22話 フィデロ伯爵
フィデロ伯爵家の領地は、帝国の中央に位置する。
絹織物の生産で有名な土地で、フィデロ産の絹は光の反射でうっすらと青く見えることもある青絹と呼ばれる高級品で、王侯貴族に愛されている。
フィデロ伯爵家は、代々の当主が青絹の生産による潤沢な資金を使って、稀少本を蒐集していると有名だ。
バークレイ家からはかなり離れているので、どんな縁でバークレイ家の女性がフィデロ伯爵家に嫁いだのかとマリアベルは不思議に思っていたが、何代か前のバークレイ家の当主がやはり本の蒐集をしていて、その関係で知り合ったらしい。
「遠いところをよくいらっしゃいました。私は帝国にて伯爵位を頂いておりますダニエル・フィデロです。初めまして」
マリアベルたちが初めて会うフィデロ伯爵は、ジェームズよりもだいぶ年上で、温厚そうなひげを生やした紳士だった。
王国よりも南で気温が高いからか汗をかく体質のようで、初対面の時からずっとハンカチで汗を拭いている。
「突然の訪問、申し訳ない。私はジェームズ・バークレイ。こちらは娘のマリアベルだ」
「ようこそ、バークレイ侯爵。たいしたおもてなしはできませんが、どうぞゆっくり滞在してください」
両手でジェームズの手を握るフィデロ伯爵は、手にまで汗をかいていた。
それを見た隣に立つ伯爵夫人が、さっとフィデロ伯爵にハンカチを差し出す。
どうせなら握手をする前にハンカチを渡してくれれば良かったのにとジェームズは思った。
夫妻の子供は、長男が十年前の疫病で亡くなり、次男が跡を継ぐことになっている。既に結婚して皇都に住む彼らにも、そのうち会えるだろう。
屋敷に案内されると、廊下の途中に伯爵家の先祖の絵が飾られていた。
フィデロ伯爵が、そのうちの一枚の絵の前で止まった。
「こちらが、バークレイ家から当家に嫁いでいらしたかたです。少し、バークレイ嬢に似ていますね。もちろんバークレイ嬢のほうがお美しいですが」
そこに描かれていたのは、金髪に緑の瞳の、落ち着いた雰囲気の女性だった。
髪を結い上げ、襟ぐりの広い帝国風のドレスを着ている。
「キャサリン……いや、カテリーナ・フィデロ伯爵夫人だな」
王国でキャサリンという名前は、文字は同じなのだが、帝国ではカテリーナと呼ばれる。
マリアベルの名前はどちらでも呼び方が変わらないが、国によって変化する名前もあった。
「はい。王国の貴重な書物とともに、当家にいらっしゃいました」
「確か、『失われた王国』の初版本だったかね。よければ後で見せてもらえないか」
フィデロ伯爵だけでなく、ジェームズも本が好きだった。
『失われた王国』というタイトルの本は、今では誰もが知る大作家のデビュー作で、その初版本はかなり数が少ない。
現在発行されている本は改訂版なので、ジェームズはいつか初版本を読んでみたいと思っていた。
その本がかつてバークレイ家に存在していたものの、図書室の目録を見ると、嫁入りとともにフィデロ伯爵家の蔵書になってしまっているのを知って、ジェームズは大いに嘆いたものだ。
今回の帝国行きは、行かなければならなくなった理由が理由だけにあまり乗り気のするものではなかったが、初版本を見れるかもしれないというただ一点については、とても楽しみにしていた。
「おお。バークレイ侯爵も本がお好きなのですか?」
「フィデロ伯爵ほどではありませんが」
「ではぜひ、これから図書室にいらっしゃいませんか?」
ジェームズが本好きと分かって、いきなり目を輝かせるフィデロ伯爵を、夫人がたしなめる。
「あなた。侯爵はまだこちらに到着されたばかりですのよ。少しお休みになって頂いたほうがよろしいのでは?」
「あ、ああ。そうだな。申し訳ない、つい本のことになると夢中になってしまって……」
汗をかきながら謝るフィデロ伯爵に、ジェームズは笑って答える。
「いえ、その気持ちは私にもよく分かります。……せっかくだから、今から見せて頂こうか。マリアベル、お前はどうする?」
ジェームズは振り返ってマリアベルに尋ねた。
マリアベルも本が好きだ。
そして王国にもその名が鳴り響いている、フィデロ伯爵の図書室をぜひ見たい。
マリアベルは二つ返事で賛同した。
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