笛の音
「おい、待て!」
待てと言って待つ人はいない。私は結界を出ると同時に薄い結界を身にまとう。何歩か小屋に向かった後、私はさっとしゃがみこんだ。
その背を男の手がかすめたような気がした。
「子どもが結界のそとにでたぞ! 結界箱を寄こせ!」
結界箱を抱えて探されたらひとたまりもない。私は四つん這いになると、迷わず山側を目指して這い始めた。
伊達に赤ちゃんの頃ハイハイが早かったわけではない。秋の初め、まだ草丈が高い中、私は何かの虫のようにかさかさと草の根元を這って行く。急いで、でも結界をしっかり張りながら。
私にはじかれてヴン、ヴンと言っている虚族を、注意深いものが見たら気づいただろう。
しかし、私が山側に直角に回ったのに気づかず、男たちは結界箱を持って小屋までの道を捜している。
「まだ死んではいないはずだ。弱っていても、死体でも探し出せ!」
恐ろしいことを言う。私はさらに山側に這って行った。しかし、あまり離れすぎても敵のようすはわからない。目立たないように座り込むと、改めて結界を強化する。
「間に合ったな!」
「さあ、戻ろう!」
このたくさんの気配は小屋を襲撃したやつらだろうか。どうやら拠点に戻ってきたようだ。
「子どもとすれ違わなかったか?」
「子ども?逃げたのか!いや、小屋からまっすぐ来たがすれ違わなかったぞ」
「どうするんだ。子どもがいないと意味がない。もうすぐ日も登るぞ」
拠点はざわざわしている。
「左右だ!範囲を広げて探し直せ!」
「おう」
私はギクッとした。男たちが戻ってきた今、結界箱はさらに三つ増えることになる。捜索が一気に楽になる。しかし、朝日が昇りそうな今、下手に動くと草の動きで居場所がばれてしまう。
がさがさと探す気配が近くまで来た時、
「ピリリリ」
と笛の声がした。
「ハンターを先頭に、あいつらが来そうです! 戦うか! 撤収するか!」
「ちっ」
間近でしたその声は、私をさらった男のものだった。私は一層体を小さくした。
「作戦は失敗か。目撃者を残さず始末するには、味方の数が足りぬ。雇ったものではこの程度よ」
そう恐ろしいことをつぶやくと、
「よし、集まれ! 撤収する」
そう叫んで、がさがさと戻っていった。
周りがどんどん明るくなるなか、私の結界の周りでヴン、と跳ね返される虚族の数も少なくなり、たくさんのラグ竜の足音が走り去る音がした。
それを追うように小屋の方からラグ竜の音がする。
「駄目だ、キャロ!とまれ!」
「バート! しかし、リアが!」
「お前だって見えただろう。相手は30人近くいた。正直、全員で向かってこられたら危なかったんだ。深追いはするな」
「畜生! 結界箱をこんなことに使うなんて!」
人を傷つけるために、悪事に使うために。そんな使い方をするなんて思わなかった。そんなふうに嘆く人に、拾われてよかった。朝日が昇り、虚族の気配も消え去った。私は結界を解いた。
ここでかっこよく登場するのだ。私は立ち上がった。
しかし草は背が高かった。先ほど敵から私の身を隠してくれた草は、今度は味方からも私を隠した。
「さあ、急いで立て直して、次の町で情報収集だ。小屋を壊して、ウェスターの王族を襲うなんて、もうリアだけの問題じゃねえ」
「リア……」
「しっかりしろ、キャロ」
必死に歩いている私に聞こえてきたのは、クライドの声だった。
「事件が大きくなったことで、リアを大規模に探してもらえるってことだ。俺たちのすべきことは、急いで次の町に向かうことだろう」
「……そうだな、わかった」
わからないで、キャロ、もうちょっと探して! 私は焦った。何かないか、何か。そうだ!
私はラグ竜のポケットから草笛を取り出した。時々作り直してもらっていたから、きっと鳴るはず。私は思い切り息を吹き込んだ。
「ぷー」
「キーエ」
「さあ、行くぞ」
「ぷー」
「キーエ!」
「待て!静かに」
バートの声に、クライドが待ったをかけた。いいぞ、気が付いて。
「ぷー」
「キーエ」
「ラグ竜の反応。これは」
「ぷー」
「こっちだ!」
がさがさと近づいてきたのは。
「リア!」
「ぷー」
バート、キャロ、クライド、そしてミル。
あれ、ミルの声はしなかったけれど。
「リア」
涙と鼻水でべちょべちょだ。
「みりゅ、はんかち、もちゅべき」
「ああ、今度からな、今度から」
助かった。へたり込む私をバートが抱き上げた。
「偉かったな、偉かったな。よかったよかった」
「さあ、戻ろう」
「あい」
小屋に戻った私が大歓迎されたことは言うまでもない。
「リーリア!」
王子に抱きしめられたのには驚いたが、すぐにアリスターに手渡しされてしまった。
アリスターは抱きしめて離さず、小屋にいた人たちには泣いて謝られた。
「さあさ、何はともあれ、泥を落として手当てなさいませんと」
ドリーの言葉に初めて、みんなは私の泥だらけの格好に気が付いた。膝と肘、それに手のひらは泥だらけだし、髪には草の種が付き、ひどいありさまだった。
ドリーはすぐ私を小屋へ連れて行き、
「本当は全身きちんと洗いたいところですが、急いで次の町に行って追っ手を差し向けなければならないそうで。手だけきちんと洗いましょうね」
と、手をきれいに洗い、傷の手当てをしてくれた。
「リーリア、大変だろうが、次の町まで急ぐぞ」
いつものようにかごに乗せられた、泥だらけの私に王子はそう言った。
「ひゅー」
「お前のその声はちゃんと聞こえたぞ。ちゃんとな」
私は思わず得意そうな顔をした。
「今日だけはもたせてやる。ほら」
「わあ」
王子が新しい草笛を何本か手渡してくれた。
「アリスターと一緒に作った。戻ってきた時に、退屈すると困るからな」
「ひゅー、ありがと」
王子の声がちょっと変だったが、そこは気にしない。きっともう戻ってこないと思いながら作ったのだろう。
「では、出発!」
「ぷー」
「キーエ」
隊列は動き出す。
「……やっぱり癇に障る」
「ぷー」
「キーエ」
領都まで、あと二週間。無事に着きますように。
また忙しくなってきて、更新が難しそうです。今回は更新を休まず、半分にしてみます。とりあえず土曜日、月曜日、木曜日のリズムで頑張ってみます!