――― 不亦楽乎 ―――
◆ ” 高位貴族 ” 友誼の在り方
あまり交流が有ったとは言えない『級友』からの申し出。
何かが、彼の情報網に引っ掛かり、僅少の断片を組上げて、密かに進行している事柄を推察した結果、その一部にわたしが浮かび上がって来たと、そう見て良い。 ここで恩を売って置けば、あとあと、何かしら家門に対する恩恵が有るかも知れない。 無くても瑕には成らない、辺境に知己を得るのも悪くは無いと判断した結果か。
高々、男子礼服が一着。 式典の『格』に合わせた、市販既製品の『礼服』の対価など、アイツにとっては、婚約者に贈る宝飾品の数分の一程のモノでしかない筈。
云われた通り、次の日にソイツと待ち合わせた。 待ち合わせ場所に来たのは、黒塗りの高級馬車。 貴族街を行く馬車は幾多あれど、わたしは今までこれ程の高級馬車を見たことが無かった。 扉にはしっかりと侯爵家の家門が刻まれている。
いいのか? と思いつつも、促されるままに、その上質な高級馬車に乗った。 天鵞絨張りの、座椅子は雲の上に座るが如く、音も遮断されている室内は、静謐を極め、さながら動く応接室の様にも思われる。 云われるがまま付いて来て良かったモノかと、思いを巡らせている間に、アイツは一軒のテイラーの玄関の前に家紋入りの馬車を乗り付けた。
―――― 貴族街のほど近くに、その仕立屋は有った。
重厚な店構えを見るに、相当な大物の店と見受けられる。 通りに面した正面玄関は、街路から少し控えられて建てられている。 そう、つまりこの店は、馬車で来る客を想定して、街路に干渉しない様に誘導路を用意している。
普通の商店ではそんな事はしない。 バカ高い王都の中心部で、店の面積を削ってまで『馬車寄せ』を作る様な商家は無い。 しかし、現実に目の前にある。 と云う事は、この店は、日常的に高位貴族が足を運ぶ店と云うことに成る。
――ううむ。 腕だけでは、貴族が足を運ぶ事は無い。
格式と歴史、そして、何よりもその店で服を誂えたと云う事が、ステータスになる様な、そんな『仕立屋』であると云う事だ。 これは、気を引き締めないと、私が不作法を成したならば、それが、あっという間に拡散されるぞ。
店構えを見つつ、緊張に身を固くするわたしに、アイツはニヤリと笑みを浮かべた。 まるで、『判っているじゃないか、此処がどんな場所なのかを』 と、言外に伝えられたような気がする。 更なる私の緊張など何処吹く風とばかりに無視をして、奴は『仕立屋』の扉を開いた。
「いらっしゃいませ。 若君。 今日はどのような仕儀で此方に?」
「礼服を一着、誂えたい。 今から直ぐに掛かって貰えば、四刻も有れば出来るだろ? 我が侯爵家の恥に成らない様にして欲しいな。 あぁ、俺のじゃない。 コイツのだ」
「…………承知いたしました」
慇懃に一礼を捧げる、店主らしき壮年の職人。 鋭い眼光で、奴を見ているが、そんなモノは無視して、奴は店内の散策を始めていた。 ヤレヤレと言いたげな店主。 今度は私に鋭い視線を投げかける。 上から下、下から上。 睨め付ける視線は、何かを計る様に動き、そして素早く計算し、私には判らない何かを弾き出した様だった。
「此方に。 正確に採寸せねばなりません」
促される私は、もう成すがまま。 ここで要らぬ我意を出せば、職人たちの邪魔になりかねない。 それは、奴の面目も傷つける行為でもある。 ここは、まぁ…… 大人しくな。
彼の生家の侯爵家と、専属契約を結んでいるのか、ソイツの無茶ぶりをいとも簡単に受け入れ、願いを実現してしまった。
いやまて……
奴の言葉からすると、侯爵家の家格に準じた『礼服』だぞ? 何故、モノの数刻で完成するのだ? それも、オーダーメイドだぞ? 採寸してから、二刻ほどで仮縫い? 仮縫いと細部の調整を四度ほどして、四刻後に完成だと? 一体どうなっている? 辺境の常識など、全く役に立たない、王都の…… それも高位貴族家の実力をまざまざと見せられ、声すら出せない。
「…………若君の “ ご友人 ” は、誠、素晴らしい体格をお持ちで」
「そうだろう。 鍛え方が違うからな」
「御家に連なる、勇猛果敢な騎士殿方や、御当主様の御若い頃を思い出されます」
「ふん! で、誰の型紙を使った?」
「……内緒に御座います、坊ちゃま」
店主はニヤリと笑い、首に回しているメジャーをするりと撫でる。 その様子を確認して、侯爵令息は満足気にニヒルな笑みを頬に浮かべ、小さく頷く。 “ 払いは当家に回して置く様に ” と、店主に云い付け、テイラーを後にする。
わたしの手には、重厚な『ガーメントバッグ』が一つ持たされていた。 わたしには、余りにも不釣り合いなモノである。 困惑が心に浮かび上がるが、好意として貰っておこう。
「靴やら下着やらは自前で有るだろ? 中身は正装一式だ。 自分で装う事は出来るだろ? 騎士爵家とは云え、貴族なんだしさ。 まぁ、無位無官の俺たちには、付ける略綬も無いから、それで十分さ」
「侯爵家御令息が騎士爵家の三男に対して用意するには、些か高価すぎるのでは? それで…… 対価は?」
「…………俺を覚えていてくれ。 何事にも打算はある。 俺の心内を想像してくれれば、それでいい」
「成程…… 成程な。 了解した」
好意と云うには、些か生臭い物を感じるが、それも又、飲み込むべき事柄。 この時はまだ、この先、コイツと『腐れ縁』と思える程、長期に渡る関係性が構築されるとは思っていなかった。
ただ、まぁ、早めに『恩義』と云う柵を、幾許か返さねば成らないなと、
―――― 心に浮かんだ事は間違いない。