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第三十七話 確認

 シピは手紙をたたみ、納屋の中を見回す。引き出しがついた小さな机をみつけて、それにしまおうと引き出しを開ける。小割作業用と思しき腰鉈が、革の覆いに包まれていくつか並んでいた。しかし、しばらく使われていないのだろう。蜘蛛の巣が張っていたので、それを払う。ここに住むにはいくらか掃除が必要だと思えた。

 シピが振り返ると、オネルヴァは世話人の外衣を着て藁むしろの上で膝を抱えている。風がごうと唸り、納屋を軋ませた。せっかく着けてくれた火鉢の火も心許なくて、シピはこの後どうしようと思案する。納屋は、納屋だ。夏ならばまだしも、山間の雪深いこの村で過ごすには、なにか対策が必要だ。

 また納屋の扉がきいと開いてケシュキタロ夫人が入ってくる。手には、漬け物のような匂いのする小さな包み。それに、皮衣。言葉はない。夫人が包みをシピが向かっていた机の上にそっと置く。そしてぽつりとつぶやいた。


「食えるもんじゃないかもしれんけんど」

「ありがとう。いただきます」


 ケシュキタロ夫人は無言で皮衣をシピへとおしつける。それは、先ほど作業場で見た干された皮とは違う。しっかりと加工され、匂いもなく、ていねいに仕立てられた立派な製品。おそらく売りに出す直前の商品だろう。申し訳なく思いつつもありがたい。大きな寸法の物をシピが着込み、もう一着の小さな物をオネルヴァへ着せかける。夫人はシピのその行動をじっと見ている。


「……あんたらには、他にもっといい場所があるだろうに」


 ぽつり、と夫人は言った。シピは振り返りそちらを見る。皺の多いその顔は、そのすべてに深い悲しみが刻まれているように雄弁だ。その言葉は拒絶ではない。本当にそう思って述べられたのだとシピは察する。……しかし実際には、シピたちには他に行く宛などないのだ。


「夫人、たいへんなところを受け入れてくださりありがとう。私たちは、本当に他へは行けぬのだ」

「婆と呼びな。フジンなんてたいそうなもんじゃない」


 そう言って夫人――ケシュキタロ婆は戸口へと向かう。オネルヴァはその姿を見ながら首を傾げ、呼びかけた。


「ばあ」


 戸を開けようとした手が止まる。振り返った婆の目が、オネルヴァを静かに見つめる。言葉のない間に、また風が納屋を叩いた。そして婆は胸の内を少しだけ明かした。


「――あの子は、あっしらに関わらん方がいいと思ってたんよ。向こうでうまくやってるなら、それでいい」


 多くを語らなくてもわかる。それは世話人の幸福を願った言葉だ。この閉鎖的な場所ではなく、世の誉れを受けられる場所で。シピはその佇まいに自分の両親を思い出す。そして、胸が痛んだ。……目を逸らして来た痛みだ。


「……でも、手紙にああ書いてあっちゃ、知らん顔はできないよ」

「手紙は、あなたたちが持っていた方が……」

「読めやしないからね。あんたが持っていておくれ。あっしらが、そんなたいそうなもんは持てん」


 たしかに、タイヴァスでは見慣れたものだったが、世にあって紙は貴重なものだ。ましてこうして、人里から遠く離れて存在している集落ならなおのこと。シピは是と言い、それに従う。

 婆が去った後、シピは残された包みを開けた。中には、楢の葉に包まれた塩漬けのきゅうりが数本。もしかしなくても、これは貴重な冬のための食料のひとつではないだろうか、とシピは思う。もてなしはできないと言いつつも、婆はここでできる最上級のもてなしを差し伸べてくれていると感じた。食べてしまうわけにはいかないと思い、もう一度包みを結ぶ。

 オネルヴァは外衣の上から着せられた皮衣の匂いを嗅いでいた。シピは思わず笑う。そして、これはだいじょうぶだと告げた。


「……オネルヴァ。これからのこと……これまでのことを、話し合えますか」


 火鉢の中で炭が弾けた。まだ昼間ではあっても納屋の中は薄暗く、壁の隙間から差し込む光で互いの顔を見る。シピはオネルヴァへ歩み寄り、その隣りに座った。オネルヴァはじっとシピを見ている。

 あらためて、確認しなければならない。ここでの冬は、寒いものになる。


「オネルヴァ。タイヴァスを出たときのことは、覚えていますか」


 ゆっくりと、オネルヴァはまばたく。シピは言葉を続ける。


「……ウルスラに出会って、最初はハメサロへ。そこから大きく進路を変えてコルヴェンキヴィへ」


 もう一度、まばたき。シピはオネルヴァの美しい蒼碧の瞳を見る。それは世話人に似ていて、無垢で、シピのことを信頼しきっている色。

 言葉を迷ってシピは納屋の中を見回した。シピがオネルヴァを連れ出して選んだのはこの部屋。タイヴァスの美しい建物ではなく、住むにも不安なこの場所。

 だから、確認しなければ、と思う。シピにとってもなにもかもが初めての生活が始まる。


「コルヴェンキヴィの、階段の先の部屋で、あなたは私を選んでくれた」


 あのときもらった是認を、シピはわすれていない。それがあるからこそ心を立てていられる。オネルヴァはまばたき、首を傾いだ。シピはその小さな手を取る。


「長い時が過ぎたように感じます。いろいろあった。けれど、あれから数週間しか経っていない」

「十七日」


 シピの言葉へ、はっきりとオネルヴァが述べる。シピは驚いた。オネルヴァは、移動の最中も暦を数えていたのか。そこまで気が回らなかった自分を恥ずかしく思う。


「……そうか。それほどしか経っていないのですね。多くを学んで、実り多い十七日間だった」


 オネルヴァはまた首を傾ぐ。シピを急かすことなく、彼女は言葉の先を待ってくれる。


「これからも、私は――いえ、きっとあなたも、ずっと学び続けることになります。ここでも。タイヴァスのあの、白い部屋のように暖かくも清潔でもない。そんな場所です。私は、あなたをここに連れて来ました」


 深呼吸をする。自分の成したことの重大さ、そしてその責任を思う。森の中での夜、御者の男性に言われた言葉。それらを反芻する。

 納屋を叩く風の音は止まない。火鉢の中で火が一瞬大きく燃え上がった。シピは静かな気持ちで再度オネルヴァを見る。その瞳はまっすぐにシピを見ている。


「――あなたのこれからの人生は、すべて私に責任がある。正直なところこの後、どうなるかわからない。けれどどのような環境でも、精一杯あなたの幸福を追い求めると誓います。どうか、これからも……私に着いて来てくださいますか」


 飾った言葉は出せなかった。ただそこにシピの正直な思いがあるだけだ。オネルヴァはシピの手を握り返した。そして、はっきりと首を傾ぐ。


「シピ。いっしょ」


 泣きそうな気持ちで、シピはオネルヴァをかき抱いた。腕の中でオネルヴァが身動ぎする。どんなに是認をもらっても不安になるシピの弱い心は、満たされて広がった。


「十三。あした。あさって、十四日」


 シピに抱きしめられたまま、オネルヴァが声をあげた。なにを言われたのかわからず、シピは体を離す。

 オネルヴァは確認するかのようにシピを仰ぎ見て首を傾いだ。


「六度目の月経。終わり、十四日目。器の儀。いい?」

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