第三話「咲耶お嬢様改造計画」
藤花学園初等科に入学するまでまだ少し猶予がある。藤花学園に入学するのは避けられないとしても周りとの関係性は変えられるだろう。まず最低でも許婚候補にされる近衛伊吹との関係だけは変えなければならない。
って、あっ!
やばい……。よくよく考えたら近衛伊吹って将来成績優秀、スポーツ万能、不良も目を逸らして逃げる実力を持つ『俺様王子』に成長するんだ……。
この前は俺が圧勝だった。そりゃそうだ。俺の中身は良い年をした大人であって小学校入学以前程度の子供に殴りかかられたって簡単にあしらえる。俺自身の身体能力も小学校入学前程度に下がっているけどこのくらいの年齢なら個人や男女でそれほど身体能力の差はないだろう。
でも大人になれば話は別だ。このまま成長していけば近衛伊吹は近隣の不良高校の番長とタイマンしても無傷で圧勝するような化け物に育つ。それに比べて咲耶お嬢様は頭は残念なアホの子で、身体能力も低くどんくさいお嬢様へと成長する。
今はまだ良い。俺の精神が大人だというアドバンテージと子供ゆえの身体能力の差の小ささのお陰で何とかなる。だけどこのまま近衛伊吹と許婚にならないためにヘイトを溜め続けたら……、将来はこの力関係が逆転することになる。
それに加えて実家の力関係だ。世界に羽ばたく九条グループといえど近衛財閥には一歩及ばない。しかもゲーム中ではいくつかのパターンで九条グループの不正を暴露されて会社が傾き九条家も没落する。このまま手をこまねいていては同じ結末になりかねない。ここは何としてもそれらの結末を回避するんだ。
よし!そうと決まればさっそくおねだりだ!
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夜帰って来た父にそ~っと近づく。今日考えていた通りに父におねだりするんだ。それで俺の運命は変えられる!
「パパ~~」
「んん?どうしたんだ、咲耶?咲耶が『パパ』と呼んでくれるなんて珍しいじゃないか」
そりゃそうだな。俺は前世で自分の親をパパやママと呼んだことはない。だからここに来てからも両親をそのように呼ぶことは『滅多に』ない。だけど絶対じゃない。何故ならばこの狸親父は『パパ』と呼ばれるのを喜ぶからだ。だから親父を喜ばせたければ『パパ』と呼べば良い。
「咲耶、ちょっとだけパパにお願いがあって~~……」
「何だ?何か欲しいのか?パパに言ってごらんなさい」
お~、お~……。さすが娘にダダ甘な父親だな。よし……、これならいける……。
「あなた!またそうやって咲耶を甘やかして!駄目ですよ!咲耶も!」
「いいじゃないか、少しくらい」
ちっ……。母登場で止められてしまった。父が軽く抵抗する。でも無駄だ。
「駄目です!」
ほらな。父が母に勝てないのはどこの家庭でも同じだ。だけどこうなることは想定済みだ。俺が父におねだりしても母に止められるだろうとは思っていた。でも今回は母を説得する方法を考えてきている。
「お母様も聞いてください。私習い事がしたいわ」
「えっ!?咲耶が習い事?今まであんなに嫌がっていたのに!?この子ったら一体どうしたのかしら?それならそうと早く言えば良いじゃないの」
一気にご機嫌になった母は態度を変えた。母は前から俺に何やかんやと習い事をさせようとしていた。当然俺は全てお断りした。それはそうだろう?なにせ母が俺にやらせようとする習い事は華道や茶道をはじめとして、日本舞踊だの琴だのと俺をお嬢様にするための習い事ばかり勧めてくる。俺がそんなことをするわけがない。
それらを断ると今度はピアノだのヴァイオリンだのフルートだのと俺をどこへ連れて行きたいのかと問い質したくなるようなラインナップばかりだった。だから俺は母が勧める習い事は全て嫌だと突っぱねた。その俺が習い事がしたいと言えば母も乗ってくると思っていたんだ。
「それで咲耶は何を習いたいんだ?」
「え~……、学習塾と水泳、それからもう一つはどれにしようか悩んでいます」
まずゲームでの咲耶お嬢様ははっきり言ってアホの子だ。勉強が出来ないというのもあるけど何よりも致命的に世間知らずだし発想も突飛すぎて常人には理解出来ない。ゲーム中でも成績が学年最下位クラスであることが明言されている。
俺は前世でそれなりの大学も卒業しているけどそれに胡坐をかいていたら駄目だ。藤花学園は名門だけあって高等科から入学してくる生徒達は本当に成績優秀者ばかりが集められる。別に一番を目指す必要はないけどあまりに成績が悪いのはよろしくない。最低でもそれなり以上はキープしておくべきだろう。
というわけで勉強をするために家庭教師か塾通いを今のうちからしておいた方が良いと判断した。ただ家庭教師はやめた方が良い気がする。
まず家庭教師に習うにしてもそこそことはいえ大卒の俺が小学校一年の授業を習っても意味はない。かといっていきなり俺が高校生くらいの勉強をスラスラ解き始めたらおかしいと思われるだろう。しかも家庭教師と自宅でマンツーマンじゃあまり意味がない。
咲耶お嬢様は世間知らずのお嬢様育ちだった。だから外に出て世間のことを知る必要がある。俺は前世で社会人だったと思うかもしれないけどこの世界のことは知らない。基本的にほとんど現代日本と変わらないとは思うけど実際に社会に出る方が良い。
あと塾だったら生徒のレベルに合わせて個別授業をしてくれるとかいう所もあるだろう。家庭教師だったら変な先生に当たったら俺に教えなくても成績十分だろうと判断してサボるような奴に当たる可能性もある。塾ならその心配は少ない……、はず?
それから体作りのためにスポーツをしたい。ただ子供の頃にあまり鍛えすぎるのも良くないと聞いた覚えがある。水泳なら体への負担も少ないし子供から大人まで出来るだろう。体力作りや全身のトレーニングには良いんじゃないかと思う。
そして最後にもう一つ何かを習いたい。前回近衛伊吹に恨みを買ってしまった。まぁ俺が自分でああしたんだから自業自得だけどこのまま指を咥えて見ているわけにもいくまい。将来不良の番長より強くなる伊吹にやられないために俺も自衛出来る手段が必要だ。
それはわかっているけど問題は何を習えば良いかということだな。出来れば武器を必要とするものは避けたい。いつも武器を持ち歩いているわけにもいかないからだ。だから剣道とか薙刀とか弓道はバツ。
「まぁ薙刀は捨てがたいですけど……。サンボかシステマ?それともやっぱり柔術とか合気道?あと一つは何が良いでしょうか……」
理想のイメージとしてはやっぱり軍隊格闘術が良さそうに思う。ありとあらゆる状況で様々なものを利用して生き残る。素手だけじゃなくて武器もありでルール無用の軍隊格闘術が理想的だろう。だけど果たして屈強な兵士達向けの軍隊格闘術がひ弱なお嬢様である咲耶に向いているだろうか?
そこで考えられるのが柔よく剛を制す柔術や合気道だ。柔道は組合からの勝負だから駄目だな。それに近年の試合を見てわかる通り結局レスリングしているだけになっている。あれじゃルールの変形したただのレスリングだ。
俺は何も柔道を馬鹿にしているとかそういうつもりはない。ただ外国選手は組み合わずタックルするだけとか、組み難いように襟を改造するとか、そういうただのタックルするレスリングと化している現状を憂いている。そしてそういう風潮がありそういう相手が伸している柔道を習っても結局体格の良い奴がタックルするだけの競技を習うだけになる。
それよりは実戦的にありとあらゆる状況、それこそ相手が武器を使ってくることまで想定している柔術なんかはよさげだ。ただ柔術も合気道も型の継承がメインであって実戦で果たして役に立つのかという心配がある。
もちろん極めれば凄いんだろうけどそこらの柔術や合気道の道場に通っても太極拳ばりの体操をするだけにならないかという心配がある。結局どれが良いか決められず格闘技はどれを習えば良いのかわからない。
「咲耶……、今度は一体どんな映画を観たんだい?」
「パパ違います。映画の真似をしようとしているわけじゃありません」
どうやら父は俺が映画を観てそれを真似しようとしていると思ったようだ。そんな理由だったらどんなによかったことか。でもこれは俺の命がかかっている。あの俺様王子の恨みを買ったんだから自分の身は自分で守れるくらいにしておかないとヤバイ。
「そんなもの習わせられるわけないでしょう!」
「ひっ!」
いきなり母がブチ切れた……。一体どうしたんだ?そんなにカリカリしてあの日でもきたのか?
「もう咲耶は部屋に戻っていなさい!」
「は~い……」
こういう時の母には逆らわないに限る。まずは母に聞かれない場所で父だけ説得するべきだったか……。どうしたものかと考えながらリビングを出ると何か笑いを堪えている兄が立っていた。
「どうされたのですか、お兄様?」
「くっ、くくっ……。いや……、何でもないよ……。ふふっ……。咲耶、どうして急にあんなことを言い出したんだい?」
ゲーム中では特に出てくることはないんだけど咲耶お嬢様には兄が一人いる。それが今目の前で笑いを堪えている九条良実だ。この兄はお坊ちゃま育ちのボンボンに見えるけど結構頭は良い。まだ小学生とはいえ学園の成績も良いようだし世渡りもうまい。
裏では結構悪さもしているのを俺は知っているけど父や母にはうまく隠している。兄なら両親にも信用されているし助っ人として頼めば母の説得もしてくれるかもしれない。
「お兄様、私は近衛家の伊吹様に恨まれて狙われております。自分の身を守るためにも護身術は必要なんです。お兄様からもお母様を説得してください」
「伊吹君?どうしてまた?」
もしかして兄は俺様王子と会ったことがあるのか?兄、良実は五つ年上だから俺達が藤花学園に入学した頃には六年生だ。一年しか初等科では一緒にならない。それはともかく五つも上だからすでに他所の家と交流があってもおかしくはないか。兄を説得出来れば母の説得にも加わってくれそうだな。
「あの方は私に『どけ』と言われたのです。ですからこれから藤花学園に通う近衛家の嫡男ともあろうものがレディファーストも出来ないのかと言ってやりました。すると逆上して殴りかかってきましたのでかわして足をひっかけてやったのです」
「へぇ……、それでお母様はあんなに……」
ん?どうやら藤花学園の面接に行った時のことを少しは知っているようだな。これならいけるか。
「それを逆恨んで今後逆襲されます。今は男女差もそれほどありませんが今後男女差によって身体能力は大きく差をつけられてしまいます。なので今のうちから身体能力差や体格差があっても対処出来る術を身につけなくてはなりません」
「なるほどねぇ……。わかった。それじゃ僕がお母様を説得してあげるよ」
「ありがとうございます!」
おお!言ってみるものだな!兄なら俺と違って母からの信頼が厚い。それに口も達者だ。何とか母を説得してくれるだろう。
「それじゃ今日はもう部屋へお戻り」
「はいお兄様。それでは失礼いたします」
兄に頭を下げて自室へ向かう。兄が説得してくれて塾と水泳と何か武術か武道を習うことが出来れば俺様王子伊吹に簡単にやられることはなくなるだろう。問題は何を習うかだなぁ……。やっぱりあまり筋力や体格を必要としないものが良いだろう。
ゲーム中では咲耶お嬢様はそれほど体格に恵まれていない。まぁ普通のご令嬢なんだからあくまで普通ではあるけど……。そもそも乙女ゲーの悪役令嬢がゴリラ女子だったりしたら別のゲームになってしまうしな。ただゲームでは咲耶お嬢様はとことんどんくさい。主人公に勝負を挑んではコテンパンに負けるのが常だった。
俺は今の所それほど身体能力的に劣るとは思っていない。だからあれは咲耶お嬢様の育ちや性格の問題だろうと思っている。今からきちんと鍛えておけばそれなりにはなるだろう。何を習おうかなぁ……。色々あって悩むなぁ……。
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「え~~~っ!もうどこへ習いに行くかは決まっているんですか!?」
翌日目を覚ました俺は兄の説得の結果どうなったか楽しみにしながらリビングへと向かった。すると返ってきた返事は俺の習い事はもうどこへ何を習いに行くか決まっているというものだった。