第38話 伝説の名を継ぐ者
王国革命篇、最終回です。
その日の王都の天気は快晴。
王宮ルドルムの上に広がった空は青く、初夏らしい爽やかな風が吹いていた。
斑燕が王宮側の壁に止まり、謁見の間を覗き見ている。
穏やかな陽光が差し込んだ部屋の空気は、それとは裏腹にピンと張りつめていた。
ムラド王は傅いた冒険者を見つめる。
こうして冒険者に対して、栄誉を贈ることは多々あるムラドだが、ヴォルフはその中では年老いている部類に入る。
だが、その纏う雰囲気は、老獪な冒険者というわけではない。
新人冒険者のような溌剌とした覇気を感じた。
「そなた、いくつだ?」
「今年の冬期を迎えれば、43になります」
ヴォルフは落ち着いて答えた。
すると、周りがどよめく。
彼ほどの年長の冒険者は、やはり珍しいのだろう。
「その年でよくぞ冒険者を務めておるな。余も62だ。老いさらばえるばかりでな。何か秘訣はあるのか?」
「よく飲み。よく食べ。よく鍛錬するといったところでしょうか?」
「ふふ……。なるほどな。だが聞けばそなた、元々引退した身だそうだな。何故、また冒険者をする気になった」
ヴォルフは正直に話した。
ある女との出会い。
娘を託され、1度は冒険者を引退したこと。
ひょんなことから、力を手に入れ、竜を、そして盗賊たちを斬ったことによって、己の中に残っていた冒険者としての魂に気付いたことを。
「では、そなたの力はレミニア・ミッドレスの魔法によるものだということか」
「その通りです、陛下」
素直に認めた。
謁見の間は騒然となる。
ヴォルフの力が、本来のものではなく、【大勇者】よりもたらされた事実は、周囲を驚かせた。
皆の視線がレミニアに向けられたが、当人は目を伏せ澄ましている。
「正直者だな、そなたは。素直に自分の力だと、豪語しておればよいものを」
「それが、まあ……唯一の取り柄でして」
「だが、お主とルーハスが戦った時、そなたには強化の魔法は施されていなかった。それでも、あの【勇者】に勝った」
「いえ。あれも、レミニアの力によって――」
「それでも日々の鍛錬を怠らず、常に危険と向き合いながら成長したのは、お主の功績であろう。余の前で謙るのはかまわぬが、余を助けたことを誇りに思わぬのは、些か悲しくある」
ムラド王は服の袖を顔にやり、伏せる。
王の反応にヴォルフは慌てたが、横に座ったリーエル王妃が口元を隠し上品に笑った。
「冗談ですよ、ヴォルフ・ミッドレス。そして感謝します。老い先短い命とはいえ、こうしてまだ夫の側にいられるのは、あなたのおかげです」
「リーエル……。老い先短いは余計だ。いつもいっておるだろう。そなたよりも長生きしてみせると」
王と王妃は仲睦まじく笑う。
ヴォルフは少し羨ましいと思った。
「あなた、アンリを知っているのよね。兄のヘイリルから聞きました」
「はい。大公閣下とアンリ様にはよくしてもらっています」
「そう。あなたがヴォルフなのね。……確かにいい男だわ」
「おい。ここにもいい男がいるぞ」
ムラド王が肘掛けによりかかりながら、自分の顔をリーエルに向けた。
「あら、やだ……。じじぃが何をいっているのかしら」
家臣の間に失笑が漏れた。
かくいうヴォルフも思わずプッと吹き出す。
穏やかに攪拌された空気は、次第に暖かくなっていった。
謁見に参列した者の肩が自然と下がる。
息苦しい雰囲気もなく、久しく忘れていた一体感が生まれようとしていた。
「さて、のろけるのはここまでにしよう。……大臣」
ムラド王は合図をした。
すると、内大臣レッセル・ヴァシュバーは進み出る。
禿頭の小男は、その小さな身体を大きく見せるかのように肩を張り、ヴォルフの前に立った。
真っ新な皮紙を広げ、読み上げる。
「ヴォルフ・ミッドレス。この度の功績を遇し、騎士候爵位とBクラス相当待遇を与えるものとする」
どよめきが走る。
レミニアの時のように【大勇者】、さらにAクラス相当の研究職待遇で迎えるほどではないにしろ、単なる冒険者をBクラス相当待遇、さらに騎士候のおまけ付きで遇するのは、やはり異例ではある。
だが、他ならぬムラド王と王妃を守った功績はそれほど大きい。
異論を挟む余地などない。
耳を通り抜けてしまえば、適正な処遇といえた。
「それは、おれ――――私を王宮で召し抱えるということでしょうか?」
「不服か……」
尋ねたのはムラド王だった。
ヴォルフは1度顔を伏せ、明確に答えた。
「お受けできません」
「王の栄誉を断るというのか」
憤慨したのはレッセル内大臣だった。
甘栗のような顔を赤くし、ヴォルフを睨む。
それでも、冒険者は首を縦に振らなかった。
「良い。大臣……。では、何か望みはあるか?」
「望みというわけではないのですが、1つご報告申し上げたいことがあります」
「報告? わかった。申してみよ」
ムラド王は眉根を寄せると、玉座に座り直した。
ヴォルフは頭を下げ、礼をいう。
そして、コンコンと自分が見聞きしたことを話した。
1つは、レクセニル王国がアダマンロール発見を隠蔽していたこと。
そしてもう1つは、革命の志士たちが望んだことの実現。即ち、冒険者の待遇改善と、戦災遺児を受け入れる孤児院の補助を訴えた。
国の隠蔽と革命を起こした冒険者の要望を淡々と話すヴォルフに、こめかみを動かす家臣もいたが、ムラド王は終始黙って話を聞いていた。
すべて聞き終えると、王は口を開いた。
「アダマンロールの件は、余の知らぬところであった。よくぞ申してくれた。また冒険者の待遇、特に戦災遺児を受け入れる孤児院に対しての補助が行き届いておらなんだも、余の失策だ」
すると、立ち上がる。
王は階段を下り、ヴォルフの前に来ると、頭を下げた。
「すまぬ。すべては余の至らなさが原因だ」
皆が慌てた。
王が頭を下げたのだ。
王とは、国の代表。国そのものだ。
その王が一国民に頭を下げるなど、あってはならないことだった。
横で見ていた内大臣は慌てた。
むろん、頭を下げられたヴォルフもまた然りだ。
ハシリーも、そしてレミニアも、ムラドの態度に目を剥いて驚いていた。
建国以来、ヴォルフは王に初めて頭を下げさせた男かもしれない。
「む、ムラド王……。どうかお顔をお上げください」
すると、ムラドはようやく顔を上げた。
「謝って済む問題ではないな」
「いえ。それは――」
「余はあまりに家臣たちを信じすぎたのかもしれない。政治とは人の声に耳を傾けることだと考えていた。余は王……。国民よりもっとも遠い存在にある。故に、家臣から上がってくる意見に耳を傾け、なるべく叶えるようにしてきた。だが、いつの間にかその考えに固執し、本質を見抜けぬようになっていたのかもしれぬ」
王はマントを翻し、再び玉座の方に戻っていく。
座り直すと、立てかけてあった王錫を握った。
途端、家臣たちの顔色が変わる。
慌てて整列をし直し、傅いた。
王錫を持つ、それ即ち今からいう言葉は、王の勅命であり、公式の文書に記録される大事なものであるからだ。
「ムラド・セルゼビア・レクセニルはここに告げる。これより国の体制を改めるととともに、大臣以下すべての家臣の財産を速やかに調べよ。また【王具印】を通さぬ文書および報告書を探し出し、そのすべては余に開示せよ。さらに、冒険者の処遇を改善案ならびに戦災遺児を受け入れる孤児院に対する補償案をまとめ、余に提出するのだ」
ヴォルフは圧力を感じた。
思わず頭が下がる。
これは王の覇気とかそういうレベルではない。
おそらく王錫自体が、強力な強制認識能力を持った魔導具なのだろう。
ちなみにムラドが王錫を使ったのは、これで3度目である。
実質の王の下僕ではないヴォルフでも、その王の言葉を聞いて、何か走り出したい衝動に駆られた。
ムラド王の勅命は続く。
「最後に、もしレクセニル王国の体制が整い、冒険者の待遇改善と戦災遺児補償の充実が叶った折りには、余は今回の責任をとり、退位するものとする――以上」
ははっ、と家臣は頭を下げた。
王の突然の退位宣言。
しかし、勅命の前には拒否することを許されず、誰1人異論を挟むものはいなかった。
ムラド王はようやく王錫を手放す。
嵐のような勅命は、ようやく終わりを告げ、ほっと空気が緩むのを感じた。
「さて……。ヴォルフよ。余はお主には何も報いておらん」
「私の話を聞いていただきました」
「それでは余が恩人に報いたことにはならんよ」
ヴォルフはくすりと笑う。
このやりとりは、ヘイリル大公の時とまるっきり一緒だからだ。
「そなたの性格だ。いくら余が物を押しつけたところで、そなたは他の者に譲ってしまうであろう」
この短期間で、ヴォルフの性格を見抜いてしまったらしい。
王はちょっと悪戯っぽく笑った。
「故に、そなたには誰にも譲れないものを与えたい」
「誰にも譲れないもの?」
「ところで、そなたのヴォルフという名は、狼から来ているのだな」
「はい……。父が付けてくれました。狼のように孤高であっても逞しく生きるように、と」
「うむ。……ならば、ヴォルフ。今日からそなたの称号は【剣狼】だ」
再び謁見の間はざわついた。
【勇者】または【破壊王】など、高名な冒険者には自ずと称号が付けられる。
勝手に名乗るものもいれば、国や領主に名付けられることもあり、様々であるが、王から直接称号を賜った物は、指の数ほどにしかない。
それに【剣狼】という聞き慣れぬ称号には、深い意味があった。
「陛下……。その名前は」
「【老勇者】レイル・ブルーホルドが、冒険者になって初めて功績を収めた折り、地元の領主に与えられた名だ」
その由来を紐解くと、本来は【剣老】とする付けるところだったのだが、それでは弱いという家臣からの進言を受け、『老』を『狼』と変化させて出来上がったものだった。
「歳が近いお主にはピッタリの名だと思うが。……不服か?」
「……いえ。身に余る光栄です。称号の名に恥じぬようこれからも精進してまいります、陛下」
「うむ。これからもレクセニルを、そしてストラバールをよろしく頼むぞ。【剣狼】ヴォルフよ」
ヴォルフは今一度傅き、頭を下げた。
それに倣うように皆も頭を垂れる。
ムラド王は満足した顔を浮かべ、王妃と共に謁見の間を後にした。
こうしてヴォルフ・ミッドレスとの初の謁見は終了したのだった。
◇◇◇◇◇
「これでいいわ」
レミニアはパンと広い背中を叩く。
父ヴォルフは少し複雑そうな顔をして、ボタンを留めずに正装を羽織るように着直す。きちっと着ると、どうしても動きづらい。少々サイズがあっていないような気がする。
「レミニア、もうパパには強化魔法がいらないんじゃないか?」
「だーめ! パパが強くなっていることは認めるけど、危ないことをするから駄目。絶対駄目。それにわたし、まだ怒ってるんだからね。わたしのいないところで、危ないことばかりして」
「うっ……。それはすまない」
項垂れるしかない。
レミニアは父に冒険者に戻って欲しくて強化魔法を施したわけではない。
むしろ、ヴォルフを守るために魔法を施したのだ。
「まっ。今回はもっと凄い強化魔法をかけておいたわ。これで、あの【勇者】様が10人襲ってきても、瞬殺できるぐらいにね」
「お、おい! お前、パパをどんだけ強くするつもりだ!!」
少し強い口調で咎める。
すると、レミニアは突然ヴォルフに抱きついた。
「わたしはパパを心配してるだけ。もうやだよ。あんな危ないことをしちゃ」
「あ、ああ……。ごめんな、心配させて。パパ、レミニアのことが心配だったんだ」
赤い髪を撫でながら、娘をいさめる。
その髪は、ミケの体毛以上に柔らかく感じた。
「でも――」
「でも?」
「ルーハスの前に現れてくれたパパは、とってもカッコよかったよ」
顔を上げる。
赤い瞳をキラキラさせながら、レミニアはいった。
「ありがとう、わたしのパパ。わたしを心配してくれて」
「約束したろ。パパはレミニアの勇者になるって」
「うん。だから、早く今度はレミニアをパパの花嫁にしてね」
ヴォルフは癖毛を掻く。
苦笑いを浮かべると、レミニアはむぅと頬を膨らませた。
再びヴォルフをギュッと抱きしめる。
父の感触を、自身の肌に擦り付けるのだった。
◇◇◇◇◇
一通り仕事が終わり、ハシリーはヴォルフと上司の様子を見に来た。
自室にいるはずなのだが、ノックをしてもなんの反応もない。
「まさか――」
あまり考えたくないが、親子でその情事的な展開に……。
さすがに一線を越えるのはまずいと思い、ハシリーはゆっくりと扉を開ける。
白いベッドには裸の親子が――という展開ではなかったが、寝具にもたれかかるようにして眠るミッドレス親子の姿があった。
父は娘の肩を抱き、娘は父の膝を枕にして気持ちよさそうに眠っている。
何かその光景は、とても自然なものに見えた。
その横でミケが顔を上げる。
ハシリーに気付くと、鼻をひくひくと動かした。
「しー」
指を口元に当て、ハシリーはそっと扉を閉めるのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
またブクマ・評価・感想をいただいた方には、改めてお礼を申し上げます。
まだしてない、という方がいらっしゃいましたら、この機会にどうぞお願いします。
さて気になる今後ではございますが、本日をもって最終回――ではなく、
許されるのであれば連載を続けていこうと思います。
詳しい更新ペースなどについては、後にあげる活動報告にて、
発表いたしますので、どうぞご確認下さい。
さしあたって、明日は『ハシリー・レポート 第98号』を更新いたします。
今までのまとめと、今後の展開の秘密について、
ハシリー・ウォードの私見的報告書をまとめたものです。
是非お読みいただき、今後の展開について妄想していただければと思います。
長文失礼いたしました。