第七十一話「お出かけ決定」
昨日に引き続いて、いや、昨日以上に緊張する。静かな夕食の席でタイミングを見計らう。皆の食事が終わった頃に俺は口を開いた。
「お母様、昨日は申し訳ありませんでした」
「…………」
まずは誠心誠意頭を下げて謝る。頭を下げているから母がどんな表情をしているのかはわからない。ただこの沈黙がとても痛い。でも諦めるわけにはいかない。
「何に……、どうして謝っているのですか?」
頭を下げたままの俺に母の冷たい言葉が降ってくる。まるで感情の起伏が感じられない。怒っているわけでも呆れているわけでもないような、何の感情も含まれていないような平坦な声だ。それが余計に恐ろしい。
「私は何もわかっていませんでした。すでに決まりかけている近衛様のパーティーを断るということがどういうことなのか、そこまで考えが到っていませんでした」
「…………」
また沈黙……。それでも構わず俺は胸の内を吐露していく。
「正直に申します。私は近衛様と関わるのも嫌でパーティーにも参加したくないと思っていました。ですからお母様の言葉はまさに渡りに船だと安易に考えてしまいました。そのことで九条家の面子を潰すことも、近衛家にご迷惑をおかけすることも、他の、私が誘った参加者の皆様が困ることも考えから抜けておりました」
母だけでなく、この場にいる父も兄も何も言わない。ただ俺の声だけが響き渡る。
「例え行きたくないとしても、一度引き受けた以上は近衛様のパーティーには可能な限り参加しようと努力しなければなりませんでした。それを放り出し、ただ自分が遊びに行きたいからとそちらの都合とバーターしようなど許されることではありません」
ここまで全て正直に話した。でも終わりじゃない。むしろ終わりどころかこれからが始まりだ。
「どちらか片方しか許可しないと言われた時に近衛様のパーティーを断ると言ったことは撤回いたします。私は!私はどちらにも参加します!ですから近衛様のパーティーも、皆とのお出かけもどちらも参加することをお許しください!」
俺がするべきだったことはどちらかを選べと言われた時に、どちらかを選べないと答えることだった。近衛家のパーティーはもう走り始めている。今更参加しませんとは言えない。
皆でお出かけは何があっても絶対に行きたい。この日しか空いていないんだ。すでに決まっている俺の予定はどうしても変更出来ないようなものじゃない。だから絶対にこの日しかないんだ。他の重要な予定を動かすことを思えばこの日しかない。
「顔を上げなさい」
「はい……」
恐る恐る顔を上げる。視線を上げた先の母の顔は無表情というほど何も感じられないものだった。今母が何を考え何を思っているのか。その表情からは一切窺えない。
「それは……、誰かにそう言うようにと聞いたのですか?」
母の視線がチラリと動いた。恐らく俺の斜め後ろの方にいる椛を見たんだろう。実際に今椛がどこに立っているのかはわからないけど、恐らく母は椛を見たんだと思う。
「確かに色々な人から色々なヒントはもらいました。ですが誰にも具体的なことは聞いていません。全て私が自分で言葉を選んだことです」
椛に教えてもらった。茅さんに教えてもらった。でも二人にはっきりどういうことだと聞いたわけじゃない。ヒントは教えられたことを否定するつもりはない。でも俺が今言った言葉は紛れもなく俺の言葉だと胸を張って言える。だから俺は真っ直ぐに母を見詰めた。
「もういいじゃないか。なぁ?」
「はぁ……。貴方は咲耶に甘すぎます……」
父がニコニコとそう言うと母も眉を八の字に下げて溜息を吐いた。ようやく母の表情や声に感情が戻ってきたようだ。
「わかりました……。それではその二件に関しては出掛けることを許可します。ですがまだ外出禁止は解きません。他に用を増やして外出したいと言っても許可しませんからそのつもりでいなさい」
「あっ、ありがとうございます!」
やった!母が許可してくれた!他の外出はまだ禁止のままだけどどうせそれはいつもと変わらない。どうせ毎日藤花学園と習い事と家をウロウロしているだけだ。
「よかったね咲耶」
「はい!」
兄も祝福してくれている。
「自分でそこまで気付けるなんて咲耶はきっと天才だな!」
「貴方……、それは親馬鹿というのですよ……」
父の言葉に母が突っ込みを入れる。そしてドッと笑いが起こった。ああ、こういう食卓はいつ振りだろう。お出かけが許可されただけじゃなくて……、何だか家庭内までうまくいくようになったようだ。
心の中で椛と茅さんに感謝しつつ、今日はぐっすり眠れたのだった。
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今日は朝からとても気分が良い。全てが輝いているかのようだ。
「御機嫌よう皐月ちゃん」
「咲耶ちゃん、何か良いことでもありましたか?」
おっと?皐月ちゃんから返事が返ってくる代わりにそんな言葉が返ってきた。つい挨拶も忘れるほどわかりやすすぎたかな?
「ふふっ、それはお昼にまた言いますね。それまでのお楽しみです」
「お出かけの許可がいただけたんですね。よかったですね咲耶ちゃん」
なっ!何故わかった……。まさか皐月ちゃんは超能力者で俺の考えていることや記憶が読めるのか?それとも超高性能な盗聴器でも仕掛けていて昨晩の出来事も全て把握されているとか?
「あの……、そのような顔をされていますが……、お昼に発表するという時点で七人のことだとわかるでしょう?今お昼に集まる七人に関わることで咲耶ちゃんがそれほど浮かれることと言えば、お出かけの許可が下りたと考えるのが自然だと思いますよ?」
「なるほど……」
皐月ちゃん本当に小学校一年生ですか?『頭脳は子供!見た目は大人!その名は迷探偵――』ってやつじゃないですか?
「まぁ……、良かったではないですか。お昼にそのことを言えば皆さん喜ぶと思いますよ」
「そうですね。お昼が楽しみです」
皐月ちゃんと二人で笑い合ってから席に着く。早くお昼にならないかなぁ……。皆喜んでくれるよな?早くお昼にならないかなぁ……。お昼まだかなぁ……。
「おはよう!」
「アザミちゃんおはよー!」
「おはようございますアザミ様」
今日も元気に薊ちゃんが登校してきた。そして俺の前で……。
「咲耶様、何か良いことがあったんですね。おめでとうございます」
「ご機げ……、え?」
挨拶してくると思って返そうとしていた俺の言葉は途中で止まった。薊ちゃんの言葉は俺が予想していたものとは違ったからだ。
「そんなにわかりやすいですか?」
「はい!それはもう!一目で何か良いことがあったのだとわかります!」
それほどか……。俺はそんなにわかりやすいのかな?もしかしてずっとニヤニヤしてたんだろうか?じゃあ登校してくるまでに俺を見かけた人は皆俺がニヤニヤしてると思ってたんだろうか……。
「気持ち悪い表情をしていましたか……?」
ちょっと気になって恐る恐る聞いてみる。『ずっとニヤニヤしてましたよ』とか言われたら俺はもう教室にいられないかもしれない。
「とても美しく、素敵なお顔です!まるで天使……、いいえ!女神が微笑んでくださっているかのようです!」
あ~……。つまりニヤニヤしてたんですね……。薊ちゃんは俺が傷つかないように気を使ってそういう言い回しをしてくれたんだろうけど、つまりは気持ち悪く一人でニヤニヤしていたと……。
ああぁっ!恥ずかしすぎる!なかったことにしたい!でもこの世界にはセーブロードもリセットもない!あああぁぁぁぁ~~~~っ!
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午前中は悶絶していたけどようやくお昼休みになった。いつもの七人で集まって昼食にする。そして俺から重大発表がある。
「皆さん……、聞いてください。実は……」
「お出かけの許可が下りたことかな?」
「しっ!わかってても黙って聞いておくものよ」
えぇ……。俺はまだ何も言ってないのに譲葉ちゃんがポロリとそれを言い、蓮華ちゃんが譲葉ちゃんに突っ込みを入れて黙らせる……。何で知ってるの?
「えっと……、もうどなたかからお聞きになったのでしょうか?」
朝会った時点ですぐにバレたのは皐月ちゃんだけだ。でも皐月ちゃんは薊ちゃんグループとはこうして一緒にはいるけど、それほど親しいというほどでもない。まだお互いに距離というか壁というかがある。皐月ちゃんが話したとは思い難いけど……。
「あの~……、昨日あんなに暗くて、もう一度話をしてくると言っていた咲耶ちゃんが、今日はあれほど上機嫌だったらお出かけの許可がいただけたんだろうなとわかると思います」
……俺ってそんなにわかりやすいの?何も言わなくてもすぐにそこまでわかるほど?
「椿!いいじゃないの!さぁ、咲耶様、咲耶様のお口から直接お知らせくださいな」
こんな雰囲気で……、こんな状態で俺がまた自分の口から言うのか?何というか……、それって随分寒くないですかね?
でも薊ちゃんがそう言ったから皆がこちらに注目している。それならもういっそ自分で言った方が良いか……。いつまでもこのままの方が余計辛い……。
「えっ、え~……、皆さん御存知の通り、昨晩ようやく母からお出かけ日の予定変更の許可をいただきました。これでようやくお出かけの予定が確定出来るというものです。私のためにお待たせして申し訳ありませんでした。予定日は確定ということでよろしくお願い致します」
「そうですね!それでは私は必ず予定を空けておきます。いえ!咲耶様とのお出かけという予定で埋めておきます!他の予定は入れさせません!」
「そうだね~。先にもう予定が埋まってるって言う方が良いよね」
何かかなり恥ずかしい思いをしたような気がするけど……、これでようやく七人揃ってお出かけが出来る。後はどこへお出かけするかだな。
「それでは予定日も確定しましたし、どこへお買い物に行くか決めましょうか?」
「いいですね!私は今話題の……」
「あ~……。でも私はやっぱりこっちの方が良いと……」
俺の言葉に皆があっちがいいこっちがいいと言い始めた。でも一人だけあまり何も言わない子がいる。
「茜ちゃん、茜ちゃんはどこか行きたい所はありますか?」
「えっ?!えっと……、私は……」
急に俺に話題を振られた茜ちゃんは驚いた顔をしてから視線を逸らせた。
蓮華ちゃんは性格が大人しいから特に仲の良い譲葉ちゃん以外と話す時は遠慮気味だ。それでも最近は俺に対してでも普通に話してくれるようになってきた。でも茜ちゃんだけはまだ俺に対してちょっと距離というか壁というかがある感じがする。
別に敵対的とかそんなことはまったくない。悪意や敵意は感じない。ただ俺との距離感がわからずどうしたらいいか悩んでいるというところだろうか。
「もしかして茜ちゃん、どこか行きたい所とかあるのかな?」
「それは……」
うん……。どうやら茜ちゃんはどこか行きたい所があるけど言い出せないようだ。クラスなどでの茜ちゃんの他のクラスメイトとの話し方等を見ていると、この集まりの時とは随分違うように思う。その原因は恐らく俺だろう。前にあんなことがあって、俺とどう接したら良いかわからず困っているんだろうな。
「ねぇ?茜ちゃんはどこに行きたいのかな?私に教えて欲しいな」
じっと茜ちゃんを見詰めながらなるべく柔らかい表情になるように心がけて聞いてみる。だけど茜ちゃんは少し顔を赤くして縮こまるだけだった。作戦は失敗かな……。あまり見られたら嫌なタイプもいるし、茜ちゃんのこともあまりジロジロ見ない方が良いのかもしれない。
「茜、うらやま……、じゃなくて、折角咲耶様が聞いてくださっているんだから、思った通りのことを言ってみたらどう?」
薊ちゃんもリーダーシップを発揮してそんなことを聞いている。別に責めるような言い方じゃない。やんわりと、茜ちゃんが自分の意見を言いやすいように言ってあげている。リーダーの薊ちゃんにまでそう言われたら断れないのか、少しずつ茜ちゃんが言葉をつむぎ出した。
「えっと……、折角だから少し前に出来た……、あそこにも行ってみたいなって……」
「あそこ?」
「少し前……?」
皆は茜ちゃんの言葉からどこを指しているのか必死に考えていた。でも薊ちゃん一人だけすぐに察したようで手を叩いていた。
「あ~。ニャンちゃんランド?茜はニャンちゃん好きだものね」
ニャンちゃんとは猫のキャラクターだ。まぁ名前で大体わかると思うけど……。可愛い猫のキャラクターで女の子に大人気になっている。最近そのニャンちゃんのアミューズメントパークというか、ショップというかが出来たらしい。
「それではお買い物の他にそのニャンちゃんランドにも行きましょうか。となるとお買い物はニャンちゃんランドの近くですね」
「え?あの……、でも……、無理にとは……」
少し赤くなっている茜ちゃんが遠慮気味にそんなことを言う。ニャンちゃんが好きだってバレて恥ずかしいのかな?可愛い。でも遠慮なんてする必要ないのに。
「無理じゃありませんよ。皆さんだってニャンちゃんがお好きですよね?」
「そうですね」
「ニャンちゃんランドいいじゃない」
皆が賛同してくれた。そしてニャンちゃんランドへ行くことを中心に、その近辺で行けるお買い物の店を選んだりしていた。
「皆……、ありがとう……。咲耶ちゃん……、ありがとう……」
皆には聞こえないように、ボソッと小さな声でそう言った茜ちゃんの声を俺は聞き逃さなかった。でも……、もしかしたら本当は皆も聞こえていたけど聞き流していたのかもしれないな。