幕間 02 : 側近への憐憫、家門への責務
王城内、『内宮』。
王太子予定者の妻となるべく定められた公女は、王城内にその身を置く事を下命された。 大公家の一女として送った生活から、『準王族』として、そして『王族』としての生活を始める為の部屋。 あの日の国王陛下の『言葉』は、後宮女官長により、実行される。 用意された公女の為の部屋。
『王太子妃執務室』 その部屋に付けられている『名』だった。
その身に着けた『知識と知恵』を、この国に捧げる事を強いられた彼女は、静かに美麗な装飾を施された窓際に佇み、視線を王城の美しい中庭に向けている。
その瞳には、深い苦悩の色が浮かび、これから会う人物への憐憫が窺えた。
自身の側近として、自身の『影』として、長らく自分の側にいた者を、公女は手放さざるを得ない状況に、懊悩していたのだ。 傍付の彼女自身、何かを企んだり、邪な思いを抱いた訳では無い。 ただ、状況が彼女を公女の側に居続ける事を許さなかったのだ。
嘆息する事も出来ず、只々 瑞々しくも美しい顔を中庭に向け、彼女にどのように伝えたら良いか、そればかりを考え続けている公女だった。
――――
公女の『朋』の出自は、上級伯家。 本来ならば、彼女こそが継嗣として登録されるべき人であった。 しかし、前上級伯が家族と共に移動中に中型魔獣に襲われた事で、彼女の未来は失われた。 前上級伯、及び上級伯夫人は亡くなり、彼女だけが生き残った。 命の代償に、その身に消えぬ深い傷が刻まれた。
貴族女性として、致命的な『欠陥』とも言える『傷』。 当主が死亡し、嫡女が重傷を負い生死の境を彷徨うとなれば、上級伯家を継ぐ者が必要と成る。 事態を重く見た貴族院は、上級伯領の安堵を名目に当主の実弟へと『上級伯爵位』の継爵を成さしめた。
彼女は上級伯家から切り離された。 もし、彼女が成人しており重傷も負わなかったら…… 彼女こそが女上級伯として継爵していたであろう。 しかし、状況はそれを許さなかった。 軍閥系の閨閥貴族のなかでも、力を持つ上級伯家に『権力の空白期間』を設ける事は、国軍上層部からも『懸念』が示されていたからだった。
庇護する大きな力を失い、身に大きな傷を受け、淑女として『価値』を喪失した彼女は貴族社会の中での立ち位置を失ったも同然だった。 もし、継嗣としての立場を失って、そのまま上級伯家に居ても、扱いに困る女性として遇せられるか、教会の女子修道院にはいるか、あるいは老人貴族の後添えにはいるか……
しかし、事態はそれよりも過酷であった。
彼女は上級伯家の家族籍からも抜かれ、貴族籍のみを有する『寄る辺ない者』と成ったのだ。 ……彼女には『昏い未来』しか存在しなかったのだ。
――――
実家から切り離されたも同然の彼女に憐憫を覚えたのは公女。
幼少の頃より親しく交わりを持ち、彼女の頭脳がずば抜けて優秀なることを知っていた公女は、父である大公に直訴した。 自身の傍に置く事を。
大公も又、愛娘の置かれる状況を危惧していた。 筆頭大公家の一女として、そして、淑女として素晴らしい素養を持つ愛娘が、今後どのような生涯を送るのか。 国内貴族のほぼ頂点に居る大公は、彼女の立脚する王国内の立ち位置が酷く狭い事を心配していたのだった。
故に父娘二人の思惑は合致する。
上級伯家から彼女は大公家に居を移すことに成った。 そして、淑女としてのアレコレ以外に、公女の『影』と成る訓練もまた課された。 公女からは姉妹相当の扱いを受け、大公からは愛娘を護る為の『肉の壁』としての扱いを受けたのだった。
内包魔力も上級伯級を持つ彼女は、公女の側近として魔法学院にも入学した。 類稀なほどの優秀なる頭脳は、指向性を持っていた。 彼女は公女の傍にいる事を誇りとし、公女もまたそれを受け入れていた。
事情を知る者達はその事にある種の諦めも感じている。 もし、彼女が正当なる継承権者として上級女伯として擁立できたのならば…… と、そう夢想させる程に彼女の頭脳は明晰であり、心は矜持に満ちていたのだ。
それは公女の父である大公も、同じく思っていた。 現状を変更する事は甚だ難しく、ならばと彼女に特別の教育を与え、生涯愛娘の側近として生きて行けるように魔法学院在学中にもかかわらず、彼の『権能』を用い『後宮上級女官』の資格試験を受けさせた。
彼女はコレをその優秀なる頭脳と勤勉さで突破し、異例の事では有ったが後宮女官長も認めた『後宮上級女官』の資格を取得。 何も無ければ、公女の側仕えとして生涯を『大公家の至宝』を支える者と成る筈だった。
―――― だが、しかし。
公女の夫と成る筈の第二王子が大失態を演じた。 見える者には『大逆』の罪を犯した第二王子。 綺羅星の如く側に侍っていた高位貴族の子弟達と、煌びやかな交友関係者等と共に、第二王子は『昏い深淵』に堕ちて行った。
大公家で問題視したのが、件の『上級伯家』。
軍務卿の継嗣として指名されて居た者が、第二王子の側近に居た。 そして、その手足として動いて居た者が件の『上級伯家』の継嗣。 『大逆』を…… 犯した者、制止もせず教唆した者、不実を実行した者。 これらの者達は等しく罪の軽重により罰せられる。 つまり、件の『上級伯家』もまた、罪人達の家の『一つ』だったのだ。
『大逆罪』を表に出せば、国は混乱し多くの貴族家家門は断絶される。 愚か者はおろか、それに連なる優秀なる者達までも ” 根切り ” されてしまう。 公女も彼女を護る為に精一杯の知恵を回す。 第二王子の代わりに、自身の新たな婚約者と決せられた第一王子に『想い』を隠したまま、事態の収束に対する ” 解決策 ” を『献策』をした。
『大逆の罪』を糊塗する為、第二王子は生涯逼塞幽閉が『あの日』『あの場所』『あの時』に決した。 それに連なる者達もまた、相応の罰を国王陛下から求められた。 各家での処理は適切に行われる筈であった。
が、道理を弁えぬ者達も又、少なからず存在した。 その者達については、宰相府に於いて宰相自身が権謀術策の限りを尽くす手筈に成っていた。
” 愚か者達の家 ” が持つ『権力』『財力』を削ぎつつ、王国の政治的混乱を最小限に抑え、さらに国外勢力の跋扈を許さぬ為に、其々の家に対し『転封』を提案したのだ。 貴族の権力基盤である『領地』を変更する。 大胆な『策』であった。
豊かな土地から、貧しき土地へ。 要衝から僻地へ。 何もせずとも税収が上がる場所から、領主が『持ち出し』しなくては領政が回らぬ場所へ。 『腑抜けた』者達を、否が応でも『勤勉』たらしめる場所へと……
後釜には、第一王子派の勤勉なる者達が座る。 国の要衝、豊かな穀倉地帯、街道網の要の領、外交部局、財務部局、国務部局…… そして、軍務に連なる者達。
藩屏たる意識の薄い者達は、国王陛下の傍から遠ざけられ、国を想い民を想う『貴族の矜持』『藩屏たる誇り』を持つ者達が集い、新たな国家運営の基盤と成す事を示唆した。 第一王子は宰相に諮り、国王陛下に奏上した。 この姦計とも云える献策は、国の方針として公示された。
公女は心の奥深くで安堵した。 そう、朋であり姉妹で有る者の命脈は保たれ、これからも傍にいてくれるのだと。
―――― § ――――
「済まない。 君の『想い』は ” 知って ” いる。 『大切な姉妹』に火の粉が掛からぬ様にしていた事も。 だが、大馬鹿者のせいで、君の思惑は悉く外された」
「何が有ったのですか」
「上級伯家の当主と継嗣だが『家』を投げ出した。 辺境への転封に対し、”本来の御継嗣様に御家を受け継いでもらいたい” などと、世迷い事を言い出し、尚且つ貴族院の潜伏していた分子が、制度上の隙をついて受理した。 ……なんと詫びて良いか判らぬ」
「そ、それは……」
「上級伯家の本来の継嗣は彼女だ。 そして、それを通してしまったのは貴族籍を司る『管理登録院』の奴等の仲間だ。 既に受理された申請書はこれを不服として申し立てる時期を過ぎてしまっている。 尻尾切りに合わぬ様に、自身が先の上級伯当主より分爵された法衣伯爵を名乗り王都に残るのだと。 質が悪い事に、継嗣の方はわたしに擦り寄ってくる始末…… どうして呉れようかッ!」
「…………決定事項なのですね」
「済まない。 軍務卿への『罰』として、茶番に付き合った家々は戦略的には重要と思われる国境周辺に配転される事に成っている。 上級伯家も其の対象なのだ」
「理解しております…… おりますが、あまりにも……」
「配転先は此れから宰相も交え軍務卿を筆頭に能力を考えつつ決めるのだが、すでに動き始めている。 上級伯家の領軍は上級伯に付き従う事もまた決定しているのだ」
「……軍司令と執政官職を兼ねると云う事ですね。 覚悟と矜持無き者には勤まりますまい」
「だからこそ…… という訳でも無い。 どちらかと云うと申し訳なさが募る。 やっと、正式に君の傍付として持てる力が発揮できるというのに…… な。 しかし、コレもまた貴族の習わし……」
「「 ……儘なりませんな(ね) 」」
―――― 二人の口から同じ言葉が漏れ出した。
明日、後編へ続きます。