第二十二話「お誘い」
ここ最近の学園生活は順調だ。順調すぎてニヤニヤが止まらない。皐月ちゃんとの距離は段々縮まってきていると思う。最初の頃は少し壁を感じていたけど今では普通にお友達だと言えるんじゃないだろうか。そしてそれは薊ちゃんもまた然り。
薊ちゃんに話しかけたらきちんと返してくれるようになってきている。最初の頃のまるで無視されているかのようなことがあった状態に比べれば格段に親しくなってきている。
このままいけばゲームの『恋花』をプレイしていた時に想像、いや、妄想していたような百合百合でキャッキャウフフな未来が待っているんじゃないだろうか。
「うふふふっ!」
「「…………」」
「……ゴホンッ」
登校中の車でつい笑みが零れたのを兄と椛に見られてしまった。変な顔をされていたからとりあえず咳払いで誤魔化したけど誤魔化せてはいないわな……。
椛は基本的に助手席に乗っているけど俺の身支度を手伝ってくれている時なんかは後部座席に一緒に乗っている。朝は忙しいし時間もないので行きはこうして一緒に乗るのが定番だった。
「いってらっしゃいませ」
「いってきます」
ロータリーで車を降りた俺と兄は椛に見送られて藤花学園へと入って行く。ここに通うようになってもう一ヶ月だ。一ヶ月も経てば色々と慣れてくるもので、もう何の違和感もなく普通に小学校一年生として学校に通っている子供になりきっていた。
「御機嫌よう」
「え?!ごっ、ごきげんよう」
俺が声をかけると皆驚いた顔をして挨拶を返すとすぐに離れていく。これも毎日のことで慣れたものさ……。
何でこんなに避けられてるみたいになってるんだろう?まったく心当たりはない。俺は今の子とも面識はないし何かした覚えもされた覚えもないはずなのに……。
今俺と普通に話してくれるのは皐月ちゃんと薊ちゃんと五北会のメンバーだけだ。他の生徒はクラス、学年問わずほとんどさっきのような態度でそそくさと離れていくばかりになっている。
原因はさっぱりわからない。俺は何もしていないしされてもいない。もちろん友達も皐月ちゃんと薊ちゃんしかいないんだから他の子達と親しいというわけでもないけどそれは誰だって最初はそうだろう?その他人の関係から徐々に親しくなっていくのであって、他人の状況の時に不審者のように避けられていたら親しくなりようもない。
俺は普通にフレンドリーに挨拶をして、声をかけて、親しくなろうとしているだけなのに何故こうも皆に避けられているのか。
特にいじめられているとかそんなことはない。それに完全に無視されているわけでもなく挨拶すれば返事は返ってくる。ただその後にすぐに逃げられてしまうだけだ。
そして逃げるからといって周りに誰もいないのかと言えばそんなことはない。ちょっと遠巻きにこちらを見ている視線は感じる。いじめられてるとか無視されているわけじゃなくて皆遠巻きに様子を窺っているという所だろうか。
何でこんなことになっているんだろう……。ゲーム『恋花』でも全方位に偉そうにして嫌われていた咲耶お嬢様の呪いじゃないだろうかと最近は本気で思い始めている。ゲームでの咲耶お嬢様は今の俺と違って取り巻き達がいた代わりにアンチも一杯居たからな。
結局そういうアンチ達によって悲惨な結末……、コミカルで軽い感じだけど結末的には悲惨なはずだ……、になったりするわけで、俺はそういう結末を回避するために精一杯フレンドリーにして敵を作らないようにしようとしている……。している……、はずだけどまったくうまくいっている様子はない。
「う~ん…………」
「咲耶ちゃん御機嫌よう」
「皐月ちゃん!御機嫌よう!」
俺が三組の教室に入ると皐月ちゃんが声をかけてきてくれた。まだ朝も早い時間だから人の数は少ないけどまったくいないわけじゃない。でも俺と皐月ちゃんのやり取りを見ても誰もこちらに声をかけてこない。こちらから声をかけたら一応返事はしてくれるけど迷惑そうな顔をされてしまう。
薊ちゃんには無理にでも相手と関わった方が良いと言われたけど、皐月ちゃんのような友達ならともかくただのクラスメイトにまでそこまでしたら余計に煙たがられるんじゃないかと思って踏み込めない。
「皆おはよう!」
「アザミちゃんおはよう!」
「御機嫌ようアザミ様」
暫くして人も増え始めた頃に薊ちゃんもやってきた。薊ちゃんが入り口で全員に向かって声をかけるとすぐにあちこちから反応が返ってくる。やっぱり薊ちゃんは皆に慕われているんだなぁ……。俺とは大違いだ。
「薊ちゃん、御機嫌よう」
「…………おはよ」
薊ちゃんが俺の席の近くを通る時に声をかけると通り過ぎる時に本当に小さな声でそういって返事をしてくれた。前は無視されるか『ふんっ!』って言われてたからそれに比べたら随分進歩したものだろう。こっちを見ることなくそっぽを向いたまま小さな声でそういう薊ちゃんが可愛い。
次第に人が増えてきている教室内だけど普通の小学校のように騒がしくない。多少は話している生徒達もいるしまったく無音ということはないけど、普通の小学校のように騒がしく遊んでいる子はいない。
それを寂しいと思うか、とてもよく教育されて躾が行き届いていると思うかは人それぞれだろう。ただ俺は少し寂しいように感じてしまう。
俺が子供の時はもっと自分も周りも騒がしかったと思う。良くも悪くもそれが子供というものだろう。だけどこの藤花学園の生徒達は子供らしく遊ぶこともなく大人しい。そういう風に育てられているし、そういう校風の学校なんだからこれで当たり前なんだけど……。何とも言えない前世とのギャップに寂しさを感じてしまう……。
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適当に授業を聞き流しつつ蕾萌会の宿題をしたりテキストを解いたり、予習・復習をして過ごしている間に放課後になっていた。今日も今日とて嫌々ながらも五北会のサロンへ行かなければならない。
兄が卒業して藤花学園初等科にいるのが俺だけになれば五北会をスルーしていても母にはバレないかもしれないけど、兄も一緒に居る今年度中は嫌でも行くしかない。
……というか、今嫌なことに気付いたぞ……。
来年兄が卒業してから五北会をスルーしていても兄は俺が五北会に顔を出しているかどうか確認する術はないだろう。兄経由の情報で母の耳にそれが入る可能性はかなり低くなる。
だけど他の五北会のメンバーが自分達の両親に俺がサロンに顔を出していないと話して、それを聞いた他の家の人が母との会話でそれを漏らせば?いつどこからその情報が母の耳に入るかまったくコントロール出来なくなる。
……やばい。これって結局来年以降も五北会をスルーすることが出来ないんじゃないのか?
兄は言っていた。このまま伊吹達と関係が悪いと来年自分が卒業した後に大変だろう?と……。それはつまりこのことを指していたんじゃないのか?兄が卒業したからといって俺が五北会をスルー出来るわけではなく、そして兄の支援も受けられなくなる。
兄が卒業すれば俺の状況は悪くなることはあっても良くなることはない。だから兄が在学中にどうにか立ち位置を確立しろということだ……。
うわぁ!俺今頃そんなこと言ってんのか?馬鹿なのか?本当に脳まで小学校一年生になったんじゃないだろうな?
小学校六年生の良実君がそれを理解してアドバイスしてくれていたのに、前世では大学まで卒業して社会人をしていた俺がそんなことにも気付かずのほほんとしていたなんて……。
どうしよう……。大変だ……。今更どこかの派閥に入れてくださいとも言えない……。
もうクラスでも五北会でもかなり派閥が固まりつつある。クラスでは最大派閥の薊ちゃんグループ、静かだけど確実に結束している皐月ちゃんグループ、それ以外の、前世風に言えば非リア充、非モテ、陰キャ、オタクグループのようなどっちとも距離を置いているグループに分類されている。
もちろん俺はそのどこにも属さないボッチなロンリーウルフだ。そう、ロンリーウルフだ。
五北会は少々派閥がややこしくてクラスのように皐月ちゃんや薊ちゃんが派閥のリーダーというわけじゃない。確かに七清家の中でも家格上位である西園寺家や徳大寺家は大きな発言力はあるしリーダー格ではあるけど、さすがに入学したての一年生が六年生達まで従えているというわけじゃない。
ややこしいから全体の詳細はまた必要がある都度考えるけど五北会だけじゃなくて藤花学園に通うような名家には門流というものが存在する。門流とは家礼とも言って簡単に言えば主従関係のことだ。このご時世に主従関係もクソもないだろうと思うかもしれないけど実際にこの界隈では存在している。
また主従とか言っても昔の武士のように主家の命令には絶対服従で逆らったら切腹、なんてことはない。もっと緩い集まりで今風に言えばまさに派閥というようなものだ。何家はどこの派閥に入っているか、というようなものでその主となるものの一番頂点が五北家ということになる。
門流の数は近衛家が最大であり財閥の力でも派閥の力でも一番となっている。その次が九条家……、と言いたい所だけど残念ながら違う。家格や家業の力では九条家が二番だけど門流の数では一条家の方が多い。家格もほぼ同格で名目上九条家が上となっているだけで実質的にはほとんど差はない。
一条家は家業や財閥的には九条家に少し劣るけど門流、つまり派閥を多く抱えることで全体としては九条家を上回っているとすらいえる。少なくとも何か決める時に『民主主義的に』多数決で決めましょうとなったら九条家の得票数よりも一条家の方が多くなる。
九条家は一条家の次の第三位で抱える門流の数では上位二家に相当劣る。財閥の規模や力はともかく今のご時世家格なんて絶対のものではない。いざ何かを決める時に門流、つまり派閥の数が物を言うのであってそういう点で九条家はかなり後塵を拝していると言わざるを得ないだろう。
まぁそれはいいや。九条家の苦労については良実君がどうにかすると本人が宣言していたから良い。問題は俺が今更どこかの派閥に入れて、なんて気軽に言えないということだ。
つまり俺はどこにも属さないボッチなロンリーウルフだ。そう、ロンリーウルフだ。
どうしてこうなった?
五北会の方はまだ良い。ある意味俺が自分からそうしたとも言える。でもクラスでは皆に話しかけて仲良くしようとしているのにまったくうまくいかない。皆珍獣でも眺めているかのように遠巻きに見ているだけだ。
どうしたらいい?今から派閥を作るのは難しい。どこかに入れてもらうのも無理。あれ?これ俺詰んでね?高等科で破滅フラグになる前に詰んだ……。
「おい!」
「…………」
何とか挽回出来ないかなぁ……。破滅フラグも嫌だけどボッチはもっと嫌だ。可愛い女の子達とキャッキャウフフで青春したい!
「おい!」
「…………」
今の所皐月ちゃんと薊ちゃんとはうまくいっている……、って、ちょっと待てよ?もう一ヶ月ほどになるんだぞ?普通小学生が一ヶ月もクラスメイトをしていたらとっくに友達になってるもんじゃないか?学校でもお話したり、プライベートでも遊びに行ったりするよな?
でも俺は皐月ちゃんとも薊ちゃんともまだちょっと挨拶したり世間話するだけの関係だぞ!?これってやばくないか?
普通友達になるのなら一ヶ月もあったらもっと親しくなっているはずだ。それなのに俺は今まで何をしていた?ちょっとぼーっとしすぎじゃないのか?
これはヤバイ……。どうにかしなければ……。
「おいって言ってるだろ!」
「はぁ……。私は『おい』という名前ではないと何度言えばご理解していただけるのですか?記憶力の欠片もない残念なお頭とはいえいい加減に覚えられませんか?」
まったく……。俺が真剣に悩んでいるというのにうるさいガキがわざわざ俺の指定席までやってきてうるさいことだ。大体こいつに絡まれたら禄なことがない。それに目立つから俺に話しかけてくるな。俺は五北会ではひっそりと影として過ごす予定なんだ。
「――ッ!このっ!」
「伊吹……、抑えて。そんなことのために来たんじゃないでしょう?」
「チッ!」
槐に抑えられた伊吹は盛大に舌打ちしていた。一体何がしたいのやら……。
「おい!咲耶!今度うちでパーティーするから来い!」
「…………はい?」
何?今何て言った?近衛家でパーティーがあるから来いと言ったのか?誘うでもなくもう命令系で『来い』って言ったのか?そんなこと言われて誰が行くかよ。ていうか今サラッと呼び捨てにしたよな?誰がお前に名前で呼んでいいって言ったんだよ?
「日時をお聞きした後で予定を確認してからお返事させていただき……」
「『はい』だって。よかったね伊吹。九条さんも来てくれるって。皆も聞いたよね?」
槐~~~っ!てめぇ!誰の味方だ!って伊吹の味方だわな!それはいい。でも俺はイエスとは言ってない!
「ええ、まぁ……」
「確かに『はい』とは……」
それなのに……、槐に話を振られた他のメンバー達はウンウンと頷いていた。
やばい……。嵌められた。いや、俺が迂闊に答えたから悪いのかもしれないけど、俺はイエスとは言っていない。俺は『何だって?』と問い返しただけだ。
でも今更そんなことを言っても後の祭り。もう周囲は完全に俺が誘いを受けたという認識になってしまっていたのだった。