第七十七話「走順」
一昨日は酷い目に遭った。いや、パーティー自体は楽しかったよ?俺の親しい友達ばかりだったし、皆でワイワイと楽しいパーティーだった。問題はそんなことじゃなくて近衛母が投げ込んできた爆弾だ。
近衛母はしれっと俺と伊吹の婚約だの許婚候補だのという話をぶち込んできやがった。もちろん俺は即座にお断りしたけど、俺がそう言ったからって簡単に諦めるとも思えない。というかそれで諦めてくれるならとっくに諦めているはずだ。前から何度も同じような話をしては俺はきっぱり断っている。
聞き分けがよければとっくに諦めているわけで、それなのに何度も蒸し返してくるということは諦める気とか、俺の気持ちとかそういうことは関係ないということだろう。
これは非常にまずい……。特に父だ。うちの父は俺が伊吹と結婚することをそれとなく応援していた。
そりゃ父の立場からすれば近衛財閥と協力関係を築けるというのは経営的にも色々と有利なんだろう。大会社や財閥を預かる身としては、それに飛びつかない理由もないというのはわからなくはない。
でもだからって俺が伊吹と結婚させられるなんてお断りだ。そもそもそのルートに行けば破滅が待っている。バラ色の人生どころか九条家が終わってしまう。
父にそのことを伝えることが出来たならば父も無闇に近衛家との縁談には飛びつかないはずだ。でも伝える術がない。今俺がそんなことを言っても子供の妄想で片付けられてしまう。俺だって逆の立場だったらそんなことを聞かされても笑い飛ばすだろう。
ここがゲームの『恋に咲く花』の世界に非常に良く似た世界だとか、俺が転生者で前世の記憶があるとか、ゲームの『恋花』であればこの先の展開を知っているとか……。誰に言ったって信じてもらえないわな……。
もし、仮に……、父が俺の言うことを信じたとしても、じゃあその未来を回避しつつ近衛家と結ばれれば良い、という答えに行き着くだろう。先がわかっているのなら破滅フラグを回避しつつ結婚すればいいじゃないかと言い出しそうだ。
俺の考えでは最初から攻略対象達に近づかないのが一番だと思ってる。でも他の家族からすれば、例え俺が伊吹のせいで破滅させられるとしても、その未来を回避しつつ伊吹と結婚すればいいと考えるだろう。これが一番厄介だ。
近衛母はまだ今の所は俺に直接言ってくるだけで済ませている。でももし直接父にでもこの話を持っていかれたらトントン拍子に話が進む可能性が高い。父は近衛財閥との協力を諸手を挙げて喜ぶだろう。
それを回避するためには母に頑張ってもらうしかない。母は俺が伊吹と結婚することに反対だ。父に話がいって乗り気になっても母が止めてくれると信じるしかないだろう。まぁ一番はそもそも近衛母にこの話を諦めさせてこちらに話を持ってこさせないことだけど……。
それは俺が決めることじゃなくて近衛母が勝手にすることだからどうしようもない。折角楽しい気分でパーティーを満喫出来たというのに最後の最後で台無しになった気分だ……。
「御機嫌よう咲耶ちゃ……、何かあったのですか?」
「皐月ちゃん御機嫌よう。何でもありませんよ?」
朝、いつも通りに皐月ちゃんと挨拶をしたらいきなりそんなことを言われた。別になんてことはない普通の朝だけどな。
「一昨日はあんなに楽しそうだったのに……、何があったのか話せないのなら無理に聞き出しはしませんが、相談があればいつでもお聞きしますから」
「え~っと……、ありがとう」
皐月ちゃんがそう言ってくれるのはうれしいけど別にそんなに大変な話じゃないんだけどな?俺ってそんなに酷い顔をしてるのかな?出かける前に身だしなみチェックした時は別に普通だったと思うけど……。
皐月ちゃんの気遣いに感謝しつつも、別にそんな人に相談することでもないし、とりあえず自分の席に着いていつも通りに過ごす。
「おはよう!」
「おはようございますアザミ様」
「アザミ様ごきげんよう」
だいたいいつも通りの時間に薊ちゃんが登校してきた。そして俺の前でいつものように……。
「おはようございます咲耶様!一昨日は楽しかったですね!ってどうされたんですか?何かあったんですか?どこか具合でも悪いのでしょうか?」
「御機嫌よう薊ちゃん。別に何でもないですよ?」
やってくるなり薊ちゃんにまでそんな心配をされてしまった。そんなにおかしいか?俺自身別にそんなに気にしてないはずなんだけどな……。
もし俺が何か心に引っかかることがあるとすればパーティーの最後の方で言われた近衛母の言葉だけだ。俺と伊吹が許婚候補にならないかという話……。不安があるとすればそのことだけだし、それだってどうせそんなことにはならないだろうと思っている。
近衛母が俺に言っただけだし、母だってそれを知れば止めるだろう。だから気にはしているけどそんなに心配していない……、つもりなんだけどなぁ……。
「何かあれば何でもこの私に言ってくださいね!」
「えっ、ええ……、ありがとう」
薊ちゃんもそう言ってくれるのはありがたいけど俺自身そこまで気にしてるつもりはないんだけどなぁ……。
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今日は体育の授業で種目別の練習は最後の日だ。次からは行進とか入場とか全体行動の練習が中心になるから、種目ごとの練習は最後となっている。俺はそんな日程というか授業の予定なんて知らなかったんだけど、錦織が今日最後の勝負をすると先生と決めたから俺もその予定を知ることになった。
「九条咲耶!お前が足手まといじゃないことはもうわかった!そのことについてはなかったことにする!でも!勝負に勝って後の走順になるのは俺だ!」
「え~……、私としてはどちらが速かろうとも、走順が後でも先でもどちらでも良いのですが……」
正直やる気はしない。リレーや短距離走自体そんなに熱心でもないし……。というかこれを言うと怒られそうだけど運動会自体別にそんなに興味がないというか……。出る以上は勝ちたいというのは誰でもあると思うけど、前世の記憶がある俺からすると所詮は子供の遊びだ。
とはいえ当の本人達からすれば真剣に取り組んでいる子達もいるだろう。それを馬鹿にしたり足を引っ張ったりするつもりはない。ただまぁ……、同じ熱意でやれと言われても少々難しいというのが正直な感想だ。
「それではこの勝負で勝った方が後の走順ということで良いですね?」
「「はい」」
先生の最終確認で二人とも頷く。負けてあげてもいいっちゃいいんだけど……、それは失礼だからやめておく。
相手はこの日のために真剣にトレーニングに励んできた。それを順番を譲ってやるよ、なんてわざと手を抜いて負けてあげるのは失礼だろう。全力で叩き潰す!というほど気張ることもないけど、わざと負けるというのはやめておく。
「それでは位置について……、よーい、スタート!」
先生の合図と同時に飛び出す。当然ながらスタート時点では同率だ。でもそれはスタート時点だけ。確認するまでもなく最初の瞬間以降俺の視界に錦織が入ってくることはない。どんどん足音が遠ざかる。ある程度走ったところで途中から流してゴールする。振り返ったけど錦織はまだ随分向こうだった。
「はい。それでは錦織君が一番走者、九条さんが二番走者ということで良いですね?」
「はい……」
スタート地点からこちらに来た先生の言葉に錦織は頷く。そりゃ自分から言い出したんだし、これだけ完膚なきまでに叩きのめされたら今更何も言えないだろう。
「九条咲耶!」
「……はい」
全ての決着はついた、と思ったんだけど錦織に大きな声で呼ばれてそちらを見てみる。その顔は悔し涙に塗れていた。男の子が隠すこともなく涙を流している。でもその目は負け犬の目じゃない。悔し涙は溢れているけど、それでも強い意思を感じさせる目だった。
「おっ、俺は……、伊吹君に勝つつもりだった!一組の二番走者は伊吹君だ!俺はそこで伊吹君に勝つつもりだったんだ!」
「そうですか……」
確かにゲームの『恋花』では伊吹は運動神経抜群で、ほとんどのスポーツとかで負けたことがないという設定だった。この世界の伊吹がどれくらい運動神経が良いのかは知らないけど、ゲームに似たこの世界ならこちらの伊吹も優れた身体能力を持っていても不思議じゃない。
本来なら近衛門流の錦織家が、錦織柳が、門流の長である近衛伊吹に本気の勝負を挑む。しかもそれに勝つつもりだった。その想いがどれほどのものであったのかわからないわけじゃない。
「勝てよ!絶対!うっ……、ぐすっ……、絶対勝て!」
錦織はしゃくりあげながら、涙を拭うこともせず俺を真っ直ぐ睨みつけながらそう言った。ならば俺の答えは一つだろう。
「必ず勝ちましょう」
ここでリレーなんだからお前も無関係じゃないだろ、とか、善処します、とか、そういう答えはしてはいけない。いくら的確な突っ込みでも『第一走者のお前次第だろ』とかは特に御法度だ。そんなことを言ったら錦織が恥ずかしい奴になりすぎてしまう。
それでなくてもクサい台詞で痛い奴になってるのに、そんな的確な突っ込みまで入れたら爆死どころじゃなくなってしまう。俺なら登校拒否になるレベルの事案だ。
だから無粋な突っ込みはせず、ただ勝つと約束する。俺にとっては別にどっちでもいいんだけど……。
まぁ俺だってわざわざ負けたいわけじゃない。勝てるのなら勝ちたいし、一生懸命頑張っているチームメイト達の足を引っ張るつもりもない。やるからには勝つ。その思いは同じだ。
「何偉そうに言ってんのよ。第一走者のあんたが大差つけられたらいくら咲耶様でも勝てるわけないでしょ。まずはあんたが頑張りなさいよ」
「…………」
薊ちゃ~ん!それはきつい!皆思ってたよ。理解してたよ。でもそれは言っちゃあいけないよ……。錦織もちょっと半分死んだ目になっちゃったじゃないか……。さっきまではあんなに眼光鋭く格好をつけてたのに、完全に死んだ魚の目になってるよ……。
「え……、え~と……、それでは練習の続きをしましょうか……」
「そっ、そうですね。さぁ皆さん!今日で種目別の練習は最後ですよ。自分の練習に戻ってください」
俺の言葉で我に返った先生に促されて皆解散していく。でも暫く錦織だけ『チーン』という感じで停止していたのだった。
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今日も食堂で七人で揃って食べる。最近はずっとこの集まりでうれしいな。これこそゲーム『恋に咲く花』の咲耶お嬢様とその取り巻き勢揃いという所だ。
もちろん俺は皆のことを取り巻きだとか手下だとは思っていない。皆大切なお友達だ。ただゲームの時に『咲耶お嬢様とその取り巻き達』みたいに呼ばれていたから便宜上そう呼んでいるにすぎない。
こうして七人で集まれる日が来るなんて入学当初は、いや、入学して少しした頃には考えられなかった。
入学前や入学直後はすぐに皆ゲームの時のように咲耶お嬢様の取り巻きになるのかと思っていた。でも実際に少し経ってみればまったくそんな様子もなく、それどころか薊ちゃんと皐月ちゃんはかなり対立しているような雰囲気で随分心配したものだ。それが今ではこうして薊ちゃんグループの中に俺も皐月ちゃんも入っている。
俺はもともとボッチだったから良いけど皐月ちゃんは自分のグループを放ってていいんだろうか?それは少し心配になる。実際には俺の知らない所でグループの子達ともうまくやってるんだろうけど、こうも毎日一緒にいるとついついそちらの事情は忘れてしまいそうだ。
「お出かけの時にこちらのお店も行きませんか?」
「う~ん……。でもそれはさすがに回る店が多すぎじゃないかな?」
「咲耶様はどう思われますか?」
「え?そうですね……」
俺が考え事をしていると皆が雑誌や地図を並べながらお出かけの時に行く店を物色していた。どの店は行きたいとか、どこで休憩しようとか、かなり綿密な計画を立てているようだ。
俺が小学生くらいの頃だったら出かける時なんて行き当たりばったりで行ってたと思うけど……、こういう所は大したものだと思う。
「あ……、でも私はこっちもいきたーい」
「でもそうするとこちらまで行く時間がなくなってしまいますよ」
本当に皆真剣だ。限られた時間の中でいかに自分達の行きたい所へ行くか。そのためには事前の準備が重要だということだろう。
いつでも行けるのなら確かに行き当たりばったりでいい。失敗すればまた次にすれば良いだけだ。でも俺達のように時間に限りがある者はそうはいかない。この機会を逃せば次はいつになるかわからない。それこそこの七人で集まれるのなんて年に一回もあるかどうかだろう。
そう思えば……、皆が真剣に取り組んでいるのもわかるというものだ。そしてそれは皆がこのお出かけを楽しみにしてくれている、本気で行きたいと思ってくれているという証拠でもある。
「本当に……、楽しみですね」
「そうですね!」
「待ち遠しいです!」
俺の呟きに、皆が良い笑顔でそう答えてくれたのだった。