひどいものだった。
勉強が苦手なのは噂以上、基礎の教養科目は捕まえて教え、剣の実技はほどほどにとなだめるか、自分かジルドが相手となった。
その上、若き頃のグラートは感情的になりやすく、喧嘩も多く、あわや勘当されるかというほど父ともめたこともある。
ジスモンドと、今は王城財務部長のジルド、そして彼の護衛騎士の三人で、家出したグラートを捜し回ったこともあった。
そのジルドと、学院で殴り合いの喧嘩をしたときは、もう頭を抱えるしかなかった。
喧嘩で骨折したときは肩を貸して治療に連れて行き、女の元で毒にあたったときは治癒魔法に強い神官をおぶって連れてきた。
いい加減にしろと思いつつも、どうにも放っておけなかった。
その素行と性格から、グラートは当主にはなれそうもない、そう思う者が多かった。
けれど、バルトローネ家の魔剣は、持ち主である祖父が亡くなると、この男が手にしていた。
灰手という名のそれは、バルトローネ家に代々伝わるものである。
血族固定であり、バルトローネ家の血を引く者にしか持てない。
使いこなせる者はさらに限られる。
強すぎる火魔法と身体強化の増強――今、灰手を使いこなせるのは、一族でもグラートだけだった。
「私は灰手を持って、魔物討伐部隊に入りたいと思います。家は弟に継がせてください」
ある日突然、グラートは父にそう願った。
当然、周囲は猛反対した。
灰手を魔物に使うなど許されぬ、魔物討伐部隊は憧れだけでやれる仕事ではない、その身に何かあったらどうするのか。身を整え、当主の勉強をし直せ、きっちり家を守れ――
それらの声に、いつぶちきれるかと心配したが、グラートはたどたどしくも必死に説得を始めた。
遠乗りの際、魔物討伐部隊の戦いを遠目で見たこと、大型の魔物には灰手が有効に使えるかもしれぬこと。
貴族の友人の領地では、毎年、果実に多くの魔物の被害があり、収穫が不安定で後継者不足になっていること。
王都から遠い畑では魔物の被害が増え、じりじりと穀物や野菜の値段が上がっていること。
花街の者達には、魔物被害の金策で働いている者もいること――
グラートと共にいることが多く、同じものを見て、同じことを聞いたはずの自分は、どれも気にかけてはいなかった。
いいや、グラート自体のことも『侯爵家嫡男』としてしか見ていなかったのかもしれない。そう初めて気づいた。
次期当主と魔剣に関する話し合いは、なかなか進まなかった。
何度目の話し合いか、その日、初参加のグラートの弟から提案があった。
「兄上は魔物討伐部隊に入ってください」
年下の弟は、グラートを応援したいのだろう。
まだ子供らしさのある高い声に、少し胸が傷んだ。
だが、ハキハキした声はきっちりと続いた。
「父上から代替わりしたら、私が当主の実務をしますので名だけお貸しください。あと、兄上はさっさと火魔法の強い女性と結婚してください。子供が何人か生まれたら、素質と希望が合う者を騎士として育てれば、灰手が使える確率が上がりますから」
「待て、それではお前が犠牲に――」
父そっくりだと言われるグラートに対し、弟は母親似だ。
輝く金髪と赤い目、優しげでやわらかな顔立ち――夫人そっくりの優雅な笑みが、それを覆った。
「犠牲になるつもりなどありませんよ、実権はとりますから。それに、バルトローネ家としてはその方が利があります。鉱山管理と、一族が王城に騎士や文官として入るだけでは、家は今のままです。家宝である魔剣の灰手を持ち、魔物討伐部隊でその身を賭して戦う次期当主――戦時でもない今、これ以上の名声の取り方はないでしょう?」
その場の一同が絶句した。
これぞ当主の器ではないか、ジスモンドもついそう思ってしまった。
だが、弟君はそのまま笑顔で続けた。
「子供が灰手を使いこなせるようになるまでは、『あちら』に渡らないでくださいね、兄上」
この者の護衛騎士にならなくてよかった――ジスモンドがそう確信した瞬間だった。
そうして、グラートは父から魔物討伐部隊に入ることを許された。
しかし、ここからは王城騎士団入りの試験がある。
グラートに剣の実技はいらないとして、基礎科目の点数は絶対にいる。
これで落ちたら笑いものだ。なんとしても間に合わせねば――
グラートの自室、参考書を机に二人分並べていると、ようやく彼が父親の書斎から戻ってきた。試験申込には家族のサインがいるので、それをもらいにいったのだ。
すぐ勉強にかかろうとしたら、グラートに頭を下げられた。
「ジス、これまで迷惑をかけた。私は魔物討伐部隊に行くから、お前は家の騎士になってくれ」
「は?」
言葉は聞こえた。だが、心が認めることを拒否した。
「父上と弟に話して、高等学院を卒業したら、ジスをそれなりの地位に置くと約束してきた……ああ、もしジスが王城の第一騎士団などを目指すのであれば、それもありだとは思うが」
自分が黙っているのを勘違いしたグラートが、とても不快だ。
ようやく腹を括ったところだというのに、横道にそれる話をしないでほしい。
大体、自分は結構働いていると思うのだが。
「グラート様、朝は寝坊すること多し、食べ過ぎで胃薬、酒を飲めば寝落ち、練習の模造剣は出しっぱなし。最近は減りましたが、魔物討伐部隊の若い隊員と飲んだら、喧嘩をする可能性もありませんか?」
「ないよう、充分、気をつける……」
句読点が多い上に、目が泳いでいる。駄目ではないか。
「信用できません。ご一緒します」
「気持ちはありがたいが、やめてくれ。魔物討伐は本当に危ないのだ、私のわがままに、ジスを巻き込みたくはない……」
ぶちり、不快さは完全に怒りに変換された。
今までどれだけ巻き込まれてきたと思っているのだ?
「私はそれほど弱いですか? 年が二つ下でも、グラート様ときっちり打ち合えておりますが?」
「いや、弱いとは思っていない! むしろ強いだろう。だから、お前ならもっと安全でいい仕事が――」
「グラート様は馬鹿ですか? 馬鹿ですよね? 書き取りは一枚に必ず一つはまちがえますし、約束の時間は忘れますし、注意は片端から流しますし、ジルド様と身体強化付きで殴り合いはしますし、悪い女には引っかかりましたし、いい女は泣かせかけますし」
「ジ、ジス?」
本気で驚いたらしいグラートが自分を見つめている。
不敬で結構、怒るなら怒れ。
俺の方が、心底怒っている。
「すっかりお忘れのようですから、よくよく言って差し上げます。このジスモンド・カフィは、グラート・バルトローネの護衛騎士です。ここまでお守りしてきて、今さらやめるつもりはありません。魔物討伐だろうが魔境だろうが付いて参ります」
「ジス……」
つうと頬に涙をこぼされるのと、背を向けられたのは同時だった。
「すまん……ありがとう……」
小さな声に返事はせず、背中からハンカチを渡しておく。
従者の真似事をすることの多い自分には、こんなことも朝飯前だ。
なお、自分の目は袖で拭った。
「ジス……後悔するかもしれんぞ」
「そのようなものは、とうの昔に済ませました」
後悔など、護衛騎士になった最初の一年だけで山とした。
ここから追加分の後悔はするかもしれないが、仕方ないだろう。
自分はグラート・バルトローネの護衛騎士なのだから。
ようやく呼吸を整えたグラートが、こちらに向き直る。
差し出された手に、遠慮なく手を伸ばした。
「これからも頼む。我が騎士」
「はい、我が主」
こらえて握手をした後、二人同時にふきだし、腹がよじれるほど笑った。
グラートの笑い声を聞きながら、ジスモンドは理解した。
自分はこの男の笑い顔が、結構気に入っているのだ。