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密談・拒絶4

「姫芽ちゃん、本当にごめん……」


 櫂人が言う。少しでも気を抜いたら震えてしまうかのように、妙に硬質な声だった。

 姫芽は櫂人の隣にしゃがみ込む。そっとその顔を覗き込むが、すっかり隠されてしまっていた。

 今、なんと声をかけたら良いか、分からなかった。

 縋るように両手で握り締めたレモンティーは、いつの間にかぬるくなっている。

 小さく丸まっている姿も、見慣れない大人びた格好も、夜の公園も。全てが姫芽の知る櫂人ではないような気がして、嫌だった。焦燥にも似た感情が、姫芽の鼓動を速くする。


「園村くん」


 もう一度、名前を呼んだ。

 櫂人は今度こそ少し顔を上げる。缶コーヒーと手の隙間から、色のない瞳が覗いた。

 姫芽はいつの間にか、地面に膝を突いていた。

 ペットボトルが地面に転がる。代わりに握り締めたのは、櫂人の両手だ。

 作り物の温かさに縋っていても何も変わらない。

 それならば、進むしかないのだ。

 例えそれが、茨の道だと分かっていても。


「──園村くん」


 櫂人が目を見開く。

 姫芽はありったけの勇気を振り絞って、口を開いた。


「私、園村くんが好き」


 その感情が誰のものであっても、もうどうでも良かった。

 愛しくて、恋しくて、側にいたい。

 この衝動が偽物の筈がない。


「セリーナ姫じゃない。前世の園村くんじゃない。──……私が、今、櫂人くんを好きなの」


 口にすると、その感情は居場所を見つけたように、すとんと姫芽の心に馴染んだ。

 姫芽は、ずっと言いたかったのだ。

 櫂人の両手がぴくりと震える。視線が絡まったときには、その睫毛は僅かに濡れていた。僅かな期待と自制心がせめぎ合う黒い瞳が、姫芽にはひどく美しく見えた。


「駄目だよ。──俺の事情に、姫芽ちゃんをこれ以上巻き込みたくない」


 櫂人が囁くように言う。それは、懇願のようなものだったのかもしれない。

 姫芽は首を左右に振ってそれを受け流す。

 両目がじんと小さく痛む。熱い、と思ったときには、もう涙が溢れていた。温度を持ったそれは、冬の夜風に冷やされてすぐに冷たくなってしまう。

 涙を拭おうと伸ばされたらしい櫂人の手が、姫芽の頬に触れる直前でぴたりと止まった。


「櫂人くんが、好き。──……だから、巻き込んでいいよ」


 ぽたた、と落ちた涙が地面に染みを作る。

 気付けば櫂人の両腕が、しっかりと姫芽を捕らえていた。転がり落ちた缶コーヒーが、ペットボトルにぶつかる。


「ごめん。ごめん……」


 櫂人の声が夜に融けていく。

 姫芽もまた、心の中で何度も謝罪を繰り返していた。ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返す相手は、姫芽の父親と母親だ。大きな会社が動いているようだった。道人が仄めかしたのは、そういうことだ。


「──それでも、俺は、姫芽ちゃんの特別になりたい」


 振り絞るような声が、姫芽の心を締めつけた。

 もう逃げられない、という覚悟をもって、姫芽は櫂人を抱き締め返す。

 この腕を離したら、きっと櫂人は独りになってしまうと思った。


「姫芽ちゃん。……愛してる」


 言葉と共に、キスが落ちてくる。

 額に、頬に、瞼に。

 目を閉じると、唇に触れた。


「だから、姫芽ちゃんは、俺を許さないで」


「櫂人くん?」


 姫芽が不穏な言葉に目を開けると、櫂人は困ったような顔で笑っていた。

 許すも何も、姫芽は櫂人に何も怒っていない。首を傾げた姫芽を、櫂人が強く抱き締める。


「ありがとう。……側にいて」


 櫂人の身体はすっかり冷えてしまっていた。姫芽はこのままではいけないと、隙間を無くすように身体を添わせる。

 ひゅうと風が吹き抜ける。

 誰に見られていても、もう、どうでも良いと思った。





 どれくらいそうしていただろう。姫芽はスマホの震動音に気付いてはっと身体を離した。

 受話ボタンに触れて電話に出る。電話は母親からで、そろそろ帰ってくるようにと帰宅を促すものだった。

 ちらりと櫂人に目を向ける。


「──ねえ、お母さん」


 櫂人は一人暮らしをしていると言っていた。

 今日、この後も家に一人きりだ。そう思うと、何だか胸が痛かった。


「今日さ、園村くんに泊まってもらっても良い?」


 電話の向こうで母親が驚いたような声を上げる。それから、少し待つようにと言われて声が途切れた。どうやら、既に帰ってきている姫芽の父親に相談してくれているようだ。

 少しして、櫂人が良いと言えば構わない、という返事がきた。

 姫芽はスマホのマイクを手で塞ぐ。


「ねえ。今夜は、うちに泊まらない?」


 姫芽の言葉に、櫂人が驚く。


「いや、急に迷惑じゃ──」


「大丈夫だって。だから、お願い」


 姫芽がお願いだと言うと、櫂人は迷った末に頷いた。いずれにせよ、遅くなってしまったので姫芽を家まで送ってくれるつもりだったようだ。

 大通りでタクシーを拾って、姫芽の家まで。

 辿り着いたそこで当然のように暖かい家に歓迎され、櫂人は眉を下げて笑っていた。

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