第73話 伝説を語り継ぐもの
お待たせしました。
巨人となった聖樹の胸にポッカリと穴が空いていた。
その向こうの梢がはっきりと見える。
【剣狼】が食いちぎった穴だ。
すると、何本もの枝が張り巡らされた外皮にヒビが入った。
寄生した蔓のように猛烈な速度で伸びていく。
その巨体の全てへと浸食すると、やがて自重に耐えきれなくなり、地鳴りのような轟音を上げて瓦解した。
沼地となった付近に降り注ぎ、泥のような呪水が辺りに飛び散る。
その姿をヴォルフ、ミケ、そしてコノリが見届けた。
しばらくして音は止む。
静かな森の姿が戻ってきた。
「ふぅ……」
ヴォルフは泥の地面に構わず腰を下ろした。
久しぶりの【雷獣纏い】。しかも強化全開状態で使ったのは、これが初めてだ。
いくらレミニアによって頑強になっているとはいえ、連発は禁物だろう。
使いどころを考えなければならない。
でも、倒す事が出来た。
それもこれも、すべては相棒たちのおかげだ。
ミケと【カムイ】がいなかったらと思うと、ぞっとする。
その【雷王】も、久方ぶりに暴れ回ったのが応えたのだろう。
幻獣化を解除し、まん丸い猫の姿に戻っていた。
ミケ、と声をかけようとした瞬間、背後に立ったコノリ――もとい、その身体を乗っ取ったリヴァラスに遮られた。
「よくやってくれた、ヴォルフ・ミッドレス」
「礼なら俺の相棒にもいってくれ」
「助力感謝する、【雷王】よ」
「別に……。あっちはご主人様の命令に従っただけにゃ」
照れを隠すように耳の裏を掻く。
ヴォルフと同じく足が汚れていたため、顔に泥がついてしまった。
「で? こいつをどうするんだ?」
巨人からもぎ取った核を渡そうとする。
だが、リヴァラスは受け取らない。
代わりに、こう告げた。
「すまないが、斬ってくれないか?」
「またか……。いいのか?」
「ああ。出来れば優しくな」
「(そういわれてもな……)」
ヴォルフは首を傾げながらも、構えを取る。
縦に一刀――切り裂いた。
パカッと核が開く。
そこに無数の黒い粒が埋まっていた。
「なんだ、これ?」
「種みたいだにゃ」
ミケは好奇心からか。
ぺろりと舌で舐めた。
リヴァラスは頷く。
「そうだ。我の子供だ」
「本当に聖樹の種なのか」
「聖樹といっても、元々は単なる万年樹だ。特別な存在ではない。たまたま魔力の流れの上に立ち、多少お前たちと心を通わせられる能力を持った木に過ぎない」
「そりゃあ。十分すげぇって思うけどにゃ」
「まあ、いい。この種をどうするんだ?」
「その辺りに蒔いてくれ」
「いいのか。まだ水に呪いの影響が残ってるぞ」
「お前がそこにしばらく浸かっていれば、いつかは浄化されよう……」
「だから俺は濾過器じゃないって!」
思わずヴォルフはツッコミを入れた。
横でミケはケラケラと笑い、リヴァラスは口元を緩める。
「お礼といってはなんだが、1つ望みを叶えよう。何か願いはあるか?」
「特に望みはないよ。美味しい水が飲めれば、それでいい」
「我の分身が育てば、その願いは叶えられよう。他には?」
「ない」
「噂通り、欲のない男だ。ならばお前の探し人を見つけ出すというのはどうだ?」
「そんなことが出来るのか?」
「これでも聖樹のはしくれでな。我はストラバールすべての木々と繋がっておる」
「じゃあ、エミリ・ムローダの居場所を教えてくれないか?」
「その刀を作った女だな。よかろう」
リヴァラスは目を閉じた。
探している間、ヴォルフは泥に浸かりながら、種を蒔く。
村ではよくやっていたことなので、種まきは得意だ。
「わかったぞ。ヴォルフ」
「エミリはどこだ?」
「どうやらワヒト王国に戻っているようだな」
「そうか。やはり、あっちに渡らないと駄目か」
ワヒト王国は東にある小さな大陸にある。
行くためには船に乗らなければならない。
死んでいる人間が船に乗ることは難しいが、一応当てはあった。
エミリにはどうしても会わなければならない。
彼女が作った【カムイ】は今後の冒険者業にとって必要なものだ。
今回の事件で、まざまざと思い知らされた。
「行くのか?」
「ああ。……1度、刀匠の国には行ってみたかったしな」
「そうか。もしまた近くを立ち寄ったら、訪ねてくれ。コノリも喜ぶ」
「そのつもりだ。あんたにも会いたいしな」
「それは叶わぬかもしれんな」
今、ヴォルフと喋っているのは、コノリの杖に残ったリヴァラスの残滓。
それももうすぐ消えるのだという。
「お前には、我が分身が相手をするであろう」
「そう、なのか……。ちょっと寂しくなるな」
「案ずるな。我らはいつもそなたらを見守っている。そしてヴォルフ・ミッドレス。我ら眷属はそなたへの恩は決して忘れない。たとえ、お主が死に、人間が滅びようとも、我らはそなたのこと――」
伝説を伝えるであろう……。
「そんなたいそうな人間じゃないよ、俺は」
ヴォルフは頭を掻く。
聖樹にそこまで言われると、少し照れくさかった。
「そろそろお別れだ。さらばだ、【剣狼】よ」
「ああ……。また、といっていいかわからないが……。またな、聖樹リヴァラス」
すると、コノリから聖樹リヴァラスの気配が消えた。
目に純粋な生娘の光が宿る。
ハッと何かに気付くと、コノリはきょろきょろと辺りを見渡した。
つと顔を上げて、ヴォルフの背後の光景に息を漏らす。
「うわぁ……」
ヴォルフとミケもまた振り返った。
同じく目を剥き、広がった光景に驚いた。
薄く張った水に、小さな芽が出ていた。
1つではない。
無数の命が、母乳を求める乳飲み子のように真っ直ぐ芽を伸ばしていた。
「もう生えてきたのか」
「水も戻ってるぞ」
ミケが指摘するように、透明な水がさらさらと足の横を流れていっている。
心地よい川のせせらぎが戻ってきた。
次第に霧が晴れ、梢が踊る。
心なしか森が明るくなったような気がした。
「聖樹の森の植物は、成長が早いんです。きっと1年後には立派な若木に育ってると思います」
「そうか。ともかく森が元に戻って良かった」
「ヴォルフさん、ありがとうございます。すいません。私、覚えてないんですけど。きっとヴォルフさんが聖樹を救ってくれたんですよね」
「俺だけの力じゃないさ」
顔を上げる。
そう――。
ヴォルフやミケだけのおかげじゃない。
聖樹やこの森そのものが生きようとしたから、今の結果があるのだろう。
「ヴォルフさん、私この芽をずっと大事にしようと思います」
「いいのか? 外に出るんじゃ……」
コノリは首を振った。
つぶらな瞳は今まで以上に輝いている。
「森を守ろうと思います。私は聖樹の森の巫女ですから」
「そうか。また近くに寄った時には、会いに来るよ。リヴァラスとも約束したしな。土産話を一杯聞かせてやる」
「楽しみにしてます」
かくて、聖樹の森は守られたのであった。
伝説の「おっさん濾過器」を伝えるのかしら(すっとぼけ)