第7便 ヒーロー
「……ガトウ」
目にも止まらぬ速度で走り去っていくガトウの背中を見つめている今の私は、さぞかし間抜けな顔をしていることだろう。
……いや、おそらく彼はガトウという名ではない。
彼は……、彼こそがきっと――。
「……ンフフフフフフフ、【魔牢束縛陣】を破った時はほんの少おおしだけビックリしましたが、どうやらただの虚仮威しだったようですねえ」
「……本当にそう思うのか?」
「っ! ……何ですって?」
まったく、つくづく呆れたやつだ。
「ただの虚仮威しであんなことが出来ると貴様は本気で思っているのか? だとしたら見た目通りおめでたいことこの上ないな」
「くっ!! ワタクシの【魔牢束縛陣】の前に手も足も出ず泣き喚いていた方の台詞とは思えませんねッ!」
「うるさいッ!! もう二度と同じ手は食わん!! 今度こそ貴様はこの手で討つ――!!」
「ンフフフフフフフ、いいでしょういいでしょういいでしょう! 特別にあなたはじっくりたっぷり可愛がってさしあげますよおッ!」
見ていてくれ、父さん母さん――。
「妖精の森は今宵も唄う
王から女王へ
女王から臣下へ
臣下から民へ
民から王へ
盃は廻り廻る
宴は続く
夜は続く
総ては闇夜に融けてゆく
――【夢幻演舞】」
「ンフフフフフフフ、浅はかですねえ浅はかですねえ浅はかですねえ!! ついさっきそれで返り討ちに遭ったのをもうお忘れなんですか!?」
「いや、もちろん覚えているさ」
「……何ですって? ――なっ!?」
私は九人の分身だけをカシャバールに向かわせ、本体である私は後方に下がった。
これなら【魔牢束縛陣】を使われても、私だけは拘束から逃れることが出来る。
【魔牢束縛陣】破れたり――!
「……ンフフフフフフフ、だから浅はかだと言ったのですよ」
「む!?」
何だと!?
「あっ、そおおおおおれ」
「――!!」
カシャバールは右手の鞭を激しく振り回した。
――それはまるで嵐のようだった。
全てを薙ぎ倒し蹂躙する、無慈悲な暴風を彷彿とさせた。
瞬く間に私の分身達は一人残らず小間切れにされてしまった……。
「そ、そんな……」
「ンフフフフフフフ、わかっていただけましたか? アナタとワタクシでは、そもそも生き物としての格が違うのですよ」
「くっ! まだだあああああッ!!!」
私は今日までこいつを殺すためだけに生きてきたんだ。
そのために地獄のような鍛錬を積んできた。
――だからたとえ刺し違えてでも、こいつだけは倒す。
私は決死の覚悟でカシャバールに突貫した。
「ンフフフフフフフ、無駄無駄無駄ァ!!」
「ああああッ!!」
――が、カシャバールの高速の鞭を避けきれず、鞭を受けた鎧の左半身が砂糖細工のように脆くも砕け散った。
そして左手の剣が吹き飛び、物見櫓に突き刺さる。
……クソッ、やはり力では敵わんか。
私は堪らず片膝をついた。
「ンフフフフフフフ、さあて、これでおわかりになったでしょう? ワタクシの圧倒的な力を」
カシャバールは心底愉快そうな顔で私を見下しながら、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「ではこれから死なない程度に、あなたにこの鞭をワタクシが飽きるまで振るってさしあげますね」
……くっ、悪魔め。
『ねえねえそれよりもカシャバールさん、メガネをかけてる女の人って何であんなにエロいんだろうね?』
「確かにいいいい!!!! メガネ女子こそが至上のエロスウウウウウ!!!!!」
……フン、その油断こそが命取りと知れ――!
「貴様がその位置に立つのを待っていた――!」
「……何ですと?」
私の正面に立つカシャバールの背後には、物見櫓に私がワザと突き刺した双剣の片割れが光っている。
「死は音もなく後ろに立つ
瞳は前触れなく色を無くす
秒針は幼子に捻じ曲げられる
星々は気まぐれに輝くのをやめる
それはほんの刹那のこと
永遠にも感じる刹那のこと
――【心射斑閃】」
「――なっ!?」
双剣の片割れから電撃が発生し、それが私が握る双剣の刀身まで伸びて光の筋を形作った。
そしてその光の筋はカシャバールの左胸を貫いている。
――これぞ私の奥の手、【心射斑閃】。
電撃を相手の心臓に直接通すことで、強制的に心臓麻痺を起こす、文字通り一撃必殺の技――!
人型の魔族は人間と同じく左胸に心臓が付いていることは経験上わかっている――。
これで……終わりだ!
「が……かはっ。…………ンフフフフフフフ、なあんちゃって」
「何ッ!? あ、あああああああッ!!!」
カシャバールの振るう鞭をモロに喰らってしまい、私は激痛と共に吹き飛ばされた。
……そ、そんな!?
「……な、何故だ。……確かに【心射斑閃】は貴様の左胸に突き刺さったはず」
「ンフフフフフフフ、ええ、ええ、確かに刺さりましたよ確かに刺さりましたよ確かに刺さりましたよ、私の左胸にねえ! ――でも人間でもたまにいるんでしょう? 右胸に心臓が付いている人がねえ」
「――!! ま、まさか……」
「そのまさかですよおおおおお!!!! 私は右胸に心臓が付いてるんです!!! いやあ、流石の私も今のを心臓に喰らっていたら危なかったかもしれません!! やはり普段の行いが良いからですかねえ!」
『カシャバールさんは蛹から脱皮しようとしてる蝶を見掛けたら、いつも欠かさず「がんばれ♥がんばれ♥」って声援を送ってあげてるもんね』
「ちょっとおおおお!!!! そういう恥ずかしいエピソードをバラさないでよカッシャくううううん!!! まあ、その後で脱皮した蝶を握り潰すのが快感なんですけどねえ!」
「う……、くぅ……」
悔しい……!
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい……!!!
何でこんなやつがのうのうと生きていて、父さんや母さんみたいな世のため人のために身を粉にして戦っていた人間が死ななきゃいけないんだッ!!!
そんなのは絶対間違ってるッ!!!
絶対絶対間違っているのに……!!
……もうさっきの【心射斑閃】で魔力も空で、身体が自分のものではないみたいに一切動いてくれない。
――ここまでなのか。
「ンフフフフフフフ、さあて、それでは今度こそショータイムの始まりですよおおおお!!!!」
「待てぃ!!」
「「――!!」」
こ、この声は――!
「それ以上ダナカには――指一本触れさせん!!」
「「――!?」」
何故か上空から声がしたことに疑問を抱きつつも見上げると、物見櫓の上に腕を組みながら、私のヒーローが颯爽と立っていた――。