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71話 黒死麦のパン

 突然注目を浴びたサイモンは、訳が分からずにおどおどとしている。


 彼にも、フレデリック三世がなぜ自分の名前を出したのか、分からないようだった。


「当時、王宮で働いていた医者はみな疫病に倒れた。疫病が落ち着き王宮に戻ってしばらくした頃、新たに主治医となった医者がサイモンの顔を見て、あれほどの水疱が出ていたならば普通であれば死んでいるはずなのに、ずいぶん丈夫な少年だと感心していた」


 フレデリック三世はそんなサイモンを見ることもなく、ダンゼル公爵を睨みつけている。


「十年前に流行った疫病は、確かに全身に水疱ができた。サイモンのように体の一部にだけ集中するということはないが、それは個人の体質によるのだろうと思っていた。だが医者によるとそんな症例はサイモンだけだったという」


 フレデリック三世に髪をつかまれたままのダンゼル公爵は、何か言い訳をしようと口を開いた。


 だがその隙を与えないように、フレデリック三世はぐいと髪を引っ張る。


「医者はもしかしたら、サイモンが疫病を防ぐ抗体を持っているのかもしれないと言った。特効薬によって治るとはいえ、次に疫病が流行った時に、すぐに薬が手に入るとは限らぬ。特にその薬が自国で作れるものでないならばなおさらだ。どの国も、まず自国の民を先に救おうとするだろう。他国の民は、その次だ」


「うう……」


 ダンゼル公爵の分厚い唇からうめき声がもれた。

 それでもフレデリック三世は、つかむ力を緩めない。


「サイモンが疫病に対抗できたのだとしたら、その原因を突き止めればわが国でも治療薬が作れる。いや、治療薬ではない、予防する薬だ。それができれば母と弟の命を奪った疫病に、もう怯えることはなくなる」


 思いを馳せるように、フレデリック三世はしばらく目を閉じた。


「だから私は研究を進めさせた。だがどうしてサイモンだけが、あれほどの症状が出ていて無事だったのか、まったく分からなかった。そして疑問に思った。果たしてこれは本当に疫病の後遺症なのだろうかと」


 そして目を開けると、唇をかみしめたままこちらを見ているセドリックと視線を合わせる。


「セドリックは、かろうじて生き延びた弟の従者から弟の最期を聞いて、その死に疑問をいだいていた。そうだな?」


 セドリックは持っている箱の中の黒死麦に一度視線を落とすと、一歩前へ出た。


「はい。父は、足にひどい水疱ができて体中の痛みに耐えながら、封鎖された王都で指揮をとり、倒れた後はそのまま帰らぬ人となりました。ですが疫病で体の痛みを訴えたものは、王都に住むもののごく一部。さらに言えば、王宮でも地位のあるものに限られました」


 セドリックが言葉を切ると、話を聞いていたレナートが同意する。


「帝国でもそのような症状は現れなかったな。全身に表れる水疱と、高熱だ」


 セドリックもレナートを見て頷いた。


「体の一部にしか出ない水疱と痛み。それは明らかに疫病の症状とは違います。父の従者には、後遺症なのでしょうか、手足には未だに痛みがあるそうです。僕はもしかしたら別の病気も同時に流行っていたのかと思い、調べました。そしてそれが黒死麦によるものではないかという仮説を立てたのです」


 痛み、と聞いて、サイモンは自分の顔に手で触れる。


 顔中に水疱ができて痛くて痛くてたまらなくて、痛みと共にくるかゆみに思わずかきむしってしまった後で顔中を包帯でぐるぐる巻きにされて。


 そうしてやっと痛みが治まった後に鏡で見た自分の顔は、まるで別人のようになっていた。


 あの時の絶望を、サイモンは今も覚えている。


「では……俺のこの顔も……」


「今も痛みがあるのであれば、それは疫病によるものではないでしょう」


「だが、黒死麦のパンなど食べた記憶が……」


 ない、と言おうとしたサイモンの口が開いたまま止まる。


 王都が封鎖される直前、新鮮な牛乳もパンもしばらくは手に入らないからといって、サイモンの母がパンプディングを作ってくれたことがある。


 今まで食べたこともないようなおいしいパンを使っていたから、サイモンは今でもその味を覚えている。


 ただせっかくのおいしいパンプディングなのに、火の加減を間違って少し焦げ目がついてたのが残念だった。


 顔に水疱ができて痛みに泣いていた時、何度もねだって作ってもらった。


 段々痛みが激しくなる中、いつものように作ってくれと頼んだら、もう材料がないから作れないと言われた記憶がよみがえる。


 では、あれは。

 あのパンは。


 焦げているのではなく、最初から黒かったのだろうか。


「サイモンの母からその時の状況を聞きました。八公家の会議でダンゼル公爵から送られてきたパンを使って軽食を作ったけれど、陛下は固いパンがお好きではなくまったく食べなかったので、余ったものをもらって帰ったと」


 食べなかった食事を働くものに下げ渡すのは珍しいことではない。


 エドワードの乳母の役を辞した後、侍女として国王に仕えていたサイモンの母は、他のものよりも優遇される立場にあった。


 だから八公家のために特別に用意されたパンを持ち帰ることができたのだろう。


 そしてそれが、サイモンの悲劇の始まりだった。


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