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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第四章
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84話「確信、そして突然の別れ」

「俺が、弟の……アトロポスのことを知ったのは、士官学校を卒業した頃だ。確か、十八になるより少し前だったか」


 訥々と語り始めた陛下は、そこで言葉を切ると少しだけ目を伏せた。


「父を処してから、二年ほど経った頃だった。卒業を機に、それまで手付かずだった父の遺品を整理していた時、書記官に清書させる前の……父の筆跡で書かれた認知状が出てきた。そこにはクラヴィスの名前があった」


 クラヴィス様の、と私は抑揚を欠いた声で言った。

 なるべく平静を装ったつもりだったけれど、あの女の名前が出る度、どうしても身構えてしまう。


 陛下が、クラヴィスと男女の関係なんかじゃなかったことは既に理解しているけれど、それにしてもあの女が陛下にご執心であることは間違いない。

 何しろ、初めから存在しない娘の人格を生み出して「お兄様はお母様のことが好きなのよ」などと言わせるぐらいだ。


「クラヴィスは、他の者より若い頃から宮仕えをしていた。母であるマティルダは、嘗ては厨房で働いていたが、王城に出入りする商人と結婚して一度は退職した。しかし、夫は事業で失敗した上に病気で早逝した。まだ幼かった娘を育てるため、彼女は夫の取引相手だった家臣の一人を頼り、王宮侍女という働き口を見つけた」


 厨房の下働きから王宮侍女、ということは大出世ということか。

 もっとも、間に商人の妻という立場を挟んでいるけれど。

 陛下は一息つくと共に、眉根を寄せて痛ましい表情を浮かべた。

 それから、再び語り始める。


「しかし、女手一つで娘を育てるのは決して楽ではなかった筈だ。故に、クラヴィスもまた十四という若さで侍女として働き始めた」

「十四歳……」


 私は陛下の言葉を反芻しながら、前に「アトロポス王女」が話していたことを思い出していた。

 彼女曰く、クラヴィスは十四の頃に先王の子を身籠ったという。


「クラヴィスさまは、いくつでアトロポス殿下を身籠られたのですか?」

「ん……? 確か二十歳前後の頃だったと思う。彼女が侍女として働き始めて数年経った頃、一度は結婚して宮仕えを辞めた。……だが、結婚生活を終えて再び戻って来ることとなった。父の子を身籠ったのも、その頃だ」


 陛下は慎重に言葉を選ぶように言った。


 マティルダが夫と死別したとは言ったけれど、クラヴィスの結婚に関して言葉を濁すということは、死別以外の理由で婚姻を解消したということだろうか。

 陛下の顔を伺うと、そこには遣る瀬無さのようなものが浮かび、彼の目はここではないどこかを見つめている。

 言い様のない怒りを抑えている、そんな印象を受けた。


 常ならぬ陛下の様子に目を奪われていた私だけど、不意にある考えが閃いた。

 もしかして、クラヴィスは夫との間に子供を授かることがなかったのではないだろうか。

 それで婚姻を解消されて、再び王城の侍女となった。


 陛下はブラギルフィアでは婚前交渉は一般的ではないと言っていた。

 王族と言えば子沢山なイメージがあるけれど、神域の落とし子が重要視されるブラギルフィアでは事情が異なるのかもしれない。


「陛下、失礼を承知でお伺いいたします。先王陛下は、その、クラヴィス様を正式な妻としてお迎えされるご予定だったのでしょうか?」


 子供ができない身体だからヤリ捨てするには最適だったのですか、とはさすがに聞けない。

 私の彎曲な問いに、陛下は重々しく首を左右に振った。


「いや、そのつもりはなかったようだ。……仮に、幽閉されることにならなかったとしても」


 やはりそうだったのだ。

 クラヴィスは先王に大事にしてもらったと話していたけれど、それなら自分の子を身籠った女性を遠くにやるわけがない。

 政争に巻き込ませたくなかったからだとクラヴィスは考えているようだけれど、陛下の王太子としての地位は既に揺るぎないのだから、侍女の産んだ子が火種になるとは考えにくい。


 言葉を飾らずに言うなら、孕ませる心配がない女だと思って気紛れに手を付けたところ、うっかりデキてしまったからお金を握らせて厄介払いしたというのが正しい。

 全く、どこまでおめでたい女なのだろう。

 いっそ羨ましいぐらいだ。


 陛下はクラヴィスと違い、その事実を理解した上で父親の行いを不誠実だと捉えている。

 だからこそ、怒りを禁じ得ないのだ。


 先王は、陛下がまだ十になる前に大罪を犯して幽閉され、そして成人の儀を迎えた後に彼を処断した。

 クラヴィスが身籠った時、陛下はまだ五つかそれぐらいだった計算になる。

 クラヴィスは、自分が十四歳の時に陛下が十歳だったと言っていたけれど、あれは真っ赤な嘘だったのだ。実際には一回り以上離れている。


 年上の侍女に憧れる王子様が、凛々しく美しい青年に成長して彼女を迎えに行く……まるで甘ったるい少女小説のような話だ。

 それが、クラヴィス=クレイスの理想の世界というわけか。

 いや、初恋の女性が自分の父親の子供を身籠ったという設定がお好みなら、むしろ昼ドラだろうか?


 何にしても、クラヴィス=クレイスの頭の中が、妄想という名の花が咲き乱れるお花畑になっていることは確かだ。


「……すまない、話が逸れてしまったな。先王にとっても、クラヴィスの懐妊は全くの予想外だったらしい。彼はあらゆる手を使って不都合な事実を隠蔽し、クラヴィスをある小さな町へと移した。母親であるマティルダでさえも、彼女の消息については明確には聞かされていなかった。先王は彼女に纏まった金額を渡したようだが、授かった子は生まれ付き身体が弱く、その子の治療費まで賄うことはできなかった。先王が隠蔽した事実を、弟の存在を知った俺はすぐに彼らに会いに行ったが、既に遅かった。……王城に迎えてから数か月の後に、アトロポスは息を引き取った。その時、弟はたったの十二歳だった」


 話し終えると、陛下は詰めていた息を吐き出した。


 ……わかってはいたことだけど、やはりそうおいそれと触れてはいけない話題だったのだ。

 もちろん、私はただ軽い気持ちで聞いたわけではない。

 陛下の話を聞いて、あの「夢」の中で会ったのはアトロポス殿下だったのだと確信した。

 そして、彼は今も陛下を守っている。


 それに、クラヴィス=クレイスが神使の座に就いた理由もわかった。

 先王の子を身籠もった彼女の立場を守るため……自分の父親に代わって責任を取ったのだ。

 陛下はいつもより力なく笑って言った。


「俺から話せるのは、これぐらいだな」

「お話しいただきありがとうございます。……それと、陛下」

「ん?」


 自分から切り出したものの、続く言葉を口にすることには躊躇いがあった。

 あまりにも自分らしくない、そう感じてしまう。

 でも、伝えねばならないだろう。


「陛下は、弟殿下に何もして差し上げられなかったと仰いましたが……殿下は、最期はきっと幸せだったのだと思います」


 陛下は少しだけ目を見開き、じっと私を見つめる。

 あるいは、私を通して、私が見てきたものを知ろうとしているようにも思えた。


「そうか。美夜は、アトロポスに会ったのだな」

「はい。彼は、今も陛下を守り続けています。……私の想像ですが、アトロポス殿下にとって、陛下は初めて自分を『見て』くださった方なのではないでしょうか」


 陛下ははっとしたように顔を上げ、目を瞬かせた。

 陛下に見つけ出してもらうまでの十数年間、弟殿下がどんな生活を送っていたか、前にアスヴァレンから聞いたことがあるとは言え、私には想像することしかできない。

 アトロポスは、母親に……狂った妄想の中で生きる女に、最も残酷な形で存在を無視されながら生きてきたのだ。


 そんなアトロポスにとって、自分のことを弟と呼んでくれた陛下は、まさに救世主だったに違いない。

 そして、彼はミストルト王家にかけられた呪いから陛下を守るため、あの場所で孤独な戦いを続けている。

 私は一層のこと、早くアトロポスのところに行かなければと強く思った。


 でも、いったいどうすれば?

「夢」の中で、私は何もできなかった。


「美夜」

「は、はい」


 名前を呼ばれて顔を上げると同時に、ぽふっと頭を撫でられた。

 陛下は、私の心の内側まで見透かすような目で暫く見つめた後、横たわるように促した。


「思うところは、色々とあるだろう。しかし、今暫くは休んだほうがいい」

「……はい」


 大人しく掛け布団に潜り込みながら頷いた。

 陛下の言う通り、今の私は相当に体力を消耗している。

 本来なら、昨夜の経験に想いを馳せながらのんびりゆったり過ごせる筈だったのに、クラヴィス=クレイスのせいで随分と消耗してしまった。


 改めて許し難い。

 予定していた「二回戦」にもすぐには入れそうにない今、代わりとなるご褒美が欲しい。

 陛下が側にいてくれること、それ自体に多大な感謝を抱いているけれど、それはそれ、これはこれである。


「美夜?」


 私がじっと見つめていると、陛下は不思議そうに首を傾げた。

 ……さて、どう切り出せばいいだろうか。

 そこまで考えていなかった。


「大人しく寝ているつもりです。ただ、寝付くためには精神安定剤のようなものが必要と言いますか」


 言いながら、私は恐る恐る瞼を閉じた。

 昨日、一頻りのことを済ませたとは言え、日数で言えばまだまだ初心者だ。

 それも、辛うじて未経験者を脱したばかりの。

 緊張で瞼が痙攣しそうになるのも無理からぬ話。


「……美夜」


 陛下が再び私の名を呼ぶ。

 そこには、苦笑が含まれているのを感じた。


 それでも、一拍置いた後、陛下は私が望んだ通りの魔法をかけてくれた。

 それは、唇に羽根が触れたみたいに柔らかく優しかった。


「どうしても触れたくなるのを、我慢している俺の身にもなってくれなければ困る」


 身体を話した陛下は、苦笑交じりに言って私をじっと見つめた。


「また様子を見にくる。今はゆっくり休みなさい」


 その優しい声音が、私の意識を眠りへと誘う。

 はい、と答えてそっと再び目を閉じると、眠気が一気に押し寄せて来た。

 様々な思考が脳裏に浮かび上がるのを感じながら、私は夢路へと旅立った。





 そして、それから数時間後。


 私が目を覚ました時、陛下の姿はどこにもなかった。


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