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第五十三話「期待するほどおいしくはない」


 大型ショッピングモールに入った俺達はまずフードコートに向かう。普通の席に座れるお店も入っているけどそういう店に行っても価値はない。今回は普段の皐月ちゃんなら絶対に経験しないような庶民の生活を味わってもらうことが目的だ。普通の定食屋や喫茶店に入っては意味がない。


「うわぁ……、すごい人混みですね……」


「そうですね。あっ!そうだ。皐月ちゃん、はぐれないように手を繋ぎましょう」


「えっと……、はい……」


 おずおずと差し出してきた手をしっかりと握る。今俺は帽子で髪を隠してるしパンツルックだから、俺達は子供の男女カップルに見えているかもしれないな。皐月ちゃんも何だか照れているのか小さくなっている。でもしっかり手を握り返してくれているのが何だか可愛らしい。


 恐らく今まで皐月ちゃんは一度も経験したことがないであろう人混みの中を歩く。皐月ちゃんだって人がたくさんいる場所にくらいは行ったことがあるだろう。それこそ観劇やコンサートに行けば多くの観客がいる。でもそういう場では客は通路を整然と歩くし騒がしくもしない。確かに人の数は多いけど雑踏とはまた別だ。


 それに比べて休日のショッピングモールがどういう状況かは庶民なら誰でも想像がつくだろう。かくいう俺だって前世ではよく来たことがある。普通の上流階級ならまずこういう場には来ない。少なくとも五北会どころか藤花学園に通っているような子達のほとんどは、こういう所に来たこともないだろう。


「えっと……、お店が並んでいますが……、食事はどこかお店は決めてあるのでしょうか?」


 レストラン街を歩いているのにどこの店も覗かないことから不思議に思ったのだろう。皐月ちゃんがそんなことを聞いてきた。


「はい。こういうお店には入らずフードコートに行こうと思っています。ですがこちらのレストラン街に興味があるのでしたらこちらに変えても良いですが……」


 俺としては皐月ちゃんには是非フードコートを体験してもらおうかと思ったけど、レストラン街に興味があるのならこちらの店にしても良い。別に全て俺が考えた通りにしなければならないわけでもないし、一番重要なのは皐月ちゃんが興味を持ってあれこれ体験することだ。


「その、フードコート?というのでも良いのですが、少しだけこちらも見ながら歩いても良いでしょうか?」


「ええ、それではゆっくり見ながら歩きましょう」


 どうやら皐月ちゃんは食品サンプルに興味があるようだ。ガラス張りのディスプレイの向こうに並べられている食品サンプルを一生懸命見ている。


「へぇ……。うわぁ……。これは……」


 ガラスに張り付かんばかりにかぶりついて必死で食品サンプルを見ている。何だか可愛い。


「どれか興味のあるものはありますか?」


「えっと……、よくわかりません……」


 まぁそうだろうな。五北会のメンバーになっているような家の育ちの子はこんな所で食べたことはないだろう。店に行くとしてもこんな食品サンプルが並べられている店じゃなくて、その日のお薦めや獲れた食材を聞きながら注文するような店ばかりのはずだ。


 もちろんそんな店ばかりに行っていてもラーメンだってどんぶりだって知ってるだろう。食べたこともあるだろう。でもこういう店のメニューや食品サンプルは非常に珍しいんだと思う。


「興味のあるお店があればそちらに変更しても良いので言ってくださいね」


「はい……。でも正直よくわからなくて……、咲耶ちゃんにお任せします」


 レストラン街の食品サンプルは冷やかしていくけどどこか入りたい店があるとか、食べたい物があるというわけでもないようだ。というよりよくわからなくて決められないというところだろうか。


 結局端から端まで全部見ていったけどどこにも入らず、当初の予定通りフードコートへとやってきた。まだお昼には早い時間だけどすでにかなり混んでいる。


「こっ、ここで食事をするのですか?」


「ええ。ここが無理そうならば先ほどのレストラン街のお店に入りますがどうしますか?」


 皐月ちゃんは完全に圧倒されているようだった。それはそうだ。人が無秩序にガヤガヤと歩き回っている中で、相席も当たり前の大きなテーブルやカウンター席で料理を食べたことなんてないだろう。それにこれだけ人混みがあったら埃とかも気になるかもしれない。上流階級育ちならそういう点を気にする子もいるだろう。


「いえ……、大丈夫です。挑戦してみます」


 皐月ちゃんは両手を握り締めてそんなことを宣言していた。とても可愛らしい。普段の小学校一年生とは思えないような大人びた皐月ちゃんとは別人のようだ。むしろこれこそが本来の皐月ちゃんなんだろう。


「くすっ、それでは何を食べるか選びましょう」


 フードコート内の店を適当に見渡す。こういう所ではだいたいお馴染みのファーストフード店やラーメン屋、どんぶり屋などの簡単ですぐ食べられるような店が並んでいる。


「皐月ちゃんは何を食べるか決まりましたか?」


「えっと……、それではあちらを……」


 皐月ちゃんが指差したのはラーメン屋だった。


「えっ!皐月ちゃんがラーメンを!?」


 滅茶苦茶意外だ。いや……、別におかしくはないはずだけど……、それに皐月ちゃんだってラーメンくらいは食べたこともあるだろう。ただしそれは高級料理店の特別なラーメンだろうけど……。


「へっ、変でしょうか?それでは変えます」


「ああ!ごめんなさい。そういうわけではないのですよ。ただ少し意外だっただけです。それではあそこのラーメンにしましょう」


 何かシュンとして恥ずかしそうになってしまった皐月ちゃんを宥める。別にラーメンを悪いと言ったわけじゃない。あまりに皐月ちゃんのイメージと違ったから驚いただけだ。それに俺は今生で実はまだラーメンを食べていない。久しぶりにラーメンを食べたいのは俺の方だ。だから皐月ちゃんのチョイスはありがたい。


「えっと……、どのようにすれば良いのでしょうか?」


「え~……、ここから並んであそこのカウンターで注文するだけです。お金を払うと番号札や呼び出し機を渡されるのでそれを持って席で待機。呼び出されたら券や呼び出し機と引き換えに料理を受け取ります」


 どこにでもある普通のフードコートだからやり方はどこも同じようなものだ。ただ券だけ渡されたり、ポケベルみたいな呼び出し機を渡されたりはその店次第というくらいの違いだろう。


「注文するメニューは順番が来るまでに決めておいてくださいね」


「はい……」


 何かちょっと緊張した表情の皐月ちゃんが神妙に頷いていた。もしかしたらもう注文するものも決めているのかもしれない。普段の俺達だったら席に着いてからメニューを選ぶから、ここでいつものようにしてしまったら後がつかえてしまう。皐月ちゃんはもう決めてそうな雰囲気だから多分大丈夫だろう。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


「私はしょうゆラーメンを……、皐月ちゃんは?」


「えっと……、私はとんこつラーメンをお願いします」


 俺達の番になって注文を告げる。皐月ちゃんはとんこつラーメンにするらしい。お会計を済ませて引き換えの券を受け取り席を確保する。普通なら一人に席を確保しておいてもらえば良い所だけど、皐月ちゃん一人で取りに行かせるのは無理があるかな?


「番号を呼ばれたら券を持って行って商品と引き換えてもらって自分で運んでこなければなりません」


「ええ。他の方がしているのを見たので大体わかりました。大丈夫です」


 お?ちょっと皐月ちゃんのことを侮りすぎだったか。周りの人がしていることを見て覚えているんだな。これなら大丈夫そうだ。




  ~~~~~~~




 暫く待って、俺達の番号が呼ばれてラーメンを受け取って戻ってくる。二人のラーメンが揃ったからいざ実食だ。ちなみに料金は俺が払った。皐月ちゃんはこんなことを想定していなかったから現金を持っていない。カードも付き人が持っていたし、仮にあってもこんな所で子供がカード払いなんて出来るはずもない。


「それではいただきましょう」


「はい……」


 珍しそうに割り箸を割った皐月ちゃんが慎重にラーメンを啜る。そして……。


「え~っと……、何というか……」


「遠慮なさらずこういう時ははっきり言うのが良いのですよ。チープな味だと」


「あはは……」


 感想に困っている皐月ちゃんにアドバイスを送る。無理においしいとは言う必要はない。舌の肥えたご令嬢にこういう所の食事がおいしいはずがない。ただ俺はこういうチープな味も嫌いじゃない。たまに急に食べたくなる。


「高級食材を使って、一流の料理人が作る一杯数千円以上するようなラーメンとでは味は雲泥の差でしょう。到底普段皐月ちゃんが食べている物には太刀打ち出来ません。ですがこれが謂わば庶民の味です。それほどおいしくはなくともたまにはそういうのも悪くないでしょう?」


「そう……、ですね……。私は今までこのような物を食べたことがありませんでした……。これが世間の普通なのですか……」


 まぁそうだろう。ショッピングモールのフードコートの味といえば庶民が普段食べている味と言っても差し支えないと思う。むしろこういうものですら贅沢でたまにしか食べないなんて人もいるだろう。


 皐月ちゃんと色々と話をしながら他の人に混じって庶民の味を堪能したのだった。




  ~~~~~~~




「あ!これはどうですか?」


「まぁ……。可愛い……」


 フードコートで食事を終えた俺達はショッピングモール内を歩いて店を冷やかしていく。今は女の子向けの小物を置いている店を冷やかしている最中だ。


 色んな店を回ってみたけど皐月ちゃんにとってはどれも驚きだったらしい。俺達が普段行くような店だったら、俺達が入る時には店員が扉を開けて案内してくれるし、ずっとつきっきりであれこれ勧めてくれる。適当に相談しながら店員の勧めで買い物をするものだ。


 それに比べて今の俺達が店を見て回ってもいちいち店員が声をかけてくることはない。小学生二人がウロウロしていても普通の店ならいちいち店員があれこれ勧めてこないだろう。それどころか親や保護者はどうしたという顔で見てくる店もある。


 きっと皐月ちゃんにとっては全て初めての経験に違いない。いつもの澄ました表情ではなく、今日の皐月ちゃんは本当に小学校一年生の女の子らしい表情を見せてくれている。それだけで俺はもうお腹いっぱいだ。


「この上は何でしょうか?」


「え?あ~……、この上は駐車場ですね」


 売り場の一番上の階にいるはずだと思って見てみれば上は屋上の駐車場だった。お店もないし用はないだろうと思っていたけど皐月ちゃんはずっと上を見ている。興味があるのかな?


「気になりますか?屋上駐車場ですけど行ってみますか?」


「え?良いのですか?」


 何が駄目なのか……。別に屋上に車を停めていないからって屋上に出てはいけないという決まりはない。


「風に当たりながら景色でも見てみましょうか」


「はい!」


 やっぱり屋上に出たかったのか……。俺にとってはただの駐車場だけど皐月ちゃんにとっては物凄い冒険の一つなのかもしれないな。そう思うと何だか俺も上に出るのが楽しみになってきた。二人でエスカレーターに乗って屋上駐車場へと向かう。


「う~ん……。やっぱり周りのビルが見えるだけですか……」


 もしかしたらちょっとは良い景色も見えるかと思ったけど、こんな街中にあるショッピングモールの屋上くらいから見ても何も見えないのは当然だな。ただ車が並んでいて近くのビルが見えるだけ。皐月ちゃんはがっかりしたかな。


「良い風ですね。ちょっと端まで行ってみましょう」


 皐月ちゃんはがっかりしてるかと思ったけどそうでもなかったようだ。駐車場はいっぱいで走っている車もほとんどないから確かに風が気持ち良い。排気ガスの臭いもそんなにしない。


 皐月ちゃんと二人で建物の端まで行って外でも眺めようと駐車場を歩く。すると何か声が聞こえてきた。声や聞こえる会話の内容からあまり良い話ではないことはわかった。でも皐月ちゃんが俺の方を見てからそのまま歩き出したから仕方なくついていく。


「やめろよ!」


「ああ?お前生意気なんだよ!」


 声のする方へ近づいてそっと覗き込んでみれば、俺達と同じくらい、小学校低学年くらいの男の子三人が四、五年生くらいの男の子五人に囲まれて何か言われているのが見えたのだった。



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[一言] 間の悪い。 揉め事に首突っ込むことになるのか。
[良い点] お、トラブルのかほり~
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