94話「母はどこに?」
翌朝の目覚めは、はっきり言って最悪だった。
ベッドの寝心地は決して悪くなかったけど、殆ど寝た気がしない。
結局、起きたのはすっかり日が昇ってからだった。
時計を見れば、針は九時過ぎを指している。
私は大きく溜息をつき、それから一瞬の逡巡の後、呼び鈴を鳴らして侍女を呼ぶことにした。
生まれた時から現代日本で過ごして来た私は、身支度ぐらい一人でできるとは言え、今の状況では勝手がまるでわからない。
ややあって、二人の侍女がやって来て、洗面や着替えを手伝ってくれた。
昨夜、入浴を手伝ってくれたのも彼女たちだった。
「今日は寝過ごしてしまいました。お忙しい中、呼び出してしまい申し訳ありません」
少しばかり決まり悪さを覚えた私がそう言うと、侍女たちは何故か驚いた表情を浮かべた。
それから、どちらからともなく顔を見合わせた後、再び私へと向き直る。
「いえ、お気遣いなく。きっと疲れておられるだろうから、寝かせておいてさしあげるようにお母上から仰せつかっております」
「母から?」
思わずそう聞き返した。
つまり、彼女たちは既に私と母の関係性を知っているということか。
備え付けの箪笥の中には、目移りするほどたくさんのドレスが用意されていた。
どれもこれも、この二年間で母が用意したものだと言う。
母は、私とこの地で再会することを信じて疑わなかったようだ。
様々な色で溢れ返る箪笥の中から、黒と生成りを基調にした比較的シンプルな一着を選んだ。
落ち着いた色合いだけど、スカートの裾部分にはテディベアの絵が描かれている。
サイズ感は問題ないものの、何て言うか……そう、子供服みたいな印象を受ける。
「よくお似合いですよ、美夜様。既に一人前の淑女のようです」
「……ありがとうございます」
私は内心で呻きながらも、表面上はお行儀良く振る舞っておくことにした。
おそらく、彼女たちも私をローティーンぐらいの子供だと思っているのだろう。
母の年齢を基準に考えれば、無理のないことだとは思うけれど。
「そういえば、母はどこにいるの?」
「お母上は……」
私が尋ねると、侍女たちは互いの顔を伺うように目配せした。
何だろう。
何か、私には聞かせたくないことがあるのだろうか。
ややあって、私へと向き直った二人は、張り付いたような笑みを浮かべながら言った。
「お母上は、直に戻られます」
その様子を見て、やはり何か隠していると確信した。
ここは大人しく引き下がるか、そう思ったけれど、意に反して私は彼女たちに更なる問いを投げ掛けた。
「そういえば、母は普段は何をして過ごしているの? ここで何かお仕事をさせていただいているなら、私にも何かできることはないかしら?」
彼女たちは、私のことを実際の年齢よりも幼く見ている。
それなら、少々突っ込んだことを聞いても許されるのではないかと考えた。
それに、子供相手なら警戒が緩んで口を滑らせてしまうこともあるだろう。
「それは……」
侍女は困ったような笑みを浮かべ、お互いの顔を伺う。
私は逸る気持ちを抑えながら、そんな彼女たちを見つめた。
「お母上は……その、国王陛下の側におられます」
「王様の?」
国王、と聞いた瞬間、思わず眉を顰めそうになった。
何とか押し留め、首を傾げる。
「そっか。母は、国王陛下のお仕事を手伝っていらっしゃるのね。それじゃあ、私が行ったらお邪魔かしら?」
「ええ、そうですね、ちょっと……その、お母上も困っちゃうかもしれませんね。直に戻られると思いますから、大人しく待ちましょうか」
「わかった。じゃあ、そうするわ」
そう言うと、彼女たちは明らかにほっとした様子で配膳の用意を始めた。
ブラギルフィア諸侯連合は、複数の国が集まった国である。
同じ諸侯連合内でも、やはりブラギルフィアとティエリウスでは食文化にも差異があるようだ。
ティエリウスはブラギルフィアよりも海が近いためか、朝食にも海の幸が出て来た。
また、パンやチーズの赴きも若干異なる。
折を見て、今日の日付を聞いてみたところ、私が転移装置を使った日の翌日だということが判明した。
実際にこちらの世界に戻って来たのは昨日のことだから、転移装置に入った時から、殆ど時間の経過はなかったことになる。
朝食の後は、部屋で自由に過ごして良いという許可をもらった。
言うならば、勝手に出歩くなということでもある。
部屋で大人しくしているのは嫌いではないとは言え、今はもう少し情報が欲しい。
そこで、侍女が何かあればすぐに呼んで欲しいと言ったのをいいことに、話し相手になって欲しいとせがんだ。
結局、二人の侍女の内の若いほうがその役目を受けてくれることになった。
「悪いわね、お仕事の手を止めてしまった」
「いえいえ、いいんですよ。そうですよね、お母上もいらっしゃらないんじゃ退屈しちゃいますよね」
彼女は愛想良く言ったけれど、実際のところ、仕事を堂々とサボれる口実ができたことを喜んでいるのは明らかだ。
手のかかる子供のお守ならともかく、躾の行き届いた賢い子供の話し相手なら楽なものだ。
……いや、子供じゃないのだけど。
因みに、彼女の名はチェルシーという。
明るい栗色の髪をした、素朴な顔立ちの少女だ。
気さくそうだけど、マルガレータほどお喋りでも図々しくもないため、一緒にいてもあまり気疲れしないタイプに見える。
「母がいつも世話になっているわね。母は、貴女たちに良くしてくれているかしら?」
「あー……はい、美桜子様は良い方ですね」
チェルシーは朗らかに答えたものの、ほんの一瞬ながら何か「含み」のようなものが見えた気がした。
私は首を傾げて、彼女の目をじっと見つめる。
チェルシーはそれ以上何も言わず、にこにこと笑っているけれど、徐々にその笑みに苦しさが混じり始める。
人間、無言のまま笑顔を保つのはなかなか難しいものである。
「もしかして、母が何か迷惑を?」
「いえっ、まさかそんな!」
チェルシーは慌てて私の言葉を遮った。
これはやはり何かある、と感じた。
けれども、ここはこれ以上押すより、一度引いてみるべきだろう。
この件については、これ以上追及することなく切り上げることにした。