第六十六話「商店街」
さて……、家族旅行も終わって自宅に帰って来た。夏休みもとうとう残すところ終盤のみとなり終わりが近づいている。俺はもう学園の宿題は全て終わっているからそちらの心配はない。藤花学園はイメージするような小学校一年生の宿題とは違う感じだったけど……。
俺は実際にやったことはないけどよくあるイメージだと絵日記を書けとか、そんな宿題がイメージされるかもしれないけどそういうものはなかった。ドリルを解いたり、漢字帳を書いたり、読書感想文を書いたり……、その辺りは前世の俺もしていたのと変わらない。
藤花学園ではそういったものしか宿題に出されておらず、漫画やアニメやゲームに出てくるような一見変わった宿題はなかった。肩透かしのような、ほっとしたような、不思議な感覚だ。
それはともかく今日は夏休み最後のイベントがある。それは薊ちゃんとのお買い物だ。もちろん夏休みはまだ残っているから夏休み自体が最後という意味じゃない。ただ残りは毎日塾や道場に行って講習や修行をするだけだからこれといったイベントはない。
「咲耶お嬢様、今度脱走したら次は奥様に報告します」
「あっ、はい……」
薊ちゃんとの待ち合わせ場所で待っていると椛に釘を差されてしまった。母は何も知らないし薊ちゃんを気に入ったようだから買い物も許可したんだろうけど、椛はまだ前回脱走したことを怒っているんだろう。明らかにシャレで済まない雰囲気を醸し出している。
俺だってそう毎回毎回脱走しようとは思っていない。もし次に脱走するとしてもそれは当分先じゃないだろうか。
また脱走するつもりかって?それはわからないだろう?少なくとも『する』とも『しない』とも断言出来ない。そういうことだよ。
「咲耶お嬢様?本当にわかっておられるのですか?」
「はい。わかってます」
椛に不審な目で見られたから背筋を伸ばして答える。視線は動かさず真っ直ぐ前だけを見詰める。挙動不審になってはいけない。こういう時は堂々としておくべきだ。
「は~……。今日はぴったり監視させていただきますからね」
「はい。わかりました」
今日は脱走する予定はないから困らない。トイレにまで付いて来る気だろうけど、さすがに個室までは来ないだろう。それくらいなら許容しよう。そういうことを何回か繰り返していればそのうち椛の気も緩んでくるはずだ。脱走するならその後だな。
「咲耶お嬢様?本当に、本当にわかっておられますか?」
「はい!わかっています!」
あまり変なことは考えないでおこう。母も椛も俺がちょっと考え事をしているとすぐ突っ込んでくる。考えるなら二人がいない場所でした方がよさそうだ。
そんなことを考えながら待っていると……。
「咲耶お姉様!お待たせして申し訳ありません!」
薊ちゃんが走ってきた。後ろに付いている付き人も大変だな。薊ちゃんは落ち着きがないし、こうして走ったりしそうだし、付いていくだけでも一苦労だろう。
「薊ちゃん御機嫌よう。走る必要はありませんよ。まだ時間より前ですから気にしないでください」
俺や皐月ちゃんほど時間前行動というわけじゃないけど、薊ちゃんだってきちんと遅刻しないように行動している。学園でも遅れてきたことはない。
俺は前世からの癖で待ち合わせとか三十分前くらいには着くように行動してしまう。皐月ちゃんも学園の登校時間は俺よりも早い。茅さんが二時間も前から待ってたのはただのホラーでしかないけど……。薊ちゃんだってそれよりは遅いけどさすがご令嬢らしく遅刻とかはしないようだ。
「それで薊ちゃん、今日のお買い物へ行く場所はもう決まっているのですか?」
俺は待ち合わせの場所に呼び出されただけで今日の予定は聞いていない。茅さんに続いて今回も俺は予定を知らないけど、薊ちゃんならさすがに茅さんほど滅茶苦茶じゃないだろう。茅さんはちょっと怖いからな。
それに今日はお買い物だということはわかっている。茅さんのように何をするかもわからないのとは違う。ただこの辺りには九条家や徳大寺家が行くようなお店はないと思うんだけど……。
「はい!あそこに行こうと思っています!」
「……あそこ?」
薊ちゃんが指差す先に見えるのはアーケード商店街だ。
いやいや……、まさかな……。九条家と徳大寺家のご令嬢がまさかアーケード商店街に行くなんてことはないだろう。そんな所に行くとなったら護衛も大変だし、服が汚されるくらいならともかく誘拐とかされたら大事だ。そもそもそこらの商店街に行こうなんて許されるはずがない。
そうじゃないとすれば……、向こうの方角には確か……、商店街の向こうにブランド品店があったっけ……。そこへ行こうっていうんだな。
「あの屋根のようなものがある所はアーケード商店街というんですよ!今日はあそこへ行きましょう!」
「えぇっ!?」
やっぱり商店街だった!?そんな馬鹿な……。そもそもそんな所に行くって言ってもお付きの人が許さないだろ?と思って薊ちゃんのお付きの人を見てみれば……。
「…………」
黙って目を瞑り首を振っている。どうやら薊ちゃんは本気のようだ。
いや、俺は良いよ?前世ではああいう所にも行ったことがある。普通のアーケード商店街への耐性や慣れはある。でも薊ちゃんがあんな雑踏に踏み込んで大丈夫か?
「さぁ行きましょう!咲耶お姉様!」
「あっ!ちょっ!」
薊ちゃんは気にすることなく俺の手を取ると商店街の方へと歩き始めた。本気か?椛を見てみたけど椛も特に何も言わない。これは商店街に行っても良いってことか?仕方なく薊ちゃんに引っ張られるまま商店街へと進んでいく。
「わっ!あれは何ですか?」
「え~……、この商店街のマスコットキャラクターではないですか?」
商店街の入り口にヘンテコな着ぐるみが立っていた。見たことがないキャラクターだから、多分商店街のマスコットとかそういうローカルなキャラクターだと思う。
「何か変わった匂いがしますね」
「お肉屋さんのコロッケですね……」
入って間もなしにあるお肉屋さんがコロッケを揚げている匂いが漂っていた。前世の俺ならそういう物も食べたことがあるけど薊ちゃんはないだろう。コロッケは食べたことがあると思うけど、高級料理店で出てくる特別なコロッケだろうな。そこらの肉屋さんのコロッケとかスーパーの惣菜のコロッケなんて食べたことがないだろう。
「咲耶お姉様!食べてみましょう!」
「え?……はぁ、それでは一つずつください」
「はいよ!はい、可愛いお嬢ちゃん達、一個五十円だよ」
「お会計一緒です」
そう言って俺が百円を渡すと紙に包んだコロッケを一つずつ渡してくれた。
「……咲耶お姉様何だか慣れておられませんか?」
「えっ!そっ、そんなことはないですよ?」
コロッケを受け取った薊ちゃんがそんなことを言うから焦ってしまった。
「それにどうして百円玉を持っておられたんですか?」
「いや~……、え~っと……、たまたまです……」
そう。普通俺達の家なら買い物に行くからと自分達で現金を持ち歩くなんてことはない。お付きが払うし基本的にカードだ。俺は何かあったらいけないと思って多少の現金をこっそり持ってきただけだ。普段は持ち歩いていない。もちろん脱走しようと思ってたわけじゃないからな。
「…………」
うわ~……、椛も俺のことをじーっと見てる……。『確かにこいつ手馴れてるな』みたいな視線だぞこれは……。
「あっ、薊ちゃん、折角ですから温かいうちにいただきましょう!」
「え?テーブルもナイフとフォークもありませんがどこでどうやって食べるのでしょうか?」
「え?どうもこうも……、この紙を捲って……、このまま齧ります」
四角形の紙を二枚重ね合わせて、下の二辺は張り合わせてあり上の二辺は開いている。その間に入れられているコロッケを、紙を折り曲げて上だけ出して齧りつく。
「ほふほふ……。まだ熱いですね……。でもとてもおいしいですよ」
「「「…………」」」
あれ?何か薊ちゃんにも椛にも薊ちゃんのお付きにまでじーっと見られている?
「咲耶お姉様がそのような食べ方をなさるだなんて……」
ぁ……、はしたなかったかな?つい前世のようなつもりでいつも通りにしてしまった。普段は気をつけているしマナーも最低限は出来るようになったと思うけど、つい油断するとこういう所で前世の癖が出てしまう。
「咲耶お嬢様?もしかして今までも何度もこのような場所に来てこのようなことをされていたのではありませんよね?」
「あ~……、いや~……、その~……、今までずっと出掛ける時は椛と一緒だったでしょう?そのようなことあるはずないではありませんか……」
ちょっと苦しいか?どう見ても手馴れすぎているよな……。
「それはそうですが……」
お?椛は悩み始めた。実際俺が出掛ける時はいつも椛と一緒だった。唯一一緒じゃなかったのはこの前の脱走騒ぎの時だけだ。他でもない椛自身が俺の身の潔白を証明している。
「あっ!それより薊ちゃん!冷める前にいただいた方がおいしいですよ!」
「はっ、はい!」
俺が誤魔化すようにそう言ったら薊ちゃんも俺の真似をしてコロッケを食べ始めた。
「んっ!あつ!でもおいしいです!」
「そうでしょう?さぁ、冷める前に食べてしまいましょう」
誤魔化すためにそう言っただけだけど思いの他うまくいった。薊ちゃんのお付きの女性はじーっと俺を見たままだけど他の二人は誤魔化せたから良しとしよう。
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それから俺と薊ちゃんはアーケード商店街を歩いていった。何か周りから随分見られている気がするけど気にしない。ただお付きを連れて仕立ての良い服を着ている如何にもご令嬢という二人が歩いているんだから、誘拐とかひったくりとかそういう犯罪は気をつけておこう。スリやひったくり程度ならともかく誘拐とかに遭ったら大変だ。
「うわぁ……。このうるさいお店は何ですか?」
「パチンコ店ですね……。子供は入ってはいけないので他へ行きましょう……」
「このたくさんぬいぐるみが入っているケースは何ですか?」
「クレーンゲームですね。ここはゲームセンターです」
薊ちゃんは見る物全てが珍しいのかあっちへ行きこっちへ行き何でも尋ねてくる。
「咲耶お嬢様はどうしてそれほど詳しいのでしょうか?」
「ぅ……」
今日は椛の追及が厳しい……。まだ前の、別荘での金槌騒動を根に持ってるのかな?
「これはどのようにするのですか?」
「え?クレーンゲームですか?お金を入れて、このボタンを操作して、うまく中の景品を掴めてここに落とせたら景品をもらえます。一度やってみますか?」
またしても俺は小銭を出してクレーンゲームに入れると薊ちゃんに実際にやらせてみた。
「あ~!つかめませんでした」
まぁそうだろうな。クレーンゲームはそもそも一定金額以上投入されないとアームに力が入らず取れないように出来ている。それまでに何人もがお金を入れていれば、確かに自分の時にその設定金額を超えて一発で取れる可能性もある。だけど設定金額になるまで何千円も何万円も投入しなければならない可能性もある。
結局クレーンゲームで取るよりも欲しい物を買った方が良いわけで、これは景品がどうこうとか、買うより損か得かという話じゃなく、自分がうまく釣れたかどうかを楽しむものだ。そしてだからこそ中毒性がある。そういう心理につけ込んだ悪質な集金マシーンと化している場合もあるから要注意だ。
「もっ、もう一度!」
「あ~……、薊ちゃん……、この手のものは簡単に取れずにそうやって熱中させるように出来ているのですよ……」
やんわり薊ちゃんに注意しておく。九条家や徳大寺家なら取れるまでコイン投入も出来るだろう。でもなまじそれが出来るからこそ嵌るとやばい。俺がクレーンゲームを教えたために、薊ちゃんがこれから家が破産するまでクレーンゲームにのめり込むなんてことも……、まぁないだろうけど、あまり嵌りすぎたらまずい。
「う~ん……。でも咲耶お姉様との思い出の品が……。あ!そうだ!それなら咲耶お姉様が取ってください!それで駄目なら諦めます」
お?随分聞き分けが良いな。さすがはお嬢様か。こんなゲームに簡単に嵌ったりはしないようだ。
「それではもう一度だけ、今度は私がしてみます。それでお終いにしましょう」
特別うまかったわけじゃないけど俺だって前世でクレーンゲームくらいしたことがある。うまくいくかはともかく俺なりの狙い目というかセオリーは持っているつもりだ。狙うなら……、これだ!
「あ……、あ……、あ!やった!咲耶お姉様!持ち上がりましたよ!」
「うまくいったようですね」
タグがついている紐を引っ掛けた。うまく引っかかるか五分五分だったけどうまくいったようだ。って、お?
「あっ!もう一つくっついてますよ!やった!」
「本当ですね。二つくっついていたようです」
紐を引っ掛けたぬいぐるみにもう一つぬいぐるみが絡まっていた。二つ一緒に取れてしまったようだ。カコンと落ちてきたぬいぐるみを取り出す。
「咲耶お姉様!これ!これを一つずつ持って今日の思い出にしましょう!」
「え?ええ……、わかりました……」
とてもチープな小さなぬいぐるみ……。両方薊ちゃんにあげようかと思ったけど一個ずつということになってしまった。そこらで買ったら何百円かで買えそうな出来だけど……。まぁこういうのも悪くない。
その後も商店街をウロウロして満喫した俺達は夕方前には帰ったのだった。