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一年前の貴族院 その3

 

 翌日の講義でもヴィルフリート様の様子は変わりませんでした。わたくしを見ると少し表情を変えて、挨拶を避けるように距離を取ります。「聞かなかったことにする」と真逆の態度に、わたくしはどうしたものかと途方に暮れました。周囲からの好奇の視線が増しているのです。


 その態度は上位の領主候補生に対するものではない、と咎めなければなりません。これを許せば、ダンケルフェルガーがエーレンフェストに対してそれだけ重大な失態を犯したのだと周知することと同意なのです。


 同じ教室にいる領主候補生が寮で話をすれば、寮監や他の学生達も領地間で何があったのか探ろうとするでしょう。当然、ダンケルフェルガーの寮にもヴィルフリート様とわたくしの間で何かが起こり、わたくしが蔑ろにされていると伝わるのは時間の問題です。


 ……コルドゥラに伝わったら、どうなることか!?


 嫁盗りディッターの後、わたくしがエーレンフェストを庇うことに対して不満を持つ者は多いのです。わたくし達の確執を知れば嬉々として領地間の問題に発展させようとするでしょう。その時大変な目に遭うのは、ヴィルフリート様だけではございません。領地全体が巻き込まれるのです。わたくしがエーレンフェストは悪くないから、と庇ってきた時間が全て無駄になります。


 けれど、求婚した張本人のわたくしからヴィルフリート様へ「態度が良くないですよ」と指摘するのは、あまりにも烏滸がましくて、気が重く思えます。それに、ヴィルフリート様はわたくしと挨拶さえ交わさないように距離を取っているのです。そのような話し合いをする機会があるとは思えません。


 ……どうしましょう?


 オルドナンツでは周囲の者に筒抜けですし、手紙でも文官や側仕えが先に内容を確認します。大領地の立場から命じて呼びつけ、盗聴防止の魔術具を使ってヴィルフリート様本人だけに注意するのが一番穏当なくらいです。けれど、今ダンケルフェルガーの立場を使って呼びつけたら反発は必至でしょう。わたくし達の関係が完全に破滅するのは目に見えるようです。「聞かなかったことにする」とおっしゃったヴィルフリート様のお立場を尊重しつつ、上手く指摘する方法が思い浮かびません。




「ハンネローレ様、ヴィルフリート様。少々お話がございます。残っていただいてよろしいかしら? 週末の奉納式のことで少し質問があるのです」


 講義の終わりにニコリと微笑んだエグランティーヌ先生から声をかけられました。わたくしが驚きに目を見開いて見上げると、仕方のない子を見るような顔をした先生と目が合いました。「週末の奉納式」とおっしゃいましたが、それならばダンケルフェルガーの領主候補生であるわたくしを残す必要はありません。おそらくヴィルフリート様と話をできる時間を設けてくれるおつもりなのでしょう。ありがたいお心遣いですし、言わなければならないことはわかっているのですが、わたくしからヴィルフリート様に指摘することを考えると、どうにも陰鬱な気分になります。


 ……きっと嫌がられるでしょうね。


 他の学生達はエグランティーヌ先生の理由に納得しているのでしょうか。こちらをちらちらと見ながらですが、退室していきます。


「何のお話でしょうか?」


 昨日と同じように三人だけになった教室で、機嫌の悪さを顔に出したままのヴィルフリート様が、わたくしから距離を取った状態でエグランティーヌ先生に問いかけました。わたくしとは話をしたくないと主張するように、頑なにこちらを見ようとししません。その態度にわたくしは少なからず傷つきます。


「あら、まさかヴィルフリート様には本日残された理由がおわかりにならないのですか?」


 エグランティーヌ先生がわざとらしく目を丸くしてヴィルフリート様に問い返すと、一度口元を引き結んだヴィルフリート様が俯きました。


「奉納式ではなく、昨日の一件のことでしょう。わかっています」


 その答えにエグランティーヌ先生は今度こそ本当に驚いたようにヴィルフリート様を見つめました。


「……昨日の一件が原因といえば原因でしょうけれど、何事もなく終わったのでしたら、わたくしは二人を残しませんでした。……もしかして本当にわからないのでしょうか?」

「……え?」


 ヴィルフリート様が虚を突かれたように顔を上げます。どうやら本当に今日の態度の危険性がわかっていなかったようです。エグランティーヌ先生はわたくしに視線を向けて、「ハンネローレ様はわかっていて?」と尋ねました。ヴィルフリート様の睨むような視線を感じながら、わたくしは答えます。昨日の一件が原因であるだけに、どうしても小声になってしまうことは避けられません。


「……ヴィルフリート様に指摘する時間を取ってくださったのですよね?」

「えぇ。本来ならば、このような注意は貴族院の教師ではなく側近の役目でしょう。けれど、教室内で起こり、秘めておくと決めたことが原因です。詳細がわからない彼等に指摘は難しいかもしれません。ですから、わたくしが呼んだのです」


 ほぅ、とゆっくり息を吐くと、エグランティーヌ先生は柔和な眼差しでヴィルフリート様を見つめました。


「ヴィルフリート様、昨日の求愛においてハンネローレ様の視野が非常に狭くなっていたことは間違いないでしょう。ダンケルフェルガー以外の領地ではまず見られない衝撃的な出来事でしたものね。あまりに驚いて、ハンネローレ様とどのように接して良いのかわからなくなったのかもしれません」


 ヴィルフリート様の表情から険が取れていきました。自分の気持ちに添ってくれる共感者を見つけたような、憧れている方に話しかけられて面映ゆいような表情で頷きます。


「けれど、教室という公の場で上位領地への振る舞いを蔑ろにしてはなりません。領地の順位に従い、公私を分け、感情を抑えることは貴族として基本中の基本です」


 わたくしが指摘しなければならなかったことをエグランティーヌ先生が指摘してくださいました。おそらく、想いを伝えたことを後ろめたく思うわたくしと、エーレンフェストへの気遣いに違いありません。今のヴィルフリート様では、わたくしから指摘しても反発心であまり重大に受け止めてくださらない可能性がありますし、少し伝え方を間違うと即座に領地間の問題に発展しかねませんから。


「昨日の一件は非常に個人的なことでした。わたくしはハンネローレ様が大領地の権威を振りかざした時は制止しようと思っていたのです。けれど、ハンネローレ様が行ったのはダンケルフェルガー式の求婚でした。まさかいきなり求婚すると思わなかったので、わたくしも面食らいましたけれど、受け入れるか否かの選択はヴィルフリート様に委ねられていましたよね? そして、聞かなかったことにするという貴方の答えをハンネローレ様は受け入れていました」


 ヴィルフリート様の驚きに共感しつつ、わたくしの行動の全てが間違っていたわけではないと賛助してくださっています。何をしても裏目に出ることが多いわたくしには、上手く間を取り持つことができるエグランティーヌ先生がとても眩しく感じられます。


「聞かなかったことにすると決めたのはヴィルフリート様ではございませんか。ならば、何もなかったはずの上位領地に対して挨拶もせず、不機嫌を顔に出していては領地間の問題に発展しかねません。一年生の宮廷作法の講義に合格したにもかかわらず、そのような言動ではアウブが卒倒するのではございませんか?」


 一年生にも劣ると指摘されたヴィルフリート様は青ざめました。けれど、その場ですぐにわたくしに謝罪するわけではなく、唇を噛んで立ち尽くしています。感情を抑えられずに歯噛みしているようにも、指摘されたところでどのように対処すれば良いのかわからなくて途方に暮れているようにも見えました。予想外に未熟な部分を見て、わたくしは目を瞬きます。


 ……ヴィルフリート様はこのような方だったかしら?


 一年生の宮廷作法の講義も一度で合格し、常に成績優秀な領主候補生で、いつも優しくて穏やかで婚約者への気遣いも忘れない素敵な方だと思っていました。けれど、目の前にいるヴィルフリート様はそうではありません。わたくしが知っているヴィルフリート様とずいぶん違います。


 ……ここにいる方がヴィルフリート様で間違いないはずなのに、どうして初めて見る相手のように思うのでしょうか……。それでは、まるでわたくしが恋していたのは、思い込みでできた虚像では……。


「ハンネローレ様も、ですよ」

「はい。大変申し訳ありません」


 わたくしはお母様に叱られている最中に余所事を考えてしまった時のように、反射的に返事をして姿勢を正します。エグランティーヌ先生のオレンジの瞳が今度はわたくしに向けられていました。


「昨日の一件が原因でヴィルフリート様の言動が変わったのですから、後ろめたくて指摘し難いことはよくわかります。あのような避け方をされては、上位領地の権威で呼びつけるしか方法がありませんもの」


 優しい口調でわたくしの気持ちに寄り添うようにおっしゃいますが、エグランティーヌ先生はキッパリと悪い点を指摘します。


「それでも、上位領地の領主候補生として指摘すべきことを放置してはなりません。今のヴィルフリート様の言動を受け入れることは、悪い意味での甘やかしになります。仮に、ダンケルフェルガーの学生の前で同じことが行われたら、自領の領主候補生が貶められたと感じる者もいたでしょう。線引きはきっちりとしてくださいませ。中途半端な優しさは誰にとっても良い結果にはなりませんよ」

「はい。とても危険性は高かったので領地間の問題に発展せずに済んでよかったです。エグランティーヌ先生、本当にありがとう存じます」


 わたくしが胸を撫で下ろして礼を述べると、エグランティーヌ先生が労るような表情でわたくしを見ながら微笑みました。


「わたくしも争いは好まないのです。それに、今のエーレンフェストをこれ以上危険に近付けたくございませんもの。ダンケルフェルガーとの間で断絶が起こらずに幸いでした。……では、ヴィルフリート様。謝罪を」


 ニコリと穏やかに微笑んでいても、甘やかすことはしないらしいエグランティーヌ先生はヴィルフリート様に対して昨日の午後からの態度を謝罪するように命じました。

 わたくし達二人の会話が理解できないような顔をしていましたが、ヴィルフリート様はゆっくりと深呼吸して表情から感情を消していきました。穏やかに微笑んだ領主候補生らしい態度で、わたくしの前にやってきて跪きます。表情は微笑んでいますが、深緑の目は笑っていません。


 ズキリと胸が痛みました。わたくしがダンケルフェルガーとエーレンフェストの間に、これ以上の溝を作りたくないと考えたことは伝わらなかったのでしょうか。エグランティーヌ先生があれほど説明してくださったのに、自分の言動によるエーレンフェストの危険性を認識できていないのでしょうか。


「第二位のダンケルフェルガーに対して大変無礼な態度を取ってしまい、本当に申し訳ございませんでした。ゲドゥルリーヒのようなハンネローレ様の寛容さを以て、どうか私の謝罪を受け取ってください」


 命じられて行うのは、謝罪の決まり文句で白々しい社交辞令です。そのような謝罪を受けても、今以上にヴィルフリート様との距離ができるように思えます。わたくしはこの場から逃げ出したくなりました。けれど、けじめとしてダンケルフェルガーの領主候補生はその謝罪を受け入れなければなりません。


「ヴィルフリート様の謝罪を受け入れます。これからもわたくし達が良き友人であれますように……」


 わたくしにとっては本心ですが、ヴィルフリート様には決まり文句として響いていることでしょう。その証拠に「勿体ないお言葉です」と言う笑顔が以前と違います。

 エグランティーヌ先生からこれから先の対処について教えられている間、ヴィルフリート様は笑顔で頷いていますが、こちらを見ようとはしません。これから先は普通の友人としてもお付き合いできなくなったことがよくわかります。わたくし達の関係性は完全に壊れてしまいました。


「ハンネローレ様はもう退室されてもよろしくてよ。わたくし、ヴィルフリート様とはまだお話しすることがあるのです」


 奉納式についてエーレンフェストと長くお話をすることは大事でしょう。わたくしは教室を出ました。青のマントをまとうわたくしの側近と、明るい黄土色のマントをまとうヴィルフリート様の側近が待合室にいます。わたくしの側近達が足早に近付いてきて、まるでエーレンフェストから守るようにぐるりと周囲を取り囲みました。


「ハンネローレ様、ヴィルフリート様との間に何かございましたか?」


 二日連続で二人して教室から出てくるのが遅いのです。迎えにやってきて待機しているわたくしの側近達が目を険しくすることは仕方ありません。わたくしはエグランティーヌ先生から周囲へ使うように提案された言い訳を口にします。


「エグランティーヌ先生から奉納式のことを尋ねられただけです。ダンケルフェルガーは昨年エーレンフェストと協力して神事についての発表をしたでしょう? その関係です。わたくしへの質問は終わりましたが、ヴィルフリート様はまだ時間がかかると思いますよ。……あまり疑問に思うのでしたら、エグランティーヌ先生に直接問い合わせてくださいませ」


 直接問い合わせろと言われて、言葉通りに問い合わせられるような側近はいません。精々寮監に問いかけるくらいですし、その後はエグランティーヌ先生が上手く取り繕ってくださるでしょう。


 ヴィルフリート様との友情さえ維持できなくなったずっしりと重い気持ちを抑え込み、上位領地の領主候補生に相応しい笑みを浮かべて、わたくしはその場を辞しました。




 虚勢はいつまでも続きません。自室に戻って着替え始めると、重い溜息を隠せませんでした。その瞬間、コルドゥラと側仕え達が目配せし合います。


「ハンネローレ様、ずいぶんと落ち込んでいらっしゃるようですけれど、本当にエグランティーヌ先生のお話は奉納式のことだけだったのですか?」


 問い詰めるような口調ですが、コルドゥラの目はひどく心配そうです。わたくしは少し目を伏せました。とても話せるような内容ではありません。


「お話自体は奉納式のことだけでしたよ。……ただ、エグランティーヌ先生が、とてもお幸せそうで……」

「……それがどうかなさいまして?」

「どうと言われても困りますけれど……。エグランティーヌ先生の幸せに満ちた、輝くような笑顔や如才ない会話がひどく羨ましく思えただけなのです」

「何故エグランティーヌ先生を羨ましいと感じたのですか? ハンネローレ様も王族に嫁ぎたくなったのでしょうか?」


 エグランティーヌ先生がツェントになり、王族が王族ではなくなる未来を知っているわたくしには、アンドレアの質問がとても不思議に感じられました。


「そうではありません。わたくしが一年生の時、当時最終学年だったエグランティーヌ先生は二人の王子から求婚されているけれど、次期王を決めるお立場なので安易には選べないという噂だったでしょう?」


 最終学年までエスコート相手を決められず、最終的には王座をジギスヴァルト様にお譲りすることで、アナスタージウス様は本気の愛を見せ、エグランティーヌ先生は次期王ではなく愛を受け入れたと語られています。ローゼマイン様が仲立ちしたのだとまことしやかに言われていますが、当時はまだ友人でなかったため、どの程度まで関わっているのかわかりません。


「愛を選んで行動して幸せになれる者と、幸せになれない者の差はどこにあるのかしら?」


 エグランティーヌ先生は、次期王を選んで王妃に収まるという皆が予想していた道ではなく、王座よりも愛を選ぶという行動を起こして幸せになりました。それに引き換え、わたくしは求婚して断られ、その際の「一年前ならば」という言葉を信じて行動して、今度は友情さえも失ってしまいました。行動すればするほど悪い結果になっています。


「……姫様は何事も中途半端なのですよ。ヴィルフリート様に嫁ぎたいと本気で思うのでしたらエーレンフェストの迷惑を知って身を引くのではなく、己で改革するくらいの気構えで根回しを行えば良かったのです。姫様がおっしゃる通りにレスティラウト様とエーレンフェストの口約束に巻き込まれただけで何とも思っていないのであれば、恥を掻かされたとエーレンフェストを断罪すれば良かったではありませんか。わたくしは協力を惜しみませんよ」

「さすがにそれはあまりにも両極端すぎませんか?」


 過激すぎる提案に苦笑すると、コルドゥラは少し目元を緩めました。


「ヴィルフリート様への淡い想いを抱いたまま、エーレンフェストに都合の良い条件を呑んで、お優しい姫様一人だけが大変な目に遭っている様子をこうしてお側で拝見していると、極端を選んでほしくなるものです」


 コルドゥラの言葉に秘められた悔しさを感じて、わたくしは顔を上げました。着替えさせてくれる側仕え達は皆、わたくしを労るような、もどかしいような顔をしているのがわかります。


「……わたくしの選択で側近の皆にも苦労をかけている自覚はあります。本当に申し訳ないと思っているのです」


 まだまだ領地内の厳しい状況は続きます。それを知っているわたくしが皆に謝罪すると、側近達が顔を見合わせた後、仕方がなさそうに微笑みました。


「わたくし達の苦労を心配するくらいでしたら、次はもう少し誠実かつ堅実で、姫様を大事にしてくださる殿方を選んでくださいませ」

「コルドゥラの言う通りですよ。そうでなければ、わたくし達の苦労も増えるばかりですからね」


 側仕え達が少しでも雰囲気を明るくするようにクスクスと笑い合います。まだぎこちない感じですが、わたくしは何だか久し振りに自分の側近達を正面から見たような気分になりました。


「わたくしを大事にしてくださる殿方ですか? ヴィルフリート様は……」

「ディッターの最中に姫様の心配をするのですもの。優しい方なのでしょう」


 いつものわたくしの反論をコルドゥラに取られました。他の側仕え達も「ローゼマイン様がお茶会で倒れた時はいつもハンネローレ様を送ってくださるのですよね?」などと、わたくしが今まで口にしていた言葉を重ねてきます。自分の言葉を繰り返されているだけなのに、日常的にヴィルフリート様の良いところを連呼していたようで非常に恥ずかしくなってきました。


 ……ケントリプス達がわたくしの恋心を決めつけてくるわけです。


「普段はエーレンフェストという言葉が出ただけでヴィルフリート様の弁護を始めるくらいに頑なのですけれど、今日の姫様は何だか聞く耳がおありのようですね」


 わたくしはコルドゥラの指摘に頭を抱えたくなりました。この一年前の時期は、それが顕著だったという自覚があります。皆がヴィルフリート様を悪し様に言うので、すぐさま弁護していた記憶があります。


「姫様の恋心はわかりますし、いつもディッターが始まった経緯を口にしてヴィルフリート様を庇いますが、あの方は姫様を大事にしてくださる殿方ではないと思いますよ」


 いつもならば何か言われる度にヴィルフリート様を弁護して、「はいはい、そうですね」と聞き流されていました。こちらの意見を聞く気がない側近達を説得しようという気も失せて、「ダンケルフェルガーの者にわたくしの気持ちはわからない」と思い込んで背を向けてきました。

 けれど、側近達も頑なにヴィルフリート様の弁護ばかりをするわたくしに同じことを思ってきたのかもしれません。そんな簡単なことに、嫁盗りディッターが終わって二年も経ってからようやく気付きました。


「コルドゥラ達はどうしてそう思うのかしら?……その、ヴィルフリート様がわたくしを大事にしないとか、誠実さに欠けるといつも言っていたでしょう?」


 わたくしが尋ねると、コルドゥラと側仕え達が驚いたようにわたくしを見ました。それから、側仕え同士で視線を交わし合い、コルドゥラが口を開きます。


「領地を跨ぐ時には特定の契約書でなければならないことに注意を払わなかったレスティラウト様のせいで、ディッターの条件はひっくり返されました。けれど、紙の種類が違ったとはいえ、条件が書かれた契約書に目を通し、レスティラウト様と確認し合った上で、サインしたのはヴィルフリート様です。エーレンフェストの次期アウブとしてディッターを率いると宣言したのは、ローゼマイン様でもアウブ・エーレンフェストでもありません」


 いつもディッターをふっかけたのはお兄様で、お兄様を止めるためにローゼマイン様が無茶な条件を出しただけだと主張していたわたくしは、コルドゥラの意見に「あ」と小さく声を上げました。


「最初から姫様を娶る気がないならば、ローゼマイン様が何とおっしゃろうともサインする前に条件を変えるべきでしたし、合意してサインした以上は責任を取って姫様を娶るべきでした。最初から守る気がない条件の書かれた契約書にサインし、ディッターの勝敗にかかわらず紙の件を持ち出すおつもりだったのでしょう。わたくしには優しかったとしても不誠実、もしくは、次期アウブの立場やサインの重みを理解していない浅慮な方にしか見えません」


 昨日までのわたくしならば「それもまたエーレンフェストの保険で策略なのです」と反論したでしょう。けれど、今日のヴィルフリート様はまさにお優しいけれど浅慮な部分がよく出ていました。


 ……それに、わたくしの庇い方ではディッターを神聖視するダンケルフェルガーで反感を買うだけではありませんか。


 自分の愚かさ加減に内心で頭を抱えてしまいます。


「何よりあのディッターはヴィルフリート様にとってローゼマイン様を守るために応じた戦いであって、姫様を娶るために行ったことではありません。姫様を大事にしてくれると思える要素がどこにありますか?」


 ローゼマイン様がお茶会で倒れる度にわたくしを慰めながら寮まで送ってくださったり、ローゼマイン様の帰還中にお茶会をしたり、そういう些細なことの積み重ねからエーレンフェストへ嫁いでも大事にされるだろうとわたくしは漠然と考えていました。けれど、よく考えると、ローゼマイン様の穴埋めをしているだけではありませんか。わたくしへの想いから行われているとは思えません。


 ……それに、エーレンフェストへ嫁ぐことになっても幸せにすると請け負ってくださったのはローゼマイン様だったような……。


 盲目的に信じていたところに光が当たって、自分に都合良く考えていた部分が浮き彫りになってきます。自分の思い込みの深さに打ちのめされていると、コルドゥラがすっと真剣な眼差しになりました。


「そういうことを考え合わせた結果ですが……」


 先を続けるかどうか、わたくしの様子を窺うようにコルドゥラがこちらを見ました。周囲の側仕え達の目も真剣で、わたくしとコルドゥラに注目しています。自分が戦う上で足場にするための基礎が揺らがないかどうか見極めるような、ひどく大事なことが問われるのでしょう。わたくしは背筋を正し、身構えます。それから、軽く頷いてコルドゥラに続きを促しました。


「わたくしには姫様が自分の境遇に我慢して守るほどの価値がエーレンフェストにあるとは思えません」


 コルドゥラの真っ直ぐな視線と側近達の注目を感じながら、わたくしはコクリと息を呑みます。その一瞬の間に頭を巡ったのは、このまま我慢した状態で過ごした四年生の思い出、その後に起こった本物のディッター、祝勝会、ツェントの戴冠、ローゼマイン様のアウブ就任など、わたくしだけが知る記憶でした。


 あれはわたくしが守ってきたものです。思い込みが激しくて、自分に都合の良いように周囲の言動を呑み込んでいたわたくしが、それでもエーレンフェストを庇って、ローゼマイン様やヴィルフリート様の友情と一緒に胸を張って手に入れた未来です。何があっても手放す気にはなれません。


「コルドゥラ、それから、皆。ローゼマイン様やヴィルフリート様と変わりなく接して、笑い合える関係が、わたくしにとっては何より大事なのです。わたくしも自分が浅慮で思い込みの深いことがよくわかりました。そんな今でも、自分の境遇よりよほど価値があると思っています」


 ダンケルフェルガーの状況を知らずに陰りのない笑顔で変わりなく接してくださる時間を誇らしく思っていました。ヴィルフリート様との関係性を壊してしまった今、できることならば取り返したいと望んで止まない関係なのです。


「わたくしの何より大事な時間と友人を貶めるようなことは言わないでくださいませ」

「かしこまりました。わたくし達も姫様の側近として、姫様にとって一番大事なものを共に守っていくことをここに誓います」


 嫁盗りディッター以降、正確にはわたくしが頑なになりすぎてヴィルフリート様を庇い続けるからこそ深まり続けていた側近達との溝が埋まったような気がしました。



領地間で騒動が起きないように間を取り持ってくれたエグランティーヌ先生。

自分の感情を爆発させて自由を得たことが成功体験となって不満を見せていたヴィルフリート。

思い込みの深さや恋に恋していることを自覚したハンネローレ。

ようやく色々なことに気付き、自分の側近達との溝が埋まりました。

自分が本当に大事にしたいものが何かつかみました。


次は、その4です。


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あー、今更に気付きました。ハンネローレのこの気持ちは、ダンケルフェルガーの男性がクラッセンブルクの女性に興味を持ちがちと言う、あれだ。あれと同じだ。確かにヴィルフリートは、ダンケルフェルガーの男にはな…
そう、きみが恋してたのはイケメンヴィルフリートという虚像の背後にいるロゼマなのだ!
[良い点] 以前ハンネローレがヴィルフリートへの求婚を迷っている話を見た時に中身マジダンケルフェルガーなハンネローレがヴィルフリートを手に入れるためになりふり構わない情熱が湧いてこないのを妙に思ってい…
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