第八十話「裏側」
何事も後始末が一番大変だ。まぁ俺達は一年生だし道具の片付けとかは大人や運動会実行委員や高学年が中心で行なう。低学年の俺達は閉会式が終わったら自分達の椅子を持って教室に帰って、注意や話を聞いたらほとんど終わりだ。
もちろん片付け出来ることは片付けもする。ただまぁ……、やっぱりいくらお行儀の良い藤花学園の生徒達とはいっても、片付けの時に低学年がウロウロしてたらむしろ邪魔ということだろう。
閉会式の時も椅子を持って戻る時もずっと錦織は泣いていた。それに何度も何度も俺に謝りに来る。もういいと言っているのに……。
別に鬱陶しいから来るなという意味じゃない……。錦織のその気持ちもわからなくはない。練習でも俺に負けて泣くほど意気込んでいたんだ。それが本番で自分が転んで負けたなんてことになったら相当責任を感じているだろう。
錦織が転んで大差をつけられていたのに、俺以降三組はずっと僅差の二位。そしてそのままリレー終了となった。つまり普通に考えれば錦織が転んでいなければ、せめてもっと差をつけられていなければ三組が優勝していたと思われても仕方がない。
多分だけど実際にはそんなに単純な話じゃないだろう。錦織が転んでいなければ俺だってあそこまで本気で走ることはなかった。だからあれだけ一気に差を詰めるほどのタイムは出ていなかったはずであり、俺以降に走った上の学年達も、三組が一位でリードしていたらそのまま逃げ切れたとは限らない。
人を追って走る時と、人に追われて先頭を走る時ではやっぱり色々と変わってくる。追う立場の方がタイムも伸びやすいだろう。前に引っ張られるとでもいえばいいんだろうか。
距離や対戦相手が違うから一概には言えないけど、短距離走の時の結果からみて三組にはもともとそんなに勝ち目はなかったんじゃないかと思う。
まぁどれも想像だ。結果は錦織が転んで最終的に二位になった。それだけが事実だ。それは動かしようがない。そしてそれを錦織が気にしてしまうのも止むを得ないだろう。いくら俺が気にするなと言ってもそれを気にするかどうかは本人の問題だ。
「え~……、結果は惜しくも準優勝ということになりましたが、皆さん一生懸命頑張りました。それでは片付けの方ですが……」
先生がさらっと流して次に進める。クラスの雰囲気は錦織が転んだから負けたという空気になっている。先生もそれを察しているはずだ。でもあえてそのことには触れない。
先生が錦織を責めるなと他の生徒に言えば余計荒立つと思ってあえて触れないのか、ただ単に余計なことに首を突っ込みたくないから放っているだけなのか、先生の考えはわからないけど、とりあえず錦織が転んだことや二位に終わったことはあまり触れたくないようだ。
準優勝と言えば聞こえは良いけど結局三クラスしかいない中での二位だから大して価値はない。準優勝おめでとうという空気にはならず、優勝を逃したのは誰のせいだという空気になっている。
先生は話を簡単に終わらせて掃除と後片付けに入っていく。皆ゾロゾロと動き出すけど……。
「チェッ……、誰かさんのせいでよ~」
「ほんとほんと」
聞こえよがしにそんなことを言っていく。やっぱりお行儀が良いお坊ちゃん学校といってもこれくらいのことはあるようだ。むしろ下手に頭が良くお行儀が良いために裏で行なういじめとかは巧妙でえげつないかもしれない。
普通の学校のように表立って殴り合いの喧嘩なんて滅多にしないだろうけど、まぁ普通の学校でもそんなことは滅多にないのかもしれないけど……、裏でチクチクといじめるくらいは藤花学園でもある。そもそも俺だってそれに近い体験はしてるわけで、決してここがいじめなんてない良い学校というわけじゃないのは重々承知していた。していたけど……、これはあんまりじゃないだろうか。
「あ~あ、本当だったら三組が優勝だったのになぁ」
「…………」
周りにそんなことを言われても錦織は黙っている。反論も怒りもしていない。
確かに錦織が転び、三組は僅差の二位になった。それは動かしようがない事実だ。でも錦織が転ばなかったからって三組が勝っていたという保障はない。それでも皆は負けたのは錦織が転んだからだと言いたい。錦織に責任を負わせたい。
そう言っている皆だって優勝したかったんだろう。それはわかる。もう少しで優勝出来たかもしれない。その優勝がかかっている場面で失敗した錦織のせいにしたい。優勝出来なかった鬱憤を転んだ錦織にぶつけたい。そういう気持ちはわからないでもない。
でも……、本当に一番悔しいのは錦織だ。自分が転んだせいで俺は伊吹に追いつけず、三組も優勝を逃した。一番傷つき、責任を感じているのは錦織本人だろう。それなのにこれはあんまりじゃないか?
錦織は走順を決めるまでに相当なトレーニングを積んできたはずだ。フォームもタイムも物凄くよくなっていた。そしてそれでも俺に負けて泣いて悔しがっていた。そんな錦織が何も感じていないはずがない。一番悔しいのは自分のはずだ。
そもそも錦織が転んだのは本人に責任はない。俺は間違いなく見た。二組の女子がコーナーの途中で錦織を突き飛ばして転ばした。
どういう意図だったのかはわからない。ただ単純に団子になっていた時に咄嗟に手が出てしまったのかもしれない。最初からレースの邪魔をしてやろうと思って狙っていたのかもしれない。それはわからないけど……、突き飛ばされて転ばされた人だけが悪いとは思えない。
まぁ皆の怒りは転んだことだけじゃなくて……、転んだ後にすぐに起き上がらず泣き出したことに対してかもしれないけど……。それだけは擁護のしようもない。あの後すぐに立ち上がっていればまた違う結果もあったかもしれない。周りがそう考えてしまうのは錦織の落ち度ではある。
でもだからってこの件で錦織をいじめても良い理由にはならない。
「どっかの間抜けが転んだせいで……」
「…………」
「待ちなさい!」
錦織を囲みながら聞こえよがしに、いやまぁ、わざとなんだけど、囲んでそんなことを言っている男子達の前に立ち塞がる。
「……なんだよ?」
「九条さんは関係ないでしょ?」
「そうそう。九条さんはあんなに頑張ったのに……、全部台無しにした奴が悪いよね?」
男子の一団の前に立った俺に……、口々にそんなことを言ってくる。何となく俺に反感を持っている者、同意を求めてくる者、俺が一番の被害者だと囃し立てる者。でも俺はどれにも同調出来ない。
「錦織君は精一杯走りました。そして一番悔しい思いをしているのは錦織君本人です。それを寄って集って人のせいにして……。リレーで二位でも……、そうですね……。貴方、二人三脚で三位でしたよね?貴方のチームが一位だったならば得点が変わって優勝出来ていましたよ?では優勝出来なかったのは貴方が二人三脚で三位だったからですね」
「なっ!」
俺に指摘された男子は驚いた顔をしていた。でも本当のことだ。こいつが出たレースでは一位が一組、三組は三位。それが逆転していればリレーを抜いても三組優勝の可能性はあった。
「貴方はムカデ競争で足を引っ張りましたよね。貴方は大玉転がしで散々だったではないですか。皐月ちゃんと薊ちゃんのお陰で逆転出来たからといって貴方の責任がなくなるわけではありませんよ?」
「おっ、俺達は勝ったんだからいいだろ!」
実にくだらない。実にくだらない反論だ。所詮は小学校一年生か……。
「最後の、優勝がかかった場面で錦織君が転んだからと錦織君を責めるのはお門違いです。貴方がたがそれまでに全ての競技で勝って一組、二組に圧倒的大差をつけていれば、貴方がたが出た競技全てで勝っていれば三組が優勝でした。それを優勝出来なかったのが錦織君一人の責任かのように言うような卑怯者が……、恥を知りなさい!」
「「「…………」」」
ワイワイと騒がしかった周囲が、全員立ち止まってシーンと静まり返る。俺が今反論したのはこの目の前にいて、錦織を囲んでいた者だけだ。でもそれだけじゃない。
「いいですか。貴方達も、貴女達も、よく聞きなさい!錦織柳は精一杯するべきことをしました。それでも錦織柳を責めるというのならまずは自分の胸によく聞いてみなさい。あなた達はするべきことをきちんと果たしたのですか?何の落ち度も失敗も責任もなかったのですか?自分は一切何の落ち度も責任もないという者だけが、失敗した者を追及しなさい!」
「「「「「…………」」」」」
周りで聞いていた者達にも振り向いて、視線を送ってからそう告げる。何の落ち度もなく、責任のなかった者などいない。団体戦でクラス対抗だったのだから全員何かしら失敗や責任はあっただろう。
そもそも錦織ほどこの日のために頑張ってきた者はいない。皆は練習の時も遊び半分でいつもとは違う体育で遊んでいただけだ。錦織のように学校でも家に帰ってからも練習してきた者なんて他にいないだろう。
全員が静まり返っている中で、俺はその場を後にしたのだった。
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二組が掃除を担当している場所まで来た俺はある人物を呼び出す。二人で連れ立ってあまり人目につかない中庭へとやってきた。
普段なら中庭は人がいることが多い。内緒話するのならバルコニーが一番お薦めだと言った。でも今日は逆だ。バルコニーからは運動場を撮影出来るため学校はもとより各家の撮影班もいたりして人と荷物でごった返している。それに比べてグラウンドから離れた中庭は静かで今日は人がいない。今は皆あちこち割り振られた場所を掃除しているからここに来る者はほとんどいないだろう。
「どうしてお呼びしたのか……。わかっておられますよね?萩原紫苑さん」
「…………」
中庭で向き直ってそう問いかけても萩原紫苑は答えなかった。ただ黙ってこちらを睨みつけている。
「わかりませんね!何故私が貴女に呼ばれなければならないんですか?九条咲耶さん」
おっと……、黙っているどころか逆に食って掛かられてしまった。ならば仕方がない。
「わかりませんか?ではお聞きしましょう。貴女は何故リレーの時に錦織柳君を突き飛ばしたのですか?」
「なっ!?……何のことだかわかりませんね」
明らかに動揺した萩原紫苑は、それでも知らないととぼけた。まぁ最初から認めるようならあんな巧妙に、意図的に突き飛ばしたりはしていないだろう。誤魔化せるように隠れて突き飛ばしたんだから全て計算尽くのはずだ。
「そうですか……。わかりませんか……。私としてはただ貴女の真意をお聞きしたかっただけなのですが……、貴女が白を切るのでしたら……、当家で撮影されていた映像を公開して公の場で追及せざるを得ないことになりますがよろしいですか?」
「…………え?」
俺の言葉に萩原紫苑は一気に青褪める。ようやく事の重大性が理解出来たらしい。
「当家では……、私がリレーにエントリーしていたために多くのカメラが回されておりました。当然私にバトンが渡る前です。レース全体を撮るためにいくつものカメラが様々な角度からその瞬間を狙っておりました。ですのではっきり映っているのですよ……、貴女が錦織柳を突き飛ばした瞬間が……。それでもまだ知らぬ存ぜぬと申されますか?」
「そっ……、それは……」
萩原紫苑は真っ青に青褪めてガタガタと震え出した。もちろんカメラに映像が残っているなどただのハッタリだ。本当に残っているかどうかなんて確認している暇があるわけないだろう?そもそもうちが撮影していたのかどうか。どこから何台ほど撮影していたのかなんて知るはずもない。全てはただのはったりだ。
でも効果は劇的だった。一年生程度では運動会が終わってから今まで教室で先生に話を聞いていたのに、映像を確認する暇なんてなかっただろうとかそんなことを冷静に考えられるはずもない。それにあちこちにカメラが回っていたことは事実だ。その中のどこかに映っている可能性はゼロじゃない。
「だっ、だって!しょうがないじゃない!あいつは、あいつは近衛様を倒すって馬鹿みたいに言いふらしてたのよ!近衛門流の錦織家が!萩原家の分家でしかない錦織家が!そんなことをして近衛家に目をつけられたら萩原家だって潰されちゃう!だからあんな奴あんな目に遭って当然なのよ!私は悪くない!私は悪くない!うわぁぁ~~~んっ!」
散々言いたいことを言うと萩原紫苑は大声を上げて泣き出した。泣きたいのはこっちだよ……。ある程度想像はしていたけど実につまらないことだった。
錦織家は萩原家の分家筋だ。その錦織家が近衛門流でありながら近衛伊吹に勝つと言いふらしていた。それに危機感を覚えた萩原紫苑は錦織柳が勝たないように妨害をした。ただそれだけのこと……。
内容自体は実にくだらない。リレーで伊吹を抜いたからって門流を追放だとか、関係グループから排除するなんてするわけがない。全ては萩原紫苑の飛躍した妄想が原因だ。でもその結果起こったことはあまりに重い。
錦織柳はクラスでもあんなに責められて責任を感じている。このまま放っていたらいじめにも発展しかねない。その原因がこの少女一人の勝手な思い込みとは……、現実はこんなものとはいえあまりにあんまりだろう……。
「近衛伊吹はリレーで抜かれたからなどということで怒って門流を追い出したりするような者ではありません。むしろ貴女がそうやってレースを妨害したことに怒るような者です。貴女は近衛門流でありながらそんなことも理解していないのですか?」
「うわぁぁ~~ん!ひっぐっ!うぇ……、ああぁ~~~!」
泣き喚くばかり……。話も出来ない……。
「はぁ……。私から無理に責めるつもりはありませんが……、せめて……、自分の仕出かしてしまったことの重大性くらいは自覚して欲しいものです……」
それだけ言うと俺は萩原紫苑をおいてその場を離れた。泣いている子供にいつまでも付き合っていられない。それより今後錦織や近衛の周りがどうなるのか……。それを思うと憂鬱な気分になるのだった。