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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第四章
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67話「夢と現実の境界」

 何か作る、とは言ったものの今ある材料ではそう大したものも作れなかった。

 キッチンには調味料や茶葉、洗剤類やサランラップ等の備品、それに乾物や缶詰といった保存の利くものは各種揃っていたけれど、さすがに生ものはなかった。


 乾燥ワカメと春雨を具材に、それに炒り胡麻を加えて塩とコンソメで味を調え、仕上げに胡麻油を加えたスープ。

 缶入りのツナとひよこ豆、それにヤングコーンの水煮を一口サイズに切り、オリーブオイルと林檎酢で味付けしたサラダ。

 そして、冷凍庫にパンが保存されていたから、それを温めた。


 私は即席で作った料理をテーブルの上へと並べていく。

 最初、陛下はその様子を間近で観察したがっていたけれど、見られながら作業をするのは苦手である。

 二階の書斎で見つけて来た図鑑を渡すと、興味はそちらに移ったようで、ソファに座って大人しく読んでいる。


「陛下、食事の準備ができました」

「えっ? ああ、わかった」


 私の呼びかけに、すぐに図鑑を置いて席へと着いた彼は、テーブルに並んだ料理を見て感心したように目を見張る。


「野菜や卵といった生ものがなかったため、大したものは作れませんでしたが」

「いや、そんなことはない。限られた材料だけで、こんなにも素晴らしい料理が作れるとは凄いな」

「ありがとうございます。陛下のお口に合うと良いのですが」


 経験則というのもあるにしても、頭の回転が良く目端が利く者は料理上手である。

 そう、私のように。

 当然ながら、陛下は喜んで食べてくれた。

 ブラギルフィアにいる時、食事に同席したことは何度かあったものの、二人きりというのは初めてだ。

 それに、私が手ずから作った料理を提供するというのも。

 せっかくの機会だから、もっと色々なものを作って食べさせてさしあげたいと思った。

 誰かのために何かしたい、なんて私らしくないけれど、陛下は特別だ。


 食事を終えた後、その片付けに移った。

 陛下は自分だけ何もしていないと申し訳なさそうにしていたけれど、そう大した労力でもないから気にしないで欲しいと言っておいた。

 今まで、こんな風に気を遣ってもらえることがなかったから、何だかくすぐったく感じる。

 でも、悪い気分ではない。


 お風呂は、陛下に先に入っていただくように勧めたのだけど、彼はそれを私に譲った。

 先に入ることにした私は、陛下を待たせておくのも気が引けて、普段は長風呂派にも関わらず常よりも早めに切り上げて出た。

 浴室の使い方は説明したとは言え、懸念はあったものの陛下の入浴中に踏み込むこともできず……本人から要請があれば止む無しだけど……大人しくリビングで待つことにした。

 もちろん、要請があればすぐに駆け付けるつもりで。


 結局、特に何の問題もなく陛下はさっぱりした顔で浴室から出て来た。

 因みに、タオルや寝間着も一通りは揃っていて、入浴を済ませた私たちは無地のパジャマ上下を着ている。

 うーん、悪くはないけれど、ここに長期滞在することになるならもっと色々と揃えたいものだ。

 かわいいパジャマとかルームウェアとか、ルームシューズとか。

 それに、お風呂上りに着る上着なんかも欲しいところだ。


 それらのことを終えた今、時計を見ると22時を過ぎたところだった。

 寝るにはまだ早いけれど、今日は色々あって疲れてしまった。

 私たちはそれぞれ別の寝室に向かい、床に就くことにした。


 各寝室は八畳ほどで、ベッドの他にも備え付けのクローゼットを初め、必要な家具は既に設置済みだ。

 何だかまるで、私たちがこちらの世界に来ることを予め知っていたかのような周到ぶりだ。

 それに、長瀬先生が現れたタイミングもあまりにも良すぎる。


 ……いったい彼は何者なのだろう?


 ベッドに入った私は、今日一日のこと、長瀬先生のこと、それに陛下の左腕のことに思いを馳せる。

 ところが、隣にいる陛下のことが気になり、どうしても意識がそちらを向いてしまう。

 今、ここには私たち二人しかいない。

  陛下は私のことを好きで、それどころか運命の人だ。

 そして、私もまた彼に恋をしている。


 ……こんな状況で、何も起きないままということは有り得るのだろうか?

 いや、ない。


 私は隣の部屋の音を拾おうと、じっと耳を澄ませる。

 ところが、音らしいものは何も聞こえて来ない。

 陛下はもう寝たのだろうか?


 あっ……今、衣擦れのような音が聞こえた気がした。

 もしかしたら、寝返りを打ったのかもしれない。

 果たして、使用中のベッドは快適だろうか?

 眠れなかったりしなければいいのだけど……。


 そうこうしている内に眠気が訪れ、私の意識は深い淵へと沈んで行った。






 私ははっとして顔を上げた。


 辺りを見回せば、そこは全く見たことのない場所だった。

 いや、そもそも実在する場所なのだろうか。

 足元は、神殿の床を思わせる大理石でできていて、それがどこまでも続いているかのようだ。

 壁や屋根はなく、周りは雲一つない蒼穹の空が広がっている。

 床には所々に崩れた部分があり、そこから下を見れば雲がもくもくと立ち込めている。

 つまりここは、雲の上ということらしい。


 これは夢なのだろうか。

 それとも、意識だけが肉体から離れて、この場所に来てしまったのだろうか。

 もし後者だとすれば、ここはいったいどこ?

 暫く瞑目し、再び目を開いても景色は全く変わらない。

 次に目を覚ました時にはベッドの中だった、なんて都合良くはいかないみたい。


 だとすれば、これが夢であれ現実であれ……そのどちらでもない、精神世界の出来事であれ、私にとって必要なのだと思う。

 多分きっと、ここで私は何かを見つけるのだ……そんな予感を抱きながら、歩みを進める。


 ところが、歩けども歩けども視界に移る世界は全くの不変だ。

 光の加減や風向きが変わったりということさえもない。

 時間が停止した無限空間、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。


 ……私はここから出ることができるのだろうか?

 そんな不安が意識を掠め、それはむくむくと膨らみ始める。

 自分が正しい道を進んでいるのか確信が持てぬまま、それでも歩みを止めるのは一層のこと怖くて、内心の不安を押し殺しながら前進することしかできない。

 やがて前方に、何か四角いものが見えて来た。

 微かな期待が、自ずと歩みを速めた。


 近くまで来ると、それが扉だとわかった。

 何の変哲もない、それこそ一般住居に備え付けても違和感のない木製の扉だ。

 扉が、このだだっ広い空間にぽつんと立っている様は、何とも不可思議な光景である。

 周りには壁もなく、果たして扉の意味があるのだろうか。


 私は疑問と不安を覚えながらも、扉の把手に手を掛ける。

 それは拍子抜けするほどあっさりと開いた。

 扉の向こうに広がるのは、同じ景色……に見えたけど、一つだけ大きな違いがあった。

 扉から覗いた景色の中には、小さな祭壇のようなものがある。


 驚いた私が、扉を通さずに辺りを見回すと、その祭壇はなく同じ景色がずっと続いている。

 どういう仕組みかはわからないけど、この扉はどこか別の場所に通じているみたい。

 一瞬の逡巡の後、私はその扉を潜った。


 背後でぱたんと扉が閉まる音がして、振り返ると扉は消えていた。

 まるで、そこには元から何もなかったかのように。

 これで、後戻りする術はなくなった。

 何が待ち受けているにせよ、私は腹を括って祭壇へと近付いていく。


 近くまで来ると、祭壇は思った以上に大きいことがわかった。

 三階に上がるぐらいの段数の階段がピラミッド状になり、その頂上には箱のようなものが置かれている。

 階段も箱も、白い石でできていて丈夫そうだ。

 この箱の中には、いったい何があるのだろうか。


 私は頂上を見上げ、こくりと喉を鳴らした後、階段に足を掛けた。

 正直、恐ろしく感じる気持ちはある。それでも、この先に待ち受けるものを私は知らなければいけないのだ。

 妙に長く感じる階段を登り切り、恐る恐る箱の中を覗き込む。


 その瞬間、私は小さく叫んだ。

 箱は、正確には棺だったようだ。そして、その棺の中に私のよく知る人物が横たわっている。


「陛下……」


 そう呟いた声は、まるで自分のものじゃないみたいに掠れている。

 私の眼下には、陛下が瞑目して横たわる陛下の姿がある。

 彼は一糸纏わぬ姿で、その身を茨の蔓に拘束されている。

 特に左腕には、地肌が見えないほどの密度で蔓が巻き付いている。

 その目は開くこともなく、また呼吸さえしていないように見える。

 陛下が生きているのか死んでいるのかもわからない。


 私は身を乗り出すと、恐る恐る彼の頬に触れた。

 指先が肌と接触した瞬間、その冷たさに息を呑んだ。

 まさか……と青ざめたけれど、何だか感触がおかしい。

 妙に固い肌は、人間を模した無機物に過ぎないことにようやく気付いた。

 よく見れば、とても精巧な造形をしているけれど、陛下であって陛下ではない。


 そう、これは陛下に酷似した人形だ。

 首から下にあるのも、人間のように継ぎ目のない肉体ではなく球体人形のそれだ。

 安堵した私は、詰めていた息を一気に吐き出した。

 落ち着きを取り戻すと同時に、目の前に横たわるそれに対して言い様のない嫌悪感を覚えた。

 一瞬とは言え、見間違えるほど陛下にそっくりな人形などあまりにも悪趣味すぎる。

 誰が作ったものかは知らないけれど、不敬罪で訴えられても文句は言えない。


 その時、私の脳裏にクラヴィス・クレイスが持っていた人形のことが過った。

 彼女は、あの人形を自分の娘と呼んで大事にしていた。

 そして、あの人形も非常に精巧な造形だった。

 そう、今目の前に横たわる人形と同じぐらいに。

 私が人形の顔を一瞥したその瞬間、閉ざしたままだった瞳が開いた。






「……ッ!」


 私は弾かれたように半身を起こした。

 自分がどこにいるのかすぐにはわからなかったけど、徐々に寝入る前の記憶が戻って来る。

 ここは、元いた世界……即ち日本。

 元担任の長瀬先生に借りている家で……。


 記憶を反芻している内に、そこに覆い被さるようにして、先ほど見た夢の内容も蘇る。

 いや、あれは本当に夢だったのだろうか?

 私の意識が、肉体を抜け出してどこか別の場所に行っていたのではないかとも思う。

 夢にしては、あまりにも生々しすぎた。


 夢と言えば、私が元の世界にいる記憶は本当に現実か。

 陛下が側にいて、二人きりで同棲生活開始などあまりにも都合が良すぎる。

 途端、底冷えするほどの不安が私の心を侵食し始める。

 それは猛烈な勢いで広がり始め、私は居ても立ってもいられなくなって寝台を飛び出した。


 目指すは、廊下を少し進んだ先にある陛下の部屋だ。

 部屋は内側から鍵が掛けられるようになっているけれど、幸いなことに何の抵抗もなく扉が開いた。

 ベッドに目をやると、そこに横たわる陛下の姿があった。

 そのことに胸を撫で下ろすと同時に、先ほど「夢」で見た人形の姿と重なり、心臓を掴まれたような気がした。


 足音を殺し、ベッドへと近付いて行く。

 目を閉じた陛下の胸が呼吸に合わせて上下するのを見て、私は今度こそ本当に安堵感を覚えた。

 良かった、と声には出さずに呟く。

 恐る恐る陛下の頬に触れると、ほのかな温かさが伝わって来た。


 ああ、そうだ。陛下が人形なわけがない。

 あの悪趣味は人形は、いったい何だったのだろう。

 このまま物音を立てることなく、自分の部屋に戻ろう。

 ところが、そんな思いとは裏腹に、私は陛下のベッドに身を潜り込ませていた。


 心地良い温かさが全身を包み込み、得体の知れない「夢」の残滓を溶かしてくれる気がした。


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