1話 恵まれない女騎士
肺が焼けるような熱。
視界を埋め尽くす黒煙。
焼き焦げた旗が、虚しくたなびく戦場に、私は立っていた。
同じ白の鎧を着た無数の屍の上で、私は長い新緑の髪をなびかせる。
(······腹が減った)
私は白かった鎧を脱ぎ捨て、その辺に転がっている魔物の死体を漁る。
とても大きな魔物だ。ライオンのような姿で、ライオンよりふたまわりほど大きい。
それが兵士の周りにゴロゴロと落ちているのだ。
私は血に濡れた剣でその魔物の腹を裂いた。どろりと転がり落ちる内蔵と血を抜き出し、毛皮を剥ぎ、肉だけを取り出す。それを兵士の体から燃え上がる火で焼き、こんがりと焼けるまで待った。
肉汁が滴り落ちる肉塊に、私はがぶりと食らいつく。
あまり美味しくない。硬い鶏肉のようにボソボソとしていて、熊のようにくぐもった獣臭さがある。きっと臭みを取っても美味しくない。唯一の救いはこれに毒が入っていないことくらいだ。
「オルスロット様!」
馬の足音が聞こえ、援軍がやって来た。
私は今しがた食っていた肉を捨て、口元を拭って立ち上がる。『何も食べていませんよ』なんて顔をして、「ご苦労さまです」と、援軍に声をかけた。
······二百とちょっと、といったところか。何人助けが来たところで、強くなければ意味が無い。
援軍に来た騎士は、辺りの様子を見て青ざめていた。
「あの、オルスロット様。つかぬ事をお聞きしますが。······これは、あなた様がなさったのですか?」
自分よりも年上の騎士に、私は微笑んだ。
「いいえ。我が軍の兵士と魔物が衝突し、私を除いて相討ちとなった。嘆かわしいことですが······」
私は目線を下げ、眉間に少し皺を寄せて、悲しんでいる振りをする。そしてすぐに儚げな笑みを浮かべて気丈に振る舞う、か弱い女を演じるのだ。
兵士が死んだのも、自分だけが生き残ったのも当然の結果だ。
「マンティコラ討伐は二時間前に済んでいますわ。どうぞ、お帰りくださいな」
──だって、私よりも弱いのだから。
***
騎士の国──ムールアルマ
白を基調としたその国は、その高潔さを称えているかのようだ。街の中を馬車が走り、子供たちは剣を持って戦いごっこに熱くなる。
街の至る所には鍛冶屋や武器商店が立ち並び、看板には剣を構えた兵士の横顔のシンボルマークを大きく描いていた。
街の中に一際大きな屋敷があった。それがオルスロット侯爵家だ。
国の騎士団に所属する、由緒正しき騎士の家系。いつの時代も、国王と共に戦ってきたと、国王から賜った家宝と一緒に自慢するのが父の悪い癖だった。
私は自分の部屋で剣の手入れをしていた。
ベッドの上で胡座をかき、サビがないかの確認と、砥石で剣を研ぐのが日課だ。
侍女たちは私の部屋には近づかない。日々の世話なんて、寝起きの紅茶と昼食後の紅茶、午後の八つ時の紅茶······まぁ、紅茶の世話くらいしかしない。それ以外で部屋になんて、命令でない限り来ないのだ。
着替えもヘアセットも、もちろん全部自分でやる。他人に任せるよりもずっと楽だ。
私は陽光に剣をかざし、ピカピカに磨かれた刃に満足する。いつも手入れしておけば、いざという時に困らずに済む。もうしばらくしたら、鍛冶屋に持って行って念入りに手入れしてもらおう。
そう思っていると、部屋のドアをノックされた。
「ケイト、いるか!? ケイト!」
部屋の外で父が私を呼んだ。酷く慌てているような、怒っているような声だ。それと一緒に義足のギシギシと軋む音が聞こえた。
私は剣をしまうと、急いで身だしなみを整える。そして本棚から適当な本を手に取って、「どうぞ」と声をかけた。
声をかけると同時に父が部屋に駆け込んでくる。そして、真っ赤な顔で叫んだ。
「魔物の討伐で軍の兵士が皆殺しになったそうだな!」
「父上、私が生き残っておりますので、『皆殺し』ではないですよ」
私はキーンとする耳を押さえて父の言葉を訂正する。
父は怒りが収まらないのか、まだ大声で叫んでいた。
「あれは新兵の訓練だったんだぞ! どうして上手く立ち回れなかった! どうして戦略を緻密に立てなかった!」
「立てましたわ。ちゃんと、綿密に練ったものを」
「なら何故全員死んだのだ!」
私は父を椅子に座らせると、ふぅ、と息を着いた。そして、キッパリと言い切った。
「それは、新兵の質が異様に悪かったからです」
私の言葉に父はあんぐりと口を開けて動かなくなった。
言い訳のようだが、今年募った騎士団の新兵は本当に質が悪かった。
日頃の訓練が身を助くことを実感している身として、兵士の体力に合わせた訓練メニューを組んでいるにも関わらず、サボるわやる気がないわの怠けっぷり。
野営訓練を目的とした遠征でも勝手に湖に行くし、テントを組むことすら人任せにするしで手がつけられない。
手始めにイノシシ狩りの作戦を立てさせてみれば、『探す』『見つける』『仕留める』と、子供の勉強を見てやる方がまだ有意義な稚拙ぶりだ。
騎士を目指している割に怠惰な男どもは、教官であり上司である私を『女だから』という理由のみで見下し、舐めてかかり、私に叩きのめされている始末。
それを力づくで従えて、そこそこ使えるくらいにまで鍛え上げた。私は本当に偉いと思う。他の教官ならばきっと途中で匙を投げた。
今回のマンティコラ討伐は、私が立てたいかなる状況でも対応出来る作戦に、兵士が背いたから訪れた結果だ。正直、庇いきれない。当然だとしか言いようがない。
それら全てを伝えた上で、父に報告した。優しい人ならきっと『そうだな。それは仕方がなかった』と言ってくれるだろう。
だが私の父は、私には優しくない。
「それを上手くまとめて、率いるのがお前の役目だろう。我が騎士団は高潔だ。女だからという理由で上司を下に見るような奴らはいない。お前の思い違いだ。男に対する劣等感だ。お前は自分の被害妄想で未来明るい騎士の卵たちを死なせた。次同じことをしたら、お前を勘当するからな」
父はそう冷たく言い放つと、部屋のドアへと歩いていく。私は言い返したい気持ちをぐっと堪えて「肝に銘じます」とだけ答えた。
父はあからさまにため息をつくと、ドアに手をかける。
「アニレアは、皇太子妃になったのに、お前はどうして家の名に泥を塗るんだ」
父が出ていった後、私は数秒ほどの沈黙を置いて、テーブルを蹴り飛ばした。
「······あ〜クソッ! 冗談じゃない! 何が思い違いだ! 劣等感だ! バカにしやがって!」
蹴り飛ばされたテーブルは、部屋の端まで飛んで、脚が折れた。
父は私とアニレアを比べた。それが余計に腹が立つ。
「アニレアは私の婚約者を横取りしたのに!」
知性、礼儀作法、秀でた運動能力も全て、努力で勝ち取った。全ては生まれた時から決まっていた皇太子の婚約の為に。妥協すら許されなかった。
元からのつり目も、への字口も、理不尽な怒りに耐えて、化粧を覚えたと同時に、タレ目に変えて常に微笑むように努力した。
それら全ての努力を、妹のアニレアは奪い取っていった。
私と同じつり目の二つ下の妹は、何もしなくても愛される存在だった。そして奪うことが好きな女だった。
小さい頃からずっとそうだ。私が狩った雉も、闘技大会で得たトロフィーも、初めて自分で買ったドレスでさえ、彼女のものとなった。
誰も私の言うことを信じてはくれなかった。でも私は皇太子の婚約者だ。それだけが今は誇りだ。──と思っていたのに。
『お姉様、私と皇太子の婚約代わって!』
その一言から、私から本当の意味で全てが消えた。
正式な結婚の相談に顔合わせした時に、アニレアは皇太子に惚れた。
もちろん王族側も、私も反対した。が、アニレアは一歩も譲らなかった。意地でも皇太子と結婚したかったらしく、私に嫌がらせをしたり、親を泣き落としたりとそのワガママっぷりを発揮。
二度目の顔合わせで惚れ薬を使い、見事婚約者を強奪。そのまま結婚してしまった。それは奇しくも、私の十七歳の誕生日だった。
「だから私は、せめて家の為にと騎士になったのに!」
苛立ちと悔しさを吐き出す場所がなく、私は騎士団に入り、戦場に怒りをぶつけた。幼い頃から厳しい稽古をつけてきた分、すぐにムールアルマ騎士団副団長にまで登りつめた。
元団長の父よりも剣術は強い。現国王からの信頼も厚い。
それでもどうして父は私の言葉を信じてくれないのだろうか。
どうして私から何もかもを奪い取っていったアニレアを、可愛がるのだろうか。
私は悔しくて仕方がなかった。手にしていた本を床に放り投げ、ベッドに横たわる。何よりも大事な剣を抱いて、私は少し昼寝をした。
穏やかに過ごすはずの、心地よい日差しの午後だった。