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第十一話「五北会」


 教師の話を終えて解散となってすぐに伊吹は槐のもとへ向かった。伊吹と槐は同じクラスだったがあの女はクラスが違うらしい。


「おい槐!あの女を捜すぞ!」


「くすっ。伊吹は本当に九条さんが気になるんだね」


 今まで周りの女の子達にいくらチヤホヤされても欠片も興味を示さなかった伊吹が藤花学園の面接に行ってから咲耶、咲耶と事ある毎に言うようになった。槐にはそれが不思議だったが会ってみて得心した。


 九条咲耶、あの子は他の子達とは違う。近衛家に次ぐ家格第二位の九条家のご令嬢だからというだけではない。誰もが従い憧れる伊吹に堂々と意見する。親しい間柄である槐ですら滅多にあそこまではっきり言わない。


 もちろん槐が言えば伊吹も話は聞いてくれるだろう。しかしそれで態度を改めるかどうかは別問題だ。槐が厳しく言えばそれなりに効果はあるだろうが遠回しに注意したくらいでは改めないことも多い。槐の方もそれはわかっているが毎回毎回厳しく言っても駄目なので普段はやんわり注意して、大事な時だけ厳しく注意するように使い分けているのだ。


 しかしあの九条咲耶という子は槐でもそこまで言わないことまではっきり言う。そして伊吹もまた他の者に注意された時と違う反応をする。これまでならば槐以外の者に妙な注意をされようものなら相手を徹底的に打ち負かしていた。別に打ち負かすと言っても暴力を揮うという意味ではない。


 例えば逆に注意してきた相手の欠点や間違いを徹底的に追及して理詰めにしてぐうの音も出ないほど追い詰めるとか、何故そうしているのか、そうしなければならないのか、伊吹がそうしている理由や注意してきた相手の注意の根拠は一体何なのかと徹底的に反論したりする。


 基本的に伊吹は負けず嫌いであり、しかも愚か者ではない。伊吹には伊吹なりの理由や根拠があってしているのであってただの無作法なのではないのだ。それも理解せずただ作法だから慣習だからと注意してくるだけの相手に黙って従うような玉ではない。


 しかしその伊吹が咲耶に注意されたことは一応気にしている。本人は決して認めないし完全に守っていたり注意したりしているわけではないが、咲耶に注意されたことはそれとなく気にしているのだ。槐にはそれがおかしかった。


「それで……、捜すって言ってもどこのクラスかわかっているの?」


「だからそれを今から捜すんだろう」


 自信満々にそう言い放つ伊吹に槐はこっそり溜息を吐いた。伊吹は馬鹿ではない。むしろ相当に賢い。行動力もあり決めたことはやり通す意思の強さもある。だけど少々何でも自分の思い通りにいくと思っている節がある。


 今だってそうだ。今は各クラスとも一斉に帰り始めている。自分達が相手の居場所もわからず闇雲に捜しても見つかる前に相手は教室から出て行ってしまうだろう。


 伊吹は特に根拠もなく自分が会いたいと思ったら相手に会えると思っている。今まではそうだった。自分が会いたい相手は呼びつければ必ず飛んで来ていた。しかし今回は相手が悪い。咲耶と約束していたわけでも呼びに行かせたわけでもなく生徒がそれぞれ行動している。そんな中で伊吹が会いたいと思ったからといってその相手とこの混雑の中で会えるとは限らない。


「はぁ……。伊吹……、九条さんは三組だよ」


「そうか。じゃあ三組に向かうか」


 そう言って当たり前のように三組に向かう。クラス分けは大きく貼り出されていた。気になる相手がいるのなら調べておくのが普通だろう。しかし伊吹は自分の方からそういうことをするという気がまったくなかった。これも今までの環境の弊害だろう。


 自分から会いたい相手などそうそういなかった。そして用があるからと呼びつければ相手がやってきていた。だから他人を気遣うとか、気にかけるとか、捜すとか、そういうことは致命的なほどに出来ない。そしてそれで特に問題がなかったのも悪いだろう。


 何か問題があればそれに気付き直す機会もあっただろうが残念ながら伊吹にはそんな機会はなかった。全てが思い通りになるというのも良いことばかりではない。しかし伊吹本人にはそれはわからず、注意しようにもまだ幼い槐にもそれをどう理解し言葉にすれば良いのかわからなかった。


「ここだな」


 人混みを掻き分けることもなく三組の前に到着した。伊吹と槐が歩いているためにこの混雑の廊下がさらに大混雑していた。藤花学園で五北家の前を塞ぐような馬鹿は存在しない。特に伊吹や槐はこれまでの社交界でもあちこちで顔が売れているので藤花学園で二人の顔を知らないような者など存在しないのだ。


 三組に到着した二人が教室の中を覗いてみると目的の人物、九条咲耶はまだ残っていた。伊吹の性格なら終わればさっさと次の行動を起こしたい、せっかちというか無駄が嫌いというのか、そんな性格をしている。


 それに比べて咲耶はただ静かに席に着いて佇んでいた。教室も廊下も他の場所はざわざわとうるさいのにまるで咲耶の周りだけは音が消えてしまったかのような静謐な空間が出来上がっていた。


 伊吹と槐はその光景に見惚れる。絵画か映画のワンシーンか、まるで現実味を感じられないその光景に見入って動けない。伊吹の性格ならさっさと教室に乗り込んでいって声をかけるはずだ。それなのに伊吹はいつまで経っても動けなかった。


 そんな中周囲の喧騒が落ち着いてくると咲耶は静かに立ち上がり教室を出ようとしていた。扉の前でその光景に見入っていた伊吹と槐は教室の出入り口で咲耶と顔を合わせる。


「おい、面貸せ」


「…………」


 ぶっきらぼうに……、いつもの伊吹らしくなくそう言った。少し視線が逸れている。真っ直ぐ咲耶を見れていない。


「おい!無視するな!聞こえてるんだろう!」


 しかし声をかけられた咲耶は表情一つ変えずに横を通り抜けて行こうとする。普通ならあり得ない。近衛伊吹に声を掛けられて無視していく女の子など今まで一人たりともいなかった。伊吹の方から声をかけなくとも向こうから勝手に寄ってくる。そして少しでも伊吹が返事をすればそれだけでキャーキャーと大騒ぎになる。


 それなのにこの九条咲耶は伊吹に話しかけられたというのに返事すらせずまったく存在しないかのように無視を決め込んでいる。堪らず咲耶の進路を塞いで再び声をかけた伊吹に心底面倒臭そうな顔をしてから咲耶が口を開いた。


「はぁ……。ですから私は『おい』という名前ではないと申し上げたはずですが?」


「くっ……、くくっ……。伊吹にこんな態度を取る子は初めてだね。伊吹が気にするのもよくわかるよ」


 槐は噴き出しそうになるのを必死で堪える。これまでどれほど女の子に追い掛け回されても面倒臭そうにしているだけだった伊吹が、今度は逆に女の子を追い掛け回して面倒臭そうにされている。


 伊吹の感情が恋心だとは思わない。少なくとも現時点では……。


 確かに伊吹が咲耶を気にしているのは間違いないだろうがそれは恋だの愛だのという感情からではないと思う。今はまだ今まで自分に接してきたどんなタイプとも違う人物に対して興味や腹立たしさを感じているだけだろう。


 しかし……、と思う。伊吹がこれだけ女の子に……、人間に興味を示したことは未だ嘗てない。もしこのまま二人の仲が進展していけばあるいは……。


 それを想像すると槐はおかしいのと同時に少しその光景を望んでいない自分にも気がついた。しかし今はそれよりもこの面白い展開の先を見たい。


「まぁまぁ、そう嫌そうな顔をしないで。少しだけ付き合って欲しいんだ。九条咲耶さん」


「おう!ついてこい!」


「はぁ……」


 槐がそう言うと渋々という感じに咲耶がついてくることを了承した。こうして三人は連れ立って藤花学園の中を移動したのだった。




  ~~~~~~~




 伊吹と槐が咲耶を連れてきたのは重厚で立派な扉がついた部屋の前だった。咲耶はその扉に刻まれている紋章をじっと見ていた。


「ここは……」


 校長室よりも遥かに立派な扉が付けられた見るからに高級そうなその部屋の扉には垂れ下がる藤の紋の真ん中に牡丹の花があしらわれていた。五北家の家紋は牡丹か藤だ。つまりこの扉に刻まれている紋章は牡丹と藤の家紋をあわせたものである。


 少しゴチャゴチャしていて見難いがこの紋章は五北会の紋章であり、藤花学園内のみならずこの国の上位に立つ者達全員の畏敬の念を集めるシンボルとなっている。藤花学園の小中高大学だけではなく、卒業後ですらこの『下がり藤牡丹』と呼ばれる紋章は絶大な影響力を発揮する。


「何も知らないんだな!ここが五北会のサロンだ」


 そう言って伊吹が扉を開ける。豪華な室内には上級生達が思い思いに寛いでいた。


「来たぞ!」


「ああ、伊吹君、いらっしゃい」


「御機嫌よう近衛様」


 伊吹が遠慮なくそう言いながら室内に入って行くとそれに気付いた上級生達が声をかけてくる。


「こんにちは皆さん」


「槐君もよく来たね」


「ご無沙汰ね槐君」


 それに続いて槐も室内にいる者達に声をかけながら室内へと入って行く。全員がすでに顔見知りなので特に紹介もなく気安いものだった。しかし五北家である近衛や鷹司と同格の家は少ない。ほとんどは七清家かそれ以下であり上級生だから気安くはしているがそこには明確な力の差があった。


「おや?そちらの子は?」


「失礼いたします。私は九条咲耶と申します。皆様よろしくお願い致します」


 伊吹と槐に続いて最後に入ってきた女の子を見て……、五北会の者達は全員が見惚れてすぐに反応出来なかった。今日入って来たばかりの一年生とは思えない。六年生ともなればそれなりに分別も教養も身に付いている。その六年生達から見ても咲耶の所作はあまりに美しすぎた。


「は~……、君が咲耶ちゃんか。良実よしざねから話を聞いていた時は兄馬鹿かと思っていたけど本人を見てみれば納得だよ」


「そうだな……」


 上級生達はウンウンと頷いていた。九条良実の話では妹の咲耶嬢はすごいということだった。しかしそんな話はよくある話で家族の贔屓目で大袈裟に言っていることなどザラにある。物凄い器量良しだの何だのと両親が言っていて実際にあってみれば凄いのが来た、などという話はこの界隈ではあるある話だった。


 それがどうだ。実際に会ってみれば兄・九条良実の話はまだ謙遜しながら言っていただろうと言わざるを得ない。所作、言動、全てが美しく上品で到底一年生とは思えない。


「お兄様?」


「ああ、よく来たね咲耶」


 そして咲耶は兄の姿を見つけて首を傾げる。何故ここに兄がいるのか。いや、五北家の一角である九条家の嫡男なのだから五北会にその名を連ねているのは当然だ。前々から五北会の話を聞いていたのだから当然知っている。問題はそうではなく……。


「今日は五北会の中でも新入生の五北家の子達だけ五北会にお披露目される日なんだよ」


「え……?私はそのようなお話は伺っておりませんが?」


 五北会は藤花学園で非常に大きな権限を持っている。それこそ教師や校長でも逆らえない。藤花学園は五北会の寄付によって成り立っているとすら言えるのだ。その設立から現在まで常に五北会の援助があってこそであり逆らえる者など存在しない。


 その五北会へのお披露目というのならば相当重要なイベントだ。それなのに咲耶はそんな話は一切聞いていなかった。


「両親には僕から話しておくって言ってあったからね」


 それでも意味がわからない。両親から聞いていない理由はわかった。では何故兄は自分に伝えていなかったのか。その説明にはなっていない。


「伊吹君に咲耶を連れてきてもらうように言ってたんだよ」


「――ッ!」


 兄の衝撃の告白に咲耶は誰にも見られないように驚きをかみ殺す。


「咲耶は伊吹君と相性が悪いって言ってただろう?だから……ね」


 だから、ね、ではない。兄は余計な気を使って余計なことをしてくれたようだと理解した咲耶はまたしても人に見られないように絶望に打ちひしがれていた。味方だと思っていた兄の余計な気使いがますます自分を苦しめ追い詰めているのだと声を大にして言いたい。しかしその言葉は飲み込んだ。


「そっ、そうですか……。お兄様に気を使わせて、お手を煩わせて申し訳ありません」


「いいんだよ。咲耶がこれから藤花学園で無事に過ごせる方が良いからね」


 さらなる兄の不穏な発言に咲耶は再び人知れず顔を引き攣らせていたのだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] おにいさん いいぞもっとやれ
[一言]  期待させますね。  今も、これからも楽しみです。
[一言] 肉体言語はなしか~(´・ω・`)
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