第四話「習い事」
兄が『全て僕に任せておいて』っていうから信用して出て来たけど果たして本当に大丈夫なんだろうか。今日は俺の習い事のために母と兄と三人でお出かけだ。直接出向いて見学したり面接のようなことをしたりするらしい。
俺が起きてきた時点でもう俺が通う習い事は全て決められていた。どんなところへ何を習いに行かされるのかさっぱりわからない。俺の希望は伝えてあったんだから全然関係ない習い事ということはないはずだけど……。
そう思っていると車が停まった。建物は普通の小さなビルで看板にはデカデカと『個別指導塾 蕾萌会』と書いている。どうやらここは学習塾のようだ。
「ここは僕も通っているから咲耶にもぴったりだと思うよ」
「そうなのですか?」
どうやら兄もここに通っているらしい。それなら母が塾に通うことを許してくれたのも納得だ。母は俺をお嬢様に育てようとしている。まぁ実際に大財閥のお嬢様なんだけど……。
その母からすると俺は勉強とかをするよりもお嬢様らしいことを身につけるようにと躾けたいようだ。しかも好みが和風というか……。華道、茶道、日本舞踊、琴とかとにかくそういうものを習わせたがる。次点として止むを得ず選ぶなら後はピアノとかヴァイオリンとかフルートとかの楽器のようだ。俺からすればそんなものは全てノーサンキューなんで断っていたけど……。
この塾は兄も通っているらしいので適当に『これからの時代は女の子でも最低限の勉強くらいは出来なければ駄目』とか何とか言って説得したんだろう。それがわかっているなら俺もそう言って説得すればよかったと思うか?でも残念ながらそれは逆効果だ。
兄は母から信頼厚い。その兄が言えば母もある程度は考慮するだろう。でも俺は母からまったく信用されていない。だから俺がそんなことを言っても母は余計に聞く耳を持たなくなってしまう。俺がいくら正論を言っても最初から信用されていないからその正論自体が間違っているかのように思われてしまう。
ともかくもう俺はここに通うことが決まりのようなので母と兄と一緒に中へと入る。ここの塾も普通の一般の子供が通うというよりは私立の学校に通っていたり、受験を目指しているような子達が集まる塾らしい。しかも小学校入学前から大学受験まで全ての受験に対応している大きな塾だ。
受付に行くとまるでコンシェルジュのような雰囲気だった。……あれ?ここって学習塾だよね?何か高級ホテルのフロントみたいだけど……。
受付に案内されて中へと入るとこれまた無駄に高級感漂う感じだ。平日の午前だから人はあまりいない。何故平日の午前なのに兄も一緒なのかと言えば兄は学校を休んだからだ。俺に付き添うためにわざわざ休んだらしい。前世の俺の実家ならズル休みしようとしても『学校へ行きなさい!』って怒られてたけど九条家はそうでもないようだ。
母と兄は講師か塾長か知らないけどここの職員らしき人と色々と話している。俺も少しだけ話をしたけど一人だけ別室に案内された。どうやら一応学力試験のようなことをするらしい。俺のレベルを確認してから講義内容を決めるということだろう。
「あの……、学力テストは中学生くらいのものにしてもらえませんか?」
「え?」
俺の学力テストの準備をしているお姉さんにそう話しかける。このまま小学校低学年のテストをさせられても意味はない。いくら俺がそこそこ程度の大卒だとしてもいくら何でも小学校低学年の勉強からやり直すほどではないだろう。
かといっていきなり高校レベルからだと俺も少し自信がない。高校もそこそこの進学校に通ってそこそこの大学に合格したけど藤花学園高等科のレベルと同等かと言えば怪しい所だ。だから出来れば中学校レベルくらいから復習しつつ前世よりレベルを上げておく必要がある。最低でも小学校高学年くらいでないとさすがに低学年はない。
「う~ん……、ご自宅で家庭教師に習っていたのかしら?どれくらいまで進んでるの?」
「どれくらいと言われても……」
どれくらい進んでるって言われたって口で説明できるようなものじゃない。いや……、家庭教師に習っていたのなら微分積分まで進んでますとか言えるのかもしれないな。だけど俺はカリキュラムに沿って家庭教師に習ったわけじゃないからどうとは説明出来ない。
お姉さんも俺が答えられないから訝しんでいるようだ。このままじゃまずそうだからどうにかしたいけどどうすれば良いかわからない……。いいから黙って中学生向けのテスト持ってこいや!とでも言えばいいのか?
「ふふっ……。ご自宅で家庭教師に習っていたかもしれないけどもう一度一緒に復習しましょう?」
何か見栄を張って背伸びしているみたいに思われたらしい……。やばいぞ……。いくら復習するにしても小学校低学年からやり直しはさすがに時間の無駄でしかない。多少忘れていることがあったとしても学校の授業で少し聞けば思い出すだろう。塾に通ってまで本格的にやり直すのは苦痛すぎる。
「え~っと……、あっ!あれ!あのテキストにしてください!あれを解きます!」
お姉さんが俺の学力テストを取り出そうとしていた棚に中学一年生と書いてある棚がチラリと見えた。とにかくどうにかして俺が中学生レベルくらいは解けると示せばお姉さんの態度も変わるだろう。
「これ?う~ん……。わかったわ。そこまで言うなら少しだけね。でもこれが解けなかったらこっちを頑張りましょうね?」
馬鹿な子供が背伸びしているのを宥めているみたいな感じになっているな……。これで俺が出された中学一年生用が解けなければ笑い話にもならない。流石に中学校レベルくらいは解けると思うけど滅茶苦茶ドキドキする。ここまで言って解けなかったら恥ずかしすぎてこの塾に通えない。
「わかりました」
覚悟を決めて頷くと中学一年生用のテキストを一つ出してくれた。これでこのテキストが解けると示せば……。そう思って俺はテキストを開いた。
「こっ……、これはっ!?」
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「それでは来月からよろしくお願い致します」
「はい!お任せください!」
母が塾長っぽい人に挨拶をして車に乗り込む。俺は来月からこの蕾萌会に通うことになった。
「はぁ……」
「どうしたんだい、咲耶?学力テストの出来が良くなかったのかい?」
盛大に溜息を吐いた俺に兄が話しかけてくる。
「ええ……、まぁ……」
「今日の学力テストはあくまでこれからの講義内容を決めるために今の実力を測るためのものだから結果は気にすることはないよ」
「そうですね……」
兄の慰めにも気のない返事を返すのがやっとだ……。まずいことになった……。まさかこんなことになるなんて……。
「先生はとても素晴らしいとおっしゃって下さっていたわよ?」
「お母様……」
どうやら母にも知らされていないらしい……。学力テストを担当したあのお姉さん、あの人がこれから俺の担当になるらしい。蕾萌会は塾だけど家庭教師みたいな雰囲気がある。一人一人に囲まれた個室のような席があり講師が付きっ切りで教えてくれる。
もちろん付きっ切りって言っても問題を解いているとか定期的に行なわれるテスト中もずっと見張っているわけじゃない。でもわからないことがあればすぐに教えてくれるしほとんどは付きっ切りのようなものだ。家で家庭教師に教えてもらうんじゃなくて他の生徒もいる場所で合同で家庭教師に教えてもらうようなものと言えばいいんだろうか。
あのお姉さんとの学力テストで俺はやらかした……。中一のテキストをあっさり解いた俺に数問解いただけでお姉さんは次々上の学年のテキストを持って来た。それを出されるたびに解いていた俺は大学受験カリキュラムを勧められてしまった。
違う!そうじゃない!俺がしたいのは藤花学園高等科に見合うレベルの勉強をしたいんだ!
そりゃ今から受験しても現役の頃よりはランクが下がるだろうけど大学だって合格出来る所はあるだろう。だけど俺がしたいのは大学受験じゃなくて藤花学園高等科の授業についていける勉強なんだよ!
何とか担当の講師に決まったお姉さんに頼み込んで高校一年生からのカリキュラムにしてもらったけどそれも俺の予定とは少々違う……。出来れば中学校くらいから復習しつつのんびりやりたかった。
あのお姉さんは自分の手で史上最年少飛び級大学生を育てる!とか言って燃えてたけど勘弁してくれ……。俺は小学生で大学に飛び級しますとかそんなつもりはない。
いや……、一つの手ではあるんだよ?俺が藤花学園に通わなければ主人公や攻略対象達とは出会わない。ならば俺は悪役令嬢として断罪されることもなく身の破滅もない……、かもしれない。でもそれは絶対とは言い切れない。
近衛母がおかしなことを言い出したように俺がゲームの進行から大きく外れることをしようとしたら、強制的に揺り戻しのように似たルートに放り込まれる可能性がある。下手にルートを外れてまったく未知のルートに進むよりは俺がゲーム知識を持っている『恋花』の正規ルートに進む方がこちらとしてもフラグ回避がしやすい。
何より俺は『恋花』に出てくる他の女の子達と仲良くなりたい!咲耶お嬢様を支えてくれる取り巻き達!咲耶お嬢様以外の主人公のライバル令嬢達!それに主人公や主人公を支える友達たち!皆と会いたい!折角『恋花』の世界にやってきたんだから生のご令嬢達や主人公に会いたい!だから藤花学園に通うのは必須だ!
「次はここだよ」
俺がそんなことを考えている間に次の目的地に到着したらしい。
「え~っと……、フィットネスクラブ?」
俺が連れて来られたのは会員制の超高級フィットネスクラブだった。違う……。そうじゃない……。ここはお金持ちのマダム達がそのダルダルな体を日夜どうにか誤魔化そうと頑張……、らずに他のマダム方とべちゃくちゃおしゃべりしに来る場所だ。俺が通いたかったものとは根本的に違う。
「ここはお母様も会員だから安心だよ」
何も安心じゃない……。にっこり笑っている兄の笑顔が恨めしい。
もしかしたら兄は本当に本心からそう思っているのかもしれない。確かにここなら色々な器具もプールもある。管理してくれるトレーナーもいる。だけどこう……、さぁ……。俺の求めてるものとは違うんだよ!
「最初はここで妥協しておきなよ。ここでも咲耶の望むようなトレーニングも出来るからさ」
「おっ、お兄様!?」
この兄……、俺の考えていることがわかるのか!?それに俺の目的もわかっているらしい。それでもここに通うように仕向けたのは母を説得しやすいからだ。ここでも俺の望むトレーニングが出来るのなら母を説得しやすいここで妥協しておけというのも頷ける。恐るべし良実!小学生とは思えないほど出来る!
母と兄に先導されてこの超高級フィットネスクラブ『グランデ』に入ってみる。確かにウロウロしているのは樽のようなマダム達が多いけど設備はかなり良い。まぁそれが有効活用されているかどうかは別にして……。
トレーナーも紹介されて色々と相談した結果ある程度は俺の希望に沿うようなトレーニングが出来そうだということはわかった。さすがは出来る兄だ。これは中々良いチョイスだったんじゃないだろうか。母を説得するのに母が受け入れやすい所を選んだのは賢い選択だ。
そして『グランデ』を後にした俺達が最後にやってきたのは和風の大きな建物だった。ここは一体なんぞやと言いたくなるようなほど今までとガラリと雰囲気が変わっている。
「お兄様……、ここは?」
「入ればわかるよ」
俺の不安を他所にまたしても母と兄がさっさと入っていってしまう。俺は戸惑いながらも二人に続く。中に入ってみればまるで道場のような広い場所に通された。何だここは?何を教えているのかさっぱりわからない。
だけど俺の習い事のもう一つの希望が格闘技なんだからきっと何かの道場に違いない。和風だし柔術かな?合気道かな?道具類は見当たらないから薙刀とか剣道とかその手の道具を使うものじゃないんだろう。先生も袴姿だから柔道でもないと思う。
「入門者はそちらの男の子かな?」
奥に正座で座っているお爺さんがそんなことを言ってきた。兄が入門すると思ったのか……。まぁ格闘技なら男の子が入ると思うわな。見るからにご令嬢の俺が入るとは思うまい。
「いえ、この子です」
母がずずいっ!と俺を前に押し出す。先生はジロリと俺を見て口を開いた。
「ほう?そっちの女子が?ここが『百地流古舞踏』と知ってのことか?」
「えぇ!舞踏!?」
格闘技じゃないの!?塾、水泳と順調に来ていたのにまさかここで兄に裏切られるとは!