終幕 辺境の過酷な現実
―――― 『邑』に引き返す支度に入った。
『エラド=アラクネ』の討伐の証である澄んだ色の『魔石』は回収した。 高硬度の外骨格の一部も回収出来た。 趣味が悪いので、『疑似餌』については、切り離し回収する事はしなかった。
少々気に成り、近くで観察はした。 その結果、わたしは暫くその場に佇む事と成る。
普通の人の女性を模ったモノだと思っていたのだが、少々違うらしい。 体色が緑に近い肌色。 これは、疑似餌だからかもしれない。 濃い体毛…… 毛深いのだ。 これも、『エラド=アラクネ』の本体の影響かもしれない。 しかし、明らかに『人』と違う場所が有った。
『耳』だ。
尖り横に長い耳。 見たことが無い。 兵達も不思議そうに見ていた。 が、わたしの記憶が またも刺激される。 なんだっかの小説の挿絵に同じような耳を持つ種族が居た事を思い出した。 この世界には居ない筈の種族。
そう…… 『エルフ』と云うモノだ。
記憶に依れば、森を住処にし 『良く弓と魔法』 を使う種族…… だったか。 娯楽本の中に多々登場してきたモノだった。
これは…… わたしの記憶の中だけに在る情報だな。
ならば、報告の義務は無い。 この世に存在しない『種族』の話など、絵空事として扱われるに決まっている。 そして、行き着く先は、前世の様な疎外と無理解の末 『孤独に堕ちる未来』 しか見えない。 地道にこの世界の『人』として生きるのならば、この『知識』は表に出すべきは無いと、そう心から思えたのだ。
――――
『エラド=アラクネ』から剥ぎ取る事が出来るモノを回収した後、わたしは手を地面に置き、大きな穴を穿つ。 このような大きな獲物を燃やし切る『火炎魔法』を わたしは行使できない。
中途半端に燃やすと、様々な肉食魔獣が寄って来るし、ここは『中層の森』にも近い場所なのだ。 万が一、別の魔物を呼び寄せるような事と成れば、一大事なのだ。 わたしに出来る事といえば、地中深くに埋葬する事だけだった。
深い底の見えない穴を大地に穿ち、その中に『エラド=アラクネ』の亡骸を落とし込む。 底に到達した音を聞いてから、深い穴を閉じた。 血臭も、肉の腐る香りも、あれだけ深い場所に落とし込めば地上に漏れ出る事は無い。
よって、強い『火炎魔法』を使えないわたしにとっての、唯一の倒した『中型以上の魔物魔獣』の遺骸処理方法だった。
こうやって『後処理』を終え、森を後にする。 十分な警戒をしつつ、不必要な戦闘を回避する。 『索敵魔道具』は、とても使い勝手の良い『魔道具』であるという認識が兵達の間に広がっていった。
木漏れ日差す『浅層の森』の小道。 獣道と狩人が辿る小道を歩きながら、皆の命が保たれた事を嬉しく思った。 いまだ、銃の使用には躊躇する部分はある。 今回の事を踏まえても、あの強大な魔物をたった一発の銃弾で討伐出来たという事は、それだけ厳重なる監視下に於いて運用せねば成るまい。
爺が、そろりとわたしの傍に歩み寄り小さく言葉を紡ぐ。
「当代様に何と報告すべきでしょうかな」
「初陣で望外の成果が出た。 兵達の奮励努力の賜物だな。 いや、彼等の献身には頭の下がる思いだ。 今後も研鑽を続け『遊撃部隊』の誉れを高めてくれることを期待する」
「…………若様。 本当にソレで良いのですかな?」
「皆の『誉れ』だよ。 あぁ、観測手を担ってくれた五年兵には、言葉を尽くして欲しいな。 彼の軍功は第一ではあるが、今のわたしでは何の褒賞も出しては遣れない。 良い酒を一瓶…… くらいが、わたしに出来る事なのだよ。 爺、力無き指揮官を支えてくれてありがとう」
「勿体なく、若様。 さて、そうならば儂が皆に話をせねば成るまいて。 若様もお疲れでしょう、邑に帰着出来たら少々休息を取りましょうぞ。 当代様に『討伐完了』の伝令兵も送らねばなりますまい。 その間に皆には話をして置きましょうぞ」
「宜しく頼む。 わたしも 色々と考えねば成らぬ事が出来た。 『強襲偵察』などと云っているが、兵の命を差し出しての作戦には 『思う所』 もあるのだ。 もっと善き防具は無いか。 もっと有効な武器は無いか。 銃兵が遠距離の本命とすれば、歩兵は近距離の本命と成らねば成らないからな。 人がどれ程訓練を積んだとしても、魔物魔獣の前には只人は無力なのだと今回の事で実感した。 だから、考えねばいけないのだ」
「歩兵の装具…… ですか。 難しき事柄ですな。 揃えねば戦力は発揮できぬし、揃えるには莫大な金が必要ですからな。 いかな若様の潤沢な懐具合とはいえ、それを成すには少々無理がございましょうな」
「…………なにか、方策は無いかと思案中なんだよ爺」
大金星を挙げた指揮官にしては、憂鬱で暗い表情を浮かべる わたし。 本来なら士気を上げる為にこんな表情を浮かべるべきでは無いのは重々承知しているのだが……
問題の数々がどうしても心を重くする。
このまま放置する事は出来ない。 大切な遊撃部隊の兵の命は安くは無いのだ。 かれらが生きて街に村に、彼等が大切に想う人の所へ還してやるのが 指揮官 の役目なのだ。 その為の努力を惜しんでは成らなないのだ。
心に新たな決意を持ち、邑へと続く森の小道を進んで行った。
―――――
街道を行軍し、邑から村へ そして街へと帰還した。 疲れ切ってはいたが、報告の為に騎士爵家の邸に向かう。 向かう先は父上の執務室。 伝令兵は既に帰着し、報告を成している筈だ。 問題が発生していたのは、父上も御承知の筈。
続報は直ぐには出せなかった。 いや、もう一度だけ出した。 『討伐完了』の知らせを持たせ、走らせたのだ。 ご心配をお掛けしたかとは思う。 時間的に、『討伐完了』の伝令兵と『遊撃部隊』の帰着はあまり差が無かったと思う。
事実、父上の執務室に入った時『騎士爵様』は、完全武装の御姿で北の『魔の森』地図を広げ 街に残存していた主力部隊の指揮官たちと共に、帰着した 『遊撃部隊の指揮官』 を出迎えられた。
その武張った圧力たるや…… 入室を請い、執務室に入る わたし に ” ギロリ ” と 強い視線を以て迎えて下さったのだが、その纏われる『雰囲気』は まさに『叱責の場』も『斯くや』と云わざるを得ない。 事実、父上は開口一発、怒気を孕ませた御声で、叱責を口にされたのだ。
「何をやっておるのだ貴様はッ!! 何故に援軍を待てなかった? ……中層域に生息する中型魔物である『エラド=アラクネ』を討伐したと云うのは真か」
「はい。 こちらがその討伐証明である『エラド=アラクネ』の体内より取り出した『魔石』に御座います。 ご査収ください」
「…………真の話であったか。 押し返す…… では無く『討伐』しただと? 兵にどれ程の損害が出た。 徒に兵を損耗する事は、指揮官として恥ずべき事なのだぞ!」
「その事は重々承知しております。 責は全て わたくし にあります」
「無茶をするな。 兵達はお前の玩具では無いのだ、我等が街の大切な者達なのだぞ!」
激怒する父上。 心優しき父上が兵を大切にしているのは、騎士爵家の支配地域では有名な事だ。 むざむざと兵達に危険を冒させるのは、たとえ自身の息子であっても許せるものでは無いのだろう。
” これでは、叔父上と何ら変わりは無いでは無いか ” と、言外に問い詰められているようでも有ったのだ。
未だ、大叔父上への処分に『理解』は有れど『納得』されていないのだ。 逍遥と項垂れる。 まったくもってその通りなのだ。 時と状況がそれを許容しても、遊撃部隊の指揮官としての判断は『間違い』だったのかもしれない。
わたしの爺が、面白げな声色を出しつつ、言葉を吐きだした。
「当代様。 兵が損耗は皆無でしたぞ。 そう、皆無。 若様は、並々ならぬ手腕を発揮し、伝統である指揮官先頭を守りつつも、兵に要らぬ損害を与えぬ様に ” 策 ” を巡らして居られた。 流石は王都にて学ばれた方だと、五年兵共も舌を巻いておりましたぞ。 叱責など論外。 当代様が初陣が折の話を持ち出しても宜しいかッ!」
「お、お前はッ! い、いや、それとこれとは……」
「違いませぬぞ。 当代様、何故に ” よく無事で帰った ” と、お褒めに成りませぬ。 先代様は当代様の初陣後に叱責なさいましたか?」
「…………いや」
執務室の扉の外側から、新たな声が掛かる。 良く知った御声なのだ わたしを愛して下さっている方の御声なのだ。 良く通る澄んだ御声は、執務室の中に者達の耳朶を打つ。
「よくぞ無事で戻った。 この街に残る兵達の全力出撃を準備していたのだが、まさか中型魔物を討伐するとはッ! 天晴な初陣。 誇りに思うぞッ!! そうで御座いましょう、御当主様」
「あ、あぁ…… そ、そうだな。 兵の犠牲も無く、中型魔物を屠るとは騎士爵家の誉れに間違いは無い…… よくやった。 無事に帰還して嬉しく思う」
長兄様の言葉に圧倒されたのか、父上は言祝いで下さった。 しかし、わたしの心は晴れない。 このままでは何時、大切な兵達を失うか……
このままではダメだ。
何かしらの方策を見つけねば成らない。 犠牲の上に成り立つモノは、とても脆いのだから。 此度の件で、心からそう思う。 一歩間違えば…… 少し弾丸が横に逸れていたならば…… わたしを含め多くの者達が『魔の森』で骸を晒していたのだ。
今更ながらに、恐怖を感じた。
が、負けては成らない。 この感情を糧として更なる高みに登らねば兵達にも そして民達にも申し訳が立たない。
『 辺境の過酷な現実 』 に、心が竦む思いだった。