86:マッチョ小隊と旅立ち
この国の北端にあるハークス伯爵領は、北の国と接している国境沿いの領地である。
友人のノーラが住む北東の領地は険しい岩山に囲まれているため、外国から攻められにくい。
その点、ハークス伯爵領の北にあるのは普通の山だ。
馬で通ろうと思えば通ることができる。
もちろん、領地の周囲を壁で囲むなどの対策はしているが、今回のように相手が野盗であれば、小回りが利くぶん厄介だ。
それで、リュゼが領地に戻ることになってしまった。
(お兄様とお祖父様が揃えば野盗くらい退治できるよね……と思っていたけれど)
ここで南や西にも同様の被害が出てきたのは予想外だ。
もともと、ハークス伯爵領内では多少の野盗被害はあった。
だが、数年前からはリュゼが治安面にも力を入れており、被害はほとんどなくなっている。
(だというのに、不自然な野盗の発生。私でなくても、人為的なものを感じるよね)
ルーカスの話によると、リュゼは北、祖父は南で野盗の集団と対峙しているという。
「南はリカルドの父親が治めるアスタール伯爵領に接していますね」
「祖父や従兄のことですから、『迷惑をかけるわけにはいかない』と、そちらを優先したんだと思います」
北の国の特徴である銀髪をかきあげたルーカスが呟き、リカルドが眉根を寄せる。
「アスタール家から援軍を出したいところだが、あいにく父と母はこちらに向かっていて領地にいない。兄が動いてくれれば良いが」
リカルド曰く、ミラルドはそんなことができる器ではないらしい。
そして、ハークス伯爵領の西側は、兵を送っているものの他と比べて手薄になっている模様。
話をしている途中で伝令の男がルーカスのもとに駆けつけ、彼の耳元でゴニョゴニョやっている。
「……それは、由々しき事態ですね」
伝令が立ち去ると、険しい顔のルーカスがこちらに向き直った。
「新たな情報が入りました。僕の姉が所有している兵士がハークス伯爵領内へ侵入。ハークス伯爵は、そちらの対応に追われています。兵士の数が多く苦戦しており、領地に住む一般人にも被害が出ているようです」
北の王子がそう言い終わるのと同時に、私は礼を言って踵を返す。
「ブリトニー?」
心配そうなリカルドに向け、私は静かに今後自分がすべきことを伝えた。
「私、領地に戻る。お祖父様もリュゼお兄様も困っているはずだから」
それを聞いたリカルドが、ぎょっとしたような顔になる。
「何を言っているんだ。正気なのか?」
「もちろん。確かに私に戦闘はできないけれど、他に役に立てることがあるはず」
まずは、南側でお祖父様に合流して状況を聞く。
そうして、できれば西側で苦戦している兵を助け、被害にあっている住民を助けたい。
(野盗相手に戦闘はできないけれど、救助活動や復興作業の手助けはできるもの)
私の決意が伝わったのか、リカルドが重い溜息をついた。
「わかった、両親とは入れ違いになるが……俺もブリトニーと一緒に行く」
「来なくていいよ。ハークス伯爵領の問題だし」
「み、南側はアスタール伯爵領との境目だろ。こちらとしても、無関係じゃいられない! 兄がきちんと手を打っていれば良かったが、どうせ何もしていないだろうし……」
病弱なミラルドは、あまり実務に携わることもなく、こういう非常事態に何をすれば良いのかわからないみたいだ。
彼とは一度しか会ったことがないので、人となりについてはなんとも言えない。
でも、リカルドの手柄を奪おうとしたことは覚えている。
「そうと決まれば、急いだ方がいい。マーロウ殿下に知らせよう」
「うん……! ありがとう、リカルド!」
私とリカルドは、急いで王太子の元へ向かい事情を説明した。
「そういうことなら仕方がないが、心配だな。特にブリトニー」
「ぐっ……反論できません」
「君はこういった事態は初めてだろう。男子は学園や家である程度、兵の指揮に関する知識を得るものだが。令嬢たちは、そういったものに接する機会がない」
「おっしゃる通りです。私は、祖父や従兄に聞いた知識しかありませんし、実戦経験はゼロなので」
そもそも、今は平和な時代で、貴族の男子でも滅多に実戦経験は積めないだろう。
(私が他に持っているのは、前世の漫画の知識くらいだしなあ。戦いに行くわけじゃなくて、住民の避難の手助けや怪我人の手当て、物資補充の手伝いができればと思っているんだけど。それでも、危険は伴うものね)
私は、マーロウ王太子に向かって自分の考えを告げた。
「マーロウ様、私は自分ができることをしに行きます。きっと手助けできることがあるはずだから」
「……ブリトニーが折れないことはわかっていた。仕方がない、私の兵を貸し出そう」
こちらの行動を予測していたらしい王太子の背後の廊下から、銀色の鎧に身を包んだ兵士たちがぞろぞろと現れる。その数は、四十人ほどだ。
どこかで見たことがあると思ったら、東の庭近くでブートキャンプをしていた面々だった。
「とりあえず、今すぐに動かせるのが一個小隊だけだった。追って援軍を送る」
「ありがとうございます、こんなにまでしていただいて」
一人で向かうことも覚悟していたので、他に兵士をつけてもらえるのはありがたい。
「リュゼの危機だからな、力になりたいと思うのは当然だ。リカルドもついて行くのだろう?」
「もちろんです、ブリトニーを一人で行かせるなんてできません」
「私はここを動けないが、できる限りのことはするつもりだ」
静かに王太子に向けて頭をさげると、彼や兵士たちのさらに後ろから甲高い声がした。
「ブリトニー、お待ちになって! ちょっと、あなたたち邪魔ですわよっ!」
兵士たちを押しのけてやってくるのは、王女のアンジェラだ。
彼女も、ハークス伯爵領の情報を知ってやってきたのだろう。
「アンジェラ様……」
「まったく、面倒なことになりましたわね! ものすっごく不本意ですが……こうなった以上、ハークス伯爵家の令嬢であるブリトニーを止められません。あなたは貴族の責任を果たしに行くのですから」
我儘王女から「責任」などという言葉が出てくるとは思わなかった。
マーロウの教育の賜物かもしれない。
「けれど、気をつけるのですよ。無事に帰って来ないと承知しませんからね!」
真っ赤な顔でそう言いたててくる王女を見て、私は思わず笑みを浮かべた。
彼女の言葉に優しさを感じ、ちょっとだけ感動してしまう。
「はい、アンジェラ様。問題を解決して必ず戻って来ますね」
今にも泣き出しそうなアンジェラたちに見送られ、私たちは故郷へ向けて旅立った。
目的の方角には、不安な気持ちを掻き立てるような黒い雲が広がっていた。