第17・5階層、この世界にはお塩が足りない! 約6000文字。
また新キャラが出る……。
学校が終わって家に帰り、荷物を置いていつもの格好に着替え、異世界ド・メルタの自由都市フリーダに来た僕。さて今日も迷宮で頑張ってレベル上げしよー、と思って冒険者ギルド正面大ホールに入った折、とあるお知り合いを見つけた。
「あれ? シーカー先生だ」
「お、クドーか」
返事をしてくれたのは、テーブル席に座ってどんぶりとにらめっこをしていた中年ちょい手前のお兄さん。頭はボサボサで無精ひげを生やし、いまにも死ぬんじゃないかというくらい顔色が悪そうな、不健康を体現した存在だ。清潔にして健康に気を使いきちんとすれば、二枚目に見える素質は十分にありそうだけど、本人にその気はないのか外見は荒らし放題で無頓着この上ない。
名前をシーカー・レイムナントと言って、ここ冒険者ギルドでは結構有名な人だ。
僕がこの世界に来られるようになってすぐのころ、まだ迷宮探索について初心者だったときに、冒険者の心得や探索の仕方、モンスターの対処法を教えてくれた人で、迷宮ガイドという新人冒険者に冒険者の心得や立ち回り方などを教えるのを仕事としている。通称、シーカー先生。冒険者からは、先生、先生と呼ばれている。基本的にみんなから慕われる職業なんだけど、この人賭け事大好きなので、そこはなんとも言えないところ。むしろマイ。
見ると、いつものように、テーブルの脇に大きな傘を立てかけている。シーカー先生は、迷宮ガイドであり、『傘術師』と呼ばれる戦士なのだ。剣を仕込んだ傘を操って、トリッキーな戦い方をする人間なのである。
ド・メルタには、向こうの世界とはちょっと風合いの違う戦士職がちょこちょこある。シーカー先生の傘術師は元より、棹の先に丈夫な布を付けた旗で戦う『旗術士』、大きな鋏を武器に戦う『剪刀官』など、よくそんなの上手く使いこなせるなぁと思わせる戦士が意外とスタンダードだったりするのだ。迷宮でもときどき見るけど、しっかり使いこなせているからスゲーってなる。
「……なんか相変わらず顔色悪そうですね、先生」
「俺の顔の話は余計だ。今日はこれでも結構いい方なんだぞ? 最近いい薬が手に入ってな」
「いつもと変わらないように見えますけどね」
そう言って、のぞき込むような先生の顔を見るけど、やっぱり見た目通り不健康そのものだった。目の周りにはクマができていて、タヌキはおろかむしろパンダ、心なしかやつれている様子。この人、なぜかいつも顔色が悪いし、調子もひどく悪そうなのだ。食べてないわけじゃないし、病気ってカンジでもないから超不思議。
以前どうしてなのかと訊ねたけれど、はぐらかして教えてくれなかった。
「お前と会うのもなんか久しぶりだな」
「先生とは潜る時間があまり合いませんからね。先生は午前中で、僕は基本午後ですし」
「ま、生活スタイルはそれぞれだしな」
僕は土日以外は学校帰りで午後夕方、先生は基本朝からガイドをしているため、会う機会があまりない。ガイド予約を取れば話は別だけど、もう一人で潜れるようになったため、会うのもご無沙汰というわけなのだ。
なもんだから、
「先生がこんな時間にいるなんて、珍しいですね」
「午前のガイドが予想以上に時間かかってな。遅まきの昼メシってわけだ」
「あ、薄味スープ」
シーカー先生がさっきからにらめっこしていたどんぶりに視線を向けると、ここ冒険者ギルド正面大ホール食堂名物、薄味スープが入っていた。その名の通り、味付けが薄く……というよりもほとんどなく、そこそこ栄養価のあるらしい草をあったかいお湯で煮込んだだけの汁という、食事にあるまじき代物だ。
にらめっこしていても、見えるのは自分の顔だ。引き分けは免れないだろうっていうのは与太話か。
「食べないんですか?」
「食べたくねぇな」
「じゃあなんで頼んだんですか……」
「ンなモン食わなきゃ腹減って死ぬからに決まってるだろ?」
「…………」
ここで矛盾を指摘し「じゃあどうして食べないんですか?」って訊くのは野暮なのだろうか。この『薄味草スープ』は、正面ホールの食堂で『謎のお粥』とマズさの一、二を争うゲロマズ料理だ。味がしない以前に、草がやたらと生臭いため、口に入れると吐き戻しそうになるくらいの食品兵器ぶり。納豆くさやは目じゃないぜってくらい。新人冒険者が一番最初にぶち当たる関門はどれかと訊ねたら、高確率で食堂のゲロマズ料理が上がるくらいに、マズい。ゲロだ。ほぼ吐瀉物。それゆえ、先生は口に持ってくのさえためらっているのだろう。
だが食堂の料理は、安い料理がマズいと言うだけで他は普通、もちろんおいしいものもあったはず――
「それならもっといい料理頼めばよかったんじゃ」
「金がねぇ」
「でもビール頼んでるじゃないですか」
「ビールは必要なんだよ。これは俺の血液だ」
どうして酒飲みはみんなこうなのか。酒を血にたとえたがるのか。飲まなきゃ死ぬと宣うのか。以前ミゲルも飲んでいた、うっすいうっすい白ビール。それがそんなにいいものなのか。未成年の僕にはまだまだ理解できない領域にある。
「っていうか先生? どうしてお金なんいですか? 迷宮ガイドのお給料ってそんなに安くないでしょ?」
迷宮ガイドは危険が伴うお仕事だ。新人をエスコートしなければならないため、普通に一人で潜るよりも周囲を警戒しないといけないし、新人を気にかけてあげなければならない。それゆえ、他のギルド職員よりもお給金は高めに設定されていると前にアシュレイさんから聞いたことがある。そうそう金欠にはならないはずなんだけど。
「わからねぇ。なんでだろうな」
「贅沢したんじゃないですか?」
「そんな覚えはねぇな」
「じゃあ最近何にお金使いました?」
「ちょっと賭け事に使ったくらいだな」
「それでしょ間違いなく……」
もう、呆れのため息を吐くしかない。ちゃんとお金の管理ができていないとかダメすぎるというか終わってる。賭け事で金欠なんて、やっぱどこにでもある話なんだね。
「なあ、奢ってくれよ」
「賭け事でスって、人にたかるとかダメ人間過ぎるでしょ先生」
「金貸してくれって言うよりはマシだと思ってる」
「その発言、控えめに言ってクズいですね。キリッてしてる場合じゃないですよ」
「でもこれを食うのはな」
「確かに薄味スープを口に入れるのが勇気いるのはわかりますけど」
「頼む。助けてくれ」
「……はぁ、しょうがないですね」
本来ならばこういうのは助けてあげてはいけないのだろうけど、先生には以前かなりお世話になったため、無碍にはできなかった。だって、僕の潜り方のいろははシーカー先生流だ。ぶっきらぼうだけどなんだかんだ優しい教え方だったし。賭け事さえしなけりゃホントすごい人なんだけどなぁ。新人のために惜しまずお金使ってくれることもあるし。
……まあだからと言って、新しく買うのもどうかと思うので、バッグからあるものを取り出した。
「なんだそれ?」
「まあ、ちょっとはマシになるような調味料みたいなものですよ」
僕が取り出したのは、市販の豚骨醤油のラーメンスープである。たぶんこれを入れれば多少はマシになると思われ。ホントは今日の間食にしようと思って持ってきたんだけど、また今度にしようと思う。
袋を切って中身を出すと、シーカー先生が露骨に嫌そうな顔をする。
「なんだよそのドロッとしたの、気持ち悪いぞ?」
「文句言わないでください」
「なめくじみてぇ」
「だからやめなさいというに!」
なぜこの世界の人たちはそう言ったネガティブなたとえをしたがるのか。自分から食欲減退ワードを口にするなんてマゾなのか。おマゾさんなのだろうか。
「いやだってなぁ……ん? お?」
スープのもとを、お湯以上スープ未満の汁に溶かしていると、シーカー先生の嫌そうな顔が、不思議そうな顔へとクラスチェンジする。立ち昇る匂いが変わって、驚いたのだろう。まだアツアツだったのがよかったみたいね。
やがて溶け切ったのを確認して、
「できました。どうぞ」
「お、おう」
シーカー先生は恐る恐る匙で掬って、口に運び込んだ。やがて、驚いたように目を見開く。
「マシになりました?」
「マシになったどころじゃねぇぞ! うめぇ! しかも味が濃い! ……草は生臭ぇけど」
「そこは我慢してくださいよ」
「大丈夫だ。我慢できる」
そう言って、シーカー先生は勢いよくスープを飲み始めた。確かに、豚骨スープを飲み干したくなる気分はわかる。
その様子を見つめていると、先生は何を思ったのか、僕にさもしい視線を向けてきて、
「……やらないからな」
「その台詞はいくらなんでもあさましいですって……いらないですけど」
そんなことを言いつつ、先生の隣に座って、ちょっと訊いてみたかったことを訊いてみる。
「なんか、フリーダって塩が貴重っていうか不足してますよね?」
「そうだな」
「どうしてこんな感じなんですか?」
塩が足りないのが、ちょっと意外なのだ。いくら塩が貴重品でも、常識的に考えて、食堂の料理まで塩味が足りなくなるわけがない。フリーダほど流通事情がいいならば、塩なんて重要物資ちゃんと運ばれてくるし、それを買う分のお金だって確保できるはずなのだ。中世のヨーロッパだって、ここまで塩が高価だったわけではない。塩泉一つで争いがあったとは聞くけども、ちょっとおかしな感じがしてならないのだ。
「こんなもんだろ。大陸の真ん中にある都市は、どこだって塩は貴重品だ。特にフリーダはどうしたって足りなくなる」
「それはどうしてなんです?」
訊ねると、シーカー先生の顔に教師っぽい真面目さが宿り、キリっとなった。
「フリーダはモンスターの巣窟と繋がっているおかげで、モンスターの素材やその土地土地の収穫物を得られるんだが、その反面繋がっているせいで常にモンスターの脅威と隣り合わせにある。それはわかるな?」
「間引かないと溢れ出てきちゃうくらいヤバいんでしたっけ? 確か」
「そうだ。だから万が一のときのために、ギルドや行政府は備蓄に回さなきゃならねぇんだよ」
「そこが僕にはよく……」
「わかんねぇのか」
「だって関連性がありませんよね?」
モンスが溢れて出てきても、そのモンスが塩を消費するわけじゃないし、モンスを倒すために塩が必要になるわけでもないのだ。冒険者を後回しにして塩をため込むその因果関係がわからない。
すると、
「そこだけを見たらな。だが、フリーダが晒されてるのは、何もモンスターの脅威だけじゃねぇ。周囲の国もそうなんだよ。ここは大陸のど真ん中にあって、交通の便もいい。版図を広げたい野心アリアリの国なら、まず欲しくなると思わねぇか?」
「あ……」
「もし、もしだ。フリーダがなんかの要因でモンスターからデカイ被害を受けて、冒険者が減って、商人がいなくなって、国力が弱りまくるとしよう。そういった状況になったら、他のフリーダを狙う国にとっては絶好の機会じゃないか? フリーダの戦力とモンスターが削り合いをしてる最中に、攻めてくる。フリーダが手に入ったらそりゃあウハウハだぜ?」
「それで塩を備蓄する……」
「塩は生活に必要だ」
「なくなったら困りますよね。なくなったら困るから……他の国に独占されても大丈夫なようにする?」
「そうだ。いざってときに周囲の国が塩の値段を吊り上げたら、フリーダは干からびるからな。争いが起きれば、戦略物資である塩や麦は大量に買い占められる傾向にあるし、なんといってもここは人が多い分、相応の量が必要になる。人が多けりゃ労働も多い。労働が多けりゃ汗かく分、塩が必要になるって話だな。それを考えたら、俺たち冒険者に回って来るのはどうしたって最後なのさ」
「でもフリーダの収入は冒険者あってのものでしょう? その辺りは優遇してくれないんですか?」
「その分は各自で買えってな。冒険者ギルドが塩の取り分を増やしちまわないよう、行政府がそこんところ調整したんだとよ」
「あー」
確かに、フリーダの収入の多くを締めるのは、迷宮から得られる素材を他国に売り払ったお金だ。それゆえ、フリーダでの冒険者ギルドの発言権は強く、このうえ塩という人間に必要不可欠なものまでギルドに優先されることになれば、パワーバランスが崩壊してしまうことにもなりかねない。もちろん塩だけでバランスを取っているわけではないだろうけど、塩が重要な位置を占めているのは間違いないだろう。
「あと、まんま塩が採れるところが少ないってのもある。昔なんて塩気のある泉一つで戦争があったくらいだからな」
「そんなに採れないんですか? 確かに海は遠いですけど、鉱山とかでも採れるんじゃないですか?」
「そっちは大方昔に取り尽くしたらしい。いまはどこを掘っても少量しか出てこないんだとよ。いまはどこの国も、新しい塩の鉱山を探してる」
「そんなに昔に?」
「らしい。なんでも『神託』だと、未開の地域に十分な量があるから、神さまはこれに手を回すつもりはないらしい。そっちはそっちで開拓できてないしな」
開拓できていないのは、まあ技術力ってヤツがかかわっているのだろうね。でも、『昔に取り尽くしたらしい』って、らしいってどういうことなんだろうか。なんかそこんところしっくりこない。
塩もそうだけど。
「そう言えば甘い物もまあまあ少ないですよね」
「そっちは怪着族のヤツらが買いまくるからだろ。あいつら、はちみつ大好きすぎなんだよ」
シーカー先生はそう言って、後ろを向く。釣られるような感じで同じ方を見ると、冒険者の女の子が陶器の壺を抱き締めながら、指に付いたはちみつをそれはもうホントおいしそうにペロペロしていた。顔も蕩け切った笑顔だ。おそらくというか十中八九、シーカー先生の言ったように、怪着族なのだろう。
「あー、く〇のプーさん状態なんですねー」
はちみつちょーだいである。まあこの世界、どういうわけかはちみつだけは、量はともかくとして年がら年中供給されてるんだけど。
まあ、それはともかくだ。
「ありがとうございます。いろいろと勉強になりました」
「いやいや、俺の方もだいぶ助かったわ」
「いえ、このくらいなら構いませんよ」
「じゃあさっきのなめくじみてぇなのもう少し分けてくれないか?」
「それはダメです。まずギャンブルやめてください」
「ちぇっ」
いい年して「ちぇ」はないだろう。「ちぇ」は。