第九十五話「嵌められる」
「いいでしょう」
「…………え?」
母の言葉に俺は我が耳を疑って間抜けな声で問い返す。
「良いと言ったのです」
「……あ、はい……」
家に帰って夕食の席で、俺は母に茅さんに遊びに誘われたことを相談した。あとそれならばと皐月ちゃんと薊ちゃんも遊びの約束を迫ってきていると伝えた。その答えが今の言葉だ。
俺はまだ理解が及ばずに首を傾げる。母は良いと言ったのか?お出掛けとか遊びは制限すると宣言されている俺が、今度のお出掛け復活の嘆願と、それ以外にさらに三つも約束を迫られていると言ったのに……、あの母があっさり許可する?そんなことがあり得るのか?
「何ですか、その顔は……。行きたくないというのなら咲耶が勝手にお断りしなさい。私は良いと許可しましたからね」
「え~っと……、お母様……、急にどうされたのでしょうか?どこかお体でも悪いのでしょうか?」
まさか何か変な物でも食べたとか?それか病気にでもなって気が弱ってるとか?少なくともいつもの母と同一人物とは思えない。
……はっ!まさか……、中身が入れ替わっているとか?
「どういう意味ですか。どこも悪くなどありません」
「はっ、はい!」
ジロリと睨まれたから背筋を伸ばして答える。怖い……。この気迫からすると本当に病気とか弱ってるとかではなさそうだ。この視線だけで熊でも殺せそうだもんな……。
「はぁ……。あの七人の子達……、あの子達には先の一件で咲耶が随分と世話になりました。ですので一つくらいは聞ける願いなら聞いてあげるだけです。その約束を迫ってきた子達以外の子達にも何か希望があれば聞いておきなさい。可能なことならば対応しましょう」
「えっと……、それは……、具体的にどのようなことでしょうか?」
七人というのは茅さんと皐月ちゃんと薊ちゃんグループだろう。問題なのは希望があれば聞くとは言われても一体どんなことなら応じてもらえるのか。それがわからないことにはどうしようもない。
「そうですね……。例えば何らかの報酬……、何か特別なチケットであったり……、咲耶と遊びたいというのであればそういうものも考慮しましょう」
「わかりました……。明日また皆さんに聞いてみます」
金銭的なものは向こうもいらないだろう。元々お金持ちのお嬢様ばっかりだし、そもそも金銭でというのはあまりに失礼だろう。母が言った特別なチケットとかいうのは、つまりはお金で買えないような、非常に稀少な何かのチケットとか、参加券とか、そういうもので用意出来るものなら用意するということだと思う。
茅さんと薊ちゃんと皐月ちゃんは俺と遊びたいと言っていた。それは日程さえ合えば母の許可は貰えると思って間違いない。問題は他の皆が何か欲しがるかということだな。母からお礼に何か出ると言っても受け取らないんじゃないだろうか。
まぁ……、明日聞くだけ聞いてみるか。もし皆が遊びたいとか言い出したら俺は一気に七つも遊ぶ約束が増えることになる。日程調整が大変そうだしそれは微妙な所だけど……。どうなるかは皆次第だな。
~~~~~~~
翌日、お昼休みに皆で集まっている時に母からのお礼の話を皆にしてみた。
「へ~……」
「咲耶ちゃんってお出掛けしたり遊んだりするのも全てお母様にお許しを頂かなければならなかったんですね」
「そこまで厳しいとは思っていませんでした」
「はい……」
前にもある程度は話してあったはずだけど、皆の認識ではもっと甘いものだと思っていたようだ。空いてる日に友達と約束をしたら、それを両親に伝えなければならない。それくらいはどこの家でもしていることだ。だからそんな程度だと思っていたんだろう。
でも生憎と俺の場合は母に許しを貰わないと一切こちらで勝手に予定を決めることは許されていなかった。そこまで厳しいとは思っていなかったと一部からは驚かれてしまった。薊ちゃんとかは母に直談判したくらいだしうちが厳しいのはわかってたんだろうけど……。
「でも急にそんなこと言われても……」
「何かお願いするためにしたことでもないしね~……」
皆が『う~ん』と考え込む。
それはそうだろうな。俺もこうなると思ってたよ。皆は別に物にも生活にも困っていない。それにお礼目当てにしたわけじゃないと言うだろうと思っていた。
「じゃあ貴女達の分は私が咲耶様と遊ぶ約束をするわ!ということで咲耶様!私とは五回遊びましょう!」
「薊ちゃん……」
薊ちゃんは他の四人の分も自分が遊ぶと言い出した。でもそれは駄目だろう。例え代わる皆が良いと言っても俺はそれを『うん』とは言えない。
「何を勝手なことを言っているんですか。そんなことが認められるわけないでしょう」
皐月ちゃんが俺に迫っている薊ちゃんの前に立ちはだかる。やっぱり、さすがは皐月ちゃんだ。そうだよね。人の分まで自分がもらおうなんて……。
「それならせめて徳大寺さんが三回、私が三回でしょう!」
えぇ……。皐月ちゃん……。違うだろう?そうじゃない……。そうじゃないだろう?
「あの~……、それでしたら、私も咲耶ちゃんと遊びたいです」
「椿ちゃん?」
おずおずと手を上げながら、椿ちゃんがそんなことを言い出した。まさか椿ちゃんの方からそんなことを言ってくれるなんて……。
「あっ!じゃあ私も~!咲耶ちゃんと遊びたーい!」
「譲葉ちゃんまで……」
椿ちゃんの言葉に続いて譲葉ちゃんまで手を上げる。何かこのままだと本当に七人と遊ぶ約束をすることになりそうな……。
「ではもう全員が咲耶ちゃんと遊ぶということにしましょうか」
「しょうがないわね」
「まぁそれなら……」
あ~あ……。蓮華ちゃんが止めを刺してしまった。そう言われては薊ちゃんと皐月ちゃんも引き下がるしかない。それでもまだ人にお礼分を譲れなんて言えないだろう。
「それじゃあ日を決めようよ!」
「そうですね……。日程調整もありますからどうせなら早めに決めてしまいましょうか」
譲葉ちゃんの言葉に皐月ちゃんも乗っかる。もう皆それぞれが俺と遊ぶ約束をする気満々だ。今更七回も遊びに行くのがつらいとは言えない。
「それならお姉さんも混ぜてもらいましょうか!」
「えっ!?茅さんっ!?」
ババッ!と、俺達の後ろの席に座っていた生徒が新聞を畳むと、そこに座っていたのは茅さんだった。……何故に新聞?というか茅さんはそんなところで何をしていたんだ?
しかもよく見たら新聞に穴が開けられている。どうやら茅さんは俺達の後ろの席、いや、俺から見たら前の席?に座って新聞で顔を隠しつつ、新聞に穴を開けてこちらを覗いていたようだ。
「約束の日を決めるのならば、日が重ならないように全員で都合の良い日を話し合った方が効率的でしょう?」
「それはそうかもしれませんが……」
いや……、それはいいんだけど俺は何故茅さんが新聞で顔を隠して俺達の前の席に座ってたのかが気になるんだけど?しかも穴を開けて覗いてるとかまるで映画やアニメみたいなことをして……。
「それでは皆で都合の良い日を書き出していきましょうか」
茅さ~ん……。勝手に進めないでくださいよ……。まぁいいけどね?いいんだけど……。
「私はこの日と~……」
「咲耶ちゃんの都合は?」
「咲耶ちゃんの都合は聞かなくても良いんじゃない?とりあえずこちらの良い日を書き出して、咲耶ちゃんのお母様にお伺いを立てれば良いと思うよ」
うん……。そうだけどね?そうなんだけどね?でもだからって俺は無視でいいとか……、何か切ない……。
「あっ!私はこの日が……」
「え~……、私もこの日だな~……」
まぁ……、いいか。皆が楽しそうに話し合って日を決めている。それを見ているだけでも何だか楽しい気分になってくる。
「あっ!咲耶様、何を笑っておられるんですか?」
「ふふっ、何でもないですよ。何でも……」
~~~~~~~
今日は何故か茅さんが随分べったりくっついてくる。いつもならサロンで会うだけなのに、今日は何故かサロンに向かう途中から一緒だった。どうも待ち伏せしてたんじゃないかと思う。いいんだけどね……。
「御機嫌よう」
「おう!来たか!咲耶!」
……帰ろうかな。
いや……、確かに伊吹や槐ともそれなりに友達になろうとは思ってるんだよ?努力はしてるんだよ?でもなぁ……。この面倒臭さが何ともいえず我慢が出来ない。せめて伊吹がもうちょっとまともだったら俺ももうちょっと辛抱して歩み寄れると思うんだけど……。このウザさは我慢するのがきつい。
「御機嫌よう近衛様」
「俺達のデートはいつにする?」
「…………は?」
今なんて言った?『俺達のデート』?俺と伊吹が?デート?
するわけないだろ?頼まれたってお断りだ。それとこれとは話が違う。そもそも友達同士はデートなんてしない。俺と伊吹はこれから友達を目指すのであって、友達同士はデートしないんだから俺と伊吹もデートなんてしない。これは当然の帰結だ。
「ごめんね九条さん。伊吹の話はおいておいてさ。ちょっと話があるんだけどいいかな?」
「はぁ……、御機嫌よう鷹司様。お話というのは?」
伊吹を押し退けて槐が俺に話しかけてきた。これは珍しい。いつもなら槐は少し引いた位置から伊吹を眺めてるだけのような感じなのに……。
「うん。今度鷹司家でパーティーがあってね。これ、招待状なんだけど」
「あぁ……、はい……」
パーティーのお誘いか……。正直面倒臭いな……。でもこれだけの人前で渡されたのに受け取らないというわけにはいかない。
「私は出掛けるためには母の許可が必要ですのでお返事は後日で良いでしょうか?」
「うん。良い返事を待ってるよ」
そう言って槐は引き下がった。俺が勝手に出歩けないことは把握してたんだろう。情報源は兄か水木かな。
「おい槐!何で邪魔するんだよ!」
「いいから……。伊吹は大人しくしておいてよ。伊吹にとっても悪い話じゃないから。ちょっと耳を貸して」
何か伊吹と槐がごにょごにょと内緒話をしている。まぁ俺には関係ないだろうし、パーティーの招待状を受け取るくらいはよくある話だ。ただ俺は母に生活を管理されているからそう簡単にパーティーなんて行けないと思うけどな。
俺が受け取ったのと同じ招待状を他のメンバー達も持っていたからもうほとんどのメンバーには配り終えたんだろう。サロンのメンバーを呼ぶくらいだから結構大掛かりなものかもしれない。俺は勝手にパーティーにも参加出来ないから母が何というか……。
帰ったら茅さんや薊ちゃん達とのお出掛けの日程と一緒に相談してみるか。
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「全て許可します」
「全て……、ですか……」
茅さん達とのお出掛けも、鷹司家のパーティーも、全て話すと全て許可するといわれてしまった。どうせなら鷹司のパーティーは駄目だと言ってくれたらよかったんだけど……。
ただ、鷹司家のパーティーには奇妙な条件がついていた。参加者はペアで出席すること……。しかもそのペアはもちろん男女だ。
「それではお兄様、鷹司様のパーティーはペアで一緒に……」
「ごめんね。僕はもう相手が決まってるんだ。それに家族は駄目だよ」
えぇ~……。じゃあ俺相手がいないじゃん……。
「お母様……、どうやら私は鷹司様のパーティーには出席出来ないようです」
必ずペアで出席しなければならない。なのに俺にはペアの相手がいない。つまり俺は鷹司のパーティーには出席出来ない。
「咲耶……、どうして私がこのパーティーへの参加を許可していると思っているのですか……。鷹司様も近衛様も前の一件で手を貸してくださったのですよ。その相手にそんな非礼が出来ますか」
「近衛様にもお世話になったんだから咲耶は伊吹君と出席しなよ」
ぁ……、あああぁぁぁぁ~~~っ!
そうか……。そういうことか……。兄がすでにペアの相手がいることも、母が許可したことも、槐が何やら伊吹にコソコソ言ってたことも、全てはそのためか!
これってつまり完全な出来レースってわけだろ!俺と伊吹がペアになってこのパーティーに出席しろっていう!しかも兄も母もそれを容認している。つまり俺には今更断る術はない。
あ~!くそ~……。嵌められた!
…………仕方がない。別にちょっとペアでパーティーに出るだけだ……。確かに近衛や鷹司に世話になったというのもあるし……、今度のパーティーだけ……、伊吹と一緒に出るしかない……。