01 セシリアは憧れの人の情報が欲しい
この日、ランチェスタ侯爵家では、珍しくお茶会が開かれていた。
お茶会といっても参加者は二人きりで、一人はランチェスタ侯爵家の令嬢セシリア=ランチェスタ。そして、もう一人の参加者は、テーブルをはさみセシリアの向かいに座っている男性だ。
実はこれはお茶会という名目で開かれた、婚約者を選ぶための顔合わせだった。
セシリアは、目の前の男性をこっそりと観察した。男性は、『氷の騎士』という呼び名に相応しくひどく冷たい顔をしている。銀色の髪は、誰も踏み入ることのできない雪原のように美しく、こちらを見つめる青い瞳は凍りついた湖のように寒々(さむざむ)しい。
彼の名前は、べイル=ペイフォード。
(ベイル様がいくらお美しい顔をしていても、こんなに冷たい瞳で睨まれたら、皆、逃げ出すわ)
もちろん、今現在、ベイルに睨みつけられているセシリアも逃げ出したい気分だった。
(もし、これが本当に婚約者候補としての出会いだったら、私も逃げ出していたわ……)
ベイルから放たれる無言の圧に耐えられない。うっかり彼と結婚してしまったら、一生この圧にさらされるかと思うとゾッとする。
(あのペイフォード公爵家の嫡男という高い地位にもかかわらず、未だにこの方に婚約者がいない理由がわかるような気がするわ)
セシリアは実際にベイルに会って、その威圧感にふるえたが、実はベイルの問題はこれだけではない。むしろ、これくらいなら『政略結婚のうち』と我慢できる令嬢もいたはずだ。
セシリアは、覚悟を決めて、おそるおそるベイルに話しかけてみた。
「このたびは、妹様のご婚約おめでとうございます」
そのとたんに、ベイルの冷たい表情が、少しだけ穏やかになる。
「ああ」
「遠目でございましたが、クラウディア様はとてもお美しい方ですね」
その言葉にベイルは少し笑みを浮かべて「そうだろう」と自慢げに言った。
「妹のディアは昔から愛らしく、かつ聡明だった。日に日に美しくなっていくので、兄としてもいつも心配していたのだ」
ベイルは、先ほどまでとは打って変わり、急に饒舌になったかと思うと、聞いてもいない妹の愛らしさを語り出す。
そう、彼は重度のシスコンだった。そのせいで、『愛のない政略結婚でもいいわ』と近づいてきたご令嬢方も『さすがに無理!』と逃げてしまう。
(でも、私は違うわ)
嬉しそうなベイルより、さらに嬉しそうにセシリアは微笑んだ。
「そうなのですね。それで、愛らしいクラウディア様は幼少期をどのようにお過ごしでしたか!?」
ベイルに質問しながら、セシリアは勢いあまってテーブルに少し身を乗り出してしまった。侯爵家の令嬢としてあるまじき行為だったが、ベイルは気にした様子はない。
「そうだな。幼いころのディアは、まるで妖精のようで、いつも愛らしく微笑んでいた」
「そうなのですね!」
「俺が剣の鍛錬に行く時には『お兄様、いっちゃヤダ』と駄々(だだ)をこねて」
「クラウディア様、愛らしい!」
「母がディアを止めると『お兄様とけっこんするの!』と泣き出してしまい」
「クラウディア様……と、尊いわ……」
ベイルの話を聞きながら、幼き日のクラウディアに思いをはせて、そのあまりの可愛らしさにセシリアは胸が苦しくなった。
(これよ、これ! 私が聞きたかったのは!)
先日、王城で大規模な夜会が開かれた。その夜会の目的は、この国の第三王子の婚約者に選ばれた、ベイルの妹クラウディア=ペイフォードのお披露目だった。
クラウディアは、今まで公の場に一度も出たことがない深窓のご令嬢で、身体がとても弱いというウワサをセシリアも聞いたことがあった。
そんな彼女が、王子の婚約者に選ばれたと発表されたので、国中が『いったいどんなご令嬢なのだ?』と好奇の目を向けた。
夜会会場に、王子のエスコートを受けながら銀髪の美しい少女クラウディアが現れた瞬間、会場から音が消えた。
『音が消えた』というのは、そういう言い回しではなく、クラウディアのあまりの美しさに、その場にいた全ての人が心を奪われてしまい、王宮楽団ですら演奏することを忘れてしまったのだ。
(私なんて、クラウディア様に見惚れてしまって、隣にいらっしゃったはずの殿下のお顔すら覚えていないからね)
あとからその場にいた友人に聞いたところ、王子は南部地域の血を引いていて、赤い髪の麗しいお方だったそうだ。そんなことを『どうでもいい』と思えるくらい、セシリアはクラウディアにしか興味がなかった。
(私、昔から儚く美しいものに弱いのよ)
セシリア自身、ランチェスタ侯爵家の令嬢ということもあり、それなりにちやほやされて育ってきた。「愛らしい」「美しい」などと、お世辞を言われることもある。
(でもね……。うちの家系、なんかこう、地味なのよね……)
よく言えば、お堅く誠実。悪く言えば、パッとしない。それがランチェスタ侯爵家だ。
セシリア自身も、顔は悪くないものの、髪はよくあるブラウンで、瞳も同じくブラウン。それは、華やかで美しい外見の女性を妻に迎えたがる貴族の娘としては珍しい。
(私のお父様もお母様も地味だし、ここまでくると、『地味』はもうランチェスタ侯爵家の個性よ。我が家は王家への忠義に厚く、誠実を売りにしている一族ですもの。そのおかげで、今回の『血まみれの王位継承問題』に巻き込まれなかったのよね)
美しいクラウディアの隣に立つ少年は、この国の第三王子だ。本来なら、王位を継ぐはずもない王子が現在、王位第一継承者になっていることから、そうとう血腥いことがあったのは確かだ。
ただ、これについては、王家に厳重に情報管理されていて詳しいことはわからない。事情を知っている父からは「セシリア、お前は知らなくていい」と珍しく怖い顔をされてしまった。
(大丈夫よ、お父様。そのようなことには、少しも興味がありませんから! 私はただクラウディア様の情報が知りたいの! あの美しい方をもっと近くで拝見したい、できればお友達になりたい! ただそれだけなの!)
そうはいっても、クラウディアはこれまで一切社交をしていなかったので、クラウディアと親しい人は誰もいなかった。
(お近づきになりたくても、クラウディア様の好みがわからないわ……。何がお好きなのかしら?)
クラウディアは、次期王妃になる尊い方なので、こちらから馴れ馴れしく近づけない。うっかり彼女の機嫌を損ねたら、父にも家にも迷惑をかけてしまう。
(……という言いわけをしているけど、ようするに、私がクラウディア様に嫌われたくないの)
そこで思いついたのが、クラウディアの兄ベイルだった。
(確か、『婚約者を探している』って聞いたことがあったのよね。クラウディア様のお兄様だったら、クラウディア様のことを聞き放題じゃない?)
そういう邪念からセシリアが父に「ベイル様の婚約者候補になりたいです」と言うと、驚きながらも父は、ペイフォード公爵家と繋いでくれた。
(ベイル様も、社交界にはほとんど出てこないけど、ものすごい美形だって聞いたことがあるのよね。まぁ、あのクラウディア様のお兄様だから、美形に決まっているわね。私みたいな地味な女に会ってくれるかしら?)
向こうから断られることも考えていたが、よほど婚約者探しに困っていたのか、ランチェスタ侯爵家の地位が効いたのかはわからないが、数日後には『ランチェスタ侯爵家のお茶会に招待された』という名目でベイルが我が家にやってきた。
父と母は、にこやかにベイルを歓迎しながら「あとは若いお二人で~」と言い残し、セシリアを置いてサッサと退場してしまった。
置いていかれたセシリアは、ガーデンテラスで、ベイルと向かい合いお茶を飲んでいる。
ベイルは、とても姿勢が綺麗で、服の上からでも鍛えられたたくましい体つきなのがわかった。
聞くところによると、ペイフォード公爵家の騎士団は、彼が騎士団長を務めていて、その全てを取り仕切っているらしい。それに加えてこの氷のように鋭い美貌。
(予想以上の美形だわ。私が相手にされることはないから、チャンスは一度きりね。今ここで、クラウディア様のことを聞きまくるのよ!)
ベイルのことは事前に調べられるだけ調べておいた。もちろん彼が重度のシスコンなことも知っている。だからこそ、ベイルはクラウディアのことを喜んで話してくれるだろうと、セシリアは予想していた。そして、その予想は当たった。
セシリアは、興奮して荒くなった息を整えながら、ベイルに話しかけた。
「クラウディア様はどのようなお茶がお好みなのでしょうか?」
「クラウディア様のご趣味は?」
「クラウディア様のお好きな食べ物は?」
「クラウディア様のお好きな色は?」
嵐のような質問に、ベイルはたじろぐことも、言い淀むこともなく、スラスラと答えてくれた。その答えを忘れないように、セシリアはテーブルの下でこっそりと紙に書いていく。
(だいぶクラウディア様のことがわかってきたわ)
フフッと満足して微笑むとバチッとベイルと視線が合った。冷たい瞳がセシリアを睨みつけている。
(ひっ)
なんとか悲鳴を飲み込み、セシリアは自分自身を励ました。
(わ、私のクラウディア様への憧れは、こんなことでは挫けないわ! クラウディア様のお話が聞けるのなら、ベイル様に睨まれてもかまわない! どうせもう二度とベイル様には会わないんだから)
セシリアは、逃げ出したい気持ちを必死に我慢して、精一杯の愛想笑いを浮かべた。