第七十六話「狙いは……」
暫く走っていた車が停車した。どうやら目的地に到着したようだ。
「失礼します。咲耶お嬢様、到着いたしました」
「はい」
声がかけられて、開かれた扉から降りる。目の前に見えるのは立派な屋敷だった。正面の先に見えているのは背の高い洋風の建物だけど、もっと奥に和風の建物も僅かに見えている。都心の一等地だというのに広い敷地に複数の建物があるようだ。
「さすがは近衛家ですね」
「はい。九条家に勝るとも劣らないかと……」
椛の言葉に頷いておくけど俺の感想としては九条家よりも立派だと感じる。もちろん隅々まで知っている九条家と今初めてやってきた近衛家では、仮に両者が同等だったとしても受ける印象はかなり違うだろう。
今日やってきたのは近衛家の面々が普段生活している住居だ。パーティーのためにどこかの会場や施設を借りているわけじゃない。ここは正真正銘普段から伊吹達が生活している場ということになる。
「ようこそおこしくださいました、九条咲耶様。ご案内いたします。こちらへどうぞ」
「はい」
車で玄関前のロータリーまで入っているんだから案内も何もないとは思うんだけど、そういうことを手抜きして『目の前の扉に勝手に入れ』なんて言えるわけもない。ちょっと年季の入った執事に案内されて正面にあった洋館風の建物に入る。
「ようこそいらっしゃい、咲耶ちゃん!」
「奥様……、本日はお招きいただきありがとうございます」
入るとすぐに近衛母の出迎えを受けた。まさか近衛母がいるとは思わず面食らう。でも動揺を見せることなく優雅に応じなければならない。
「おう!咲耶!よくきたな!」
「近衛様も、お招きいただきありがとうございます」
伊吹だけはとことんブレないな……。それだけはうらやましいよ……。そうなりたいとは思わないけどな……。
「そんなに畏まらなくても良いのよ咲耶ちゃん。こんな所に立たせていてはいけないわね。さぁ、どうぞ」
「失礼いたします」
見た目は洋風だけど中は靴を脱いで入るらしい。まぁ日本人が住む普通の住宅だからな。これがパーティー用の会場だったなら靴のままだったんだろうけど、これはあくまで見た目が洋風な日本の住宅というわけだ。
今日はパーティーというより知り合いによる小さな集まりだから同行者は許可されていない。椛や運転手達はすでにいない。ここは完全なアウェーだ。
「ここよ。もう何人かは集まっているからゆっくりお話でもしていてね」
「はい。ありがとうございます」
近衛母に案内されて部屋に入る。洋風の建物だけあってここはホールのようだ。リビングやダイニングじゃなくてこういう集まりの時のために用意されている場所だな。
「やぁ九条さん」
「きたね咲耶ちゃん」
「御機嫌よう、鷹司様、広幡様」
俺がホールに入るとすぐに槐と水木に声をかけられた。見てみればもうほとんどの面子は来ていたようだ。俺以外にまだ来てなかったのは茜ちゃんだけかな。
「咲耶様!そのドレスとっても素敵です!」
「ありがとう薊ちゃん。薊ちゃんのドレスも良く似合ってますよ」
槐と水木を押し退けるようにしてやってきたのは薊ちゃんだった。それに続いて皆もやってくる。
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
「御機嫌よう皐月ちゃん」
皐月ちゃんが可愛らしくドレスのスカートを摘み挨拶してくる。俺も同じようにカーテシーで挨拶を返した。別にこうしなければならないわけではなく単なるお遊びだ。二人でそうして挨拶してから『ふふっ』と笑い合う。
「そのドレス姿も良いけれど……、咲耶ちゃんにはもっと蠱惑的な衣装も似合うんじゃないかしら?でも他の男達にそんな姿を見せるのも癪だから、今度お姉さんだけに見せてくれないかしら?ね?いいでしょう?」
「茅さん……、御機嫌よう……」
茅さんはブレないな……。何か咲耶お嬢様の周りにいる人って皆自分独自の世界を持っている人が多いというか何というか……。
「咲耶ちゃん、今日は誘ってくれてありがとう」
「いや、ですからそれは……、近衛様のパーティーで近衛様がお誘いくださったものです。私ではありませんので……」
椿ちゃん!近衛家の中でそんなこと言わないで!何か俺が招待したみたいに聞こえるじゃん!近衛家からすれば『何?こいつ、人のパーティーで自分が主催者で人を呼んだみたいに言いふらしてんの?』みたいに思われるじゃん!
「でも咲耶ちゃんが口添えしてくれてなかったら私なんて呼ばれてもいなかったから、ありがとう」
「いえ……、ははっ……」
冷や汗が出てきそうになる。もう勘弁してください椿ちゃん……。
「遅れて申し訳ありません!」
そしてそんな話をしていると俺より少し後に茜ちゃんが入って来た。でも別にまだ遅れていない。皆は揃っているけどまだ正式な開始時間前だ。
「まだ開始前だし遅れていないよ、東坊城さん」
「たっ、鷹司様、すみません!」
うわぁ……。茜ちゃんガチガチだな……。それに槐よ。何故お前がそんなに仕切っている?普通ここは伊吹が仕切る場じゃないのか?
「それでは全員揃ったようね。まずは皆さん今日はようこそ近衛家のパーティーに来てくれたわね」
「ちょっ!俺!俺が挨拶するんだろ!」
近衛母がスラスラと挨拶し始めたのを聞いて伊吹が慌て出した。もしかして今日ここで挨拶するために色々原稿を用意して、暗記して、練習してきたのかもしれない。でなければ母親がしゃべりだしたからとあんなに慌てないだろう。
「はぁ……、そうね。それじゃ伊吹がご挨拶しなさい。皆さん、ここからはうちの愚息が挨拶をかわるようです。失敗しても笑わずに温かく見守ってやってくださいね」
う~ん……。近衛母ってこんなキャラだったか?しかも伊吹だってもっとしっかりした御曹司だったはずだけどなぁ……。何でこんな残念王子みたいになってるんだろう……。
確かに唯我独尊の『俺様王子』ではあったけど、伊吹は『俺様王子』足り得るだけの教養や度胸やカリスマ性を持ち合わせていた。成績も運動神経も良く見た目とスペックだけで言えば完璧だったはずだ。ただ唯一の欠点はわがままで自分勝手で人の気持ちなんてわからない人格破綻者だったというだけで……。
それなのにこの伊吹はどうだ?何かポンコツ王子というか残念王子というか……。とても我が道を行く唯我独尊の『俺様王子』には見えない……。
もちろんこれから成長していくにつれてそういう風になっていくという可能性はある。でも今のこの状態を見ていて将来あのゲームの『恋花』の『俺様王子』のようになれるとは思えない。
少なくともこれからそういう風に成長していったとしても、周りは今の伊吹を知っているわけで、将来そうなっても笑われるだけじゃないだろうか?将来いくら気取っても今の伊吹を知っている者からすれば笑いのネタになるだけだと思うけど……。
よくわからないな……。これもこの世界が変わりつつあることの影響か?それとも将来はやっぱりゲームの『俺様王子』のようになるのか?
槐もゲームの時のような儚げな『白雪王子』からいつの間にか『腹黒王子』みたいな感じになっているし、よく注意しておかないとゲーム時とこの世界とでどこがどう変わって、どういう影響があるのかわからない。咲耶お嬢様の将来にも影響するから笑っていられないな……。
「おう!お前ら!今日は俺と咲耶のパーティーによく来てくれた!楽しんでいってくれ!」
「「「「「「…………」」」」」」
シーンとする。特に女性陣が白けているような雰囲気だ。そもそも『俺と咲耶のパーティー』って何だよ。滅茶苦茶意味深に聞こえちゃうだろ!俺とお前には何の関係性もない!このパーティーだってお前が余計なことを言い出して、兄がさらに余計なことを言うから来なければならなくなっただけだ。俺は関係ない。
「まぁこうなる気はしてたわ。さぁ、皆さん伊吹のことは放っておいてパーティーを楽しんでいってちょうだい」
「あははっ……。おばさんは相変わらず伊吹には手厳しいね」
「え・ん・じゅ・く~ん?『お・ね・え・さ・ん』でしょ?他の人からは伊吹の母と言われるのは仕方ないけど槐君にとってはお姉さんよね?」
「そっ、そうですね……。ごめんなさいお姉さん」
近衛母の言葉に槐がダラダラと汗を流しながらお姉さんと言い直した。う~ん……、近衛母ってこんなキャラだったっけ?
いや……、そりゃ私生活なんて知らないんだけどね?ゲームでの登場も限られているし普段どんな性格でどういうキャラクターなのかなんて知らないけど……。
少なくともゲーム中で登場する時は大体咲耶お嬢様にとっては碌でもない時ばかりだ。咲耶お嬢様が断罪されて破滅させられる時に出てくる。九条家の不正を暴露する時に大きな役割を果たしたりだ。だから俺はこの近衛母も苦手なんだけど……。
「さぁ咲耶様!向こうへ行ってお話しましょう?」
「咲耶ちゃん、お料理をいただきましょう」
「あっ……、ちょっ……」
皆が俺を引っ張っていく。近衛母や槐に興味はないとはいえ、俺の、いや、咲耶お嬢様の将来に大きく関わる可能性はある。折角こんな所にまで来たんだから情報収集もしておきたかったんだけど……。
まぁいいか。皆と楽しくパーティーに参加出来るのならそれもいいや。何か……、呼んだのが皆俺のお友達ばかりだからか、周りを囲まれてあれこれ話しかけられてちょっと楽しい。
そんなに緊張することもないし、俺を目の敵にする相手もいない。多少の失敗や無作法を気にすることもないし、リラックスして楽しめばいい。
そうか……。パーティーってこんな楽しいものだったのか。周りに知らない人がいっぱいいて、絶対に失敗出来ない中でずっと緊張を強いられる。パーティーなんてそんなものだと思っていた。
確かに普通のパーティーに行けばそうなんだろう。でも……、こうしてお友達ばかりで集まっていれば、パーティーといってもいつものサロンとそれほど変わらない。食堂で集まっている時の輪の中に茅さんがいるくらいの感じだ。
「咲耶ちゃん、お姉さんが料理を取ってあげるわ。どれがいいかしら?」
「あっ、ありがとうございます。それではそちらの……」
「咲耶ちゃん、今度お出かけする時のことなんですけど、ニャンちゃんランドの他にこちらにも……」
「ああ、良いですね。それでは回る順番と時間を少し調整してそちらにも回れるように……」
「咲耶様!」
「咲耶ちゃん」
皆がワイワイと周りに集まってくる。対応し切れない。もしこれが見知らぬ相手や堅苦しいだけの挨拶だったら煩わしいと思う所だろう。でも……、皆とこうしているととても楽しい。
少しだけ……、ほんの少しだけ伊吹に感謝してやってもいいかもしれないな……。パーティーがこんなに楽しいものだったなんて知らなかった。それを知る機会をくれた伊吹に……、ほんの少しだけ感謝してやってもいい。
~~~~~~~
パーティーは順調に進み、あっという間に時間が過ぎてしまった。もうかなり良い時間になっており終わりも近づいてきていた。
「うちのパーティーはどうだったかしら?咲耶ちゃん」
「近衛様……。はい、とても楽しませていただきました」
ちょうど俺の周りに誰もいないタイミングで近衛母がやってきてそんなことを聞かれた。だから俺は素直に思ったことを答える。
「そう。それはよかったわ。それにしても咲耶ちゃんは人望があるのね」
「……え?」
俺に人望?あるわけがない。カリスマも人望もない。だから俺は学園でも腫れ物を扱うように扱われているし、パーティーに出てもヒソヒソと陰口を叩かれる。俺に人望やカリスマがあればもっと違う扱いを受けているだろう。
「ここには私の友人をたくさん招いていただいたからです。逆にここに呼ばれている方達以外の場ではこのようなことはありません。あくまでこの場が私にとって親しい友人ばかりだったからというだけです。そしてそのようなご配慮をいただいた近衛様には感謝してもし切れません」
「それは違うわ。計算も打算もなく、本当に親しい友人をこれだけ持っているだけでも大したものよ。こうは言いたくないのだけど……、私達のような社会の付き合いなんて上辺だけのものよ。相手を利用するため、近づいて有利になるため、そんな付き合いばかり。そんな中で本当に計算もなくただの友人としてこれだけの人が集まってくれるだけでも大したものなのよ」
「そう……、かもしれませんね……。私にはもったいないくらいの友人ばかりです……」
近衛母の言うこともわからなくはない。確かに上流階級の付き合いは広いけど、どれも上辺だけの付き合いだ。利用出来る相手のパーティーには必死で出て行くけど、大して利用価値もない相手のパーティーには時間を割いてまで行こうとはしない。所詮はどんな綺麗事をいってもその程度の付き合い……。
それに比べてここに集まってくれた皆は……、皆は……?
結構計算尽くじゃないですかね?皆それぞれ色々計算してたり狙ってたりするような気もするよ?ん?
大人みたいにお金だの利権だの交渉に有利なようにだのという計算とは違うと思うけど……、皆自分の欲望に素直に従っているだけのような気がしないでもない。まぁいいけど……。
「それでね、咲耶ちゃん。うちの伊吹と婚約しない?」
「絶対にお断りです!」
何が『それで』なのか!?しれっととんでもない爆弾を放り込んできやがった!結局それが狙いか!
「まぁそう言わずに……。じゃあこういうのはどうかしら?まずは許婚候補としてお付き合いしてみるとか?」
「それは一番駄目です!」
とんでもない!それはゲームの『恋花』ルートまっしぐらじゃないか!そんなのは絶対にお断りだ!